第7話 防空頭巾を被った女の子が……

 高校一年生の夏休み。母親から受験生になる弟の勉強を見てやってほしいと頼まれた。

 「塾いかせればいいじゃん」

 「うちにそんなお金、あると思う?」

 それもそうだ。しかし、飽きっぽさに定評のある弟相手だ。一筋縄ではいかないだろう。

 「結果が出たらお小遣いあげてあげるからー」

 結果が出たらかよ……と思いつつ。仕方なしに弟とちゃぶ台を囲み、私はとりあえず弟の学習レベルがどれだけのものなのか測っておこうと思った。

 弟は特に英語が苦手らしい。

 「鳥を英語で書くと?」「chicken」

 「彼はテニスをします、を英訳すると?」「He does do playings tennis.」

 「ん、んんー。そうね。まず聞くけど……動詞と名詞って、区別つく?」

 「何のこと?」

  きょとんと私を見上げる弟。マジかよ。中学校一年の、しかも初頭ぐらいに習うとこだぞ。これ。

 思った以上のまずい状況に頭を抱えていると、さっそく弟のさぼり癖が発揮され始めた。

 問題集を解くように言っても、シャーペンを口に咥え、ふざけだす。

 やっと解いた問題の解説をしようとしても、「あ、もうすぐ見たいTV番組やるんだけど見ていい?」と全くやる気がない。

 ほとほと手を焼いた私は爆発した。

 「もう知らん! お前の勉強なんて見ない!」

 この場面で、そう言わずに教えてよ、姉ちゃん! ……と泣きついてきたなら可愛いものだが、弟は予想通りあっさりと見たいTV番組を見始めた。

 実力や潜在能力どうのこうのは置いておいてやる気のない奴に教えることは何もない。

 私は早々と匙を投げた。


 その日の夜も、夏らしく暑く、寝苦しかった。

 薄掛けを身に、布団に横たわっていた私は、まどろみの中、ゆさゆさと自分を揺らす小さな手に気が付いた。

 最初は弟かと思ったが、そのシルエットが見慣れないものでぎょっとした。

 こんもりとした影。小ぶりの頭に、社会の資料集で見た、あずき色の防空頭巾を被っている。

 丸いビー玉みたいな目と目が合った。おかっぱ髪の女の子。顔がところどころすすで黒くなっている。

 「ねえ、あんなやる気のない子より、私に算術を教えて?」

 にっこりと笑う。可愛いけれど、突然現れたその子の出で立ちいでたちに、存在そのものに私はおびえた。

 「い……嫌だ」

 「えー」

 なんで、なんで、と彼女は言う。「なんでも!」と高校生だった私は叫んだ。そうして、薄掛けを頭まで被ってガン無視を決め込もうとした。

 だが、この子も強情というか、なんというかあきらめない。私の被った薄掛けをひっぺがそうとする。

 「教えてったらー!」

 駄目。絶対駄目。私は引っ張られる薄掛けを絶対に取られまいと体中に力を込めた。と、急に体が重くなった。

 この子、私の上に乗っかっている!

 「これでも、駄目?」

 駄目です。

 私は、思い切り身体をゆさぶった。きゃっ! と声が上がった。小学生ぐらいのその子は体格差もあって、簡単にふっとぶ。その隙をついて、その女の子ごと薄掛けをはねのけた私は押し入れの中に入り込んで、ぴしゃりとふすまを閉めた。

 とんとん、と襖の外からノックがする。

 「ねえ、開けてよ。お勉強、教えてよ」

 「……」

 「算術じゃなくてもいいよ」

 「……」

 私は応えない。

 そのうち、とんとん、というノックの音が、がりがり、と何かを引っ掻くような音に変質していく。

 「開けて、開けて」

 「……」

 「ねえ、苦しい……熱いよう。開けて、開けて……」

 声も、さきほどまでの幼女のような声からしゃがれた声に変質していく。事態はますます悪くなっていくようで、私は唾を飲みこむ。

 「もっと、勉強……したかった、のに」

 あんたたちはずるい、とその子は言った。そうして、私は目を覚ました。


 目を覚ました私は薄掛けは跳ね除けていたものの、ちゃんと布団の上に居た。

 寝た気は全くしなかった。疲労感が身体を包んでいた。かといって二度寝する気にもなれずに居間に向かった。


 居間は朝の光に包まれていた。両親がTVを見ながら、朝ごはんを食べている。弟はまだ寝ているようだ。まあ夏休みだから許されるだろう。

 ふとTVに目をやると、終戦記念日の式典を執り行っている様子が映っていた。そう、その日は奇しくも8月15日だった。

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