第7話 LIFEーラルフー
キーンコーンカーンコーン
キーンコーンカーンコーン
お昼を知らせるチャイムの音で、10歳のラルフ少年は、目を覚ました。
「夢・・・?」
ぼんやりした頭で、辺りをきょろきょろ見回す。
やがて、そこが学校の保健室であることに、ラルフは気づいた。
「あれ・・・?」
その時、ベッドを仕切っていたカーテンが開いて、白衣を着た若い女の先生が顔を出した。
ラルフを見て、にっこり微笑む。
「よく寝てたわねー。もうお昼じゃないの。」
後ろで束ねた、青みがかった銀色の髪が、日のひかりを受けて、とてもきれいだった。
誰かに似ている、と、ラルフは首を傾げた。
でも、それが誰だったのか、ぼんやりしてよく思い出せない。
「夢を見てたんだけど・・・。」
「あら、どんな夢?」
先生は、青い瞳でラルフを見つめた。
ラルフは、首を横に振って答えた。
「忘れちゃったー。」
「何よ、期待してたのに。」
2人は顔を見合わせて笑った。
「それより先生。
僕どうしてここに居るの?」
先生は、腕を組んで、溜息をつきながら言った。
「ラルフ君、サッカーもいいけど、ほどほどにね。」
ラルフはスポーツ好きの元気な少年。特に、サッカーが大好きで、朝早くから夜遅くまで、暇さえあれば熱中している。
肩まで伸びた漆黒の髪に、闇のような黒い瞳。その顔は、日焼けのために浅黒くなっている。
今日は学校で早朝のトレーニングをした後、あまりに疲れて、ついふらふらと保健室で眠ってしまったのだ。
ああ、そうか。ラルフは少しづつ思い出す。
「げっ、もうお昼だよ。購買のパンが売り切れちゃうじゃん。」
ラルフは少年らしい、無邪気な表情で言った。その顔は、限りなく明るい。
「まったくもう、しょうがない子ね。」
そう言いつつも、先生はニコニコしている。
「そうね、元気が一番。」
その時、保健室のドアがガラッと開いて、誰かが勢いよく飛び込んできた。
「ラルフ―っ、生きてるー?」
入ってきたのは、白銀の髪に、銀色の瞳をした少女だった。
ただ、髪の毛は男の子のように短く、肌は日焼けのために小麦色をしていた。
その少女の顔を見て、ラルフは思わず口走ってしまった。
「僕は誰?」
少女は、きょとんとした顔をしたようにラルフをじっと見つめ、やがてラルフのおでこをパシッと叩くと、朗らかに言った。
「何言ってるのよ。あんたは、あたしの大好きな、ラ・ル・フ♡」
「ホホホ・・・。ラルフとシエルは本当に仲が良いわねえ。」
先生が笑っている。
シエルと呼ばれた少女は、胸を張って答えた。
「でっしょー、先生。あたしたち、いつも一緒なの。さっ、ラルフ、お昼だよ。」
シエルはラルフの幼馴染。ラルフの隣の家に住んでいる少女だ。
元気で明るく、何かとラルフの面倒を見てくれるのだが、少々気が強いのが玉にキズ。
ラルフは時々、たじたじ気味になる。
だけどラルフは、そんなシエルが大好きだった。
バレー部のキャプテンをしているシエルの身のこなしはきびきびしている。
「それじゃ、先生。」
ラルフは先生に手を振ると、シエルの後を追いかけた。
シエルがラルフの方を向いて微笑む。
手をラルフの方に差し伸べる。
2人はしっかり手をつないで、廊下を駆けていく。
「こらー、廊下は走るな。」
「すみません、ブラッド先生ー。」
笑い声が、こだまする。
ラルフの住む町の外れには、小ぢんまりとした丘がある。
その丘から見る夕日は絶景で、若いカップルが度々訪れることから、「恋人たちの丘」と呼ばれている。
いつしか、その丘で夕日を見たカップルは、永遠に別れることがないという伝説が、人々の間で語り継がれていた。
ラルフはその伝説を、さほど気にしていなかった。
ただ、時々、その丘に呼ばれているような気がして、ぼんやり眺めていることはあったけれど。
ところが、どこからその伝説を聞きつけたのか、シエルがある日、ラルフに言ったのだ。
「ラルフ、あの丘に行ってみない?」
妙に乗り気なシエルの誘いを断るわけにもいかず、その迫力に押されるように、ラルフはしぶしぶ首を縦に振ってしまった。
「やったー。だからラルフって大好きよ♡」
シエルは飛び跳ねながら、ラルフに抱きついて喜んだ。
やれやれ・・・。と思いつつ、内心はうれしいラルフであった。
丘へと続く石造りの道を、2人は軽やかに登っていく。
何だか懐かしい・・・とラルフは思った。
「ねえ、この場所、前に来たことあるっけ?」
シエルが走りながら、不思議そうに尋ねた。
「ううん、来たことないよ。」
ラルフは首を横に振った。2人とも、初めてのはずなのだ。
丘の頂上には、白い塔がある。
でも、そこは、町全体を見渡すための展望台だった。
搭には、2・3個の展望鏡が備えられており、自由に町の様子を眺めることが出来る。
「展望台、寄ってく?」
シエルが白い塔を指差しながら言った。
「なんだか僕、こっちがいいや。」
ラルフは塔の前の開けた場所を指差した。
シエルは頷いた。
「そうね、そっちのほうが、きれいな夕日が見られそう。」
普段なら、この時間になるとたくさんのカップルが登ってくるはずなのに、どういうわけか、今日に限って、辺りに人影は見られない。
搭の前の、芝の生えたスロープに腰を降ろしながら、2人は話し合った。
「今日あたし、バレー部さぼっちゃった。」
「僕だってそうだよ。シエルったらすごく乗り気なんだもの。」
「何言ってんのよ、ラルフだって楽しみにしてたくせに。」
2人は顔を見合わせて、くすくす笑った。
「いい場所だよね。」
丘を吹き抜ける爽やかな風に、白銀の髪をそよがせながら、シエルが言った。
「うん、何だかすごく懐かしい。」
ラルフは風に揺れる草の音を聞いていた。
じっと耳を澄ませていると、涙が零れそうになる。
シエルは遠くを見るように呟いた。
「あたし、毎日幸せなんだ。
勉強だって楽しいし、
スポーツだって一生懸命頑張ってる。
優しい家族に囲まれて、
そして何より、大好きなラルフが側にいる。
健康にも恵まれてるし、
不自由なんか、なにもない。
でも、時々思うの。
これは夢なんじゃないかって。
次の朝にはなにもかもなくなっているんじゃないかって。
そう思うと、あたし怖い。」
ラルフはふっと大人びた瞳をして、シエルを見つめた。その表情は、誰かと似ている。
そして彼は言った。
「これは夢じゃない。
現実なんだ。
僕達は生きている。
幸せになるために。」
シエルは、しばらくの間、ぼーっとしたようにラルフを見つめていたが、やがて照れたようにラルフの肩をバシッと叩いた。
「いってー! 何するんだシエルー!」
ラルフは我に返ったように、シエルの方を振り返った。
シエルは真っ赤になって、ラルフの頭をぽこぽこ叩きながら言った。
「やーね、ラルフったら。柄にもないこと言うんだもの。」
ラルフはぶたれながら、きょとんとした表情をして、シエルを眺めた。
「え、オレ、何か言ったっけ?」
「何言ってんの、あんなに恥ずかしいセリフ言っといて。」
シエルは呆れたようにラルフを見つめた。
「それよりシエルこそ、何喋ってたんだよ。」
反対に、ラルフにそう聞かれて、シエルはまごついた。
「えーと、あたしはー、
何喋ってたっけ?」
シエルは訳が分からなくなった。
「やーい、忘れてやんの。」
ラルフはからかうように、シエルに向かって舌を出した。
シエルは立ち上がると、両手を腰に当てて叫んだ。
「それはこっちのセリフよ。
このサッカーおたく!」
ラルフは頭から湯気を出しそうになった。
プンプンしながら反撃に出る。
「言ったなぁー。
この熱血バレー女。」
「何よー。」
「何だよー。」
2人の間に険悪なムードが漂った、まさにその時。
山々の間に沈もうとする太陽が、その光を赤々と輝かせた。
周辺が何もかも、赤く染まっていく。
2人は放心したように、夕日に見入っていた。
「きれいね、ラルフ。」
「うん、きれいだ。」
ラルフとシエルはいつの間にか、しっかり手をつないでロマンチックな光景を見つめている。
さっきまでケンカしていたのが、嘘のようだった。
シエルはニッコリと微笑んで、ラルフの方を見つめた。
その表情は、誰かと似ている。
「これからもずっと一緒にいようね。
約束だよ。
あたし、ラルフが大好きよ。」
いつもより大人びて、神秘的に見えるシエルの表情に、ラルフはどきどきした。
そして、いつか夢で見たセリフを、思わず口走ってしまった。
「約束する。
例え僕が狂っても、
シエルの事は忘れない、絶対に。」
小さな恋人たちは見つめ合った。
2人は何かに引き寄せられるように抱き締め合い、やがて、そっと、口づけを交わした。
しかし、それがいけなかった。
シエルがはっと、我に返った。
目の前で起こっている出来事に驚いて、目を見開く。
「どさくさに紛れて何やってんのよ。
この、どスケベ!」
そして、平手打ちを二発、お見舞いした。
「何するんだよお。
オレ、何かした?!」
ラルフも、びっくりしたような顔をして、シエルの顔を見た。
「ふんだ、あんたなんか大っ嫌いよ。
こんなとこ、もう二度と来ないんだから。」
シエルはむくれたように走り出した。
「おーい、待ってくれよ。シエルー。
悪かったなら、謝るよ。
ごめんよ、僕が悪かったよー。」
そう言いながら、ラルフは泣きそうな顔をして、シエルの後を追いかけた。
謝りつつも、何がシエルを怒らせたのか、ラルフにはちっとも分からない。
しばらく走った後、シエルは急に立ち止まった。
くるりと振り返ると、舌を出して笑った。
「なんちゃって、うっそー。」
ラルフは泣き笑いしながら言った。
「何だよー、シエルの意地悪。」
「ごめんごめん、何も泣くことないじゃない、男の子でしょ。」
気が付くと、2人はすっかり丘を降りていた。
丘の方を振り返りながら、2人は言った。
「また来ようね、ラルフ。」
「また来ようね、シエル。」
2人はしっかり手をつないだまま、家の方へと歩き出した。
歩きながら、ラルフは思った。
僕は誰?
僕はラルフだ
シエルを大好きなラルフだ
僕は生きている
僕は生きている
夢の内容について、とうとう思い出すことができなかったけれど、それでいいのだ、とラルフは思った。
沈みゆく太陽が、2人の後姿を、いつまでも暖かく照らしていたのだった・・・。
END
ロスチャイルド・ボーイ 暁 睡蓮 @ruirui1105777
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