第16話 もう六月。

 〇あずま 朝子あさこ


 もう六月。

 一ヶ月が早い。


 幸い、事故の後遺症らしい痛みはなくて。

 一応、もう一度病院にも行ってみたけど、本当に無傷だったらしい。

 …うん。良かった。



「座敷のお客さん、ヒレカツ定、二、ロースカツ定、一、カツ丼、一、天丼、一、生、五。」


 おかみさんがオーダーを読み上げた。


 平日の昼間にビールかあ。

 映が聞いたら、羨ましがりそう。


 そんな事を思いながら、揚げ物をした。

 ビールが美味しく飲めるように、美味しく揚がれ~。なんて、心の中で唱えながら。



 お昼の部のラストオーダーも終わって。

 夜の部の仕込みをして。

 お客さんが帰って、みんなで手分けして掃除をして…


「お先に失礼しまーす。」


「お疲れ様ー。」


 あたしは外に出た。



 新しい自転車、本当にすぐ…お兄ちゃんの名前で贈られてきた。

 それも、以前乗ってた無機質な感じのじゃなくて…薄い空色の、少しオシャレな形の自転車で。


「…兄貴の見立てか。悔しいけど、朝子に似合ってる。」


 映が、頬を膨らませながらそう言ったぐらい…あたしにピッタリな気がする。


 そのお礼も言いたいのに。

 お兄ちゃんと…連絡が取れない。

 母さん曰く、『色々大変なのよ』だそうで…

 うーん…こんなので咲華さんと大丈夫なのかな?って。

 ちょっと余計な心配もしたりした。



「朝子。」


 自転車に乗りかけたその時。

 あたしの背中に…聞き覚えのある声がかかった。


 あたしは…すぐに振り向けなくて…

 自転車を持ったまま、息を飲んだ。


「…朝子。」


 もう一度…同じ声。


「……」


 ゆっくり振り向くと…そこには…


「…海くん…」


「結婚、おめでとう。」


「……」


 海くんは…真顔。


 …笑顔じゃ…ない。


「…ありがとう…ございます…」


「なんで敬語?」


「…だって、あたし…」


「少し、時間いいかな。」


「……」


「少しでいいから。」


 海くんの強い申し出に…あたしは断る事が出来なくて。


「…はい…」


 海くんに続いて、歩き始めた。




「ヒレカツ定食、美味かった。」


 公園のベンチに座ってすぐ、海くんが言った。


「……」


 あたしの顔は、目が丸くなった後、眉間にしわがよって、口が変な形になった。


「…すげー顔。」


 そんなあたしの顔を見た海くんが、そうつぶやいて笑って…

 …ちょっと…海くん、変わった…?って思った。

 …うん…

 桐生院華音さん、言ってたよね…

 変わった、って。



「もしかしたら、まだ俺には会いたくないかなとも思ったんだけど…」


「……」


「朝子が、まだ傷を持ったままだって聞いて…会う事にした。」


「…誰に聞いたの?」


「華音。」


「……」


 本当に、友達なんだ…。



「朝子と暮らし始めた頃…一般人を死なせてしまってね…」


「え…っ?」


「…自分ではできてるつもりのオンオフが、全然できてなかったんだな。その事を引きずったまま家に帰って…朝子を…傷付けた。」


「あ…あの…あたし…」


「ん?」


 初めて、目が合った。


「…あたし、海くんは…紅美ちゃんじゃないと…ダメなんだって…」


「そう思われてるよなって分かってたけど…俺のミスで人が死んだ事を口にするのが、どうしても嫌でさ。」


「……」


「意外とプライド高いだろ。」


 そう言って、海くんは小さく笑った。



 そんな事があったのに…

 家に帰るとあたしが重荷になるような事ばかり言って…



「どうしたら…朝子を安心させてやれるんだろうって考えてたけどさ…あの頃の俺じゃ、何もできなかったな。」


「…あたし…何も知らないで…」


「知らなくて当然だ。俺が言わなかったんだから。」


「……」


「俺に足りないのは、ライバルと親友だ、って言われて。」


「…誰に?」


「華音のおばあさん。強烈だったな。」


 桐生院家のおばあさんは…

 あたし…見かけただけ…だけど…

 おばあさんって言うのが悪いぐらい、若々しくて、笑顔の素敵な人。


「秘密組織だからって言うだけじゃない…俺の生い立ちや…それによって出来た俺の中のコンプレックス…そういう物が複雑に絡んで、他人に自分を見せるのが苦手だった。」


「…でも、紅美ちゃんには…見せれてたんでしょ?」


 あたしの問いかけに、海くんは少し間を開けて。


「……そうだな。」


 小さくつぶやいた。


「…どうして…終わらせたの?」


「……」


「あたしが言う事じゃないかもしれないけど…あたしだけが幸せになるなんて…」


「朝子。」


「海くん、あたしが怪我さえしなかったら…紅美ちゃんと…」


 涙がこぼれてしまった。


 憎い。

 ずっと恨んでやる。

 そんな気持ちが湧いた事もあったけど。


 あたしは、今…すごく幸せで…

 自分だけが、こんなに幸せなのに…

 あたしを大事にしてくれようとしてた海くんの気持ちに気付きもせず…

 勝手にひねくれて…恨んで…



「…朝子の怪我がなくても、紅美とは続かなかったよ。」


 海くんが、あたしの頭を撫でる。


「あいつは歌ってなきゃいけない人間だ。」


「……」


「俺は、一生現場に出続ける。」


「でも…特別機関じゃなくなるって…」


「それでも、俺が携わるのは…危険な仕事には変わりない。」


「……」


 海くんは立ち上がって空を見上げると。


「朝子の旦那、華音のイトコだってな。」


 優しい声で言ってくれた。


「…うん…」


「じゃあ、何かあったら桐生院に行って、さくらさんに会ってみるといい。元気が出るぞ。」


「…うん…分かった…」


「朝子。」


「……」


 座ったまま、海くんを見上げる。


「もっともっと、幸せになれよ。」


「……ん…うん…ありがとう…」


 涙が止まらない。


 あたし、海くんとのは辛い思い出しかないって…勝手に思ってた。

 だけど…

 あたし、ちゃんと…海くんに恋してたよ。


 海くんが学校の先生として桜花に入ってた時…

 紅美ちゃんから。


『海くんモテてるよ?ちゃんと彼女がいるって匂わせた方がいいから、お弁当でも作ったら?』


 って言われて…

 あたしは、毎日…お弁当を作るのが楽しかった。

 そのご褒美に…って。

 毎月、どこかに連れて行ってくれた。

 …一度も…触れてくれなかったけど…お出かけの前の日は、ドキドキして。

 車に乗っても、海くんの顔がちゃんと見れなくて…


 あたし…

 恋してたよ…。



「…志麻が選んだのか?」


 ふいに、あたしの自転車を見て、海くんが言った。


「…どうして…?」


「あいつの好きな色だ。」


「……お兄ちゃん、全然連絡つかなくて…」


 自転車に触りながら言うと。


「ああ…今ドイツで頑張ってくれてる。」


「え?ドイツ?」


 だから…連絡つかなかったんだ。


「志麻には…本当に感謝してる。自分の事よりも二階堂を優先してくれて…」


「お兄ちゃん、仕事好きだから…」


「そうだな。」


「彼女との関係が心配。」


「まったくだ。」



 いい風が吹いて…

 あたしは、顔にかかってた髪の毛を耳にかける。



「…アメリカで、手術を受ける事になると思うの。」


「…そうか。」


「…受ける…ね。」


 あたしの言葉に、海くんは静かに笑顔になった。


 それは…

 あの頃、あたしがとても、とても…欲しかった笑顔で。

 だけど今は…素敵な笑顔の人だな…って。

 海くんは…あたしの、憧れの人になった。


 やっと…お別れできる。


 バイバイ。

 海くん。



 * * *


「はーい、みなさんこちらお願いします。」


 カメラマンさんの声がして、みんながそっちを向く。


「新婦さま、もう少し顎上げて下さい。」


 言われたようにすると。


「はい、いいですねー。じゃ、行きますよ。皆さん、笑顔で。」


 カシャッ



 今日は…あたしと映の結婚式。



 結局…あたしは海くんと再会して間もなく、先生を頼りに渡米した。

 まずは細かい検査からと言われて、それには映を置いて一人で行った。

 映にはすごく拗ねられたけど…手術の時に来て欲しいから…って。


 だって、F'sをそんなに長く休ませられない。

 新しいアルバムも出すって聞いてたし…

 新生F'sは映の腕にかかってるんだよ?って、説得した。



 耳の後ろの皮膚を植皮するという方法で、あたしは手術を受ける事になった。

 渉先生が腕のいい形成外科の先生を紹介してくれて、あたしのために心強いチームも作ってくれた。

 おかげで、何一つ…不安なんてない状態で、あたしは手術を受ける事が出来た。



 二階堂がなかなか落ち着かなかったことと…あたしの術後の安静期間や、F'sのツアーを考慮していたら…結局、入籍から一年経ってしまった。

 映の誕生日は、入籍記念日であり、結婚式…でもある。


 結局、式場選びはF'sが忙しいせいで歩いて回れなくて。


「いい所紹介してやろう。」


 F'sのボーカリストで、華月ちゃんのお父さんである神千里さんが…

 神さんのお兄様のお店、高階宝石がプロデュースするという式場の、記念すべき一組目として予約させてもらえる事になった。


「結婚指輪も、そこで宜しく。」


 神さんの笑顔に、映は。


「断れるわけねーよなー、ったく。」


 目を細くしながらも…F'sの皆さんに可愛がってもらえてるんだなあ…って。



 ドレスは…映はオーダーにしてもいいって言ってくれたけど、そんな贅沢に慣れてないあたしは…式場でのレンタルで済ませることにした。

 だけど…二階堂の庭でする事になったパーティーに着るワンピースを…choconに行って、チョコちゃんに頼んだ。


 もしかしたら…映と結ばれたかもしれなかった女性。

 気にならないわけがないけど…反対に、彼女を知る事で気にならないようになればいいと思った。


 それは彼女も同じだったようで…


「実は、昔から映くんのファンで…だから、朝子さんがお店に来られた時はすごく意識してしまって…」


 赤くなりながら、そう言った。


「精一杯、朝子さんのイメージの物を作らせていただきますね。」


 そう言って…千世子さんが作ってくれたワンピースは…お兄ちゃんが選んでくれた、自転車と同じ。

 薄い空色で。


「……めちゃくちゃ似合ってる…めちゃくちゃ可愛い…」


 choconの試着室から出たあたしに、映はそれを連発。


「ごちそーさまですっ。」


 千世子さんに…笑われた。



「新郎さま、もう少し顔を真っ直ぐしていただいていいですか?」


「俺、右斜めからの方が男前に写るんだよなー。」


 映の言葉に、周りからは。


「あ、じゃ俺もそうしよ。」


「俺もそうかもな。」


 って、DEEBEEの面々が言って。


「ちょ…み…みなさーん…真っ直ぐお願いしまーす…」


 カメラマンさんが困ってる。


「あははは。」


「ふふっ。」



 …幸せだ。



 小さな世界しか知らなくて…

 あたしを大きな世界へ飛び出させてくれたのは…

 海くんへの、切ない恋。

 そして、映との…まだ始まってなかった恋。



 顔の傷も、心の傷も癒えた今…


 あたしは。

 みんなに分けてあげられるぐらい…

 もっともっと、今よりもっと。

 幸せになる。



 そんな、欲張りな野望を…



 胸に抱いている。




 33rd 完

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いつか出逢ったあなた 33rd ヒカリ @gogohikari

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