第5話 西洋画のようなドレスを着た女性

 仲の良い友人がお台場に住んでいた。

 その友人宅に泊まったときの話である。


 当時、私には早朝覚醒の気があった。朝5時ぐらいに目が覚めてしまうのだ。二度寝できればいいのだが、起きてしまうと、妙に体がうずうずして、それも出来ない。躁鬱でいったら躁の気もあったのかもしれない。


 友人宅で私ともう一人招かれた友人と三人でDVDを鑑賞しながらピザパーティ(宅配ピザをとっての飲み会)をして、夜中2時ぐらいにお休みを言い合い、ソファーベッドで寝た、その翌朝のことだから、5時に起きたのなんて私ぐらいのものだった。他二人は、まだぐっすり夢の中だ。


 私はのっそり起き上がった。睡眠時間が足りないのは自覚していたが、朝の空気を吸いたくて仕方なかった。

 私は二人を起こさないよう、静かに、そろそろと洗面所に向かって、顔を洗い、持ってきたハンドタオルを使って顔を拭き、携帯歯ブラシで歯を磨いた。

 髪は思ったより乱れてなかったので、手櫛でさっと整えて、化粧はせずに玄関に向かった。鍵をどうしようか迷ったが、少しだけで戻る気だったので開錠して、そのまま外に出た。


 お台場は海が近いからか、それともビルが多いからか、風が強かった。

 私はまだ水色に浸った早朝の街に一歩を踏み出した。

 朝の空気は清浄で、人混みのイメージが強いお台場だが、まだ始発電車もないからか、人気は全くなかった。


 私はお台場デックスの脇にあるマクドナルドまで行って、そこで温かいブラック・コーヒーでも買ってのんびりしようと頭の中でプランを立てて、ぶらぶら歩いて行った。

 鍵を開けっぱなしで危ないので30分だけ、と決めて携帯電話のアラームもセットした。余裕で行って戻れる時間帯だった。


 綺麗にタイルで舗装された道を歩きながら、ふと前方に目をやると、こちらに向かって歩いてくる人がいることに私は気づいた。


 そのシルエットがあまり見慣れないものなので、私は目を疑った。


 西洋風、といったらいいか。巻貝のように結い上げられた髪。着ているのは裾が大きく膨らんだアンティークドレス。何連かの真珠のネックレスをしていた。


 特筆するべきなのは彼女の肌の色だった。薄いチャコールグレー、とでも表現したらいいか、肌色と白を混ぜたところにうっすら青と緑を足した色、とでも言おうか。くすんだ大理石のような色……とにかく、生きた人間にはあり得ないような肌の色をしていたのだ。


 私は一瞬、踵を返すべきか、そのまま彼女の方へ向かって歩いていくべきか、迷った。


 こういうとき……つまり『やばい』と直感するような類のものと出会った時、自分はそれがどういう『もの』であれ、存在していないように、見えないように振る舞うことにしている。


 目を合わせないし、何かしゃべっていて聞こえないふりをする。


 しかし、距離が微妙だった。彼女はそんな大仰なドレスを着ているにしては歩く(?)スピードが早く、回れ右をしたら追い付かれそうな(もっと言えば追いかけられそうな)気がしたし、かといってそのまま歩を進めて、すれ違うのも勇気がいる。


 運の悪いことに私が歩いていたのは大きな一本道で、曲がる路地もないし。歩道橋も横断歩道も通り過ぎてしまった。逃げ込めそうなビルは沢山あるが、早朝だから、まだ入り口が施錠されている。


 迷いながらちんたら私が歩いている間にも、彼女はどんどん近づいてくる。

 ええい、ままよ! と私は彼女の方へ向かって歩いて行った。


 幸いなことに、その西洋画から抜け出してきたようなドレスを着た女性は私の方をちら、とも見なかった。

 青白い唇をしっかり結び、薄い色素をした目はひたすら前方を見つめていた。近くまできたので気が付いたが、服装や異様な肌の色を除いて、彼女は純然とした日本人に見えた。髪の色は黒に近い茶色。顔だちはひたすら和風。目は細くも大きくもなかった。あと豪奢な耳飾りもつけていた。


 ――コスプレイヤーかな……。


 お台場だし、あまり詳しくはないが、かの有名なコミケ以外にもそういったイベントは開催されているんじゃないか、と私はそう自分の中で結論付けた。


 そうして彼女とすれ違ったとき、私はもう一つ、ある事実に気が付いた。


 ヒールを履いている彼女の靴音が、聞こえない。


 私は唾を飲んだ。振り返りたい衝動に駆られたが、それはしなかった。そして、そのまま予定通り、目的地のマクドナルドまで歩いて行った。


 熱いコーヒーを飲みながら、こういうのも白昼夢の一部かもしれない、と思った。


 友人宅に戻ったら、友人は私が外出した気配に気が付いたのか6時前なのに、もう起きていて、こっぴどく叱られた。


 お台場は意外と治安が悪いらしい。謝ると同時に、こういうちょっと不思議なことに出会うときはいつも考えるのだが、ドレスを着た彼女は一体何者だったんだろうなあ、ということを考えた。


 ただのコスプレイヤー。それ以上でもそれ以下でもない。だったら、いいのだけれど。

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