第5話 HADESSーハデスー

長い一日が、ようやく終わりを迎えようとしていた。

夜のとばりが辺りを包み込み、白い塔にも、窓から月の光が差し込んでいる。

ダイは疲れ切って、ソファーに座ったまま深い眠りに落ちていた。最愛の人であるシエラに寄り添ったまま・・・。

しかし、共に眠っていたはずのシエラが、突然目を見開いた。

白銀の髪を揺らしながら、静かに立ち上がると、どこへともなく消えた。

しばらくして戻って来た時のシエラは、白いドレスを身に着けていなかった。

黒いドレスに、黒いベールを身にまとい、首には銀の十字架を下げ、手には大きな長い鎌を握っている。

そして、小さく呟く。

「バカな男・・・、今更戻ってくるなんて。」

手にした大鎌を構えると、一歩一歩、静かにダイの方へと近づいていく。

今までの想いが溢れて、彼女の脳裏をよぎっていった。


お願い、ハデス

私が死んでも

あの人を待っていてね

あの人は必ず

約束を守ってくれるから・・・


死の床で、シエラはかつての老博士の最後の作品である、クローン人間、ハデスに呼びかけた。

ハデスと呼ばれた少女は、黙ってシエラの手を握っている。その顔は、シエラにそっくりだった。

ハデスはシエラが好きだった。ハデスが誕生してからというもの、2人は姉妹のように仲が良かった。病魔に侵されていても、シエラは天使のように、ハデスに優しかった。おかげでハデスは、自分がクローン人間であることの負い目を感じなかった。

編み物をしたり、音楽を聴いたり、お料理をしたりしながら、ハデスはシエラの好きなものを片っ端から覚えていった。シエラの笑顔を見ることだけが、ハデスの生きがいだった。

シエラの気分の良い日には、2人で外へ出て、あの丘から夕日を眺めた。幸せな日々が過ぎていく中で、シエラは暇さえあれば、ラルフのことを話していた。

いつか必ず戻ってくる―そう言い続けて5年の歳月が流れたが、ラルフは一向に戻ってこない。それでもシエラの信念は固かった。その夢見るような瞳に、ハデスは嫉妬せずにはいられなかった。

しかし、ハデスが誕生してから数カ月もしないうちに、シエラは死の床に就いてしまった。今にも息絶えようとしているシエラの願いを断るわけにもいかず、ハデスはつい首を縦に振ってしまったのだった。


ありがとう

あなたのことは忘れない

さようなら、大好きなハデス・・・


シエラはそう言い残すと、幸せそうな笑みを浮かべて永遠の眠りに就いた。

「シエラ、シエラ!

あたし、あなたがいなければ

生きていけない。

生きていけない!」

ハデスはそう言ってシエラの体を揺すぶったが、シエラは二度とその目を開こうとしなかった。

残されたハデスは、シエラの亡骸を白い十字架に葬り、シエラの遺言通り、ラルフの帰りを待つことにした。

空っぽな心を抱え、毎日をシエラの墓参りとラルフを待つ事に費やしながら、ハデスは孤独と絶望感に襲われていた。


もしかしたら

あたしはこのまま一人ぼっちなの?

あたしを愛してくれる人は

誰もいない

本当に、誰もいない・・・


孤独と絶望は、いつしか憎しみへと変わった。ハデスはシエラが死んでから5年間、ラルフの帰りを待ち続けたが、ラルフは一向に戻ってくる気配がない。


あたしはあんたじゃない

でもあたしはあんたよ

だから、あたし達を不幸にしたあいつに

いつか必ず復讐するわ・・・


ハデスのラルフに対する憎しみは、日に日に燃え上がった。ハデスは1人で気の遠くなるような時間を過ごした。シエラの墓に行っては恨み言を呟き、家に帰って来ては、部屋の物を手当たり次第に投げつけた。

おかげで、部屋の中には、白いソファーしかなくなってしまった。

その白いソファーの上で、ハデスは泣きながら眠るという日々を送っていた。


いっそのこと、死んでしまおうか


ハデスの脳裏にそんな考えがよぎる。しかし、もう一方では、自分はシエラなのだという想いが彼女を支えていた。


あたしは誰?

あたしは誰?


そのうちに、ハデスは昼間は白いドレスを身にまとってシエラを演じ、夜の間だけ本来の姿に戻る、という二重生活を送るようになった。

ハデスは役割を完璧に演じた。いつからか、どちらが本当の自分なのか分からなくなっていた。

そして、いつの間にか、ラルフに対する想いも、2つに分離してしまった。

昼間はラルフを慕い、愛するシエラとしての自分。夜になると、ラルフを憎んで復讐を誓う、ハデスとしての自分に・・・。


月の光に、怪しくハデスの瞳が輝いた。

「今こそ、長年の恨みを晴らす時!」

そう言って、ハデスがダイに向かって一気に鎌を振り下ろそうとした、まさに、その時。

窓ガラスを破って、1発の銃弾が、ハデスの手から鎌を奪ったのだった。

「誰?!」

ハデスが怒りに燃えた瞳で窓ガラスを振り返ると、夜の闇に紛れて、1人の男が佇んでいる気配が感じられた。

銃声の音に気付いて、ダイが目を覚ました。

「危ない!!」

ダイがそう言ってハデスに飛びつくのと、2発目の銃声の音が響くのとが、ほとんど同時だった。

気が付いた時、ハデスはダイに固く抱きしめられていた。

「ラルフ! あなた・・・!」

ダイの腕から血が流れているのに気づいて、ハデスが叫んだ。

ダイはシエラを見つめると、

「シエラ・・・無事で良かった・・・。」

と言って、か弱く微笑んだ。

ダイの漆黒の瞳が哀し気に揺れた。

そしてこう呟いた。

「恐らく、銃を撃ったのは、ドクター・キルだ。

奴の目的は、間違いなく僕だ。

君を巻き込むわけにはいかないから、僕はすぐに出ていく。

さよなら、シエラ。

最後に君に会えてよかった・・・。」

そう言って、外に飛び出そうとするダイの腕を、ハデスはとっさに掴んだ。

「待って、ラルフ。

ドクター・キルって何者なの?

どうしてあなたが狙われているの?」

そう言いながら、ハデスは黒いベールを引き裂いて、ダイの腕に巻き付け、止血した。

ダイはハデスを抱きしめると、涙を流しながら呟いた。


すまない、シエラ

僕は君を騙していたんだ

僕は、本当はラルフではなくて

ドクター・キルに造られた、クローン人間、ダイ

君のラルフは、窓の外にいるあの男だ

僕は彼を裏切って、君に会うためにここへやって来た

そして、君のラルフになり切っていたんだ

だけどやはり僕はクローン人間で、君の待っていたラルフではない

僕はもともとこの世に存在するべきじゃなかったから、

彼に消されて当然なんだ

少しの間だったけど、幸せだった

シエラ、ありがとう

そして、心から、愛している


そう言い残すと、ダイは塔の外へと出て行った。

黒衣のハデスは、目の前が真っ暗になるのを感じた。

頭の中がぐるぐる回って、2人の自分が言い争ってるのが聞こえた。


だめよ、ラルフ! 行ってはいけない

何言ってるの! あいつはあたしを不幸にした男

あんたが死んでからの5年間、あたしは1人ぼっちで待っていた

その間の孤独と絶望、あんたに分かってたまるもんですか

あの人はラルフじゃない

あの人はラルフよ

死んだあんたの代わりに、あたしがあいつに復讐するのよ

あなたはあたしじゃない

あたしはあんたよ

あたしはシエラ

あたしはハデス


「そう、あたしはハデス!」

黒衣の女性はそう叫んだが、銀色の瞳から流れる涙を止めることができなかった。


あたしは誰?

あたしは誰?


「ラルフ! 行ってはだめ!」

ハデスは泣きながら大きな鎌を持って、ダイの後を追いかけたのだった・・・。










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