第9話 催眠療法で見た私の前世ー後編ー

「死んだあなたは再び魂だけの存在になって、宇宙へとやってきます。そして青い地球を見下ろしています。あなたが今回の人生で学んだことは何ですか?」


佐藤さんの呼びかけで私は再び、青い地球を見下ろしていた。比喩ではない。本当に瞼の裏に宇宙空間が見える。私は言った。


「私は人を二人殺した。一人は彼女。一人は自分自身。それは許される行いではない。今度生れてくるとしたら、誰を損なうこともなく、自分自身を損なうこともなく、生きてみたい」


りぃぃぃん、と鈴のような音が響き渡る。それは佐藤さんが手元のシンギングボウルで立てた音だった。


「あなたはその教訓を生かしたいと思い、また地球に生まれてきます。あなたの体は光に包まれて、下降を始めます。さあ、どんどんどんどん、地表が近づいてきます。あなたはどんな場所に降り立ちますか?」


「緑が綺麗で、自然が豊かな……湖のある場所です。一軒家。木の家……」


実際に私にはその映像が見えている。現実には見たこともないはずの景色なのに、それは不思議な立体感を伴って私の目の前にある。

「あなたは、そこでどんな姿かたちをしていますか? 男性ですか? 女性ですか?」

「女性です。金色の髪をしています。目の色は茶色……青い目に生まれなかったことに腹を立てています」

「名前は?」

「わかりません」

 私は答えた。殺人者である男の前世を見た時もそうだが、自分の姿かたちははっきりわかるのに、名前だけはどうしても出てこない。

「あなたは何歳ぐらいで、何をしていますか?」

「九歳ぐらいの子供です。湖に足を浸しながら、いろいろなことを考えています」

「どんなことを?」

「女に生まれたこと、許嫁いいなずけがいること、家事をしなくてはいけないことを不満に思い、何故自分は男に生まれなかったのだろうと悔しがっています。いつか、ここを飛び出して広い世界を見てみたいと夢見ています」

「そのためにどんな行動を起こそうと思っていますか?」

「……不満に思い、悔しがり……夢見ているばかりで実際には何もしません。できません。毎日親から言われた通り家事をこなしているだけの日々です。実際、どうすればこの現実から抜け出せるのか方法がわからなくて」

 佐藤さんからの質問にもすらすらと答えられる。まるで自分の中にもう一つ人格があって、それが自動応答でもしているような感覚だった。

「あなたの味方になってくれそうな人はいないのですか?」

「兄が、もしかしたら味方になってくれるかもしれない、と思っています。両親は駄目です。古い考えに頭からつま先まで浸っています」

許嫁いいなずけのことはどう思っていますか?」

「好きでも、嫌いでもありません。ほかのだれかと一度くらい恋をしてみたいけれど、どうせ無理なんだろうと投げ遣りな気持ちで居ます」

「少し、時間の針を進めてみましょう。成長した貴女は何をしていますか?」

「結婚式の支度をしています。このまま結婚してしまって本当にいいのか、唇を噛みながら鏡の中のドレス姿の自分とにらめっこしています。逃げ出してしまいたいと思い、兄にその気持ちを打ち明けるべきか迷っています」

「結婚相手は、許嫁いいなずけですか?」

「そうです」

「他に好きな人がいたりだとかはしますか?」

「それは、ありません。でも、型通りに育てられ、型通りに結婚し、子供を産み、年老いていく。それがつまらないと感じています。私の人生はこれで終わりなのだろうかと」

「では逃げ出す?」

「いえ、とてもそんなことは出来ないと結局諦めの気持ちを抱えながら、バージンロードを歩いていきます」

「結局、貴女は結婚したのですね?」

「はい。不満に思いながらも式を挙げ、好きでも嫌いでもない、許嫁いいなずけと結ばれました」

「結婚後はどのように生活していますか?」

「また毎日、家事をする日々です。実家でやっていたことを嫁ぎ先でも、やっているだけ。夫は仕事にかまけてばかり。娘が生まれて、家事の負担はますます増えるばかりで、私は実の娘に腹立たしさを覚えています」

「娘さんのことを愛しく思ったりは……」

「腹立たしいだけです。娘に手を上げないように必死に耐えています。言うことを聞かずわんわん泣く娘に私が泣きたいよ、と思いながら床を磨いています」

「娘さんは成長していきます。貴女はそれをどんな気持ちで見つめていますか?」

「どんどん老いていく自分と裏腹に、日ごとに美しくなっていく娘に内心、嫉妬しています。でも、娘も私と同じように決められた人生を生きるのだ、と思うと内心ほっとします。嫌な女だな、と自分自身で思いますが、そんな気持ちが湧いてくるのを止めることが出来ません」

「成長した娘さんは貴女と同じような人生を送ったのですか?」

そこで私は口を噤んでしばし沈黙した。佐藤さんが私の沈黙を訝しんでいるのがわかった。

「……娘は」

「娘さんは?」

私の中に煮えくり返るような怒りが湧き上がっていた。不思議だった。自分の一部に生々しい感情が灯っているのを、今の私が少し遠くから眺めているのだ。

「娘はある日、言いました。私には好きな人がいる。その人と結婚すると」

「それを娘さんから聞いた貴女は……」

「当然反対しました。心の内では、ずるい、ずるいずるいずるい、ずるい、の大合唱です。私は好きでもない男と結婚したのに、この娘は恋をして、愛する人と結ばれるという。そんなことは許せない。絶対に許してはいけないという気持ちでいっぱいになっています」

「でも、娘さんは貴女の反対を押し切って結婚した?」

「はい。私が泣いても、喚いても、娘の堅い意思を変えることは出来ませんでした」

「娘さんとはその後どうなったのですか?」

「永いこと絶縁状態が続きましたが、娘の方から歩み寄られ、時間が経つにつれ、交流が生まれてきました。私より娘が大人だったのだと思います。孫も生まれ、老後の世話もきちんと見てもらって、私は自分の過去の狭量さを恥ずかしく思います。そして娘の結婚を自分の手で壊さずに済んでよかったと思いながらあの世へと旅立っていきます。娘は、私の死を悼み、泣いてくれました」


りぃぃぃん、と再びシンギングボウルの音が辺りを包む。

「また、死を迎えたあなたは再び魂だけの存在になって、宇宙へとやってきます。そして青い地球を見下ろしています。あなたが今回の人生で学んだことは何ですか?」


殺人者であった前世を視たときと同じ質問をされる。

「せっかくの人生なのだから生きたいように生きればよかった。私の娘のように。そして、自分の人生を思うように生きられなかったことを周りのせいばかりにしていたのも、良くなかったと思う。今度生まれ変わるなら、生きたいように生きることを追求してみたい」


地球を見下ろしながら、太陽の温かいフレアを浴びながら、私はそう答えた。


今度はシンギングボウルではなく、別の楽器の音がした。チィン、チィン、チィンと波状に奏でられる鈴のような音。その音に導かれるようにして、私の目に映っている宇宙の光景がだんだん紗がかかったように遠のいていく。


「さあ、現実いまに帰る時間です。魂が器に戻り、あなたはだんだん肉体の重さを取り戻していきます」


明るかった目の前が、暗くなっていく。見えていた映像が消えて、ただの闇になる。


視えていたときは羽のように軽かった身体が、今は鉛のように重かった。

何かを消耗した実感があった。


「指を動かしてみて下さい」


ぴく、ぴく、と指を動かす。それにエネルギーを使っている実感がある。肉体というのは何と重たいものなのだろう。と、まるで先ほどまで肉体を脱け出していたかのような感想を持った。


「薄く明かりをつけるので、目を開けてみて下さい」


佐藤さんの声に従って、目を開ける。仄暗い空間。ああ、『現実』に帰ってきたな、と思う。


「いかがでしたか?」


身を起こした私にふわりとほほ笑む佐藤さん。私は「驚きました……」と素直な感想を口にした。


「あんなにはっきり見えるものなんですね」

佐藤さんは「ずいぶん個人差があるんですよ」と言った。


「見える人には見えるけれど、見えない人にはどれだけガイドしても見えない。そういうものなんです」


その後、温かいお茶を一杯、ご馳走になり、薄謝を払って場はお開きになった。


帰り道、私は今生で何をしにきたのだろう、とふと考えた。

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