第33話 私たち、妊活します?④
まさみは環奈に言いすぎてしまったことを後悔していた。環奈は自分を心配して言ってくれたにも関わらず、怒りに任せてあんな酷いことを言ってしまった。環奈はそろそろアメリカに戻る頃だ。それまでにはまさみはもう一度環奈と話したいと思っていたが、どこかタイミングが掴めず彼女と話せないままだった。
まさみは仕事終わりに環奈からメッセージが来ていることに気づいた。環奈のメッセージにはアメリカに戻る前にもう一度話したいとあった。まさみは環奈から晴人との関係を非難されるかもしれない。もしくは剛志と妙子に契約結婚のことを話してしまうかもしれないと思った。でも逃げるわけにはいかない。まさみは環奈に分かったと返信をして、環奈が待っているというカフェへ向かった。
まさみがカフェに着くと既に環奈が固い表情をして待っていた。まさみが注文したホットコーヒーが届くと彼女は口を開いた。
「この前はごめんなさい。環奈が心配して言ってくれたのにあんな酷いことを言って」
「私もごめんなさい。この前は言い過ぎたと思う」
「えっ? 」
まさみは環奈が謝るとは思わなくて驚いた。
「私、さっき晴人さんに会ってもう一度話した。晴人さんはお金目当てじゃなかったんだね」
「うん……。分かってもらえて良かった」
まさみは晴人がお金目当てで契約結婚を持ちかけるような人間ではないことを環奈に分かってもらえたことに安堵した。
「でも私は契約結婚を選んだお姉ちゃんと晴人さんを全然理解できない。私は結婚は恋愛の先にあるものだと思ってるから」
まさみは環奈の言葉に静かに頷いた。
「でもお姉ちゃんは今幸せなんだよね? 」
その言葉にまさみは一瞬考え込んだ。
「分からない……」
「えっ? 」
「でも晴人と一緒にいたい。今はそう思ってる」
晴人が今でも自分のことを好きでいてくれているのか、自分が晴人のことが好きなのか正直分からない。他人から見たら自分たちの関係は普通ではないだろう。しかし晴人の隣がまさみにとって一番安心する場所だと彼女は感じていた。だから今は晴人の隣にいたいと強くそう思った。
「分かった。このことは私とお姉ちゃんの秘密にする」
「いいの? 」
「うん」
「本当にありがとう」
まさみは環奈に深く頭を下げた。
「まあ二人が契約結婚だなんて聞いたらお父さんもお母さんも倒れちゃうかもしれないからね! 」
「それもそうだね」
二人は顔を見合わせて笑った。環奈は一通り笑ってから口を開いた。
「お姉ちゃんはこの前、私が心の中でお姉ちゃんを馬鹿にしてるんでしょって言ったよね」
「それはごめん……。言い過ぎた」
「ううん。怒ってるんじゃないの。ただ私はお姉ちゃんのことを尊敬してるの。それだけは分かっていてほしい」
「尊敬? どうして? 」
「だってお姉ちゃんは私がいじめられた時助けてくれたでしょ」
まさみは子供の頃を思い出してふと笑った。
「あぁ。そうだったね」
環奈は子供のころから可愛いと言われていたが、大きくなるにつれその見た目からやっかみを受けることが多くなっていた。環奈が小学三年生の頃にクラスメイトの男の子と仲良くなった。しかしクラスメイトの女の子は環奈とその男の子が仲良くしているのが許せず、環奈を虐めるようになった。環奈は机の中にゴミを入れられたり、持ち物に落書きされたりした。しかし気の強い環奈は虐めてきた女の子の机を学校の裏庭に隠したり、彼女の持ち物をゴミ箱に捨てたりして反撃をした。その反撃のお陰で環奈は虐められなくなったように見えた。だがその女の子には同じ学校に通う二歳上の姉がいて、女の子は姉に泣きついた。ある日その二人は環奈を学校のプール裏に呼び出すと環奈に暴力を振るった。二人の攻撃に環奈の小さい体は太刀打ち出来なかった。環奈は陰口を言われた時も持ち物を隠された時も一回も泣かなかった。しかし環奈は痛みと恐怖で泣きそうになった。そんな時まさみは環奈の元に駆けつけて、環奈を虐める姉妹の前に立ち塞がった。
「私の妹を傷つけるな! 」
環奈はその時のまさみの背中が大きく見えた。そしてその大きな背中を見て涙が出そうになった。それは痛みと恐怖の涙ではなかった。安堵の涙だった。あの時から環奈にとってまさみは憧れの存在だった。
環奈は自分を守ってくれたまさみの大きな背中が大好きだった。しかしまさみが中学生になるとその大きな背中がどんどん小さくなっていった。それは同級生に背が大きいことをからかわれたことがきっかけだった。彼女は中学を卒業するまでいつも目立たないように背中を丸めていた。高校生になるとまさみは彼氏が出来て幸せそうだったので、環奈は一安心した。しかしまさみが彼氏を環奈に会わせると、彼はまさみをすぐに振って環奈に告白してきた。まさみが知ったらショックを受けることは分かっていたが、環奈は敢えて彼と付き合うことにした。付き合ってから一ヶ月も経たない内に環奈はカフェに彼を呼び出して彼に一言別れて欲しいと告げた。
「どうして? 理由は? 」
彼は信じられないといった様子だった。
「あなたは私のタイプじゃないから」
環奈の突き放した言い方に彼は眉を吊り上げた。
「どういうことだよ」
「あなたの身長って一六〇くらいでしょ? 私、最低でも一七〇くらいないと無理だから。私、チビ無理だから」
環奈はわざと「チビ」という言葉を強調した。
「ふざけんなよ! 」
彼が声を荒らげたので近くにいた数人の客が振り返って二人を見ていた。
「はぁ? あんただって私のお姉ちゃんにデカい女は無理って振ったじゃん! お姉ちゃんが背が大きいのは分かるでしょ。何でデカい女が無理なら付き合ったの? 」
「それは……。まさみが環奈と初めて会わせてくれた時に環奈を見てすごくかわいいなって思って、それで付き合いたいなって」
彼は口ごもりながら話した。
「あんたって本当に最低」
彼はゆっくりと口を開いた。
「もしかしてあいつに仕返ししてこいって言われたの? 」
環奈は彼の予想外の言葉に苛立った。
「はぁ? 何でそうなんのよ? 」
「だって環奈は優しくていい子だからそんなこと出来ないでしょ」
環奈はまただと思って唇を噛んだ。環奈はいつも外見で判断されて中身を見てもらえていないと感じていた。環奈は男子生徒と話しているだけでクラスメイトからはぶりっ子や色目を使っていると陰口を叩かれた。恋人が出来ても彼らはイメージと違うと言って彼女から離れていった。環奈は彼の言葉を聞いた時、怒りで心の中が燃え上がった。
「本当にそう思ってる? それは私の見た目でそう思い込んでるだけじゃない? 」
まさみの怒りが篭った口調に彼は目を泳がせた。
「違う。これは私がやりたくてやってるの。もしかして私に幻滅した? 言っとくけどこれが本当の私だから。あんたはお姉ちゃんに相応しくない」
環奈はそう言い残して彼を置いて帰った。環奈はまさみをひどい振り方をした男と付き合ってはすぐに別れを切り出すという復讐を繰り返していた。まさみが付き合う男はほとんど環奈が目当てだったので、彼女はちゃんとまさみを大事にしてくれる人と結ばれるのか心配だった。だからまさみが真面目で率直な颯太と結婚すると聞いた時、環奈はようやくまさみが幸せになれるのだと思って心から喜んだ。しかしまさみは病気が見つかった上に颯太との結婚も無くなってしまった。
「今度こそ晴人さんと結婚してお姉ちゃんは幸せになれると思ったのに、本当は契約結婚だって知った時は本当にショックだった。それに二人がみんなを騙してるんだと思ったら本当に許せなかった」
「本当にごめん」
まさみは環奈がこんなにも自分の幸せを願ってくれていたことを知って本当に申し訳ない気持ちに襲われた。
「もういいよ」
環奈は微笑んだ。
二人が話しているとまさみのスマートフォンが鳴った。それは妙子からの電話だった。まさみは環奈に断りを入れてから電話に出た。
「もしもしお母さん? 」
「いきなり電話しちゃってごめんね」
まさみは妙子の声が少し沈んでいるのが分かった。
「全然いいよ。それよりどうしたの? 」
「お母さん、まさみに謝らないといけないなって」
「謝る? どうして? 」
「まさみに子供はいつってしつこく聞いたでしょ? それをお父さんに話したら怒られちゃった」
「えっ? 」
いつもは妙子の尻に敷かれている剛志が怒るなんてまさみには想像が出来なかった。
「二人が決めることなんだから親が口出しすることじゃないって。本当にごめんね」
「ううん……」
「あなたたちが心配だったの。でも心配だからって何をしても何を聞いてもいいって訳じゃないわよね」
まさみは黙ったまま聞いていた。
「私たちは二人が決めたことならなんでも尊重する。だから幸せになってね」
妙子の言葉にまさみは鼻の奥が少しツンと痛くなった。まさみは自分の幸せを心から願ってくれている人間が近くにいるということに気づいて、心が温かくなったのと同時に少なからず罪悪感を抱いた。
「ありがとう。お母さん」
まさみは電話を切った。
「お母さんから? 」
環奈が聞いてきた。
「うん。子供のことしつこく聞いてごめんねって」
「私も子供とか将来のことをしつこく聞いてごめんね」
「いいよ」
環奈の申し訳なさそうな顔を見てまさみは笑ってしまった。
「あっ! 」
環奈は突然大きな声を出した。
「どうしたの? 」
「お姉ちゃん怒らない? 」
「怒らないよ」
「颯太さんに話しちゃった……」
「えっ? 何を? 」
まさみは突然颯太の名前が出てきたので驚いた。
「お姉ちゃんが契約結婚だってこと」
「はぁ?! 何で! ていうかいつ?!」
「ちょっと前に……」
「何それ! 何で言っちゃうのよ」
まさみは衝撃で声が大きくなった。その声に環奈は体を小さくさせた。
「ごめんって。だってそんな深い理由があったとは知らなかったから! 私、颯太さんに晴人さんの家も教えちゃった。もしかしたら今日ぐらいにも晴人さんに会いに行ってるかも……」
「ウソ! 私、家に帰るから! 」
まさみは荷物を急いでまとめるとカフェを飛び出した。
晴人は閉店時間になったので、路上に置いてある看板をしまおうと外に出ると一人の男性が立っていた。その男性は晴人を見ると近づいてきた。
「戸山晴人さんですか? 」
「そうですけど……」
突然現れた男性に晴人は怪訝な顔をしていた。
「はじめまして。まさみさんの元婚約者の加藤颯太といいます。あなたにお話があってお伺いしました」
晴人は颯太の名前を聞いて顔が強ばった。二人はしばらく黙ったままお互いを見つめていた。
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