第34話 全て、ここから①

 突然晴人の前に現れた颯太は店の中をジロジロと見渡していた。

「店の二階が家なんです。そこで話しませんか? 」

「いえ。結構です。話はすぐに終わるので」

 晴人は店の外に置いてある看板を片付け、「OPEN」の札を「CLOSE」に変えた。晴人は颯太を見て背が大きいなと思った。颯太は身長が一八〇センチメートル近くあり、まさみと並んでも見劣りしなそうだ。そして容姿も整っている上に、将来は院長になる未来が約束されていて安定した地位を持っている。晴人はこんなに完璧な男がいるのかと思った。

「突然お邪魔して申し訳ございません。戸山さんに伺いたいことがあって来ました」

 颯太は冷静を装っているが声には怒りが篭っているのが晴人には分かった。

「なんですか? 」

「戸山さんとまさみさんは契約結婚というのは本当ですか? 」

 晴人は驚かなかった。颯太がわざわざ来るということは自分たちの関係を知っているからだと思った。

「どうしてそれを? 」

「僕はまさみさんのお義父さんが入院していた病院で働いているんです。環奈さんがまさみさんが契約結婚かもしれないと僕に教えてくれました。それでどうなんですか? 契約結婚なんですか? 」

 晴人はゆっくりと口を開いた。

「本当です。俺たちは契約結婚です」

「まさみに助かりたいなら金を寄越せって言ったんですよね。あなたはお金の為なら自分の肝臓も売れるんですか? 」

 颯太は晴人をきつく睨みつけた。

「いくらですか? いくらまさみに金を渡すように言ったんですか? 」

「三百万」

 颯太は思わぬ大金に驚きで目を大きくさせた。

「そんな大金を渡すように言ったんですか! あんたは本当に最低だ!! お金ですか? お金が目当てでまさみと契約結婚したんですか! 」

「そんなんじゃないですよ」

 晴人は静かに首を横に振った。

「それじゃあどういうつもりですか? 」

 晴人は固く口を閉じて何も話さなかった。

「何も話さない気ですか? どうせ大した理由じゃないんでしょ? 」

 いつまで経っても口を開かない晴人に颯太は痺れを切らした。

「単刀直入に言います。まさみと別れてください。もしお金が欲しいというのなら僕が払いますから」

 晴人は俯いたまま何も話さなかったが、意を決したようにようやく口を開いた。

「金ならいりません。まさみとは別れます」

 晴人の言葉に颯太は安堵したようで溜息を一つ吐いた。

「あなたがまだまともな人でよかった。まさみが帰ってきたら彼女に別れると言ってください。まさみもきっと喜びますよ」

 颯太は晴人に背中を向けて店から出ようとした。

「なんであいつと別れたんですか? 」

 颯太は晴人の言葉に振り返った。彼は一瞬狼狽えたが、すぐに冷静な顔に戻った。

「まさみは元々僕のことを好きじゃなかったんです。僕が医者で院長の息子だから付き合ったって言ってました」

 颯太の見当違いの答えに晴人は呆れ返った。

「あんたそれが本当だと思ってんの? 違ぇよ。あんたの母親に酷いことを言われたからだよ」

「えっ? 」

 未だに理由が分からずにいる颯太に晴人は怒りが爆発した。晴人は颯太に近づくと掴みかかる勢いで彼にまくし立てた。

「あんたの母親は息子の体を傷つけるのかとか、もし子供が元気に産まれなかったらどうするとかまさみに言ったんだぞ! まさみは本当ならあんたと結婚するはずだったんだよ! 結婚して幸せになるはずだったんだ。あいつは肩書きで人間を見るヤツじゃない。あんたはそんなことも分かんねぇのかよ! なんでまさみを守ってやらなかったんだよ!! 」

 晴人の言葉に颯太は顔を青くさせるとそのまま店を出ていった。晴人はずるずると座り込んだ。

「俺だってあいつのこと守れなかっただろ」

 その声は店の中に静かに消えていった。


 晴人は大学に入学した時からまさみを知っていた。まさみはいつも人の輪の中にいてみんなを笑わせていたので、大学の中でもかなり目立つ存在だった。だが晴人はそんなまさみがどこか目障りだった。晴人はまさみがみんなを笑わせているのではなく、みんなから笑われているように見えたからだ。みんなから笑われていることに気づかずにいるまさみが滑稽だった。だから晴人が三年生になって、まさみと同じゼミだと気づいた時は少しだけ落胆した。

 しかし晴人はまさみの印象が変わる出来事があった。それは晴人が講義のない時間に昼寝をしようと図書館に入ると、多くの資料とパソコンとにらめっこをしているまさみを見かけた。晴人はまさみを無視して惰眠を貪ろうと思ったが、まさみがとても必死な顔をしているので晴人は思わず声をかけてしまった。

「何してんの? 」

 まさみはパソコンから顔を上げて晴人を見ると、すぐにパソコンに視線を戻してキーボードを叩いた。

「今度ゼミで発表があるでしょ。その発表の準備をしてるの」

「それってチームで発表するやつだろ? 他のヤツらはどうした? 」

 晴人は周りを見回したがまさみと同じチームの人間が見つからなかった。

「適当にやっても真ん中くらいの成績をくれるからみんなは適当でいいじゃんって」

 晴人は呆れながらまさみの前の席に座った。

「それで丸投げされたんだ」

 まさみは晴人の言葉にムッとした表情を浮かべた。

「丸投げなんて言葉が悪い……」

「そいつらと同じように適当に資料を作って発表すればいいじゃん」

 晴人はまさみが「でも」や「だって」と言って、煮え切らないことを言うのだと思った。

「そういうのは嫌」

「えっ? 」

 初めて見せたまさみの強い意志に晴人は驚きを隠せなかった。

「確かに適当な発表をしても教授は真ん中くらいの成績をくれるよ。でも適当な発表をしてもいいって訳じゃないと思う。私はそういうのはただのズルだと思う。私はそういうことはしたくない」

「高橋が一生懸命資料を作ったのにサボったヤツらも良い評価されるかもしれないぞ。それでもいいのかよ? 」

 晴人は少しむきになって反論した。

「別にいいよ。私がやりたいことだから」

 しかしまさみは全く意に介さなかった。晴人は立ち上がるとまさみの隣の席に座った。

「手伝うよ」

「別にいいよ。忙しいでしょ? 」

 まさみが戸惑っているのが晴人には分かった。

「俺のチームは準備はもう終わってるから」

 今までほとんど話したことも無い晴人からの突然の申し出にまさみは戸惑っていた。しかし戸惑っていたのは晴人も同じだった。どうして自分がまさみの発表の手伝いをしようとしているのか分からなかった。しかし何もせずにはいられなかった。

 晴人の助けもあってまさみのグループは一番いい評価を貰い、まさみと何もしていないチームのメンバーたちは嬉しそうだった。晴人はまさみ以外のメンバーが喜んでいるのを見て怒りを感じた。今までだったらお人好しのまさみに苛立ちを覚えていたのに、なぜ怒りの矛先が変わったのか不思議だった。納得のいく発表ができて喜んでいるまさみは眩しいほどの笑顔を晴人に向けた。

「外山くん。ありがとう」

 晴人はまさみの笑顔を見て顔に熱が集まってくるのが分かった。それを誤魔化すように晴人は視線を逸らした。

「別に」

 それから二人はよく話すようになり、お互いに気心の知れた仲になった。まさみはいつも誰かを笑わせていて、晴人もまさみと一緒にいると笑いが絶えなかった。しかしまさみが誰かを笑わせていると時折、苦しそうな顔をしていることに気づいた。晴人はそれだけが気がかりだった。

 晴人たちが四年生になると三年生が新しくゼミに入ってきた。新四年生と新三年生の飲み会をすることになり、普段はゼミの飲み会に参加しない晴人も参加することになった。相変わらず西条を含め新四年生たちは羽目を外して飲んでいた。晴人はそれを傍目で見ていると少し離れた席から西城の大きな声が聞こえた。

「えっ! 小春ちゃんキャバ嬢してるの? 」

「まぁ……。はい」

「キャバ嬢やってるんだったら俺の煙草に火をつけてよ」

 晴人は西条が持っていた煙草を小春に差し出すのが見えた。

「えっ? 」

「何してんの? 火だよ火。客にいつもやってるんでしょ」

 晴人は小春が困っているのが分かった。西条たちは小春がはっきり断れないのを分かった上で、煙草に火をつけるようにしつこく絡んでいる。晴人はそんな西条たちの姿を見て悪趣味だと思ったが、我関せずといった様子でウーロンハイに口をつけた。

「私が火をつけさせていただきますぅ」

 小春の隣にいたまさみは西条の元に近づいて煙草に火をつける素振りをした。

「お前に火をつけてもらっても嬉しくないんだよ。このデカ女! 」

 晴人はまさみが西条にデカ女と言われた時、彼女の顔が曇ったのが分かった。

「それなら俺の酒を注いでよ」

 西条の隣にいた四年のゼミ生は空いたグラスを小春に差し出した。まさみと小春が困っているのを見て、ようやく晴人は口を開いた。

「止めろよ。三谷はゼミの飲み会に来てるんだからそういうことをさせんな」

「何固いこと言ってるんだよ。別にいいじゃん」

「駄目だ。三谷をキャバ嬢扱いするなら三谷が働いてる店にでも行けよ」

「分かったよ……」

 それからは西条たちは小春に絡むことなくおとなしく飲んでいた。それから二、三時間すると飲み会が終わり、ゼミ生たちは居酒屋を後にした。晴人は前を歩くゼミ生たちから離れた位置で歩いているとまさみが近づいてきた。

「さっきはありがとね」

「何が? 」

「さっき助けてくれたでしょ。晴人はやっぱり凄いよ」

「凄くねぇよ」

「ううん。凄いよ。周りの目が気になって私ならあんな風に言えない。晴人がああいう風に言ってくれたから、西条くんも止めたんだよ」

 まさみは晴人をすごいと何度も繰り返していたが、すごいのはまさみだと晴人は思った。晴人は小春が困っているのが分かっていたのに助けなかった。しかしまさみはデカ女と笑われても小春を助けようとした。晴人はまさみは本当は人から笑われる度に、傷ついていたのではないかと思った。しかしそれでも彼女がいつも人を笑わせていたのは、その場にいる誰かを守るためだったのではないか。そのことに気づいた晴人はまさみのことを守ってあげたいという気持ちが芽生えた。自分の中に芽生えた気持ちに晴人は驚いた。この気持ちに名前を付けるのであれば、どんな名前なのか晴人は分からなかった。

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