bonus2 入学式

 少しの抵抗を受けながら扉を開ける。

 開けた扉の隙間すきまから室内に風が入り込み、私の体をふわりとでた。


 開ききった扉の向こう。突如広がった視界いっぱいに、屋上の、独特な光景がふっと飛び込んできた。


 白いタイルの床が、長方形状に向こうへと伸びている。その全体を緑色の転落防止用のフェンスが高々と囲んでいた。


 白い正方形状の建物から、タイルへと足を運ぶ。


 フェンス越しに見える青空が、開放感を持って私を心地よく出迎える。


 この空間が私は好きだ。


 私以外の人間は余程の事がない限りここを訪れないし、他の場所とは違う特別な空間というのはそれだけで心をわくわくさせる。

 小さな男の子が秘密基地を欲しがる感覚に、それはおそらく似ていた。


 少しの間、開放感と特別感を味わった後私は、体を左に向け、その進んだ先にあるベンチへと足を進める。


 青いペンキがはげ掛けた、少しぼろいベンチ。そこに私は腰を下ろした。


 人前に立つ前や、悩み事がある時、私は決まってここを訪れる。

 他に人がいなくて集中出来るというのも当然その理由としてはあるが、今となってはもうこの行動は私の中でルーティンの一つとなっていた。


 手に持っていた原稿げんこうを広げ、それを読む。


 おかしな所はない。意味も合っている。読むやすさも問題ない。うん。大丈夫。これなら。


「あっ、あ」


 声を出す練習をしてから、小さな声で原稿を音読する。


「新入生の皆さん――」


 二回通しで原稿を読むと私は、一度それを胸に抱え深呼吸した。


 得てして私は、全く緊張をしないロボットか何かのように扱われがちだが、今も内心はバクバクである。


 頭をよぎる失敗を「大丈夫」という自分の言葉で掻き消し、何とか平静を保つ。


 大丈夫。今日もうまくやれる。壇上だんじょうに立ってしまえば、後はいつも通りやるだけだ。


「よし」


 言葉と共に、私は勢いよく立ち上がる。


 打ち合わせはすでに済ましてあるとはいえ、あまりギリギリ過ぎても周りが心配するだろう。そろそろ、体育館に向かおう。


 最後に一度空を見上げてから私は、屋上を後にした。


 少し薄暗い階段を降り、六階に降り立つ。


 この階は準備室や物置代わりにされた教室がいくつかあるだけで、基本人気がない。たまに用事があってこの階を訪れる人もいるにはいるが、入学式のある日にここを訪れる物好きはおそらく私くらいだろう。


 階段を一つずつ下り、二階まで行く。


 体育館と繋がっているのはもう一つの校舎で、その校舎に行く方法は大きく分けて三つ。外から入るか、一階の廊下ろうかを経由して移動するか、もしくは二階にある渡り廊下を使って向こう側に行くか。


 私は迷わず、三つ目の選択肢を選ぶ事にした。

 理由は特にない。気分だ。


 渡り廊下を渡ると、職員室に突き当たる。そこを左に折れ、すぐに右に曲がる。


 ここまで来れば体育館は目の前だ。


 その時だった。


 左斜め前にある階段を誰かが上がってきた。女の子だった。見た事のない子だ。スリッパの色は赤。つまりは新入生。


 可愛かわいい子だな。元気そうで優しそう、それでいてどこかしっかりした印象も受ける。


 ……って、何当たり前のように観察しているんだ、私は。いけない。いけない。人の事、ましてや初対面の相手に不躾な視線を送るのは失礼だ。


 そう思い直し、視線を前に向け掛け――私は驚く。


 女の子のすぐ後ろ、後から登ってきた男の子の顔に見覚えがあったのだ。

 城島孝きじまこう。今度生徒会に入る予定の男子生徒だ。


 やっぱり似ている。思い出の中の彼に。

 名前はお母さんに確認した。間違いない。城島孝。同じだ。後は本人に確認を取るだけ。私の事を覚えているか。もしくはもっと回りくどく、外堀から埋めていくか……。


「――!」


 私が見ていたためか、男の子――城島君と目が合う。


 やばい。どうしよう。変に思われたかもしれない。こういう時はとりあえず……。


 私はまるで今初めてそちらを見たかのように振る舞い、彼に向かってにこりと微笑ほほえむ。


 そしてそのまま、なぜか立ち止まったままの二人の前を、私は何喰わぬ顔で通過していく。


 あくまでも、そういうイメージというだけで、実際私がどういう顔を浮かべているかは分からない。上手く出来ていればいいが。


 二人と十分距離が取れただろう辺りで、私はそっと胸を撫で下ろす。


 うわぁ。緊張したー。変に思われなかったかな? 上手く誤魔化ごまかせた?


 日頃の鍛錬たんれん賜物たまもので、おそらくなんとかなったとは思うが、正直内心はドキドキだった。

 心臓が体の中で激しく暴れ、全身はまるで風呂上りのように熱い。鏡を見ていないので分からないが、もしかしたら顔には少なからず赤みも差しているかもしれない。


 こんな時に、もし誰かと出くわしでもしたら……。


「あー、静香しずか。ちょうどいい所で……うん? どうした?」


 渡り廊下を渡った所で、タイミング悪く由香里ゆかりと遭遇してしまう。


 どうやら彼女は、私をさがしていたようだ。リハーサルの打ち合わせだろうか。


「なんか、顔赤くないか?」

「え? そう? 気のせいじゃない?」

「気のせい? いや、まぁ、体調が悪いとかじゃないんなら、別にいいんだが……。それより静香。どうやら、来賓らいひんの到着が遅れそうで、五分ほど式の開始を遅らせるらしい」

「そう。式の流れ自体に問題は?」

「そこは大丈夫だ。全体的に、五分遅らせるだけで済むそうだ」


 私は由香里と肩を並べ、会話をしながら体育館の方に進む。

 式の話をし出したためか、先程までの浮ついた気持ちはいつの間にかどこかに消えていた。

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初恋は少し、夢に似ている みゅう @nashiro

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