卒業式のビタースイーツ

涙というのは自分のために流すのか、他人のために流すのか。泣くという行為は誰がために行われるのか。その答えを僕は持ち合わせていない。


三月一日、卒業する先輩たちの姿を眺めながらそんなことを考えている。知り合いが参列しているわけではないけれど、別れという雰囲気が漂う中でぐすっとすすり泣くような音が聞こえてくれば否応なく意識せざるを得ない。


二年後の今日、僕はどのような感情を抱いてこの式に参加しているのだろうか?


「春香先輩は……」

「ぐすっ……お別れだねぇ、先輩方とも」


涙目に鼻声、先輩が泣いていたことは明白だった。というか、現在進行形で泣いている。泣いている先輩にかける言葉も数も見つからない。


「冬樹くんはよく泣かないねぇ……」

「まあ直接の知り合いはいませんし、二年後ってまだ遠いじゃないですか」

「冬樹くんも来年になったらわかるよ! 『ああ、あと一年で卒業かぁ』と『春香先輩ともお別れかぁ』が混ざって泣いちゃうから」

「確かに僕の知り合いの先輩は春香先輩しかいませんけど」


先輩の卒業で僕が泣くのは確定事項とされているのが何だかな、と感じる。慕っているのは事実だけど、先輩が卒業してもなんだかんだ関係は続きそうな気がするというのが本音だ。正確には関係を切らす気がないだけ、とも。


それよりも気になっていることを先輩に聞いてみる。


「卒業式の日まで僕と帰らなくてもよくないですか、お世話になった先輩にあいさつとか」

「ま、まあそれはそうなんだけどさ。偶然会っちゃったし、会ったらいつも一緒に帰ってるじゃない? だから流れでそのまま~、みたいな」


そうだろうか。そうだったかもしれない。先輩に助けてもらったとき、先輩を見かけたら声をかけてお礼を言っていた。その習慣が形骸化して今のよくわからない形になっているのだろう。お互い連絡先を知っているのにそれを使わないというのは何とも奇妙な関係だ。


「ときに後輩くん、何か食べたくはない?」

「後輩なんて呼び方フィクション以外でする人いるんですね。小腹は空いてます」

「じゃあ苦味が食べたい気分? ちなみに私はそういう気分」

「甘味みたいな言い方するんですね。春香先輩が行きたいなら着いていきます」


苦いデザートは嫌いじゃない。どちらかといえば甘党だが、苦いものと甘いものは組み合わせて食べることでよりおいしく感じる。科学的な根拠でもあるのだろうか。よく知らないけど。それこそ意味がない。根拠があろうがなかろうがおいしいものはおいしいし、まずいものはまずい。


先輩の顔を見るとぽかんとしている。何も変なことは言っていないはずだし、むしろ変なことを言っていたのは春香先輩の方だ。僕こそぽかんとするべきだった。

はっと正気を取り戻した先輩は言う。


「ならちょっと寄ってかない?」


喫茶店というものにはあまり縁がない。頻繁に外食するわけでもないし、したとしてもチェーン店ばかりでこういう店には入ろうと思わない。抵抗があるわけではないのだが、どうしてもチェーン店のお手軽さを優先してしまう。


「ここ、苦めのスイーツがおいしいって評判で。誰かと来てみたかったんだ」

「重ね重ねになりますけど、僕でよかったんですか?」

「自分を卑下しないの。冬樹くんなら素直に味の感想とか言ってくれると思って」


なるほど、と思う。友人と改めて来るつもりなのだろう。評判とはいえど自分や友人の口に合わなかったら意味がない。


「いや、味の感想は言いますけど僕大抵のものはおいしいと感じるので」

「おいしいって言ってくれる人と食べた方がおいしいじゃない」


そういうものだろうか。僕にはよくわからない感覚だ。家族と食卓を囲む機会も減って久しい。友人も数少ないのでおいしいと言ってくれる人はいなかった。


話題が滞ったので内装でも見てみることにした。木造のようで、木目やら何やらも考えられているような感じだ。あちこちに出っ張っている柱のようなものはおそらくデザインなのだろう。そうでなかったら建築士がだいぶおかしいことになってしまう。暖かい色をした証明が暗めの室内をゆったりと照らしていて雰囲気が出ている。


「オシャレな感じですね」

「中身がない感想だ」

「そんなバッサリ切らなくてもいいじゃないですか」


辛辣なのか優しいのか、今日の先輩はよくわからない。いや、一度だってはっきりとわかっていたことなんてないけれど、いつもはもう少しつかみどころがある感じなのに。


「大丈夫ですか? 何か、ちょっと変ですよ。今日の春香先輩」

「大丈夫大丈夫、ちょっとテンションがね、おかしいだけだから。卒業式とかその他もろもろで感情が散らかっててね……」

「懐に余裕はないですけど奢りましょうか?」

「そんな前置きされたら奢られにくいし、それに先輩として後輩に奢らせるわけにはいかないね! 普通にお互いが買った分の金額でいこう!」


感情のジェットコースターかよ、という突っ込みは飲み込んだ。


メニューを見ながらお互いに頼むものを決めて、店員さんを呼ぶ。高身長な青年だった。何となく同い年か一つ上くらいかなという印象を受ける。オシャレな喫茶店に似合うオシャレな眼鏡をかけていて、ぱっと見はイケメンだ。


「そういえばどうして苦いものを? 先輩も甘党だったような記憶があります」


注文したものが来るまでの間、特にすることもないので先輩に話題を振る。あまり意味のない質問は避けておきたいが、話題に困れば適当に話題を作ることになるだろう。話題のすべてに意味を持たせるのは土台無理な話だ。


「……なんでだろうね。苦めのものを嗜みたい気分だったとしか言えないかな」

「苦いものって定期的に摂取したくなりますよね。僕もたまにブラックコーヒーを飲みますし」

「冬樹くんブラック飲めるんだ。私は飲めないんだよね、苦みがこう、ガツンと来るから」


しばらく苦いだのなんだのという話を続けていると、注文した品がそれぞれ届いた。パシャリと記念に写真を撮っておく。対面からも聞こえたのでちらと見ると、先輩が僕の方にスマホのカメラを向けていた。


「僕なんか撮っても仕方ないのでスイーツを撮ってあげてください」

「そんなことないよ」


うふふと笑う先輩を見て、やはりよくわからないなと思う。結局バレンタインのことも聞けていないままだ。あのチョコにどんな意味があったのか……期待をしているのだ、愚かにも。


「人生はスクリーンショットの連続だよ。おもしろいものはスクショするんだ」

「……遠回しに僕のこと貶してませんか、それ」


おもしろい顔をしているとほぼ同義だろう。


「違う違う、そういうおもしろいじゃなくてさ。なんていうんだろ、興味関心的面白さが冬樹くんにはあるんだよ」

「ご期待に沿えず面目ないですけど、僕はそんな面白い人間じゃないですよ」

「そういうところなんだけどね~」


さ、早く食べちゃおと話題を逸らされてしまう。ここで「いや早く食べる必要なんてないので今の話をくわしく」なんて言い出すことはできるわけがない。


スイーツを口に含む。


なるほど、確かにほろ苦くて、ほんのり甘かった。



苦いものは正直に言うと苦手だ。だけど今日はそんな気分。あえて苦いものを食べたいというよくわからない衝動が芽生える日だったのだ。


『ほら、あたしたちのことはいいから後輩くんのとこ行ってやんな』


そんな先輩の言われるがままに冬樹くんと喫茶店に来てしまっている。これでいいのかな、どうなんだろうという疑問がふわふわと頭の中に浮かんでいる。

冬樹くんの固い表情を見ていると、いつか私がちゃんと笑顔にしてあげられたらなと思うのだ。だから固い表情を残しておきたい。見比べて、どれだけ変わったのかを知ってみたい。


あと一年で、私はちゃんと君の先輩になれるのかな。

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