第8話 催眠療法で見た私の前世ー前編ー

 もう十年以上前になるだろうか。知人の伝手つてで前世を見てくれる、正確には退行催眠療法で前世を見せてくれる人に会ったことがある。

 その見せてくれる人を仮に佐藤さん、とする。随分前のことだし一度会ったきりなので正確な名前を忘れてしまった。ストレートの長い髪が綺麗なアジアン風の美人だったことは覚えているのだけれど。

 佐藤さんは修行中、とういことで見料は2000円~3000円ぐらいだった。そのぐらいなら好奇心でも払うことができる。それに、なにより視てもらうのではなく、直接ビジョンとして見せてもらう、というところが私の中の琴線に触れた。

 古い、アパートの一室。間取りからすると、不似合いなほど立派なベッドに私は横たわった。カーテンがぴっちりと閉められて、あたりはさながら夜のように暗くなる。

 佐藤さんは金属で出来た小さな鉢のようなものをもっていて、その鉢をスティックで叩いて、きぃぃぃんと、澄んだ音を出した。(後から聞いた話ではシンギングボウル、というものらしい)

 「目を閉じてください」

 と、彼女は言った。

 「まず最初に説明します。前世は、一つとは限りません。そして前世が人間だとも限りません。私が誘導しますので、あなたは私の言葉に身をゆだねて下さい。そして私に質問された場合は見えたものについて、わかる限り答えて下さい。それがビジョンをより強固にします」

 わかりました、と私は答えた。

 「あなたが今寝ているのはベッドではなく、たぷん、たぷんと揺れる水面です。あなたはその水面にぷかりと浮くようにして、身を浸しています。イメージできますか?」

 「はい」

 「太陽があなたの真上にきて、あなたのおへその下あたりを光の柱が貫きます。あなたは今、太陽と光の柱で繋がっています。だんだん、だんだん繋がった辺りがじんわりと温かくなってきます。そして、あなたの意識は光の柱を通して、徐々に、徐々に、上へと向かっていきます」

 不思議なことに彼女の言葉の誘導を受け、私のおへその下あたりは本当にぽかぽかと温かくなってきた。催眠術にかけられるのはこういう感じなのだろうか。初めての感覚に身を委ねていると言葉が続く。

 「空を通り抜け、雲を突き抜け、あなたの意識は宇宙まで運ばれます。眼下に見下ろしているのは地球です」

 宇宙空間にいる自分と地球とを、私は思い浮かべる。地球は青く輝いて、私の見下ろす先にある。

 「かつて貴女が純粋な魂だったとき見た光景と同じ光景が眼前に広がっています。そう。あなたの意識は肉体の殻を脱ぎ捨てて、純粋な魂に戻っていきます。あなたは光り輝く一つの星になります」

 宇宙。青い地球。そして、魂というものはよくわからないが、自分が発光体になったようなイメージをする。

 「魂になったあなたは、意識の目を閉じます。そうすると、あなたがかつて天に上る前に過ごした日々に戻っていきます。何が見えますか?」

 意識の目を閉じる、というところで私の目の前から青い地球の姿が消え、深い闇が目の前に立ち込めた。私は素直にそれを口にする。

 「闇……暗いです」

 「何も見えませんか? 明かりのようなものは?」

 「……小さな、赤い火が見えます。かまどのような」

嘘ではない。実際に私の中で小さな赤い竈の火がイメージとして像を結んでいた。

 「あなたの名前は?」

 「思い出せません……」

 そう。前世での名前を何度か佐藤さんから尋ねられたが、それだけは終ぞ出てこなかった。

 「あなたがかまどで火を焚いているのですか?」

 「いえ、かまどで料理をしているのは、お手伝いの老婆です。私ではない」

自分の口から出てくる言葉に自分自身、内心で静かに驚いていた。でも、イメージはこんこんと湧き出てくる。まるで連想ゲームみたいだ。

 「あなたの性別を教えてください」

 「男性です……ああ、どうしよう、とんでもないことをしてしまった」

 「何をしてしまったのですか?」

 「人を、浮気相手を殺してしまいました」

 その一言を発したとたん、フラッシュバックのような、イメージの奔流が私を包んだ。

 褐色の肌をしたエキゾチックな若い女。その細い首を締め上げる自身の手。鏡に映った彫りの深い鷲鼻の男性の顔。家で私の帰りを待つ娘のやるべない手足。

「あなたは今どこにいますか?」

「自分の家の近くにいます。ああ、なんてことをしてしまったのだろう。帰りたくても帰れない。娘が家で待っているから帰らなくてはいけないのに」

「あたりはどんな様子ですか?」

「夜です。周りは静かです。ドーム状の家屋が沢山見えます」

「家に帰ってみましょう」

「いや、駄目です。だって私は、この手で人を殺めた。そして、さっき深い穴を掘って、殺した女を埋めてきたんです。こんな手では娘を抱きしめられない」

帰りたい、帰らなくては。でも、帰れない。私は本気でおびえの気持ちを抱いていて、その一方でそんなおびえを抱く自分を安全な場所とおくから見つめていた。

「あなたの奥様は?」

「妻は、もう亡くなりました。娘はまだ小さくて手がかかる……なのに彼女が僕と結婚したがって……無理だ、もう少し待ってくれ、というのに聞かなくて」

「落ち着いてください。あなたの職業は?」

「薬を作って売っています。まだ未開の地であるここでは私の作る薬は評判が良く、よく売れます」

「その土地はあなたが生まれ育った土地ではないのですか?」

「ええ。私はイギリスから来ました。新世界ニューワールドにチャンスを求めて来たのです。うまくいけばよい暮らしが出来ると」

「そして成功した?」

「まずまずといったところだと思います」

「時計の針を進めましょう。晩年、あなたはどう過ごしていますか?」

「人をこの手で殺めたことを後悔し続けています。病にかかりましたが、敢えて薬は飲んでいません。娘も結婚して家を出て行った。孤独な晩年です。毎日一人ぼっちで夕餉をとり、一杯だけワインを飲みます。部屋は暗く、食べ物の味はロクにしません。病のせいか体のあちこちが痛みます」

「人殺しは明らかにならなかったのですか?」

「ええ、ばれませんでした。私が殺した女は行方不明として処理された。それが良いことかどうかは私にはわかりません。どちらにしろ生きた心地がしない日々でした」

「そして、あなたは死を迎えます。どんな死に方をしたのでしょう」

「病で命を落とした、ということになっていますが、救われる道が、治療法があったのにそれを拒んだ、という意味では自殺と言って差し支えないと思います。

 葬儀には意外と沢山の人が訪れています。娘の夫が喪主をしています。娘が花を手向けてくれます……ああ、なんということでしょう。

 娘は、私が殺した女とそっくり同じ顔をしているように見えます。見れば見るほど、似ています」

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