第25話 勧誘しよう


 紙とペンを持ってくるはずだったトマス。食堂への戻りは遅かった。木の扉を押し開いて、「おまたせしました」と達成感いっぱいの笑みを浮かべて入ってきた。


「……おう」


 カシムはトマスのうしろから入ってきた人物に声が低くなる。

 ヤコブがいる。仏頂面でいかにも機嫌が悪そうに、空いていたクローヴィスの隣席で足を組む。

 周囲を見下す様子は相変わらずであるが、彼がここにいること自体が、カシムには理解しがたい。


「廊下でばったり会ったんです。同じ護衛隊なのに仲間外れにしてはかわいそうだと思って」


 トマスは興奮して、身振り手振りも大げさに説明する。おおかた、気を遣っておそるおそる提案したのだろうが、思いのほか相手のノリが良かったものだからうれしかったのだろう。実にわかりやすい。

 それにしても「仲間外れにしたらかわいそう」って……。カシムは口元を押さえて笑いをこらえる。そんなタマかよ。

 さらにデリカシーに欠けたクローヴィスが追い打ちをかける。


「なんだ、おまえも仲間か。いいぞ、歓迎だ」

「……仲間ではない。だが、主人の危機を見て見ぬふりをするのは武人としての義理に反する。俺が宝玉騎士になれないしな」

「十分だ」


 クローヴィスはヤコブの肩を叩く。ヤコブはそれを必死に我慢しているようだった。

 こうして、クローヴィス、カシム、トマス、ヤコブによる作戦会議が始まった。とりまとめはカシムである。


「この面子(メンツ)ではそれなりに人生経験豊富で社交性のある俺しか話を進められませんよねえ……」

「任せた」


 クローヴィスは我が道を行くタイプ、トマスは若い上に成長途中、ヤコブは他人を尊重しない。人妻好きでスパイもどきでも、カシムが適任であった。

 書記は素直なトマスになった。


「まずは整理しましょう。俺たちの最終目標はどこでしょうか」

「リュドミラを助けることだ」

「そうですね。その皇女殿下は今、侍女の殺人事件の犯人の疑いがかかっています。殿下を助けるには、その濡れ衣を晴らすこと。それが前提になりますよ。……間違ってもここで『さらう』という選択肢を出してはいけませんよ。それは最終手段です」

「うん」


 先ほども言われたことなので、クローヴィスも納得した。


「我々もおとなしい皇女殿下が人を殺すとは思いませんから、協力できることは協力します。と、いうより殿下側の人間と思われている以上、そうしなくては我々の立場も危ういです。現に、謹慎処分を食らっていますからね。皇宮の外には出られません」

「ふうん。まあ、そうなるだろうな。それで、俺たちに必要なものはなんだ?」

「待ってください。事はそう単純ではないです。なぜ、皇女殿下が疑われることになったのか――。我々にはその情報が欠けています」


 どういうこと? 紙から顔を上げたトマスが首を傾げる。


「ザーリー卿が疑ったからではないのですか?」

「ザーリー卿が疑うにも、それらしい証拠をでっちあげなければならないんですよ。不自然にならない程度には。まあ、ザーリー卿の動向も気になりますがね。でも我々はその証拠が何かさえ掴んでいない」


 カシムは教師のように人差し指をぴんと立てた。


「我々の世界はほとんどこの東塔周りで完結しています。だからこそ、今回のように圧倒的に情報が足りません。そして、事を起こすには仲間が必要です。そして我々に特に足りないのは、知略に長けた仲間です。残念ながら、この中には皇宮での謀略、陰謀に対処できる人材が不足しています。これは肉体労働を中心とする武官、軍人の専門外ですし、対処するのは財政や政治といった幅広い分野も含みます。これをカバーするのは基本軍人である我々では無理です」

「外から人を引っ張ってこないといけないわけだな。わかった」


 がたっ。騎士は椅子を引いて立ち上がった。


「グスタフに声をかけてみる」

「グ、グスタフ? だれですかそれ」

「友人だ」


 答えはそれだけで十分。クローヴィスは時間が惜しかった。

 貴人の牢とはいえ、悪い環境であるのは間違いない。少女の不自由な足の具合も悪化してしまうかもしれない。

 大蔵省の官吏だと言っていた。金を扱うやつは頭のいいやつと相場が決まっている。



 大蔵省。国の財布を握り、大蔵卿のザーリー卿の根城ともいえるこの場所は、皇宮内に広がる官庁舎の中でもっとも威厳と品性を兼ね備えた建物が立っている。

 働いている人々も、いわゆる生え抜きのエリートたちが多い。彼らは国中、あるいは周辺国から集った秀才と天才たちだ。……そう、見た目だけは。

 大蔵省内。採光のための窓一つあるだけの小部屋。床から天井にかけて書類が積みあがっている。そこにある机に向かって黙々と書類を読んでいたグスタフは、ずり落ちた眼鏡を戻し、書類を眺めつ眇めつした後、名前を署名し、自分のハンコをぼん、と押印した。


「この書類には不正なし、通してもよし。作成者は……ああ、この人か。この内容には手を出さないだろうな。次は……だめ。通したくない。ハンコ押すのはよそう。まあ、代わりに誰か勝手に承認するだろうけれど。だいたい、みんな見て見ぬふりだしなあ……。ちっ、上司の字が汚い。書式もまた適当だ、また直せってか」


 集中力の切れた彼は立ち上がって伸びをした。後方扉の書類はまた積みあがっている。また誰かが勝手に押し付けてきたに違いない。自分の案件ではないものまでやってくるのだ。だいたい、コネで大蔵省に入ってきたやつらが対処できず、グスタフが処理したものを自分の手柄にすることも多い。

 損な役回りだ。故郷から一旗揚げようと上京してきたのに、肝心の皇宮がこうも腐っているとは入った当初はまったく思わなかった。

おかしいことをおかしいと指摘しただけで、大部屋から埃だらけの小部屋に席が移動するし。

 グスタフは見つけた不正を、手元の黒革の手帳に書きつけた。頭の中で金額を暗算する。ザーリー卿に流れた金額は今日もすごかった。


「あの調子だと、いつかクーデターでも起こしそう。そうなったら田舎に戻って読み書きの先生でもするかあ。時期を見たら退職金もらって辞めた方が幸せそうだね」


 腐ったやつらの中にいると、自分まで灰色に染まっていくような気がする。

 世の中は、書類と決裁で回っている。紙には国の足跡がそのまま残る。ガー皇国はすでに肥大しきり、腐り落ちる寸前の果実であるかもしれなかった。


「こう、上手くやめたいなあ。あとくされなく、お金をしっかりもらえるように。……うーん。上司を動かしてみるか」


 物騒なことを口にし、不正の書類を指で弾く。

 その拍子に、別の書類が目に入った。これには見覚えがない。


「『財政状況の悪化とその対策』……。ふうん」


 起案者の名はなかったが、内容はすこぶる的確で具体的なものだった。なにより、不正を摘発しようとするその姿勢がいい。

 誰が書いたのか気になるが、グスタフの知らない筆跡だ。女の筆跡のようにも思える。だがガー皇国に女性官吏は存在しない。

 たまにこういうことがある。書類の山の中に、磨く前の頭脳の原石の欠片が落っこちている。探してもまだ人物を特定できていないので、ちょっとした怪奇現象に近いのかもしれない。

 彼は暇つぶしに、赤いインクで書類の添削をし、適当に放り投げた。そのうち、またどこかへ消えていくだろう。

 ふと、窓へ視線を上げると。

 両開きの窓から、ぬっと顔が。


「ぎゃあっ!」

「おっと!」


 頭からひっくり返ろうとしたところを、頑丈な腕が支えた。

 黒髪と、太い眉。最近ご無沙汰していた変な騎士だ。

 だが、なぜ窓から。ここは三階なのに。


「なんたって、こんなところにいるのですか! 壁を伝ってきたのですか、馬鹿ですよ!」

「驚かし甲斐のあるやつだなあ。みんなからいじられるだろ」


 男は窓の桟(さん)を蹴って、床に飛び降りた。グスタフはそっと下を覗いてみる。間違ってもよじ登ろうとは思わない。


「あいにく、仕事場は独りのものですから。それにここではいじられるよりも、いじめられる、の方が正しいですよ。同僚同士の友情はカンカン日照りの砂漠と同じです」

「ふうん。さびしくないか?」

「思う間もなく、日々、仕事に埋もれていますよ」

「へえ」


 クローヴィスは「そうだ」と言った。何の脈絡もない「そうだ」。嫌な予感がする。


「友のよしみでちょっと手伝ってくれないか?」

「何を?」

「リュドミラの救出」

「それは『ちょっと』のレベルではありません。いやです」


 彼から発せられたのは、早々の拒絶だった。

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