糖分補給はチョコに限る

二月、相も変わらず肌を刺すような寒さは健在で、でも気づくと梅の花が咲いていたりする。どことなくこれから春が訪れる予感がする、そんな季節だ。


昼過ぎの少し早い帰り道……今は期末試験中で、試験以外の授業は行われない。だから真上に太陽を拝める時間に帰宅しているのだ。


温かい日差しを受けながら、ふと思ったことを口にしてみる。


「先輩は文理選択、どっちでしたっけ」

「理系だよ。冬樹くんは文系にするんだっけ?」

「そうですね。たぶん文系だと思っているんですけど、まだ決められていないのが正直なところで……今回の期末次第ですかね」


僕たちの通っている学校では二年生が始まるときに文理選択によってクラス分けが行われる。選択の変更は出来なくもないが、大学入試を見据えると科目の変更は中々にリスキーだと思う。よって、この文理選択は人生を左右するものといっても過言ではないのだ。


「先輩はどうやって決めたんですか? 何かこう、きっかけとか」


先輩は「ん~」と指を顎に当てて考え始める。そして晴れやかな笑顔でこう言った。


「特に何も考えてなかったかな!」

「なるほど。強いて言うなら何を考えてましたか?」

「さらっと考えてない私を受け止めないで。ちゃんといろいろ考えてたよ」


冗談だったらしい。どうも僕は冗談というものが苦手だ。明らかにそれとわかるものならともかく、あり得るレベルのものだとすんなりと受け入れてしまう。


「将来なりたいものから逆算できればよかったんだけどね。当時はそこまで考えられてなかったの」

「まあそれが出来れば悩まないですよね」


例えば工学系なら理系だろうし、法律系なら文系だろう……なんとなくそういうイメージがあるだけで、実際のところはわからないけれど。とにかく将来の方向性が決まっていればある程度文理選択も絞れるはずだ。


「だから得意教科で選んだかな。どっち選んでも仲いい人はいるっぽかったし」

「ああ、友人関係もあるのか……」

「冬樹くんはどう? 友達、いる?」

「何の心配ですか。いますよ、一応」


本当に一応という感じではある。正直、友人と言えるかは怪しいところだ。それに友人がいるような人なら僕は先輩といっしょに帰ることにはなっていないだろう。メリットといえばメリットなのかもしれない。


「いてもいなくても、そういうことには左右されなさそうだね。冬樹くんはしっかりしてるから。友達とか彼氏彼女で文理選択すると碌なことにならないんだよ……」


とてもいい方向に捉えられているようである。嬉しい。嬉しいと思いたい。

それはそれとしてすごく不穏なことが聞こえたのだが、そこは深堀りしていいのだろうか。春香先輩がどこか遠くを見るような目をしている。そんなにひどいのか、と少しだけ好奇心が湧き出てくる。


「どういうことですか?」

「えぇ? ん~まあ、私たちのクラスもいろいろあるってこと」


はぐらかされてしまった。そこまで聞きたいと思っていたわけじゃないし、むしろ聞きたくないくらいだったから別に構わない。怖いもの見たさだ。


「それは置いといて、今回の期末はどんな感じなの?」


今回の成績次第で文理選択を決める、という話の続きだった。


「手応えはありますね。あとは明日の化学と古典が鬼門かなって感じです」

今まで受けてきた教科は平均点を越えた感覚があった。問題は苦手な化学と古典の漢文である。他の文系科目は得意なのだが、どうにも漢文は受け付けなくて困っている。


「去年の今頃……何が出たかなぁ。化学は誰先生?」

「山崎先生です」

「じゃあ私たちと違うか~。でも大丈夫! 化学は感覚掴めば簡単だから!」


笑顔でサムズアップする春香先輩を横目に思わずため息を吐きそうになった。これだから理系は……と口にするところだったが、ギリギリで回避。


「そういう春香先輩はどうなんですか。二年の期末って結構大事だと思うんですけど」


三学期の期末、つまるところ学年末のテストだ。来年には受験生になる先輩にとっては無視できない結果だと思われる。


「悪かったら冬樹くんの心配なんかしてないよ」


この先輩、抜けているように見えてやることはしっかりやっているのだ。当然成績もよく、僕が勝っているところは何一つない。身長まで僕の方が低い。言っていて悲しくなってくる。だから「ですよね……」と返すほかなかった。意味のない相槌だけど、先輩がふふんと偉そうにふんぞり返っているのでその相槌であっていたのかもしれない。


「ま、頑張ってね。ほらこれ上げるから」


ぽいと横から放り投げられたものを慌ててキャッチする。


「これは……」

「糖分は大事だよ? じゃあ、今日はここらへんで。ばいばい」


春香先輩は手をひらひらと振りながらすたこらさっさと歩いていってしまう。そのまま先輩の背中が見えなくなるまで見送ってしまった。


「マジかあの人……」


手のひらにあるのは小さな二つのチョコ。


そして今日は、二月十四日だった。


思えば大晦日、あの日僕が先輩を誘った意味も伝わっていなかったのかもしれない。

先輩と長く過ごしたいから、初詣に誘った。初詣というか初詣前の参拝というか。細かいことはどうでもよくて、とにかく夜まで一緒にいませんかという趣旨のお誘いだ。気まぐれとはいえ、僕の心からの言葉だ。


それに対する先輩の解答はこうである。


『うん、いいよ。冬樹くんが誘ってくるなんて珍しいね』


いや、これは伝わってない。間違いなく。小説を読んでいると「こんな鈍感な人いるわけないよな」と思うようなキャラクターが出てくるけれど、今まさに自分が相手にしている人物がその手合いだった。


「確かに先輩に告白したわけでもないけど……」


それでも異性からのお誘いなのだから、少しはこう、動揺くらいあってもいいのではないだろうか。あまりにも平然とした反応にこちらが驚いてしまった。


しかも追加で今日のこれだ、と手のひらのチョコを眺める。普通のチョコとホワイトクッキー味のチョコ。たった40円のものだけど僕にとっては喉から手が出るほど欲しかったものである。


バレンタインチョコにカウントしていいかはいささか怪しい、ということを除けば満足のいく結果ではあるのだ。わざわざ文理選択という意味のないジャブを打ってまでタイミングを窺っていたというのに。


「ちくしょう、おいしい」


久々に食べるチロルチョコの味は、悪くない。先輩から貰ったという事実か、懐かしさによるものか。由来はともかくその味は確かに甘かった。


「……ま、もうちょこっとだけ頑張るか」


そんなくだらない、意味のない言葉を呟いてから改めて帰路についた。



「ただいま」


軋みが年々ひどくなるドアを開けて家に入る。台所からは「おかえり」と聞きなれた声がする。帰りのあいさつというよりはドアの軋みに対して反射的に返事をするのがうちの家族の習性だ。

その台所からひょこりと顔だけを覗かせて姉は言う。


「チョコ、置いてるから食べなさい」

「や、姉さん待って。命令されて食べるものじゃないでしょ、バレンタインチョコって。もっと思いやりとか家族愛とか、そういうものは?」


思わず口答えをすると、顔をしかめてはぁ~……とため息。そんな変なことを言ったつもりはないが、姉にとっては我慢ならない一言だったようだ。


「もらえるだけありがたいと思いなさいちんちくりん。高一にもなって浮いた話の一つもないからあたしがくれてあげてるっていうのに」

「……あー、そのことでちょっと聞きたいんだけどさ」

「どしたの? まさか貰えた!?」


俄然超反応を見せる姉に申し訳なく思いながら続きを言う。


「チロルチョコって判定的にはどうなのかな、って……」

「……チョコ一つ追加しとくから、ゆっくり食べなさい」

「やっぱりダメか」


先の姉につられるようにして、僕の口からもため息が漏れ出た。



「どうしよ~!? チョコあげちゃったよ~!」

『たぶん後輩くんは貰ったと思ってないんじゃないかな』


こちらはこちらで、いろいろとあるようだった。


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