第6話 KILLーキルー

夜の闇に紛れて、その男は立っていた。

男の容貌がどのようなものであるかは、この闇の中では分からない。

ただ、月明かりに照らされて、細長く伸びたシルエットと、そして不気味な笑い声だけが、辺りに響き渡っている。

夜空に輝く月や星は、なぜか血の色のように赤い。

それまで静まり返っていたはずの周辺に、どこからともなく生暖かい風が吹き始める。

男は、持っている銃をでたらめに撃ちながら叫んだ。

「そこに居るのは分かっている。

隠れても無駄だ。

お前の考えることはすべてお見通しさ。

なぜなら、お前は、この俺だからだ。」

こうこうと輝いていた月が、雲の間に隠れ、すべては深い闇の中に包まれる。

その時、もう一つの人影が、その男に向かい合うようにして現れた。

「ドクター・キル・・・。」

その人影は、静かにその男に語りかけた。

「俺を、殺してください。

俺を創った、あなたの手で。

俺は、本来、この世にあってはならない存在です。

俺を、この世から消してください。

そして、あなたが、2度とこのような愚かな考えを起こしませんように。

俺の、最後の願いです。」

月が、雲の切れ間から現れ、地面に2つの影法師を映し出す。

ドクター・キルと呼ばれた男は、しばらく、くつくつと笑った後、突然、

「黙れ!」

と叫んで、銃を2発、発射した。

鋭い金属音の後、影法師が1つ、消えた。

ドクター・キルは叫んだ。

「私の創ったクローン共は、どいつも失敗作ばかりだった。

ブラッドは、途中の墓の前で息絶えていた。

おまけに、ファイトは何を血迷ったのか、この私に襲い掛かってきたため、我が手で葬った。

そして、ダイ、お前もだ。

愚かなことよ。

所詮、クローン人間など、その程度のものなのか。

しかし私は諦めない!

私が生きている限り、クローン人間は増え続ける。

そして、いつか、ハルマゲドンが起こるだろう。」

「キル・・・。」

ダイは苦しい息の下から、悔しそうにつぶやいた。

アハハハ・・・アハハハ・・・、と狂ったようにキルが笑う。


その時。

ダイの後を追って、ハデスが白い塔から現れた。

目の前で繰り広げられている光景に、ハデスは立ちすくんだ。

目の前には、ラルフと思われる人影が2つ存在する。

ハデスは戸惑っていた。

暗闇の中では、どちらがラルフなのか分からない。

いや、この2人は本当にラルフなのだろうか。片方はクローン人間のダイで、片方はドクター・キルであるという。


どっちがラルフなのか分からない

あたしは、ラルフが憎いのか

それとも愛しているのか

それすらも分からない


ハデスの瞳から、次々と涙が零れ落ちて行った。


シエラ、お願い、教えてちょうだい

あたしは一体、どうすればいいの?

早くしないと、取り返しのつかないことになる

シエラ、お願い、返事をして!


無意識のうちに、ハデスは目を閉じて、両手を組み合わせていた。

胸の十字架が、キラっと光ったような気がした。

その時、ハデスの体を、何か暖かな気配が包み込んだ。

ハデスは目を閉じたまま微笑んだ。


目を閉じていても、見える

もう1人の私が帰ってきた

白衣のあなたが微笑んでいる。

あたしたちは2人で1人

白衣のあなたと、黒衣のあたし

あなたはずっと、ラルフを愛していた

あたしはずっと、ラルフを憎んでいた

だけど

きっと・・・

あたしも、ラルフが好き

もう迷わない

あなたと2人なら

きっとあたし達は後悔しない


ハデスは目を開いた。

その顔からは、迷いが消えていた。

その時、キルが、再度銃を構える。

「これがとどめだ、ダイ!」

ダイの影法師は、すべてを諦めたかのように、じっとしていた。

ところが。

ドオンという銃声と、ザクっという鈍い音を、ダイは同時に聞いた。

「?!」

ダイは驚いた。

「ラルフ・・・。」

ダイの目の前に、もう1つの人影が立ちはだかっていた。

そして、それは崩れるように倒れた。

「シエラ!」

ダイは残る力を振り絞って、その人影に駆け寄った。

腹のあたりから、血液が流れているのを感じる。

体中に、ずきずきと激痛が走る。

しかし、その時初めて、ダイは自分がことを知った。


「ば・・・ばかな・・・。」

ドクター・キルの影法師が、徐々に消えていく。

「シエラ! しっかりするんだ!」

ダイは、夢中でシエラと思われる人物を抱き起した。その体もまた、血液の感触がした。

「お前は誰だ・・・なぜ私を殺そうとする・・・。」

キルの声が、弱々しく聞こえた。

「ラルフ・・・ごめんなさい・・。」

ハデスは、ダイの方を向いたまま、切れ切れに呟いた。


騙していたのは、あたしの方

あたしは、ハデス

シエラの身代わりに創られた、クローン

あたしは、あなたを待っていた

あなたに復讐するために・・・

あなたを待ち続けて死んだ、可哀相なシエラのために・・・


「だけど、あなたは生きて!」

ハデスの手が、ダイの腕を掴んだ。

「あなたは、約束を守ってくれた。

シエラが望んだ言葉をくれた。

あなたは、の好きなラルフよ。」

そして、ハデスはキルの方を向いて言った。

「あんたは、ラルフじゃない。

あんたは、あたしを覚えていない。

あたしも、あなたを知らない。

少なくとも、あたし達の愛したラルフじゃない。

復讐は、終わったわ。

あんたは、あたしと一緒に逝くのよ。」

「なんだと・・

クローン人間が、既にもう・・・。」

しかし、倒れていたかに見えたキルが、不吉な笑い声を立てて起き上がった!

そして、ハデスに向けて銃を構えた。

「お前が誰であろうと、

私の邪魔をするものは許さん!」

キルが引き金に手をかけた、その時。

ダイが立ち上がった!

「お前に生きる資格はない!

シエラは俺が守る!」

ダイはそう言い放つと、側にあったハデスの長い鎌を両手に構えた。

「黙れ!」

キルがそう言って引き金を引くのと、ダイが鎌を振り上げるのが、ほとんど、同時だった。

ところが、キルの銃には、もはや弾が込められていなかった。

カチッ、カチッと銃がむなしく響く。

「消えろぉぉぉ!」

ダイは無我夢中でキルを引き裂いた。


ズシャァッ

ズシャァッ


十字架の洗礼を受けて、キルは倒れた。

ぐはっ、という声と共に、ドクター・キルは動かなくなった。

そして、ダイは血の滴っている鎌を投げ捨てた。

急いで、ハデスの元へと駆け寄る。

虫の息だったが、ハデスは生きていた。

ダイはハデスにささやいた。

「シエラ、今度こそ終わったよ。」

ダイのハデスを見つめる目は、限りなく優しい。

暗闇の中でも、ハデスにはそれが分かった。

「ありがとう・・ラルフ。」

ハデスもダイを見つめた。

ハデスが手を差し伸べる。

ダイも、ハデスの手を握った。

ハデスの手が、次第に冷たくなっていくのをダイは感じた。

ダイは、泣きたくなるのをこらえ、わざと明るい声でハデスに語った。


夜が明けたら、2人で町を出よう

どこか知らない土地で

2人だけで静かに暮らそう

もう苦しむこともない

悲しむこともない

今度こそ2人で幸せになろう

僕たちは生きるんだ

幸せになるために


ハデスは微笑んだ。

今までの中で、一番幸せそうな笑顔だった。

暗闇の中でも、ダイには分かる。

そして、彼女は呟いた。

「今度生まれ変わったら、元気で明るい女の子になりたい・・・。

きっとまた会えるよね・・・。」

ハデスの瞳から、涙が一粒、零れ落ちた。

首ががっくりと垂れ、ダイの手を握っていたハデスの手から、力が抜けた。

「シエラ!シエラ!」

ダイは力一杯、彼女を揺すぶった。

「君は、シエラだ。

僕の愛した、シエラだ。

君がいなければ、

僕は生きていけない。

生きていけない!」

ダイはそう泣き叫んで、ハデスを抱きしめた。

震える指先で、ハデスの涙を拭う。

そして、冷たくなったハデスの唇に、恐る恐る、口づけた。

ダイにとっては、最初で、最後の恋。

それは、甘く、そして悲しかった。

ダイは呟いた。

「永遠に、君を愛している。」

その時。

ダイは暖かな気配に包まれるのを感じた。

優しく輝く、銀色の光。


ラルフ、ありがとう

あたしはずっと、あなたの側にいる

あたしもずっと、あなたを愛してる

だから生きて

必ず生きて


輝いていたのは、銀色の光だけではなかった。

どこからか、赤と青の光が尾を引いて流れてきたのだ。

暗闇を明るく照らすその光達は、しばらく止まってキラキラと輝いた後、やがてダイに吸い込まれるようにして、消えた。

「?!」

ダイは、しばらく茫然としていたが、やがてすべてを理解したように呟いた。

「ブラッド、ファイト・・。」

ダイは笑った。

生まれて初めて、心から笑った。

今まで離れ離れになっていたかけがえのないものが、ようやく1つになったような気がした。

そして、その瞬間、封じられていた最後の記憶の扉が開かれた。


ジュニア・ハイスクールを首席で卒業したラルフは、在学中に得ることのできた博士号を手に、人目を忍ぶようにしてその行方をくらませた。

行き先は、今はもう使われていない、町外れの研究所。

持ち主は、ラルフのだった。

ラルフの家庭は、両親とラルフの3人暮らしで、他に町外れに住んでいる祖父がいたのだ。

ラルフの両親は2人とも教師で、ラルフは教育熱心な家庭に育った。一人っ子のラルフは、両親から一身に期待を受けて育った。

経済的には、何不自由なく、ラルフの家庭は幸せなはずだった。

しかし、ラルフにとって両親の愛情は重荷に過ぎなかった。ラルフは家の中で、息の詰まるような思いをしていた。ラルフは、親の期待通りに学校で良い成績を修めていたし、家では素直で優しい、文字通りのいい子だった。

そのいい子を演じるのに、ラルフは人知れず苦労をしていたのである。

一人っ子のラルフにとって、悩みを打ち明けることのできる兄弟はもちろんいなかった。

ラルフは生まれつき神経質で、超内向的な子供だったため、学校へ行っても友達ができなかった。

いじめられたことはなかったけれど、ラルフは些細な事に傷つき、常に相手の顔色を見ながら行動するので、同級生達はおろか、教師までもが、ラルフと接するのに疲れていた。そして、自然と離れていった。

いつしかラルフは仮面をかぶったような子供に成長していたのである。

その笑顔もまた、造り物の笑顔であった。


ラルフにとって、唯一の救いは、祖父の存在だった。そう、シエラに出会うまでは。

祖父の前では、ラルフは唯一安心することが出来た。自然に振る舞うことが出来た。

科学者である祖父は、ラルフに色々な知識を教えてくれた。学校の勉強とは随分違う、と、ラルフは子供心に感じていた。祖父の話があまりにも面白いので、ラルフは自然と、科学の知識に詳しくなっていった。

シエラに出会うようになってから、ラルフの足は、次第に研究所から遠のいていった。

学校が終わると、ラルフは飛ぶようにしてシエラの家に向かっていた。

学校は相変わらず楽しくなかったけれど、ラルフはシエラに会う度に、学校の話をいかにも楽しそうに語った。そこには、ラルフの空想も混じっていたけれど、シエラの楽しそうな笑顔を見るだけで、ラルフの心もまた、救われていた。

祖父と、シエラだけが、ラルフの支えだった。

しかし、そんな暮らしも、長くは続かなかった。

ラルフの行動を不審がった両親に、その事が見つかってしまったのだ。

ラルフの両親は、祖父と仲が良くなかった。お互いに別居していたのである。

また、シエラの住んでいる場所は、別名「死神の住む丘」と呼ばれ、一度入ったものは二度と戻ることができないという伝説があった。

世間の目とラルフの成績が落ちることを心配した両親によって、ラルフの行動は監視されるようになった。

何かと自分の行動を監視するようになった両親に、ラルフは日に日に憎しみが募るのを感じた。しかし、不満をぶつける勇気もなくて、ラルフは親の目を盗むように、シエラに会いに行っていた。

憎しみが殺意に変わったのは、両親がラルフをジュニア・ハイスクールに入学させると決めた時だった。

その時も、ラルフは素直に決定に従っただけだった。しかし、入学した時から、彼の怒りは炎のように燃え上がっていたのである。

そう、いずれ精神のバランスを崩すまでに。


ラルフのことを心配した祖父は、実際何度か学校に足を運んで、ラルフに会いに来たのだが、いつも門前払いを食わされていた。また、ラルフの方にしても、祖父に会う意思はなかった。荒んでしまった自分を愛する人達に見せたくなかったから。祖父が会いに来た時も、シエラが会いに来た時も、ラルフはこっそり陰で泣いていたのだった。

それからしばらくして、祖父は亡くなった。

科学の博士号を持ち、数々の研究で名をとどろかせていた祖父は、最期に偉大な研究を遺して、この世を去った。

亡くなる間際、彼はシエラにこう言い残していた。

「あの可哀そうな子を助けてあげておくれ。

あの子を愛してやれるのは、お前さんしかおらん。

それから研究の資料はすべて処分してくれ。

誰かに悪用されたりしたら大変じゃから・・・。」

シエラは老博士に遺言を守ることを約束した。

そして、遺言通り、研究の際に用いた資料や器具をすべて処分し、ハデスを連れて丘へと帰って行った。


ラルフが研究所にやってきたのは、ちょうどその後だった。

2人はすれ違うようにして、お互いの場所へと帰って行ったのだ。

ラルフは、跡形もなくなった研究所の中で、クローン人間開発の研究を始めた。

当初は、自分を実験体にして、医療用のクローンを作ることが目的だった。意志を持たない、臓器提供用のクローン。

これが成功したら、彼はシエラを迎えに行き、彼女の病気を治すことを計画していた。

ところが彼は、度々精神に異常をきたすようになった。

一日中誰とも会話せず、ただ黙々と薄暗い部屋の中で研究に打ち込んでいたつけが回ってきた。

急に笑い出したかと思えば落ち込んだり、暴れ出すかと思えば泣き出したり、彼の行動は、次第に支離滅裂になっていった。

独り言を呟く日も多くなり、彼はまともな思考でいられる時間が日に日に少なくなっていくのを感じていた。

既に手掛けているクローン人間は、三体あった。

そこで彼は決意した。

自分が完全に狂う前に、残っている感情と記憶をクローン人間達に預けることを。

そうすれば、そのうちの誰かが、シエラの事を覚えていて、約束を果たしてくれるのではないか・・・と。

ラルフはクローン達に、自分の「心」と「記憶」を分け与えた。

だから三体のクローン達が揃わない限り、完全な「自分」は戻らない。

その後、ラルフは過去の人々への憎悪に蝕まれ、やがてドクター・キルとなってハルマゲドン計画を実行しようとしていた。

抜け殻となったその身は、もはやシエラの事も、何もかも忘れていた。

ただ、世界を滅ぼすことだけを考えていた。

後の事を、クローン達に託して・・。


ダイはキルの亡骸を、改めて振り返った。

彼はキルに呟いた。

「こんなことをしなくても、君さえ側に居れば、

彼女は喜んだんじゃないのか?」

ダイは憐れむように呟く自分に驚いた。

自分自身が何者なのかが分からず、悩んでいた。

早くこの世から消えたい、それだけを考えていた。

それなのに。

今、ダイの瞳は、力強く輝いている。


この丘を降りて

誰も知らない所へ行こう

そして、新しい人生を始めよう

僕は、僕なのだから


月が、再び雲の間に隠れた。

ダイは、意識がもうろうとするのを感じた。

それでも、ハデスを抱きかかえたまま、ダイはしっかりと大地を踏みしめて立ち上がった。

一歩一歩歩き出す。


僕は生きている

僕は生きている・・・


呪文のように繰り返しながら、ダイは歩き続ける。

その時!

大きな地鳴りと共に、大地が激しく揺れ始めた。

大地に亀裂が入り、木々が次々と倒れる音がする。

あの白い塔が、大きな音を立てて崩れていくのが見えた。

それでも、ダイは歩みを止めなかった。

丘を降りようとするダイの耳に、町の人々の悲鳴や叫び声が飛び込んでくる。

ダイの瞳に、大空から、火の雨が降ってくるのが映った。

1999年、7の月。神の裁きだった。

「ハルマゲドン・・・。」

ダイは呟いた。そして、叫んだ。

「僕は生きている!

生きているんだー!」

その時、大地が大きな口を開けて、2人を飲み込んだ。

2人の姿は、見えなくなった。

大地に、火の雨が降り注いで、すべてのものを焼き尽くす。

カラーン、コローン

どこからともなく、教会の鐘の音が聞こえる。

カラーン、コローン

カラーン、コローン

カラーン、コローン

カラーン、コローン・・・。


































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