第31話 答えと呼び出し

「失礼しまーす」


 おそる恐る、中の様子をうかがうようにして室内に足を踏み入れる。


 全くの私事わたくしごとで遅れた手前、少し気まずい。


 室内にいた三人の視線が、一斉に入ってきた俺に集まる。

 なんだ、この感じ。もしかして、怒っている?


「……こんにちは」


 三人の反応を見る意味もねて、とりあえず挨拶あいさつをする。


「やぁ、城島きじま君」

「やっほー、城島っち」

「こんにちは、こう君」


 三者三様の挨拶が返ってきたが、聞く限り、どれも別に不機嫌というわけではなさそうだ。


 ただ、なんか固いというか、何かを意識しているというか……。


 ま、気にしても仕方ないか。


 いつまでも扉の前に突っ立っていてもしょうがないので、自分の席に座る。


「ちょっと出てくる」

「え?」


 俺が椅子いすに座るなり、岸本きしもと先輩が立ち上がる。


志緒しお、君も来てくれ。人手がいる」

「はーい」


 そして東雲しののめ先輩も、岸本先輩に言われ立ち上がる。


「あの、人手なら、男の俺の方が……」

「気持ちは有りがたいが、女子にしか入れない場所に関する作業なんだ」

「あー。なるほど」


 そりゃ、俺じゃダメだよな。


「じゃあ、私達は少し席を外すから、後はよろしく。三十分は戻れないと思う。何か急を要する事があればスマホに連絡をくれ」

「ではでは、後はよろしくー」


 二人の先輩がそろって生徒会室から出ていき、後には俺と静香さんの二人が残された。


「どこの作業なんです?」

「へ? あの、えーっと、女子更衣室。女子更衣室の電球が切れてるとかそんなんです。多分」


 多分?


 というか、明らかに反応が妙じゃないか? 岸本先輩と東雲先輩が話している時は我関せずといった感じだったし、今も俺に話し掛けられた途端、急に慌てて……。


 とはいえ、チャンスだよな、これは。


 今、室内には俺と静香しずかさんしかおらず、二人の先輩も三十分は帰ってこないらしい。


 岡崎おかざきにああいった話をした以上、静香さんとの関係は早くはっきりさせておきたいし、この状況、出来すぎなぐらい場は整っている。今言わずしていつ言うのか。


「静香さん、一昨日の話ですが……」

「はい!」


 返事と共に、静香の体が椅子から少し浮き上がる。


「俺は岡崎っていうクラスメイトの事が好きです。多分それは、ライクじゃなくて

ラブで、女の子として好きなんです」

「……そうですか」

「だから――」


 全てを口にせず結論だけ言う事も出来た。その方が、静香さんも傷付かずに済んだかもしれない。だけど、この気持ちを隠したまま告げるのはフェアではないし、今後の二人の関係性に悪影響を及ぼすと思う。だから、全てを口にしてその上で告げる。自分の思いを、気持ちを、答えを。


「こんな俺でも良ければ、俺と付き合って下さい。お願いします」


 立ち上がり、静香さんに向けて頭を下げる。


「え? だって、あれ?」


 答えは返ってこなかった。代わりに、たくさんの疑問符が静香さんの頭の上に浮かぶ。


「やっぱ、ダメ、ですか?」


 他の女の子の事も好きだと平気で言えるような男は。


「違うんです。混乱してて。てっきり、お断りの返事を孝君が口にすると思ったもので」

「え? 俺の方に断る理由なんてないじゃないですか」

「でも、岡崎さんが好きだって」

「岡崎の事は好きです。けど、それ以上に、俺は静香さんの事が好きなんです」

「好き。あう。そんな。私どうすれば」


 俺の説明を受け、更に混乱の色を強める静香さん。


「とりあえず、落ち着いて下さい。で、出来れば、答えをお願いします」

「そうですよね。はい。一旦落ち着きます」


 すぅ、はー、と深呼吸を繰り返し、静香さんが自分の気持ちと呼吸を整えていく。


「私の気持ちは、一昨日の時と変わりません。孝君が岡崎さんではなく私を選び、私でいいと言ってくれるなら、是非」

「それはお付き合いして頂けるという事でよろしいんでしょうか?」

「はい。というか、そもそも、私の方が先に告白したんですからね」


 怒ったような口調と仕草しぐさで、静香さんがそう言う。


「くー」


 その言葉を聞き、体の奥底から何かが込み上げてくる。それはおそらく、喜びやうれしさという感情だろう。


「ありがとうございます」

「こちらこそ、私を選んでくれてありがとうございます」

「静香さん」


 名前を呼び、近付く。


「え? あの、もしかして」


 肩に手を置き、顔を寄せる。


 そこまで来ると、静香さんも抵抗を諦めたのか、目をつむり、俺の行為を受け入れてくれる体勢を取ってくれた。


 静香さんの顔が徐々に近くなる。

 後数センチ、後……。


 もう少しでお互いの口同士がれるという距離になった所で、俺は急遽きゅうきょ動きを止めた。


「どうかしました?」


 薄目を開け、静香さんが俺にたずねる。


 俺は静香さんから体を離すと、素早い動きで進路指導室の扉を開けた。


「あいた」

「ッ」


 指導室側に開くはずの扉は、途中で何かに当たり、その動きを止めた。


 開いた隙間から中をのぞき込む。二人の先輩がそれぞれ自分の額をさすっている所だった。


「やぁ、城島君。こんな所で会うなんて奇遇だな」


 先に立ち直った岸本先輩が、とぼけた台詞せりふを吐く。


「由佳里、志緒ちゃん!?」


 俺の背後から、指導室の中を見た静香さんが、驚きの声をげる。


「なんで二人がそこにいるの。購買前で適当に時間をつぶしてくれるはずでしょ」


 なるほど。やはり、二人がいなくなったのは、打ち合わせ通り、だったわけだ。


「すまない。好奇心に負けてしまってな」

「ごめんね、城島っち、静香ちゃん。折角、いい感じだったのに」

「ふ、た、り、と、もー!」


 東雲先輩の一言が引き金となり、静香さんがわなわなと体を震わす。


「やばい。逃げるぞ、志緒」

「了解であります、隊長」


 そう言うと二人は、脱兎だっとごとく、廊下へと逃げて言った。


「もう」


 それを見て、静香さんが軽くほおふくらます。


「さてと」


 言いながら、俺は扉を閉めた。


「邪魔者もいなくなった事ですし、さっきの続きをしますか」

「え?」


 肩に手を置き、ゆっくりと顔を近付ける。

 目を瞑る静香さん。


 こうして俺にとって静香さんは、先輩であり、従姉いとこであり、恋人になった。




 話は少しさかのぼる。具体的には二十五分程。


 その日の放課後。俺は校舎裏に、メールで岡崎を呼び出した。


 もちろん、生徒会室に送れて行く許可は、事前に岸本先輩の教室を訪ねてじかに得ている。


 静香さんではなく岸本先輩から許可を得たのは、放課後の事を考えて顔を合わせづらかった――なんて理由では当然なく、単に俺の中に、そういう許可は岸本先輩から得るものという意識があったからだ。


 実際、生徒会に関する個人的な指示は、岸本先輩から出る事の方が多い。向き不向きもあるだろうが、立場上、あえてそうしている面もあるのかもしれない。


「お待たせ」


 校舎裏で待つ事数分。岡崎が現れる。


 少し遅れてくるよう、俺が頼んだのだった。


「悪い。こんな所に呼び出して」

「ううん。で、話って何、かな?」


 探るような視線が、俺を見つめる。


 一応、岡崎にとって面白くない話だという事は前もって伝えておいた。そして、嫌なら来なくてもいいとも。


「今日も弁当、美味おいしかったよ」

「え? あ、うん。ありがとう」


 俺が脈絡なく告げた感想に、戸惑いながらも微笑ほほえむ岡崎。

 これから告げる事を思い、胸がチクリと痛む。


「だけど、明日からはもう、俺の分の弁当は作ってくれなくていいから」

「……え?」


 岡崎が、理解出来ないといった様子で俺の顔を見る。


「どういう事……?」


 かすかに震える声。何となく、今後の展開を予想し始めたのかもしれない。


「一昨日、姫城ひめしろ先輩から告白された」

「――ッ」


 岡崎の目が見開かれ、揺れる。


「答えはまだ伝えてない」

「まだ伝えてないって事は、城島君の中ではすでに決まってるって事?」

「……ああ」


 決まったのは、ほんの数時間前だが。


「そっか……」


 寂しげにそうつぶやく岡崎だったが、その様子は、どことなくこうなる事が分かっていたようでもあった。


「分かった。明日からお弁当は作ってこない」


 何かを吹っ切るように、晴れやかな表情で岡崎が言う。


「悪い」


 その顔を直視出来ず、俺は思わず岡崎から目をらす。


 本当に申し訳ない。

 弁当を作ってきてもらっておいて、それをこちらの一方的な都合で断って。

 こんな事を告げるために呼び出して。


 そして何より、岡崎から明確なアプローチがあったわけではないのに、勝手に振るような真似まねをして……。


「でも――」


 しんの通った力強い声に、顔を上げる。

 岡崎が俺を見ていた。真っぐな、何かを決意したような瞳で。


「まだ諦めたわけじゃないから」

「え……?」


 今度は俺が固まる番だった。


「だって、城島君は私の初恋の人だから」


 そう告げた岡崎の顔は笑顔で、俺は申し訳ない気持ちを抱えながらも、同時にどこか安堵あんどもしていた。


 結局の所、俺は怖かったのだ。


 岡崎由愛ゆめという少女に嫌われるのが。避けられるのが。


 振っておいてどの口が、と自分でも思うが、こればかりは仕方ない。理性と感情は別、という事で、何とか許して欲しい。


「じゃあ、私行くね」

「……悪い」

「三回目だね、それ」

「わ――」


〝悪い〟と言い掛けて、途中で止める。

 そんな俺の様子を見て、微苦笑を浮かべる岡崎。


頑張がんばって」

「え?」


 言うが早いか、岡崎はきびすを返すと、小走りでこの場から去っていった。


 頑張る? 何を?


 岡崎が去っていった方向に視線を向けたまま、一人取り残された俺は、しばし、最後に発せられた彼女の言葉の意味を考えるのだった。


 今思えば、岡崎はあの時、俺が今日にでも静香さんに告白の答えを告げると予測していたのだろう。つまり……そういう事なんだと思う。

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