第13話 少年、一発屋との対話を回想する

 花咲の家であの茂手木という男と遭遇した翌日。


 僕は花咲に「期末テストも近いからしばらくは遊びに行くのを控える」と伝えて学校でもあまり話しかけないようにした。


 彼女は若干不審な顔をしながら「そうか」と頷いただけだった。


 実際、試験勉強に集中したかったのは本当だ。ただその後はもう彼女と必要以上に関わらないようにするつもりだったのだが。




 それは期末テストが迫ってきたある日のことだった。


 僕はふと異変に気付いた。


 教室の片隅に白衣を羽織った彼女の姿が見えないのだ。


 最初は風邪か何かで休んでいるだけかと思ったのだが、彼女は二、三日前から姿を見せていなかった。


「……あのさ。柳田」


 この間もめ事を起こしたこともあって若干及び腰ではあったけれど、唯一話しかけられるクラスメイトから僕は情報を聞き出そうと思ったのだ。


「花咲の事なんだが、しばらく顔を見ていないんけど何があったか知っているか?」


 だが僕のこの質問に柳田は面倒そうな顔で吐き捨てるようにこう答える。


「俺が知るかよ。担任の話じゃ連絡もつかないらしいぜ。……てか、お前の方があいつと親しいんだから何か知っているんじゃねえの?」

「いや。……そうなのか」


 どうしたのだろう。彼女の家を訪ねるべきだろうか。


 その後、僕は意を決して、彼女の携帯に連絡を送ったが返事はない。


 何があったのだろう?


 気になってはきたものの、果たしてここで家に押し掛けていいものか。僕は何となく躊躇していた。


 考え込みつつ僕は携帯のメール画面を閉じる。……が、指先が滑ってホーム画面に戻った後インターネットブラウザを開いてしまう。


 些細な操作ミスだ。心の中で小さく苛立ちながらブラウザを閉じようとしたとき、それは目に飛び込んできた。


『世界初の量子コンピュータシステムを使用した眼鏡型デバイス、ついに発売』


『開発者は現役大学生の宿木高志やどりぎたかし氏。時代の先端を行く革命児に独占インタビュー』


 ブラウザの最新ニュースの一覧画面にそんな見出しが躍っていた。


 量子コンピュータ?


 眼鏡型のデバイス?


 どういうことかと僕は記事をクリックして内容に目を通した。


 そのネット記事に書かれていたのは驚くべき内容だった。


 世界でもまだ本格的には実用化されていない量子コンピュータの開発にまだ若い大学生の青年が成功し、それを元に量子ネットワークによる高速通信を実現。さらにそれとリンクした眼鏡型のデバイスを開発し、「宿木電子」という会社まで起業して製品化に至った。これにより有益な情報をどこよりも早く使用者に提供できる、というものだった。


「これって、どう考えても花咲が開発したものじゃないか。……どういうことだ」


 さらに時代の寵児と銘打たれたその写真に映っていたのは、数週間前に花咲の家を訪れていたあの「茂手木智志」ではないか。


「宿木高志? こっちが本名なのか? あいつは花咲に偽名を名乗っていた?」


 なぜ発明者として花咲ではなく、この男が賞賛されているのか。


 そうだ。


 それにそもそも、花咲はこの量子通信グラスを商品化することなんて考えていなかったはずなのである。


 僕は数週間前の出来事を回想する。







 そう。あれは花咲が僕に量子通信グラスを披露した後のことだった。


 僕は彼女の発明に感服して「しかし、これは大したものだな」と賛嘆の声を漏らした。


「日常的に向かう場所を学習して天気予報をするみたいに、これから起こる交通事故や事件を予想して、アドバイスしてくれるのか」

「まあね。過去の統計と地図を重ね合わせて、これから起きる可能性が高いトラブルを予測するわけだ」

「それじゃあさ。……身の回りの人間関係とかのデータを入力できれば、どんな相手と付き合えばいいかとか、逆にトラブルを引き起こす相手とかを事前に予想して関わらないようにすることもできるんじゃないか」

「勿論、それは可能だろう。もっと言えば社会の人間すべてにこれを配って、犯罪や事故が起きにくくするように誘導することもできるかもしれない。あるいは幸せな就職や結婚ができるようにマッチングもできるかもしれない。君はさっきこれを『ライフナビ』と形容したが『社会ナビ』というレベルに持っていくことも可能だろうな」


 花咲は量子通信グラスを研究室のキャビネットにしまいこみながら答えた。


「それなら商品化したらヒットしそうなものだけれど」

「だが、私はこれを商品にして売り出そうというつもりはないよ」

「どうしてだよ」


 彼女はどう説明したものかと悩むように、数秒ほど瞑目してから口を開く。


「昔、私が読んだ小説にこんな場面があったんだ。信仰をテーマにした青春小説だったかな」


 唐突に話が飛んだように思えたが、僕は無言で話の続きを促した。


「その物語の主人公である少年には、成績優秀で明るい友人がいた。その友人は、ある日キリスト教の洗礼を受けるんだ。けれども無神論者の主人公はそれがまともな行動とは思えなくて、友人に『何でそんなことをするんだ? まさか、神様の存在を本気で信じているのか?』と尋ねる」

「それで?」

「主人公の友人はこう答えた。『例えば、人間はカメラを発明しただろう。外光をレンズから取り込みそれを印画紙に映しだす精巧な仕組みだ。そこには間違いなく人類の英知が込められている。……しかし自然界には眼球というもっと高性能なカメラが存在するじゃないか。それだけじゃない。鳥は誰に教わるでもなく航空力学を駆使した飛行機よりも自由に空を飛び、植物や動物は互いに影響を与え合いながら複雑な自然界のメカニズムを動かしている。ここには確かに誰かの英知が存在する。それに名前を付けるなら神様と言ってもいいだろう』とね」


 確かに生物や自然は、ある意味「人類が作ったどんな機械よりも精巧な機械」と言えるかもしれない。


「そこで主人公は更に尋ねた。『だけど、もし本当に神様が存在するなら、どうして世界中で戦争や飢餓や色々な悲劇が起きているのに何もしてくれないんだ』と」


 至極当然の疑問だ。僕だってもしこの世に神様にあたる存在がいるのなら、その運営に関して文句を言ってやりたいと思ったのは一度や二度ではない。


「友人は答えた。『君が高いビルの上に立っていて、下の道を一人の男が歩いていたとする。男が道を右に曲がれば美女が歩いてくる。だが、左に曲がればスリが獲物を待ちかまえている。君が急いでビルを降りて男に右に曲がるように忠告したら、男は感謝するだろうか』と」

「あー。……なるほど。言いたいことは判ってきたよ」


 道を歩いていた男からすれば高所からの視点を持てないのだから、いきなり現れた人間に「右に曲がった方が良い」といわれても戸惑うだろうし、反感を覚えるかもしれない。いや道だけの話ではない。今日の夕食は魚を食べた方が良いとか、付き合うのならあの女性よりもこの女性の方が良いとか、全てを自分で判断せずに誰かに指図されるだけの人生。それは生きていると言えるのかという問題だ。


「その小説の中では『つまり神様は人類に自分自身の意志で失敗して、そこから学び成長する自由をくださったのだ』という結論を出していた。……例えば、私がこの量子通信グラスを販売して、普及させたとする。誰もかれもが表示される案内に従って自分で考えることをしなくなり、トラブルの起きない人生を歩み、スムーズに気の合う相手とだけ付き合う人生を歩んだとする。……だが、その瞬間から人類は緩やかな滅亡の道を進んでいく気がしてならないんだ」


 僕は想像した。


 世界中の人間が自分で判断しなくなり、量子通信グラスに表示される指示だけに従って生きるようになる。それは傾向の似ている親しくできる人間だけと関わる社会であり、今よりもストレスの少ない社会なのかもしれない。だけど、それはいくつもの細かいコミュニティが作られて、他の人間とは関わらなくなる閉鎖的な人生でもある。


「個人の幸福を追求することで子供が生まれなくなるかもしれないな」

「……そういうことだ。だから、こういう使い方もできるとは思うが普及させるにしても人類全体がもう少し賢くなってからにするべきだと思うんだよ」


 彼女はぼんやりと遠くを見るような目でそう呟いた。






 そう。花咲は僕と話していたあの時、確かに量子通信グラスを販売するべきではないというスタンスだったはずだ。


 それなのに、今こうして宿木の手によって世に出てきている。


 いったい何が起きているんだ。


 花咲はどういう状況に置かれている?


 焦燥感が全身を襲い、僕は居てもたってもいられなくなってその場を走り出した。

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