第18話 伝説の百香

 「京君、すぐにあきら君も来ますからね」


 ラベンダー蜜香をほんのりさせた山根が駆けつけ気香を抑えるかのごとく俺を両腕で包む。


「……シオンと……離れて……」

「京君は大丈夫です。私は何年もずっと京君を見てきましたから知っています。落ち着いて下さい」


 ホントに知ってるの? 何も教えてくれないくせに。地球丸ごと覆い尽くしても余りある俺の気香はどうしたらいいの?


「山根さん! 俺が変わります。京、苦しかったら言えよ」


 あきらがオリエンタルの気香と筋骨たくましい腕で身体を覆って抑え付けてくれる。力を抜いて身体をあずければいい。シダーウッド、バニラ、イランイラン……甘く魅惑的な香り。


 憶えのある安堵感に感情が抑えられ気香が胸の奥に沈む。あきらの温かな気香を吸収しながら息が止まればいいのに。


「京、もういいか?」

「もっと強く……」

「グゥールゥーーー」

「うわぁ、犬!」


 もう少しで息が止まったのにあきらの腕が緩む。また襟元に犬。あきらに唸り声を上げる犬は俺を守ってるのか? 

 犬を引っ張り出して顔の前で眺めるとブルーとライトブラウンの眼が笑った。


「犬は大丈夫か? 制御はガキの時以来だから緊張したぁー。今もお前は小っちゃいけどな。ははは……」


 あきらが笑うと山根がシオンに問う。

「何があったのですか?」


 シオンは言葉も無く青い顔でコロコロを転がしていた。

 修一がシオンの背を撫でる。


「シオン、何があったの?」

「俺のせいか? 俺が検査に付いて行くって言ったから俺が煩く……わぁー……」


 手で顔を覆い号泣したシオンの背中を修一が摩る。

 シオンのせいかと言われればそうかもしれない……静まった感情がまた揺れる。 イテッ! あきらに頭をペシッと叩かれた。


「シオンのせいじゃないだろ? もう逃げるのは止めろよ」


 あきらは初見から一mmも変わらない。俺の途轍もない気香量に気付いても恐れずいつも『生きろ』と言ってくれる。


「あきらは伝説の百香の話しを知ってる?」

「大昔に翼のある百香が流星から国を救ったって話しか? その末裔が今の国王なんだろ?」

「翼のある百香が生まれると大事変が起こる。流星直撃とか隣国の戦争に巻き込まれるとかそれを治めて国王になるんだって。俺が国と協会に管理されている理由」


 あきらから離れてシャツを脱ぎ山根にしか見せた事が無い背中を見せる。俺には健康骨から生えた翼を焼かれた傷跡が背中から肩、腕にまで残っている。


「羽の模様が綺麗だぞ。だからどうした?」

「驚かないの? 俺が怖いでしょ?」

「驚いてるよ。急に服を脱いだら驚くだろ? あははは。でもだからどうした。友達に古傷があったからって何が変わるんだ? お前は強いだけで可愛い子だよ」


 山根が脱いだシャツを拾って肩に掛けてくれる。やっぱりあきらは強い。不吉な前触れの百香を目の前にして友達だと笑う。変人。

 シャツの袖に腕を通してソファーに戻ると犬が膝に乗った。


「ポイズは俺を消去しようとしたけど四人の百香によって翼を焼かれて生かされた。だから時が来たら国の最果てで一人国防しても、時々空に気香玉でも打ち上げたら綺麗かなって納得してる。未来に向かって生きるシオンとは違う」


「初めて話したな。でも納得してるのにシオンに話すくらいで気香を抑えられないほど感情的になるのか? 理事会で大御所のジジイを軽くあしらう時みたいに上手に躱せばいいだろ。香師の事といい異変はもう起きてるんじゃねーのか?」


 そうかもしれない。何か起きたらその時……俺はどうする?


「いずれにしても翼はもうないよ。ふふ。翼の痕を検査で確認して反乱など起こさぬように百香が宮廷に招かれ食事をして近親者は元気だと脅しを受けるだけ。そんな所にシオンを連れて行く気はない」


 コロコロを転がしながら俺とあきらの話を聞いていたシオンが口を開いた。


「嘘だ。嘘だろ……もう帰って来ない心算なんじゃないのか?」


 シオンの震える声に俺の心も震える。切り開けない未来に少し疲れたんだ。


「ふふふふ。今年かも知れない来年かも知れない。帰る帰らないはポイズが決める事だよ」


 山根がピクリと片眉を動かした。


「京君はシオン君と一緒に行かれたらいかがですか? 翼がない事を確認させてハニーが大切だから反乱の意志はないと宣言したら信憑性が高まって早く帰って来られるでしょ」


 それはシオンを利用しろと言ってるの? 甘い策士が今度は何を企んでる?


「そうだ、それがいい。俺が一緒なら帰さないわけに行かないんじゃないか?」


 シオンも甘い。子供一人どうってことないでしょ。一つ間違えれば巻き添えを喰って殺されるとか考えも及ばないんでしょ。


「そうだそうしろよ。翼がなければお前は普通の百香様だろ? それに大昔だったら空を飛ぶには翼が必要だったかも知れんけど今は飛行機だってジェットカーだってあるから皆がビュンビュン飛んでるぞ」


 ズレテルけどあきらの包容力なのか馬鹿な感じが面白いのか笑える。ふふ。

 普通の百香でも国の最果てに行くのは変わらない……東の地に居る日登は九〇歳を過ぎた。


「それでもシオンは連れて行かない」


******************************


 協会の屋上で迎えに来た国防軍のジェットカーに乗ると見送りだけと言ったはずのシオンが荷物を持って乗り込んできた。山根が軍人に言う。


「ペア登録している香雨シオンです。よろしくお願いします」


 この! ここで余計な事を口走ってはいけない。眼を合わせずに下を向きグッと堪える。

 予感が無かったと言えば嘘なんだ……シオンの未来は必ず守るよ……。



 無言で国防軍基地に着くとレーザー銃を持った兵士に囲まれ軍用地を歩く。

 俺は慣れてるしぃー、レーザー銃なんてどうって事はないけど後ろを歩くシオンがどんな顔をしているのか大体想像がつく。眼がキッと吊り上り……不細工に決まってる。


 医療棟に入ると仙香が迎えてくれた。


「京君は少し大きくなりましたね。ほほほ」

「変わらないよ」


 仙人のような白髪に白髭を蓄えた百香のメロッテ仙香は老人だと思っていたらまだ四〇歳で一三年経っても五三歳の熟年だった。

 検査の付き添いで軍に呼ばれる仙香は北の最果て北連峰の山頂で一人暮らして国を守る。


「キングに就任して目覚ましい功績を上げているそうですねぇ。指導者の私も鼻が高いです。ほーほほほほほ……」

「幹部達が優秀だから俺の功績じゃないよ。シオン、指導者の仙香だよ」

「初めまして。香雨シオンです」


「そうですか、君が京君のハニーですか。ほほ。京君は電子レンジを爆発させますからお世話が大変そうですねぇ。ほほほ。あーぁ、洗濯機は泡に埋もれ果物は血まみれになりました。指が無くなったのではないかと心配しましたよ。懐かしいですねぇー。ほほほ」


 喋り過ぎ。シオンが「はい」と頷いた。お世話が大変はお互い様でしょ。


 いつもニコニコしている仙香の気香量は二八〇万。笑っているのに重い気香がヒシヒシと伝わり軍人が距離を取る。絶対ワザとだ。


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