第6話 何かはわからないが、何かある

 親戚の還暦のお祝いで、静岡に旅行したときの話である。そのときは私や、両親のほか、叔母や従姉妹、それに親戚が懇意にしていた友人も来るなど思いのほか大所帯での旅行になった。

 ホテルは海のすぐそばに建っていた。旧館と新館があって、その二つの館は繋がっていた。二つの建物には高低差があり、新館の方が高台に建っていたので、新館の五階を渡ると、旧館の八階にあたるコンベンションホールに出る。そういうつくりになっていた。

 私と両親の部屋は新館だった。ホテルに到着し、荷物を整理して窓から海を眺めていると、母に声をかけられた。夕食、というか宴会までにはまだ時間があるので、せっかくだから旧館にある売店に行ってみよう、と言うのだ。

 「いいよ」と私は母に応じ、小銭入れとエコバッグだけ持って部屋を出た。二人で旧館に続く渡り廊下に向かう。渡り廊下の両側にショー・ケースがあり、ホテルが所蔵している絵や、古めかしい鎧、変わったところでは土器のようなものも展示されていた。ずいぶん歴史があるホテルなんだな、と思っていると突然、螺旋階段が現れた。それを下らないと旧館にはいけないらしい。

 私たちは、くるくるとカタツムリの殻のような螺旋階段を下っていったが、円状に降りる、という行為がいけなかったのか、乗り物酔いのような、頭の奥がきしきしするような、心地悪さがこみ上げてきた。それで、母の方をみると母の顔色もあまり良くなかった。

 「螺旋階段って酔うんだね」

 「うん、なんか気持ち悪いね……」

 階段を降り切ってしばらく行くと確かに大きなコンベンションホールがあった。宴会場の面もあるらしく、ガラス戸の向こう側でコック帽をかぶったスタッフが寸胴鍋を手にうろうろしていた。

 それを横目で見ながら、私たちはエレベーターで売店のある階に向かった。売店には京子叔母も来ていた。スマートフォンの充電器を買いたかったらしい。

 母が、京子叔母さんに「ねえ、京子ちゃん。ここ……よね?」と尋ねた。

 私はちょっとドキドキしながら京子叔母さんの返答を待った。京子叔母さんは

ねえ」とあっさり言った。「泊まるのが新館で良かったわよ。ねえ、真世、充電器貸してくれない? 売ってないっていうのよ」

 「いいけど……」と言いながら口ごもる。またあの螺旋階段を通って帰るのか、と思うと気が重かった。京子叔母さんが「あの螺旋階段、嫌でしょ。この階からだとショートカットできるよ。この売店のある階が、新館の一階と繋がってるから」

「あ、そうなの? 知らなかった……」

会話しながらも、気分が悪いのは変わらない。むしろ、どんどんひどくなるようだ。頭の奥がじんわり痛く、視力が落ちたかのように目の前が仄暗い。

「ごめん、ちょっと気分悪いから、とりあえず一旦部屋帰る。充電器は宴会のときに持っていくから」


母と連れ立って新館の一階に続く渡り廊下に向かい、しばらく歩いたそのときだった。

 あるポイントで、すうっと『』が私の中から抜けた。そして嘘のように気分が晴れた。

 私が母を見ると、母も私と同じだったようで私のことを見つめていた。

 「いなくなった」「わかる。抜けた」


それから私と母は旧館の方を見た。言葉にするのが難しいが、そちらから流れてくる空気は粘っこく、甘ったるく、そして重たく感じた。


「あんまり旧館にはいかないようにしよう」

と、母と話し、新館の自室で落ち着くことにした。

やがて迎えた宴席も新館のレストランだったので特に問題はなかった。


目に見えたわけではないし、その正体がわかったわけでもない。

ただ、古いものに付き物な「いわく」というものを体感した出来事だった。

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