※ ※ ※ ※


「……くさん! お客さん!」



 誰かが、島太郎を呼んでいます。


 はっと気がつけば そこは店内。

 音楽は すでに消され 静まり返っています。どうやら寝込んでしまっていたようです。


 浴びるように酒を飲んだはずなのに、すっかり酔いが醒めています。



「お客さん、すみませんが 看板なんです。

 まことに申し訳けありませんが、お勘定をお願いしたいのですが よろしいでしょうか」


 物腰柔らかくマスターは言います。



「それよりも、姫子ちゃんは?」


 姫子の姿は、そこにはありません。

 島太郎にとっては、勘定より そちらの方が気になるようです。



「彼女は、お客さんが眠りに入られてすぐに、なにやら用事を思い出したらしく、帰りましたよ。

 しかも困ったことに、仕事を辞めたい、などと急に言い出しましてね。もうこの店には来ませんよ。

 あ、お勘定ですが、お約束通りお酒の代金だけでいいですよ。


 端数はサービスして ちょうど 五十万円になります」



 お酒だけで、五十万円。明らかに ぼったくりです。普通の人なら 真っ青になるところですが、島太郎は平然としています。


 これくらいの金額なら 過去に何度も支払ってきました。島太郎にとっては 特に驚く金額ではないのです。



 しかし、島太郎が平静を保っていられたのは ここまででした。


 夕方まで セカンドバッグには、百万円以上のお金が入っていました。


 そして今でも、その金額が入っていると思い込んでいました。



 そうです。島太郎は 浮かれ気分で すっかり忘れていたのです。

 姫子を助けるために、たくさんのお金を使ったことを。



 島太郎は、ドキドキしながらお金を数えました。



 五十万、偶然か奇跡か、まるで携帯小説のように セカンドバッグの中には きっちり五十万円が入っていました。


 けれども、このお金を支払うと 無一文になってしまいます。仕事を探すにも、身動き一つ取れません。


「お客さん、どうなさいましたか?

 さあ お支払いください」


 島太郎は観念して 恥を覚悟で事情を説明しました。



 するとマスターが助け船を出してくれました。


「それはお困りでしょう。しかし、うちも商売でやっておりますので お支払いはきっちりいただきます。

 これでも かなりサービスさせていただいているのですよ。


 明日からの生活がお困りのようですので、仕事をご紹介しましょう。


 いえ、社長が うちのお客さんでしてね。働きたい人を探しているのです。


 今日は こちらでお休みください。明日、車で会社にご案内しましょう」



 これを 助け船と見るかどうかは 人それぞれです。


 今、無一文になってしまった 島太郎には 親切なマスターの助け船と感じられたのです。



 

 しかし、島太郎は すぐには寝つけません。


 寝ては覚め、覚めては寝付く、夢か現実うつつか、現実か夢か。


 明日からの生活の不安と、姫子に騙されたのではないかという疑念がそうさせたのでしょうか、気がつけば 入り口の引き戸の向こうが すっかり明るくなっていました。



 もう朝です。



 

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