第24話 人生の隣人


 食堂の長男だったカシムは「質より量」を合言葉に、大鍋を振るった。大皿が五つほど並ぶ。あとは各自ご自由によそって食べてください、と言いたげに、木製のテーブルに置いた。


「朝食で見る量ではないですね……」


 スプーンと小皿を手にしたトマスが困り顔だ。小皿にはしっかりと自分の食事を確保してある。はじめにカシムが「先にとっておかないとどこかの誰かが平らげてしまいそうですからね」と忠告し、トマスの分を取り分けてあったからだ。

 カシムの前にはクッキーと一杯の紅茶のみ。これがいつもの朝食とのこと。クローヴィスからしたら信じがたい話である。


「騎士殿、食べ方が汚い。昨日まではちゃんとスプーンとフォークも使えていたし、変に猫背にもなっていなかったですよ」

「そうか?」


 男は口元から溢れた肉汁を手の甲で拭う。


「自覚がなさそうだから言っておきますケド、騎士殿は主の連行でけっこうこたえていらっしゃいますね」

「……そうか?」

「気づいていなかったんですね。いろいろとおかしくなっていますよ、あなた。だれが見たってそう思います」

「へえ」


 クローヴィス、ばくばく食べる。底なしの胃袋だ。

 トマスがちまちまと料理を切り分けて口に運ぶ。会話が一段落したところで、「これからどうしたらいいんでしょう」とぽつりと呟いた。


「俺たち、謹慎です。見張りこそいないものの、僕たちが外に出れば近衛兵が飛んでくるんじゃないでしょうか……」

「どうにもなりませんよ、トマス様。俺たちは処分を待つ身です。状況に応じて流されていきましょう。命までは取られませんよ。たぶん」


 紅茶のカップをソーサーに戻したカシムが机に肘を乗せる。


「雲の上の方たちからすれば、俺たちの命は蟻よりちいさいミジンコです。けれど、ミジンコも使い潰せるぐらいに役立つことぐらい、彼らも知っているんでしょうね。時々、腹立たしく思いますが、どうにもならない事実です」

「ミジンコ……ですか?」


 綺麗な水しか飲んだことのない生粋のお坊ちゃんは、戸惑ったように聞き返す。


「トマス様は貴族の出なので、芋虫ぐらいの大きさはあると思いますよ」

「それもなかなかひどいと思うぞ」

「失礼。うっかりと毒舌が。まあ、俺たちは風が吹けば吹き飛ぶほどの存在ですが、あの皇女殿下はまったく違います。あの方は生まれからして、まともな生き方ができません。俺たちがミジンコや芋虫だとすれば、皇女殿下は『毒薬』です。生き物とすら認識されず、かといって誰も見ないふりをできないほど、確かにある」

「ふうん」


 クローヴィス、早くも思考するのに疲れてきた。見た目にはちゃらちゃらしていたカシムから、官吏グスタフと同じ匂いがしてきた。

 そういえば、グスタフとはしばらく会っていない気がする。あれはあれで神経が細かそうだから職場でも上司にキイキイ騒ぎながら仕事しているのだろうか。それはそれで見てみたい。


「なぜリュドミラが捕まえられなければならないんだろうなあ。行動範囲も狭いし、あの性格でどうして人を毒殺したと思われるのかちっともわからん。ふつうに無理だろ」

「みんなそう思いますよ。ふつうなら」


 引っかかるような言い方をするカシム。


「皇女殿下の実母はスベリティア最後の皇帝ですよ? 宮殿にガー皇国の軍勢が攻め込んだ最中にも、力の限り戦い続け、最期は皇国への呪いの言葉を吐きながら自らの胸に短刀を突き刺したとか。壮絶すぎるでしょ。スベリティア神国は今もって謎に包まれた神秘の国ですから、『呪い』も娘に引き継がれたと考える人も少なからずいるんですよ」

「血筋や身分、肩書で、そういった判断がされることはありますよね。僕にも多少なりとも覚えがあります。父上が軍部にいたからって僕も武に長けているだろうって。そんなことはないのに」


 トマスが同意する。


「それはいいんですよ。親の七光りはせいぜい有効活用すればいいんです。俺、周囲から食堂の長男だと知れたばっかりに周囲から見下されました。でも馬鹿にするやつほど俺より何にもできない。でも出世するのは彼らの方。やってられません」


 カシムは笑って肩を竦める。

 するとここでトマスが思い切ったように顔を上げ、決定的な質問をする。


「騎士殿は……クローヴィスは皇女様を助けたいと思いませんか?」


 カシムの無言の視線も受け、クローヴィスは口の中の料理を胃に流し込んだ。


「俺は、皇女殿下に雇われた傭兵だ。すべては雇い主の気持ちに従う」


 彼は想起する。少女が兵士たちに拘束され塔を下ろされた時。最後にクローヴィスに向けた琥珀色の眼差しは、力を失っていなかった。「生きたい」と、「負けない」と。そう語っていたのだ。


「食事を終えたらリュドミラを助けに行こうと思っている。前に立つやつらは全員叩きのめす自信がある。リュドミラが望むなら一緒に世界を旅して暮らしてもいい」


 対面の二人が、ぽかんと口を開けていた。お約束のようにカシムの胸ポケットのバラがぽろりと机に落ちる。


「駆け落ち……まるで駆け落ちだぁ……」

「おいおいおいおい。待て。ちょっと現実を見ようぜ!」

「俺ならできる」

「子供のように意地を張らないでくださいよ、もう! あー、もうびっくりした。心臓が飛び出るかと思った!」


 トマスは夢見る少女のように頬を赤く染めたまま。安心していい、君のことじゃない。


「皇女殿下を助けたいのはわかりましたケド、もっと実現可能な方策を練りましょう。その案に乗ったら、もれなくみんな首ちょんぱですからね」

「方策とは何をするんだ?」

「それを考えるために作戦会議をするんです。さしあたって、考えをまとめるために紙とペンが欲しいですね」

「あ。僕取ってきます」


 現実に戻ったトマスがぱたぱたと食堂を出ていく。

 カシムはさらに何事かを逡巡しているようだった。


「俺、こうなったからにはズバッと言いますケド、実は警備隊長からのスパイもどきだったんですよね」

「へえ」

「うっすい『へえ』ですね。紙一枚も吹き飛びそうにない驚きですね。けっこう勇気が要ったのに」

「スパイが自分をスパイだと告白するのは自殺行為だろ」


 クローヴィスが戦場で見てきたスパイはみな、すべからくそうだったように。スパイだと知れた途端に、価値は無になる。

 だがカシムは清々しく笑った。


「あなたと話しているうちに気付きました。俺はやっぱり策謀に荷担する役回りには向いていないんです。ちょっと関わっただけの人生の隣人に肩入れしてしまうぐらいだから。どうせ命を懸けるなら、嘘がつけない方がいい」

「ふうん」


 その「人生の隣人」が自分のこととは露ほども思わない男は「おまえも俺の仲間だったか」とにやっと笑い返した。

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