第40話 私たちの未来
まさみは駅のトイレで自分の顔を見て思わず苦笑いを浮かべた。
「赤いな……」
まさみは颯太と別れた後、晴人が待っている家に帰ろうと駅へ向かった。彼女は周囲の人々が自分の顔に注目していることに気づき、女子トイレの鏡を見てようやく注目されていた理由が分かった。まさみの瞼は泣いたせいで赤くなっていた。この顔を見れば誰でも泣いていたことに気づくだろう。まさみはハンカチを水で濡らした後、ぎゅっと固く絞ると瞼に置いた。濡れて冷えたハンカチを瞼に置くと気持ちがよかった。まさみは少し経ってからハンカチを外した。
「これで大丈夫かな? ︎︎」
瞼はまだ赤いが先ほどよりはましになっていた。まさみは濡れたハンカチを鞄にしまうと電車に乗った。電車に揺られながらまさみは颯太と付き合っていた頃のことを思い返していた。颯太の仕事が忙しくてデートらしいデートなんて出来なかったが、彼と一緒にいるだけで穏やかで本当に幸せな日々だった。颯太にプロポーズされたときは飛び上がりたくなるほど嬉しかった。颯太の真面目で優しい性格が好きで、彼のことを心から愛していた。まさみは颯太のことを思い出すとまた涙がこぼれそうになり、慌ててハンカチで涙を拭いた。しかしまさみは颯太ではなく、晴人と一緒に生きていく未来を選んだことに一切後悔はなかった。晴人とはお互いに想い合っていたのに、何度もすれ違った。ようやくお互いの本当の気持ちが分かったのだ。もう二度と彼と離れたくない。彼の手を離さないとまさみは決意した。
「ただいま」
まさみが玄関の扉を開けると晴人は走ってきた。そして彼はまさみの腕を引っ張ると、彼女のことを強く抱きしめた。
「おかえり」
まさみも晴人と同じように背中へ腕を回した。
「もう絶対離さない」
晴人は噛み締めるように呟いた。
「うん」
まさみも晴人と同じ気持ちだということを伝えたくて、彼女は晴人の背中に回した腕の力を強くした。晴人はまさみの瞼が赤いことに気が付くと、優しく彼女の目の下に触れた
「目が赤い」
「うん。ちょっとね……」
まさみは目が赤くなっていることを指摘されて、恥ずかしくなり目を伏せた。
「まさみ」
「何? ︎︎」
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ晴人はまさみと目を合わせた。
「俺と一緒に生きていくことを選んでくれてありがとう」
晴人はそう言うと、もう一度彼女のことを強く抱き締めた。まさみは晴人の言葉に泣きそうになった。
「晴人、好きだよ」
「俺も」
晴人の体は華奢でまさみよりも小さい。しかしまさみは晴人の腕の中はとても安心出来た。まさみは彼の腕の中にいれば何があっても平気だと思えた。
「なぁ。夕飯何食べたい? ︎︎」
晴人はまさみの手を握りながら聞いた。
「そうだな……」
まさみが考えているとふとテレビに目をやった。テレビは大阪の観光スポットの映像を流れていた。まさみは晴人に大事なことを言わないといけないことがあったはずだ。彼女は必死に思い出そうとした。晴人は様子が違うまさみを不思議に思い、彼女の顔を眺めていた。まさみはようやく思い出した。
「あっ! 晴人に言わなきゃいけないことあった!! 」
「何だよ急に? ︎︎」
まさみの突然の大声に晴人は驚いた。まさみは晴人に向かい合った。
「実はね、大阪の転勤が決まりまして……」
晴人は眉を顰めた。
「はぁ? ︎︎何だよそれ? どれくらい? 」
「最低でも二年」
晴人は嘘だろと言って頭を抱えた。
「大阪で経験を積めば本社で働けるかもしれないの! ︎︎行っちゃ駄目かな? ︎︎」
晴人はようやく思いが通じあったのだから、まさみには傍にいて欲しいというのが本音だった。しかしまさみが今の仕事を愛していて、本社で働きたいと言っていたのは知っている。まさみは不安そうな顔で晴人の返事を待っている。晴人は大きな溜息をついた。
「本社で働くのがまさみの夢なんだろ? ︎︎行ってこいよ」
「本当? ︎︎」
「あぁ。俺も頑張るからまさみも頑張れ」
「ありがとう! ︎︎」
まさみはそう言うと晴人に抱きついた。晴人はやれやれといった様子でまさみの頭を撫でた。
まさみはキャリーケースを持って新幹線の改札口から出てきた。会社からは成績の結果によっては、大阪にいる期間が延びるかもしれないと言われていた。しかしまさみは優秀な成績を修め、二年間の転勤から無事東京へ帰って来れた。そして来月からは本社勤務だ。まさみの夢がとうとう叶ったのだ。大阪に来た当初は慣れない土地や仕事に悩むことが多く、まさみの想像通りにはいかないことがほとんどだった。東京に帰りたいと思うこともあったが、その度に晴人が電話やテレビ通話でいつも励ましてくれた。晴人は休みの日にはまさみのいる大阪へ行った。彼女は晴人の顔を見るともう一度頑張ろうと思えた。晴人の店も少しづつではあるが、売上も伸びてきてバイトを一人雇おうと考えているようだ。晴人の夢も叶おうとしていて、まさみは嬉しかった。
桜のつぼみが膨らみつつあるが、まだ日によっては寒い日が多い。まさみは去年買ったお気に入りのコートのポケットから、スマートフォンを取り出すと電話を掛けた。
「もしもし。晴人。私だけど今東京駅に着いたんだけどどこにいる? 」
まさみが電話を掛けたのは晴人だった。
「まさみは今改札から出てきたところ? 」
「うん。そうだよ」
「俺も駅にいるから今からそっち向かうよ」
「分かった。待ってるね」
まさみは晴人に会えると思ったら自然と頬が緩んだ。前に会ったのは正月以来だった。しかし彼女は三十分ほど待っていたが、いつまでたっても晴人は現れない。不思議に思った彼女は晴人に電話した。
「今、どこにいるの? 」
「なんか分からないけど銀の鈴がある」
まさみはため息が出た。
「改札口と全然違うよ。改札があるのは一階で銀の鈴があるのは地下一階だよ」
「分かった。今向かう」
電話が切れてまさみは晴人が本当にここへ来れるのか心配になった。数十分経った頃、晴人から電話がかかってきた。
「東京駅から出ちゃった」
まさみは晴人の言葉に一気に力が抜けた感じがした。晴人は遠出をする時はいつも車で移動するので、東京駅をほとんど使ったことがないと前に晴人が言っていたことをまさみは思い出した。しかしそれにしてもここまで迷子になるのかと彼女は思った。
「何してるのよ。私がそっちに行くから待ってて」
「悪ぃ」
まさみはキャリーケースを転がして晴人の元に急いだ。彼女は晴人を見つけると体当たりをした。晴人は思わずよろけてしまった。
「ちょっと何するんだよ」
「何するんだよはこっちのセリフ! なんで駅から出ちゃうの」
「だって東京駅なんてほとんど来ねぇし」
「だとしても迷いすぎでしょ」
「だって分かりづらいんだよ」
「地図を見たり上の案内板を見たりすれば来れるでしょ」
「それができたら苦労しねえよ」
「なんでそんなに自信満々なの」
二人は言い合っていたが、顔を見合わせると同時に笑い出した。何でこんなことで言い合っているのか馬鹿らしくなった。
「帰ろうか」
晴人はそう言うと手を差し出した。
「うん」
まさみは晴人が差し出した手を握ると二人は歩き出した。
「これ持つよ」
晴人は空いている手でまさみが持っていたキャリーケースを手に持った。
「ありがとう」
まさみは晴人と一緒にいれることの幸せを噛み締めていた。今まで晴人と何度もぶつかったりすれ違ったりしてきた。それでも今こうやって手を繋いで歩けるのは、向き合うことを諦めなかったからだ。もし諦めてしまっていたら、こんな未来が待っていなかっただろう。これから二人で生きている間にぶつかり合うこともあるだろう。しかしその度に向き合おう。そうすれば手を繋いで笑いあえる未来が待っているはずだから。まさみは晴人の手を強く握った。
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