第14話 一発屋、一杯食わされる

 数週間ぶりに花咲の家を訪れた僕はインターホンを押した。


 しかし、待っても反応はない。


 二度、三度と押して四回目を押しかけたとき、家の中で物音がした。


「花咲! いるのか!? 無事なのか?」


 僕の呼びかけに答えるように鍵が開錠される音がして、ゆっくりとドアが開かれる。


「…………草壁くん。君か」


 ぼさぼさの髪によれよれの白衣を纏った花咲が姿を現した。


 ぼんやりとした目で僕を見つめかえす。どうも寝起きだったようだ。


「…………うう。なんだかどうも頭がすっきりしない」

「だ、大丈夫か? 三日も休んでいたから、何かあったのかと」

「三日だって? 嘘だろう? 今日は何曜日だ?」

「……水曜日だ」

「水曜日? 変だな、確かに一日は休むつもりだったが」

「それよりも見てほしいものがある。とりあえず部屋に入れてくれ」

「……わかった」


 彼女は僕を招き入れると、リビングルームまで案内して「五分待ってくれ」と告げた。


 その後、花咲はいったん自室に戻って着替えると、コーヒーを二人分用意してリビングルームに戻ってくる。


 ソファーに座ってカップの中身をすすってから、ふうとため息をついた。


「それで? 見せたいものというのは」


 僕は先ほど見つけたネットニュースの記事を携帯電話に表示して彼女に見せた。


「花咲が開発した量子通信グラスをこの前、家に来ていた茂手木が、いや宿木が開発したことにして商品化していたんだ。いったいどういう事なんだ?」


 花咲は食い入るように携帯電話の画面を凝視した後、「まさか」と眉をひそめて立ちあがった。


「花咲?」


 部屋を出て言った彼女はそのまま地下の研究室に駆け込んでいく。


「おい、花咲。いったい何が」


 僕も彼女の後を追って研究室に入り、そして絶句した。


 研究室の真ん中に鎮座していたはずの黒い大きな電子機械が、量子コンピュータが影も形もなくなっていたのだ。


「どういうことだ?」


 愕然とした表情で花咲はその場にへたり込んだ。






 僕は呆然自失状態になってしまった彼女をどうにかリビングルームまで連れ戻した。


「……なあ。花咲。辛いのかもしれないが、教えてくれ。あの宿木高志と今までどんな話をして、何があったのか」


 確か、あの男は大学生ではあったが製薬会社に内定が決まっていると言っていた。ということは薬学系の学部生なのかと思っていた。しかしネットニュースの話ではどうも電子情報関係の学部生のようだ。


 一体どういう事なのか。


 なぜこんな事態になったのか。


 経緯をはっきりさせる必要がある。


「そうだな。最初、確かにあいつは父の会社の名を出して内定が決まっているのだと名乗った。親が会社の関係者だと言っていたな。実際、父は会社の研究機関の内部職員だった。普通の部外者であれば父がその製薬会社に所属していたことすらわからないはずなんだ。だから私も会社の関係者なのは間違いないんだろうと思って、信じてしまった」

「そうだったのか」


 花咲にとって亡くなった父親は唯一、大事に思い尊敬している人間のはずだ。その父親のことを引き合いに出され、製薬関係の研究についての展望を語られて心を許したということなのだろうか。


「最初は、抗がん剤の副作用で免疫力が落ちるのを何とかできないか、とかそういう話だった。そういう事なら、私の量子コンピュータを使用して免疫力を一時的に上げる化学物質を計算させることができるんじゃないか、と答えて一度研究室の中を見せたんだ」

「その時、使い方も説明したのか」

「ああ。試しに自分の卒業研究にも応用したいというのでな。演算結果を通信で表示できる外部デバイスを渡した」


 花咲は自分の行為を悔いるように苦々しい顔でうつむいた。


「情けない話だが、次に会いに来た時には彼に強い好感を抱いていて、量子通信グラスや未来予測装置も嬉々として紹介してしまった」

「それから?」

「……つい先日、また会いに来たので、また研究のことで相談があるのかと彼と話していたのだが、話の途中で急に眠くなって」

「気が付いたらまるまる二日も眠っていたわけか」

「ああ、何かの隙に睡眠薬を飲まされたんだろうな。その間に量子コンピュータも関連する発明品のいくつかも持っていかれていたということだ」


 花咲は顔面蒼白でうなだれていた。


 無理もないだろう。信用した相手に裏切られ、大事なものを盗まれたのだ。


 だが、一つ確認しなくてはならない。僕は言葉を選んで慎重に彼女に声をかける。


「なあ、花咲。さっき最初に会った時に製薬をするときの量子コンピュータの使い方を教えた、といったけどその時に何か話さなかったか?」

「何か、とは?」

「……つまり、『こんなものが作れる』というデモンストレーション的なことだよ」

「そういえば、クラスメイトのために惚れ薬を調合したことを話したな」

「それだ」

「え?」


 僕が宿木高志と会った時、あいつは香水が入った瓶をカバンに入れていた。あれはつまり……。


「あいつが花咲から受け取った外部デバイスで作ったのは抗がん剤の副作用を抑える薬じゃあない。花咲を手懐てなずけるめのフェロモン香水だ」

「何だって?」


 彼女は一瞬、目を見開いて驚愕したが、すぐに納得したように頷いた。


「そうか。だから二回目に会った時に私は彼のことを信頼して、あれこれ話してしまったのか。……私が席を外したすきにゴミ箱なりなんなりから体毛でも入手したのかもしれない。そこから遺伝子を解析して私専用のフェロモン香水を調合したのだな」

「ああ」


 恋愛に幸せを見出すことができない、と言っていた彼女が宿木にあんな様子をみせたことをおかしいとは思っていた。だが、まさか彼女の開発した薬を彼女自身が使われるとは。


「しかし、解らないのはあいつが花咲の発明品を最初から知っていて接触したとしか思えないことだな。……花咲の父親のこともそうだが、一体どこであいつは量子コンピュータのことを知ったんだ?」

「それに関しては実は想像がついているんだ。あいつの本名を、『宿木』という苗字を聞いた時点でね」

「どういう事だよ?」


 含みのある物言いをする彼女を僕は問いただした。


「私の母が昔、父と私を捨てて出て行った話はしたな。その母が再婚した相手の名字が確か、宿木だと聞いている。……そして、風の噂ではその後再婚相手との間に子供ができたという話だ」

「じゃあ、あいつは花咲の『異父弟』なのか? いやでもあいつは大学生だと名乗ったぞ。経歴詐称かな」


 花咲の弟なら高校生以下でなければおかしいではないか。


 彼女は僕の疑問に手元の携帯端末をいじりながら答える。


「あいつが私に語った身の上はほとんど嘘なんだろうな。だが、大学生というのは本当みたいだ。……ここを見ろ。例のマスコミインタビューの所の人物紹介欄に『海外に留学して飛び級で大学に入学』とあるな」

「……なるほど」


 花咲とは分野は違うが、頭脳が優秀な人間なのは確かなようだ。


「……確か父が亡くなった後だったか、一度だけ母親が訪ねてきたことがあった。『一人で生きていくのは大変だろうから、自分と一緒に暮らさないか』とな。父から相続した遺産とパテントが目当てなのは明白だった」


 彼女は思い出すのも吐き気がするとでもいうように眉をひそめた。


「誠実な父を裏切るような人間の世話になるのは御免だと思ったし、何よりその時すでに私は父の勤務していた製薬会社に量子コンピュータで新薬の開発に協力することで収入を得るのに成功していた。だから『あなたの世話にならなくとも一人で十分生きていける』と突っぱねたんだ」

「……花咲」

「きっと父を亡くして心細い気持ちの娘が自分を頼りにするに違いない、と思い込んでいたんだろうな。財産も自分で管理するつもりだったのが当てが外れたといった様子でな。顔を真っ赤にして目を白黒させていた」


 花咲はフンと鼻を鳴らして肩をすくめた。……が、すぐに悔やむように苦々しく顔を歪める。


「しかし、その時につい私の発明について話してしまったのは失敗だった。当時の私は中学生だったからな。怨恨のある相手がすり寄ってきたものだから、自分の能力を必要以上に誇示するような真似をしてしまったんだよ」

「つまりこういう事か。花咲の母は、数年前に花咲が量子コンピュータを開発し実際に製薬開発に役立てていたことを聞いていた。そしてその事を母親から伝え聞いた宿木高志はそれを何とか自分のものにしようと偽名を名乗って近づき、フェロモン香水を使って信用を得て発明品を奪っていった、と」

「そういう事になるな」


 彼女は肩を落としてソファーにもたれかかった。


 やはり落胆は大きいらしい。


「何とか手は打てないのか? 警察に被害届を出すとか」

「それをするには相手が確実に私の物を盗んだという決定的な証拠が必要になる。だが、監視カメラも警備装置も止められた状態になっていた」

「どうして……」

「宿木が私の家を訪れた時に、研究室の端末を触る機会はいくらでもあった。おそらくウイルスかマルウェアか何かを仕込んでセキュリティ情報を抜いたんだろう」

「他に対策はないのか? 例えば、もう一台量子コンピュータを作ってハッキングをかけて盗んだ証拠を探すとか」

「あれ一台を作るのにも、それなりの時間と数億もの金がかかる。まあ、金はどうにかなるかもしれないが、時間はどうしようもない。一度作ったものとはいえ、もう一度組み上げるには数か月はかかる。その間にあいつが量子コンピュータを解析してコピーしてしまう可能性が高い」

「そんな、……ちくしょう!」


 本来は彼女の受難は僕にとって他人事に過ぎないはずだった。


 少なくとも数か月前までの僕なら、他人に関心の薄かったころの僕なら、自分以外の人間がどんな目にあっても心を動かすことはなかっただろう。


 だがこの時の僕は人生で出会った中でどんな人間よりも突き抜けた傑物と評価していた彼女が、あんな卑劣なやり方でしてやられてしまうのが見るに堪えなかった。なんとかしてやりたい、と心から思っていたし、平気で他人の功績を掠め取る宿木高志という人間に激しい怒りを覚えていたのだ。


 だが当の本人、つまり花咲の方は別のことを危惧していたらしい。


 彼女はソファーに寄りかかりながら携帯電話の画面を見ていたが、唐突に「ううむ」と唸り声を上げた。


「予感はしていたが、どうやら厄介なことになりそうだ」

「何かあったのか?」

「……今、ネットニュースで発表された話だと、量子通信グラスを無料キャンペーンと称して百万人の人間に店頭で配布したらしい」

「無料で? 百万人に? 量子コンピュータを盗んだのは数日前のはずだろ? いつの間にそんな量産体制を作ったんだ」

「数週間前に私の家に訪ねてきたときに量子通信グラスについては貸し出したことがあったんだ。私が使っているものを含めていくつかあったからな」

「本当に計画的だな」


 おそらく宿木は量子コンピュータの存在を知った時点で、マスコミに発表するなりなんなりして自分のものだと世間に印象付けるつもりだった。そしてその時に付随する発明や成果があれば、さらに話題になる。だから、最初から化学系にしろ電子系にしろある程度の製造設備を準備していたのだろう。


 怒りと呆れでため息が出そうなくらいだったが、ここまでくるとその用意周到ぶりに心のどこかで感心すらしてしまった。


 僕も自分の携帯電話でネットニュースの記事を表示して内容を確認する。


 そこには量子通信グラスを抽選で応募者に配布するという内容が特集で組まれていた。


「しかし無料とは太っ腹だな。……ひょっとしてあれか? 後から通信料の値上げや契約更新料で元を取るつもりなのかな」

「そんな生易しいものじゃないな。……こんな言葉を知っているか。『ただで物を売っている場合、売り物にされているのは自分自身だ』。おそらく、まずは普及させることが第一目的だろう。そしてそこから使用者の生活情報を吸い上げるんだ。どういう年齢層、どういう職業の人間に何が売れているか何を求めているかを分析して別のものを販売するのに応用するのさ」

「なるほどな。なんなら量子通信グラスに流す情報だって統制できる。自分たちにとって都合のいいニュース、流行らせたい商品、買わせたいものの広告を意図的に流して、思想や嗜好を誘導できるわけだ」


 内心、身の毛のよだつ思いだった。世間の人間たちは自覚することなしに、あの宿木に良いように操られていくのだ。


「だが、宿木のやつは自分が何をしようとしているのかわかっているのかな。世界中の人間に量子通信グラスを渡して彼らの欲求を探り、煽り、満足させたその先に何があるのか」


 花咲の憂いを帯びた目つきを見て、僕も脳裏で一つの危惧に思い当たる。


「いつだったか、花咲が言っていたことだな? まるで神様に従うみたいに、量子通信グラスの案内に盲目的に従うようになって、世界中の人間が自分で考えることをやめてしまう。やがて人類が静かに退化していくんじゃないか、というやつか」

「ああ。量子コンピュータの神様の言うとおり、ってな。まさに機械仕掛けの神デウスエクスマキナというわけだ」


 確か古代ギリシアの演劇に由来する言葉だ。物語を強引に解決に導いてしまう舞台装置のことだったか。


 笑えない冗談だ、と僕は顔をひきつらせた。


 現実にそんなものがいたら神どころか悪魔に他ならないではないか。しかもそれと気づかせずに人間を堕落させるたぐいのやつだ。


「冗談なんかじゃないさ。人間がコンピュータを使うんじゃなく、人間自身がコンピュータを普及させ、情報を収集するための外部端末になるんだよ。……勿論、量子コンピュータ自身に悪意はなく、ただ人類を幸福にするために分析した結果を活用して、そのために自分の端末を増やすことを目的としているだけなんだがな」


 だから一刻も早くあいつを止めないといけない、と花咲は僕に向き直った。

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