第15話 決闘の風景

 塔の下の草原に、立派なしつらえの籐椅子が一つ。黄昏の光で長く影が伸びている。

 そこに精巧な人形が腰かける。結われた長い三つ編みは銀色、瞳は琥珀色。ぱちりぱちりと瞬きをする。

 リュドミラ皇女。未完成のずば抜けた美貌は、一瞬ごとに新鮮な驚きをもたらしていた。

 きれいだな。トマスは口を茹でた二枚貝のようにぱっくり開ける。ここしばらくの間、とめどなく悲鳴を上げ続けている筋肉とお友達になっていたトマスは目の前の美の化身に陶酔する。

 彼は貴族出身だ。美意識は一般人よりはるかに高い。美術品をこよなく愛する繊細な彼が、荒々しい武芸から美を見出すのはまだまだ先のことだ。基礎すらできていない彼の現在はひたすら泥臭くて汗まみれだ。ああ早く風呂に入りたい。

 芝生にへたりこんでいる横に見知った人影が立った。


「妙なことになりましたねえ。ま、いずれこんなことになるんじゃないかって思ってましたケド」

「……カシム。僕はもう疲れたよ。なんでこうなっちゃうんだろう」

「そういえば宝玉騎士殿とヤコブとの仲を取り持とうとしていましたね。ヤコブに訓練に参加しようと誘いをかけてみたり、隣に座って食事をとってみたり……涙ぐましい努力でした」

「……馬鹿にしてるだろ」


 上目遣いになるトマスに、カシムは肩を竦めて腰を下ろした。


「あいつは完全に邪険に扱っていましたねえ。しかしそれも仕方ない。あなたとヤコブでは同じ貴族でも価値観がまったく違う。ヤコブという人間は人を格付けせずにはいられないんですよ。イヌと同じです。周囲の人間を完全にランク付けする。たとえば、家柄、血筋、才能、武力といったことが自分より勝っているか、劣っているか。

 自分より上に位置付けた者には完全服従です、あいつは心の底から納得して従う。けれど、下にランク付けされた俺やトマス様は、いくら軽んじても構わない。あいつはそういうやつです。なによりも自分の価値観を優先する。だからあいつは警備隊でもさんざん浮いてきた。警備隊の上層部には、彼の価値観で劣っているとされた方も多かったから。そりゃあ、こんなところに左遷されるわけだ」


 左遷、という言葉にトマスは悲しくなった。同じように皇女殿下に仕えることになった二人のことも軽んじられているように感じた。


「僕はそうは思わないよ。警備隊と言ってもさ、みんなはじめからの力自慢ばっかりで一人だけひょろひょろしていて、いかにも弱そうな僕に一から強くしてやろうとか、面倒をみてやろうとしてくれる人はどこにもいなかったから。僕が貴族の息子だから何かあっては自分たちに火の粉がかかると思っていたんだよ。

 でもあの人は違うんだ。あの人にとっては、僕もカシムも、ヤコブもみんなおんなじなんだよ。それがすごく心地いいんだ。だから僕はあの人が好きだ」

「……わお。情熱的な告白を聞いたぜ」


 カシムが口笛を鳴らしてからかうと、「僕は大真面目に話しているのに!」と顔を赤らめつつ憤慨するトマス。


「とにかく! 僕はここに来たことに満足しているってことだよ」

「よかったですねえ。ヤコブと違って素直なのはいいことですよ。若いうちにいろいろと吸収しておくことです。それが将来のあなたを強くしますよ」


 トマスは目を丸くした。彼は同じ任につくまでカシムという人間はたまに顔を見かけ、不埒な噂でまみれている。その程度の認識だった。

 カシムのような人物からしたら自分はどんなにつまらない坊ちゃんのように思われているに違いないのに、意外にも自分に優しい。その形はクローヴィスのフラットな優しさとはベクトルが違うが、トマスには居心地がいいのだ。


「……ヤコブは、どうするんだろうね」

「もちろん戦うんじゃないですか。あいつはあいつで納得するまで。少しは丸くなればいいんですがね。こっちがやりにくいったらありゃしない」


 目線の先で籐椅子に座った皇女と宝玉騎士が蝋板を間にして、言葉にならない言葉で会話をしている。お互いの一挙手一投足を見逃さない親密な様子だ。

 リュドミラ皇女。トマスが仕える相手だが、実はよくわかっていない。恐ろしく美しく、恐ろしいほどの気高さを醸し出している。一度ぐらい自分に労いの言葉をかけてくれてくれないかなとほのかな憧れを抱いていた。

 宝玉騎士はふと皇女から顔をそらし、トマスたちの方をはっとするほど鋭い目で見た。

 それはいつも飄々としている印象の彼には珍しいもので、トマスはどぎまぎしてしまう。


「そこをのけ。邪魔だ」


 後ろから声がかかる。背後にいたのはすらりと背の高いヤコブだった。腰に剣を帯び、前方の宝玉騎士を睥睨する。

 トマスが慌てて飛びのいた場所を通って、ヤコブは前に出た。

 彼は真っ青な警備隊の正装を纏っていた。肩から流れ落ちる金モール。胸にはおびただしい量の勲章。

 そういえば聞いたことがある。ヤコブは一時期、軍の花形である近衛隊に所属していたのだと。

 芝生の中央で、二人は剣を構えた。ヤコブはしなりの効く細身の剣を、宝玉騎士は人を分割できそうなほどの大剣を。

 ヤコブは堂々と声を張る。


「もしもこの決闘に勝ったなら、私が宝玉騎士となろう」


 これに宝玉騎士も応えた。


「もしもこの決闘に勝ったなら……」


 勝ったなら。そこでクローヴィスはなぜか首を傾げる。

 言いかけたところで、その先を何も考えていなかった、と言いたげだ。


「よし! 勝ったなら、訓練に出てもらおう」


 隣のカシムは腹を抱えて笑った。


「思ったとおりだ! あの人、変なところで抜けているぞ!」


 するとヤコブの冷ややかな目がトマスたちに注がれた。そっと目をそらして膝を抱えるトマス。

 カシムは笑うのをやめた。

 一陣の風が吹く。

 人の寄り付かない東の塔の下。それぞれの剣を構える男たち。籐椅子から静かに見守る皇女。

 まるで一枚の絵画のようにすべてが静止したと思った瞬間に、金属の鋭い輝きがトマスの目を射た。

 素人には目にも止まらぬ斬撃が、両者から繰り出された。

 ヤコブは細身の剣でしなやかに。

 宝玉騎士は大剣を大きく振りかぶる。何合にも戦いは続く。両者の立ち位置はくるくる回り、トマスにはどちらが優勢かもわからない。

 胡坐の姿勢で肘をつくカシムが「おぉ、あいつ、前より強くなってる」と呟いた。

 心情は師匠に傾くトマスははらはらする。


「勝てるかな……」


 祈りたくなってきた。もちろんトマスは師匠の勝利を信じているけれど。

 両手を組みつつ、涙目で彼らの戦いに集中する。

 すると、変化が現れたのがわかった。

 クローヴィスがにい、と口角を上げる。対して、ヤコブが疲れたように息を吐く。

 銀色の光が黄昏の宙に舞う。それは回転して芝生の上に転がって動きを止めた。

 細身の剣だった。

 ヤコブは苛立たしげに汗で張り付いた前髪を掻き揚げる。

 その首に、大剣の先が突き付けられた。


「これで決闘の勝敗は決まったな?」


 長い沈黙ののち、「ふん」と男は鼻で笑う。

 しかしクローヴィスはいつもの調子で、


「俺の訓練に出ていたらいつか勝てるかもしれないぞ」

「……が。気休めを言うな」

「可能性はある。お前はそれで諦めるのを良しとするのか?」


 ヤコブは舌打ちして背中を向けて去る。それをトマス、カシム、クローヴィス、皇女の四人が見送ったのだが、姿が見えなくなると宝玉騎士は皇女の元に歩み寄る。そして何事か声をかけているようだった。


「……どうなるんでしょう?」

「俺が思うにたぶん、続きますね」

「続く?」

「決闘という名の個人訓練の申し込みが」


 カシムの予言は当たった。ヤコブはそれから毎日のようにクローヴィスに決闘を申し込み、毎度のごとく敗れることになる。

 夕方は、決闘の時間。その認識もあながち間違いではなくなってくる未来をトマスはまだ知らない。



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