最終話 初めて出来た――

「はぁー……」


 式が終わり、ようやく緊張から解放された俺は、椅子いすの上でわずかに姿勢を崩し、一息吐いた。


「お疲れ様」


 その様子を見て、椅子から立ち上がり、こちらに近付いてきた静香しずかさんがにこりと微笑ほほえむ。


 檀下では、自分の座っていた椅子を片付けるべく生徒達が列を作っており、檀上の俺達は、もう少し落ち着いてからそちらに向かった方がよさそうだ。


 周りにいる他の生徒達も俺と同じ考えらしく、無理に下に降りようとはせず、それぞれ思い思いに談笑をしている。


「どうです? 任命証書を実際に手にしてみて」


 静香さんの言うように、今、俺の手には任命証書が握られている。


 今日、檀上に座ったのは、各委員会の委員長と生徒会役員、そして全クラスを代表して三年A組の学級委員で、その中のそれぞれ一名ずつが代表して任命証書を校長先生から直々じかじかに手渡された。


 ちなみに、なぜ俺が生徒会役員の代表に選ばれたのかというと、単純に他の三名が前期も役員をやっていたからで、もし他に新たな役員がいれば役職もしくは学年が上の生徒が選ばれていた事だろう。


「そうですね。よりいっそう実感が強まったというか、ちゃんとやらなきゃなって改めて思いました」

「学校も生徒会も一年目で色々と大変でしょうけど、何か困った事があれば私達を遠慮なく頼って下さいね。私達も、そうやって助けてもらってきましたから」

「はい。頼りにしてます。先輩」

「もう」


 少しおどけ気味に告げた俺に、静香さんが軽くほおふくらます。もちろん、本当に怒ったりねたりしているわけではなく、くまでもポーズだが。


 下があらかた落ち着いたのを見計らい、椅子を手に、階段を降りる。そして、後片付けを終えた俺は、生徒会の役員と肩を並べ、体育館を後にした。


「あのっ」


 体育館を出た所で、静香さんに呼び止められる。


 そう言えば、さっきからずっと黙り込んだままだったな。東雲しののめ先輩がうるさ――元気過ぎて気が付かなかったが。


「教室に戻る前に、少しお時間いいですか?」

「はい……」


 実はまだ授業中で、この後にホームルームも控えているのだが、数分なら大丈夫だろう。


 二人きりになりたいと言われ、教室とは逆側の体育館脇に連れていかれる。


 こんな美人に、しかも恋人関係の女性に二人きりになりたいと言われ、人気のない場所に連れていかれると、変な想像が嫌でも浮かぶが……。ま、そんなわけないよな。


「それで、何用でしょうか?」


 動揺から、言葉づかいが幾分いくぶんおかしくなる。


 変な想像を完全には払拭しきれていないようだ。仕方がない。俺も男だ。変な想像の一つや二つくらいする。うん。仕方ない。仕方ない。


「ストラップのお礼というわけではないんですが」


 そう言って静香さんが、自分のスカートのポケットから取り出したのは、長方形の手の平サイズの箱だった。ちゃんと、プレゼント用のラッピングもされている。


「これを俺に?」

「はい」

「今、開けても大丈夫ですか?」


 こくりと静香さんがうなずく。


 了承を得た俺は、包みを破かないように慎重にラッピングを解き、箱のふたに手を掛けた。


「ネクタイピン、ですか?」


 箱の中に入っていたのは、白くシンプルな作りのネクタイピンだった。


「今の時期は必要ありませんが、夏服に移行したらいるかなと思いまして」


 そう、なんだろうか? 高校生だし別に付けなくてもいいかなと思っていたのだが、やはり付けた方がいいんだろうか?


「ちょっと試しに、付けてみてもいいですか?」

「え? あ、はい」


 上着の前ボタンを外し、ネクタイにネクタイピンを付ける。


「どう、ですか?」

「はい。とてもいいと思います」


 少し興奮した様子で感想を言う静香さん。

 自分自身では似合っているのかどうか分からないが、静香さんがそういうなら、別にいいか。


「おい。そろそろ行くぞ」


 岸本きしもと先輩が角からこちらをのぞき込み、俺達(というか、静香さん)に声を掛ける。

 その視線が、ふと俺のネクタイに止まる。


「静香の贈り物か?」

「えぇ。正式に生徒会の役員になったお祝いに」


 なるほど。だから、このタイミングで渡したかったのか。ようやく、合点がいった。


「うむ。ネクタイピンね」

「何? おかしい?」


 あごの辺りに手をやり、何やら考える仕草をした岸本先輩に、静香さんがそうたずねる。


「いや、静香は、女性が男性にネクタイピンを贈るという事が、どういう意味を持つのか知っているのかなと思ってね」

「――ッ」


 岸本先輩の言葉に、静香さんの顔が赤くなる。

 なんだ? 何がどうした?


「おや、城島君は知らないようだね。ネクタイは首元をめる物だろ? それに付けるネクタイピンを――」

「あー!」


 大きな声を出し、静香さんが岸本先輩の口を塞ぎに掛かるが、岸本先輩はそれをひらりとかわし、説明を続ける。


「贈るという事は、〝あなたに首ったけですよ〟というメッセージと共に、〝あなたは私の物ですよ〟という意思表示にもなるんだ」

「へー」


 全然知らなかった。勉強になる。


「もちろん、全員が全員、そういう意図で贈ってるわけじゃないが、そう取られ兼ねないという話だ」

「由佳里!」

「どうせ調べれば分かる事だし、知ってたって事は、少なからず、静香の方にもそういう意図があったんだろう」

「違うわよ!」

「あぁ。ならば、マーキングの方か。城島君はモテるからな。敢えて、男子高校生が選ばなさそうな物を付けさせ、女の影をにおわすと」

「そ、そんなわけないでしょ!」


 どうやら、こちらは図星だったらしい。

 静香さんが、目に見えて動揺しているのが分かる。


「岸本先輩、それぐらいで」


 さすがに見ねて、助け船を出す。


「そうだな。すまん。二人の様子があまりに微笑ましかったもので、少し悪戯いたずら心がいてしまった」

「はぁー」


 岸本先輩の言葉に、どう反応したらいいか分からず、とりあえず苦笑を浮かべる。

 一方、静香さんはというと――


「もう。微笑ましいなんて。由佳里はすぐからかうんだから」


 発する言葉とは裏腹に、とてもうれしそうだった。


「……さて、邪魔者はこの辺で去るとしよう。二人共、出来るだけ早く自分の教室に戻るんだぞ。生徒会役員が遅刻なんて、恰好つかないからな」


 そう言い残すと、岸本先輩は颯爽さっそうと去っていった。


「俺達も行きますか」

「えぇ」


 静香さんに声を掛け、二人並んで歩き出す。


 歩きながら、上着の前のボタンを留める。ネクタイピンは、あえて外さなかった。


「入学初日は、まさかこうして、静香さんと肩を並べて歩くなんて、思いもしませんでしたよ」


 相手は先輩で、生徒会長で、美人で……。俺なんかがお近付きになれる要素なんて、一つとしてなかった――はずなんだけど……。


「私も、少し前まで、孝君とこんな関係になるなんて思いもしませんでした」

「俺が入学して、もうすぐひと月半ですか……」


 言葉にしてみると短く感じるが、その間には色々な事が起こった。静香さんと再会し、生徒会に入り、初恋の人とも再会し、静香さんが俺の従姉だという事も判明した。


 体育館の正面を横切り、北校舎に足を踏み入れる。

 左には職員室、右には階段が。


 そう。ここは、俺がこの学校に入って、初めて静香さんを見た場所だ。


 あのとき俺は、静香さんの姿を見て、夢からめたような感覚を覚えた。

 あれはおそらく、記憶のどこかに昔見た静香さんの幼い姿が焼き付いており、今の静香さんを見た瞬間、その忘れていた記憶がおぼろげながら思い出されたため、あんな感覚を覚えたのだろう。


 自分が見ていた夢は思い出した。

 しかし、夢は夢。それと今の静香さんとの関係は、また別の話だ。


 それにしても――


「どうかしました?」


 突然立ち止まった俺を、釣られて立ち止まった静香さんが不思議そうな顔で見ていた。


「いや、偶然ってすごいなと思って。もし俺がこの学校に入学していなかったら、静香さんと俺の関係はこうはなってなかったと思うし」

「運命、だったんじゃないでしょうか?」

「へ?」


 静香さんの口から発せられた言葉に、思わず彼女の顔をマジマジと見つめてしまう。


「私と孝君は出会うべくして出会った。そう考えた方がただの偶然と思うより、ロマンチックで素敵じゃありません?」

「そう、ですね……」


 その方が、確かに素敵かもしれない。


「おい、お前達」


 声を掛けられ、振り向くと、そこにはあきれ顔の竹内たけうち先生が立っていた。


「まだこんな所にいたのか。任命式早々、生徒会役員がホームルームに遅刻なんて、洒落しゃれにならんぞ。早く行け」

「「す、すみません」」


 二人で声をそろえて謝り、教室の方に小走りで向かう。


「怒られちゃいましたね」


 そう言いながら、静香さんの声や表情はどこか嬉しそうだった。


「もしかして静香さん、楽しんでます?」

「えぇ。少し。だって――」


 静香さんはそこではにかみ、こう言葉を続けた。


「孝君と一緒にいると、ただそれだけで毎日がこれまで以上に輝いて見えるんだもの」


 初恋はよく叶わないと言われる。

 実際、俺の初恋は叶わなかった――が。

 今、俺の隣には、初めて出来た恋人がいる。少しロマンチストな可愛い彼女が。

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