三月十四日たちの思い出
授業中に考えることは様々だ。
当然主立つのは授業のことになるが、どうしても集中できないとき、そして授業よりも大切なことがあるときなんかは授業などそっちのけで考え込んでしまうことも多いだろう。
今日は否が応でも意識せざるを得ない日だった。意識しても本当かどうかなんてわからないし意味がないというのに。妙に顔が熱くなっている気がして手でパタパタと仰ぐ。春の陽気は厄介だ。最近は温かいを通り越して暑い日すらある。ミクロレベルの気温に対して地球温暖化というマクロな問題を持ち出すのはいささか気が引けるが、ここまで暑いと関連付けして考えない方がおかしいというものだ。
もしくは本当は温かいくらいなのに、僕が勝手に暑いと感じているだけなのか。スマホを開けばわかることなのだが調べることはしない。
意識していることとは当然、ホワイトデーのことである。
先輩から貰ったバレンタインチョコ、もとい勉強応援チロルチョコに対するお返しをするか否かということだ。先輩がそうとわかっていて僕に渡してきたのなら後輩としてお返しをするべきだろうし、仮にそういう意図が一切ないならお返しをしたとて「何のお返し?」となることは必至である。受け取ってはくれるだろう。けれど本来の意図とはズレた形で渡すのも春香先輩に失礼ではないだろうか……。
「……浮かれすぎだな」
思わず口から言葉が漏れ出る。僕が一方的に好意を抱いているとはいえ、あくまで表面上の関係は先輩と後輩だ。なら悩むことはない。後輩として『折角のホワイトデーですし』という体で渡せばいいだけだ。そこに僕個人の感情が介在していようがいまいが先輩には関係ない、はず。とそこまで考えてならお返しとしての体はどうなるの? という疑問が復活し、結局ずっと考え込むだけで実際の行動には移せずにいる。
小難しい化学の授業はほとんど頭に入ってこなかった。
〇
悩ましいなぁと思う。全くもって悩ましい、悩ましい。
考え事をする頭はふわふわと浮いているみたいで、全然落ち着かない。私がいつだって落ち着いているとは思っていないけれど、それにしたって今日は特にだ。
ため息を吐こうとしてはっと口を塞ぐ。そんなことをしたら幸せが逃げてしまうじゃないか! 今折角こうして幸せなのだからみすみす自分から逃がすような真似をするわけにはいかないのだ。
冬樹くんのことを考えている間は楽しい。どうやってからかおうかなとか、どうやったら笑ってくれるかなって考えているだけで自然と私の顔も笑顔になってくる。でも今の悩みの種も彼のことなのだ。
バレンタインのお返しの日、ホワイトデー。
そもそもあれを冬樹くんがバレンタインチョコと認識してくれているのかな? という問題。私が悪いんだけど、どう考えてもあれは義理チョコですらないよね……後悔先に立たず。今更言ってももう遅い! とは思う。思うだけでこうして後悔はしちゃうし、ずっと考え込んでしまう。
「お返し、くれないかな」
でもチロルチョコ渡しただけだし、そのお値段なんと四十円。お財布に優しすぎるバレンタインチョコはお返しを期待するにはいろいろとダメダメすぎて我がことながら情けない。
放課後に早くなってほしいという願いとならないでほしいという願いが同時に頭の中に発生してわちゃわちゃになる。うわーっと叫んで教室を飛び出してしまいたい。でもそれが出来ないのが日本の学校教育なのだった、なんて変なことを思いついてしまう。
そのあと先生から注意されるまで、私はひたすらに悩んでも仕方のないことを悩み続けるのだった。そういう仕方のないことも含めて、楽しいって思える今が好き。
だからあまり進みたくないなぁなんて思ったりする。
〇
考えているうちに放課後になってしまった。なんとなくまっすぐに帰る気にはなれなくて、本を読む気なんてさらさらないのに足は勝手に図書室へと向かってしまっている。
「あ」
「あ」
そしてそういうときに限って思考回路が同じなのかなんなのか、春香先輩と出くわしてしまうのだ。
「えっと、おはようございます先輩」
「お、おはよう冬樹くん。今日は初めましてだもんね、おはようだよね」
朝から避けていたこともあって今日先輩とは会っていない。示し合わせて会うことはないけれど、いつもこうしてなんとなく会っている。だというのに今日は全然違っていて、偶然のエンカウントがここまで心を動揺させている。檻を挟んで肉食動物に睨まれている気分だ。対処法を間違えたら一発で心臓が爆発してしまいそうである。
だが僕は既に対処を間違えていることに気づいていなかった。
「ところでその袋って何? いつもそんなの持ってなかったような」
手にはなんと先輩にお返しをと買ったものを持ったままだ。どうしようもなく言い訳の余地なく完全に、詰みに近い状況である。
「これは、ですね。ホワイトデーなので先輩に何か送ろうかなと思っていてですね」
僕は何を言うつもりなのかさっぱりわからない。とっくに思考回路はショートしてまともな発言は不可能だ。
「へぇ~、そうなんだ……」
「だからこれ、先輩に」
「はぁ~、ありがとう……」
「春香先輩にはあのときからお世話になりっぱなしなので、その意味で」
「え、え、え!? ちょっと待ってわかんないから待って冬樹くん」
「わからないのは僕も一緒です。バレンタインのときにチョコを渡すって行為が男子をどれだけ悩ませるか、先輩は考えたことがありますか?」
「あれはその、そういうつもりで送るつもりだったんだけどいざしようかなってなると照れるから! 自然に見える形で渡そうと思うとあんな感じしかなかったの!」
「とりあえず受け取ってください。ほらほら」
「今日の冬樹くんおかしいよ!?」
「いやもう何かわけわかんないんですよ。いっそのこと一緒に食べましょうよ。僕もそれ食べたいですし」
「本格的におかしいよ! 人へのプレゼントを自分で食べるの!?」
何を言ったのか言われたのかもよく覚えていないのだが、何かいつもの公園でホワイトデーのお菓子を一緒に食べることになったらしい。僕としてはどういう流れでそうなったのか本当によくわからないので詳細な説明を先輩に求めたのだが、先輩は拒否の構えを崩さなかった。曰く、『私も何言っているのかよくわかんなかったから』だそうだ。
平日の夕方から公園にいる高校生なんているはずもなく、僕たちの他には散歩をしている途中に立ち寄ったであろう年配の方しかいない。子供が遊ぶような遊具もないこの公園はもはや広場と呼んだ方が正しいかもしれない。
「バウムクーヘンなんだ」
「クッキーとか作れればよかったんですけど、生憎料理は経験が一切なくて」
「ううん、嬉しいよ。ありがとう」
バウムクーヘンをカットしたものを買っておいた。選んだ理由は特にない。とにかく外れがないような、安定の選択肢を探した結果、バウムクーヘンに落ち着いたのだ。先輩が好きなものを作って渡せるのが理想だったのだけど、僕では力が及ばなかった。
「そういえばバレンタインと違ってね、ホワイトデーには贈り物に意味があるんだって」
もぐもぐと一切れのバウムクーヘンを飲み込んだ先輩は言う。
「それは知りませんでした。もしバウムクーヘンが変な意味を持っていたら忘れてください。改めて別のを持ってくるので」
「大丈夫だよ。冬樹くんは真面目だなぁ」
クスクスと笑われても不思議と悪い気はしない。まあ先輩の反応的に悪い意味ではないのだろう……おそらく。今この場で調べてもいい。けれどそれで意図していない意味がわかるのも何か癪だ。伝えたかったのはそこじゃない。
「もしバウムクーヘンがどんな意味を持っていたとしても、僕が込めたのは感謝ですよ」
「……うん、ありがとうね」
黙々と二人でベンチに座るだけの静かな時間が過ぎていく。悪くない時間だと思う。こんな時間にもう少しだけ猶予が欲しいと思う。万人に等しく時間は流れていく。それがどんな時間であれ、そこだけは平等だ。
願わくば、この幸せな時間が続きますよう。
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