第15話 少年と一発屋、逃避行する

 家の外に出ると、夜のとばりが下りかけていた。


 薄曇りの空は濃い紫色になり、先が見えない僕らの不安をあおるようだ。


「それで、この先どうするんだ?」

「まずは使えそうなものを持って、いったん家を出る。私の家は宿木に知られているからな。あいつが私を今日までほったらかしていたのは目当ての量子コンピュータを手に入れて地盤を固めるためだ。だが、目を覚ました私が何もしないでいるとは思っていないだろうから、何かしらの手を打ってくるに違いない。その前に身を隠した方が安全だろう」

「あいつが実際的な暴力を行使するってことか?」


 大学生と言っても、ハングレ集団やストリートギャングのような連中と付き合いがあるような人間もいるのだろうか。


 第一印象としては宿木高志はあまり暴力的な行動は似つかわしくない雰囲気だった。しかし、実際に薬を使って花咲を前後不覚に陥らせたあげく窃盗を働くような真似をしているのだ。


 さらに犯罪的な行為に手を染めても何らおかしくはない。


「直接手出しはしないにしても、何か仕掛けてくる可能性はある。……とりあえず今夜は手持ちの現金でビジネスホテルに泊まって今後の対策を練るつもりだ」

「僕もできることがあるなら何でもするよ。……頼りない援軍で申し訳ないけど」


 ここで花咲は僕の言葉にクスリと笑ってウインクしてみせる。


「そんなことはないさ。多分君の力を借りるときがいずれ来る。とりあえず駅まで一緒に行こうか」


 そう言って彼女は門扉を開けて、通りに足を踏み出した。


 花咲の家から徒歩で数分ほどのところに、駅に向かう交差点がある。と言っても信号はなく、横断歩道がある程度の片側一車線ずつのさして広くもない道路だ。


 国道へ向かうための裏道として使用されることはあるだろうが、時間帯によっては一台も車が通らないこともあるであろう、そんな道である。


 しかし今日は妙に車がひっきりなしに通っている。


 僕と花咲は路側帯のそばに並んで立ち往生していた。


「なかなか渡れないな」

「帰宅ラッシュと仕事関係で通る人間が重なっているのかもしれないな」

「……花咲はどこのホテルに泊まるつもりなんだ?」

「そうだな。あまり近くはまずいが、都心から離れるのもいざというとき動きづらい。隣の県の繁華街でも探してみるかな」

「なるほど。そういえば、そのかばんの中は何を持ってきたんだ?」

「半分は生活用品だが。あとは愛用のノートパソコン。それと使えるかどうかはわからないが、残っていた発明品だ。ほら、この間見せた情報収集用の虫とか、前に作った音楽作成ソフトとかだ。量子コンピュータ本体と通信できないと使えないものもあるが、何か役に立たないかと思ってね」

「へえ。それじゃあ、何か必要なものがあればどこかで買っていった方が良いんじゃないか?」

「うーん、この時間帯に開いているデパートは近くにないからな。あとはコンビニエンスストアくらいか。……ところで」

「ん?」

「いくら何でも車が続きすぎているな。もう二分くらい渡れずにいるぞ」

「そう言えばそうだな」


 花咲は落ち着かない様子であたりを見回し始める。


「……何か、嫌な感じがする」

「え?」


 と、その時だった。一台の車が背後から近づいてきて僕らの立っている交差点の手前で停車した。白黒のカラーリングに赤いパトランプ。この地域を所轄する警察署のパトカーだ。


「なんだ?」


 二人の制服警官が車から降りてきた。うち一人が僕に近づいてくる。


「ああ。……そこの君」

「何ですか?」


 職務質問だろうか。後ろ暗いことは何もないし、胡散臭い格好もしていないつもりなのだが。


「この辺りに指名手配犯が潜伏しているという通報があったんだ。怪しい人間は見ていないかな」

「え。いえ、特には。……あれ?」


 気が付くと花咲の姿が消えていたのだ。


 確かに隣にいたはずなのに影も形もないではないか。


 僕は驚いて思わず周囲を見回す。


「どうかしたのか?」

「あ、いや。……何でもありません」

「君はこの近くの住人かな」

「いや、友達の家に遊びに行った帰りです」

「そうなのか。分かった。ありがとう」


 警官はそれ以上特に詰問することはなく、背を向ける。一方、もう一人の警官は職場に連絡しているのか「はい。異常ありません」と携帯電話で会話をしていた。


「あ、あの」

「何か?」

「指名手配犯というのは、どんな……?」

「ああ。強盗殺人事件の犯人だ」


 そう言って警官は一枚の写真を見せた。そこに映っていたのはすました顔をした眼鏡をかけた少女。花咲美空だった。


 僕は思わず声が出そうになるのを必死で抑える。


「心当たりあるかい?」

「いいえ。特に」

「……そうか」


 警官はパトカーに戻り、そのまま去っていった。


 一方、僕は混乱していた。


 いったいどういう事なのか。流石に花咲が強盗殺人など犯すとは思えない。


「どうやら、この状況。宿木の仕業のようだな」


 不意に上から声がした。


「うわっ!」


 顔を上げると、花咲が忍者のように近隣の家壁から張り出した庭木の枝に逆さまにぶら下がっているではないか。


「そんなところにいたのか。急に消えたからどこに行ったのかと思ったよ」


 彼女は軽やかな身のこなしで僕の隣に着地する。


「パスワードの解析やセキュリティの突破は、演算速度が速い量子コンピュータの得意とする分野だ。アルファベットと数字の組み合わせを片っ端から試していくだけで良いんだからな。おそらく宿木は警察のデータに違法アクセスして、指名手配犯のデータを私のものにすり替えたんだ」

「それで、警察が動き出したっていうことか。……花咲のことを通報したのもあいつなんだな。でも、何で僕たちの現在位置がわかったんだろう?」


 花咲は不機嫌そうに口の端を歪めつつ、自分がかけていた眼鏡を指さしてみせる。


「私もうかつだった。この自分用の量子通信グラスを起動したままにしていたんだよ。こいつはGPS機能が付いていて量子コンピュータ本体と通信できる。だが、逆に言うと本体の方からこちらの場所は筒抜けだ。だから私が家を出て動き出したことに向こうも気づいたんだ。……幸いカメラ機能はオフにしていたから会話や君の存在は知られていないだろうが」

「そういう事だったのか。……いや、でも。データだけすり替えても花咲が殺人犯にされることはないだろう?」


 量子コンピュータといえど書き換えられるのはあくまでも電子上のデータだ。


 指名手配のデータのみを見た警官は彼女を逮捕しようとするだろうが、いざ検察が裁判などで指紋のデータなどを取り直せば、彼女が犯人とされるような個人データや証拠が全く一致しないことに気が付くだろう。


「ああ。良く調べれば警察もそれに気が付くだろう。だが私を足止めして身柄を確保するのには使える。あいつの目的は私が反撃できない状態に追い込むことだからな。……駅を使うのはやめよう。考えたくはないが監視カメラから顔認証をつかって私の場所を探られるかもしれない」


 彼女はそう言うと回れ右して、速足で来た道を引き返していった。僕は急いで彼女の背中を追いかける。


「どこに行くつもりなんだ?」

「反対方面にあるバス停を使う。監視カメラに映りにくいように乗り込んで、郊外に出るつもりだ。そこで宿泊できるところを探す」

「それなら駅前にもバスターミナルがあったけど」

「いや、あの通りを渡るのはやめた方が良いな。……推測だが、さっきあの場所で通り過ぎる車が妙に多かったのも宿木の手によるものだ」

「何だって?」


 花咲は話しながらカバンから風邪予防用のマスクと帽子を取り出した。どうやら監視カメラ対策のつもりらしい。


「さっき私たちの前を通り過ぎる車を見ていて気が付いた。ドライバーは皆、見覚えのある眼鏡をかけていたんだ」

「それって、もしかして宿木が配っていた量子通信グラスか」

「ああ。百万人に無料配布と言っていたが、配る相手は抽選と言いつつ、一定地域の人間に限定していたのかもしれない。大体この区域一帯の人口が百万人、あの手のガジェットを欲しがる若者から中高年くらいの人口に絞れば三十万人といったところだ。その彼らに量子通信グラスが行き渡ったとして、この時間帯に私たちの周辺で活動している車を運転している人間がそのうち一パーセントくらいいたとしたら」

「つまり、三千人くらいの車の持ち主がいたとして、彼らのうち近くにいる者を僕らがいる交差点の前にナビゲーションで誘導したっていう事か」


 数分の間、足止めするには十分な数だ。


 花咲はマスクを装着しながら頷いた。


「彼ら一人一人には私たちの邪魔をした自覚なんてない。ただナビに従っただけだ。だが、この先こんな風に無意識に私たちの邪魔をする潜在的な敵が百万人もいることになる」


 話しているうちに僕らはバス停に到着していた。


「……ところで、君はどうしてついてくるんだ? 今日はもう家に帰った方が良いだろう。宿木が狙っているのは私だけだ。君は特にマークされているわけじゃない」

「そうは言っても花咲一人じゃ動きづらいだろう。この状況で放っておけないよ」

「君にそんな甲斐性があるとはとんと知らなかったな」


 そう言って彼女はマスクの下で小さく笑った。

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