第15話 緊張しながら実家に帰った。

 〇ひがし 朝子あさこ


 緊張しながら実家に帰った。


 母さんの言う『私より手強い』はずだった父さんは…意外にもあっさりと。


「で、式はいつ頃に考えてる?」


 って…カレンダーを広げた。


「…え?」


 途方に暮れる映とあたしをよそに…


「この頃はドイツに二ヶ月行きっぱなしだな…」


「ここは確かアメリカの本部が合併するとかで…」


 両親は、カレンダーにスケジュールを書き込み始めた。


「え…え?あの…父さん、母さん…」


「え?」


「…い…いいの…?」


 あたしが戸惑いながら問いかけると。


「駄目って言ったら別れるのか?」


 父さんが真顔で答えた。


「わっ別れない!!」


 あたしは、頭をぶんぶんと振って言う。


「ならもう好きにしろとしか言いようがない。内心大賛成じゃないけど、大反対の時期は過ぎた。」


 カレンダーに視線を落としたままそう言った父さんの隣で、母さんは首をすくめた。


「それに…」


 父さんは変わらず視線はカレンダーのままだけど…


「ああいう物が我が家に入り込むとは思ってもみなかったが…少し和んだ気がする。」


 視線を上げない父さんが言った『ああいう物』とは…

 椅子に座らされてる…ぬいぐるみ。


 映が手土産に買いたいって寄り道したのは、ビートランド御用達の酒屋さんと…

 雑貨屋だった。



「…ぬいぐるみ?どうして?」


「何もない殺風景な家で育ったって言ってたから。」


「…それで?」


「仕事から帰って、こういうのがあったら和む事ってあんだぜ?」


「…映も持ってるの?」


 半信半疑で聞いてみると。


「ガキの頃に、黒猫飼っててさ。」


 黒い猫のぬいぐるみを手にした。


「すっげー可愛がってたんだけど、ドアを開けた隙にいなくなって。」


「……」


「あれ以来、他の猫は飼えなくて、今も俺の部屋にはこいつに似たのが待ってる。」


 映はそう言って、黒猫のぬいぐるみをあたしに向けた。


「…その子、今度連れて来てよ。」


「そうだな。」


「ぬいぐるみって、こんなに高いの?」


 あたしが値段を見て言うと。


「そいつはブランド物だから、ちょっと特別。違うやつにしようぜ。」


「ぬいぐるみにもブランドってあるんだ…コルネッツ…ふうん…」


「ほら、これは?気持ちいいぜ。」


 映に押し付けられて…抱いてみる。


 …実は…ぬいぐるみを抱きしめる…なんて、した事ない。

 だけど…

 ふわふわで、気持ちいい…


「…いいな…これ。あたしも欲しい…」


「そっちのブランド物じゃなくていいなら、うちにも買って帰ろうか。」


「え!!ほんとに!?ブランド物じゃなくていい!!」


 つい、はしゃいでしまった。

 いい歳して……反省。



 そんなわけで…

 映が買ったのは、抱きかかえるのにちょうどいいサイズの…クマのぬいぐるみ。

 母さんがソファーを立ってお茶を入れ直しに行くたびに、頭を撫でてるのが…


 すごく。

 嬉しかった。




 そのまま映と本家に行って。

 かしらは不在だったけど…姐さん…泉ちゃん達のお母さんはいたから…



「…結婚…する事になりました。」


 二人で、頭を下げた。


「えっ!!結婚!?」


「は…はい…」


「えー!!もう!!いきなり過ぎて…泉!!泉、ちょっと来て!!」


 姐さんは、大声で二階に声をかけて。


「何!?何かあったの!?」


 慌てて降りてきた泉ちゃんに…


「朝子がこの人と結婚するんだって!!」


「えー!?」


「……」


 あたしと映は…その剣幕に、体をこわばらせていた。


 だ…だって…

 いつもはクールな姐さんが…

 泉ちゃんと一緒になって、まるで…

 女子高生…?



「えっ!?一緒に暮らしてる!?」


「う…うん…」


「えっ!?もう一年以上も!?」


「は…はい…」


「何で教えてくんなかったのよーっ!!」


 ドンッ。


「あたっ…あたた…」


 泉ちゃんに体当たりされて。

 あたしは映の膝に倒れ込んだ。

 映も二人に圧倒されてて。

 何か言いたいけど…何も言えない。みたいな顔。



「良かった…朝子、良かった…」


 突然、姐さんが…あたしの手を取って泣き始めて。


「姐さん…」


 あたしは…胸がいっぱいになる。


「ずっと気になってたのよ…出て行ってからは音沙汰なしで…」


「あっ…す…すみません。あたし…すごく薄情と言うか…無礼で…」


「そんなの、連絡しにくいに決まってるじゃんね。」


 泉ちゃんの言葉に、映が小さく笑った。


「あ。」


 あたしは思い出したように。


「泉ちゃん。」


「え?」


「この人、泉ちゃんの彼氏と親戚なんだよ。」


 泉ちゃんに言った。


 すると…


「彼氏?あたし…彼氏いないけど。」


「え!?」


 つい…大きな声を出してしまった。


「な…なん…」


 あたしが口をパクパクさせて戸惑ってると。


「あ、全然険悪な別れ方なんてしてないし、友達だから。」


 泉ちゃんは、あっけらかんとそう言った。

 その隣で…姐さんは少し複雑そうに苦笑いして…


「縁があったら、またくっつくかもしれないしね。」


 泉ちゃんの頭を撫でた。


「どーかなー。あいつとは友達でいる方が合ってる気がする。うん。」


 泉ちゃんはそう言って。


「あ、母さん、お茶ぐらい出せばいいのに。」


 立ち上がった。


「…ほんとね。ありがと、泉。」


 あたしの隣でずっと黙ってた映が。


「…俺の親戚って、誰だよ。」


 小声で聞いて来た。


「…きよしくん…」


「…聖?」


「うん…」


 別れたなんて…知らなかった…

 まあ…あたし、ずっと連絡取ってなかったもんな…



「泉、あれでも結構人気者なのよ?」


 姐さんが、少し沈んだあたしの顔を覗き込んで、小声で言った。


「…そう…ですよね…」


 昔、お兄ちゃんと高津ツインズも…

 誰が泉ちゃんをお嫁さんにするか。なんて…木登り対決してたっけ…

 …子供の頃の話だけど。



 だけど…

 泉ちゃんは、誰よりも家族想いだ。

 もしかしたら…二階堂のために…聖くんを諦めたのかもしれない。

 …そんな気がした。



「朝子、幸せになんなよ?」


 そう言った泉ちゃんの笑顔に。

 あたしは…すごく…悲しくなって。


「う…うん…うん…」


 ポロポロと…泣いてしまった。



 * * *


 結婚も決まった。

 これから、式場選びやドレス選び…招待客とか…うわ…結婚式って大変なんだ…って思った。


 海くんとの時は…本当に、何もかも任せっぱなしで済みそうだった。

 二階堂にはしきたりのような物があったから、あたしは乗っかってればいいのかな…なんて感じだったし。



 …大変だけど、映とそれを考えるのは楽しみだった。

 結婚情報誌なんて初めて知ったし、買ってみた。

 ページをめくってもめくっても、どのページにあるドレスも可愛くて…目移りして大変だった。


 何から始めたらいいのか…本当に悩んでしまってる。

 映も忙しいし…少しずつでも、何か始めなくちゃ。



 ただ、二階堂の体制が変わって来たみたいで…

 それに伴って、両親の仕事先もあちこちじゃなくて…一ヶ所に選択しなくてはならなくなった。


 アメリカとドイツでは秘密組織ではなくなるみたいで。

 日本では…まだしばらくは、特殊なままだけど…もう、ヤクザって看板は背負わなくていいし、小さな頃からお兄ちゃん達が受けて来たような教育も…もうなくなるそうだ。



 その結果…


「入籍だけ先にして、式は時期を見てからにしたら?」


 母さんに、そう言われた。


「うー…ん。」


「それか、もうあちらの親族の方だけでやってもらうか。」


「やだよ、そんなの。ちゃんと、父さんと母さんにも来てほしいもん。」


「…ごめんね。娘の晴れの日を優先出来なくて。」


「ううん。あたしとしては、許してもらえただけで十分なの。だけど、映が絶対式はするって言い張るし…あたしも、父さんと母さんに…ドレス姿見て欲しいから。」


「……」


 結婚が決まってからと言う物…母さんはこうして時々、仕事の合間に来てくれるようになった。

 昔より…ずっと会話をしてる気がする。



「母さんの結婚式って、どうだったの?」


「昔過ぎて忘れちゃったわよ。」


「また…」


「…ただ、みんな泣いてたわね…」


 母さんは遠い目をして、つぶやいた。


「織ちゃんは特に…泣いてたな…」


「……」


 母さんと姐さんは…親友だった。って聞いた。

 母さんは小さな頃から、姐さんを守るために…護衛の意味も兼ねて、親友だったらしい。

 そんな理由は伏せたまま、親友でいて…きっと、辛かったよね…


 お休みの日の母さんは。

 たまに、姐さんと買い物に行ったりしてた。

『舞』『織ちゃん』と呼び合って…


 もしかしたら、あたしと海くんの結婚を、一番望んでたのは…二人かもしれない。



「…母さん。」


「ん?」


「色々、ありがとう。」


「…何?急に。」


「…大好き…」


 照れくさかったけど…抱きつきながらそう言うと。


「…朝子…大きくなったね…」


 母さんは、涙声で…

 あたしの背中を、ポンポンと叩いた。


 * * *


 なかなか式の日取りは決められなかったものの…

 あたしと映は、映の誕生日である5月10日に入籍をする事にした。


 その朝、あたし達は早起きをして…もうすでに書いてた婚姻届を眺めた。


「…アズマアサコかあ…」


「漢字は同じなのに、変な感じだな。」


「ふふっ。ほんと。」


 笑い合って、キスをして…手を繋いで、家を出た。



 実家に戻った時、ここぞとばかりに自転車を持って帰って。

 最近は、あずきへも自転車通勤している。

 帰りの買い物も楽ちんで、早くにこうすれば良かったなー。なんて思ったりする。


 今日は早番だけど、一時間遅刻させてもらうよう、お願いした。

 区役所からそのまま店に行くために、あたしの自転車を映が押してくれながら…

 のんびり、二人で歩いた。

 一緒に通勤なんてする事ないから、こういうのって新鮮だな。


 区役所が開くのを外で五分ほど待った。

 のんびり歩いたつもりなのに、早く着いたね。って笑いながら。


 婚姻届を窓口に出して、あたしと映は…夫婦になった。

 嬉しくて…ニヤけるのを我慢してる横で、映はすごくニヤけてた。


「ふふ。映、ニヤニヤしてる。」


「朝子だって。」


 それから、映は少し早いけど事務所に行くって、あたし達はそこで別れた。

 あたしも自転車に乗ってあずきへ。

 入籍した話をすると、おかみさんがすごく喜んでくれた。

 …誰かに喜んでもらえるって…すごく嬉しい…



 14時まで仕事をして。

 今夜はご馳走にしなきゃ。って、少し大きめのショッピングモールまで足を運ぶ事にした。


 それが…


 間違いだったんだ。



 * * *



 その時あたしは…何が起きたのか、分からなかった。


 ただ…


「朝子!!」


 …お兄ちゃん?


「朝子!!聞こえるか!?朝子!!」


「あ…き…聞こえる…お兄ちゃん…?」


 あたし…倒れてる?


 今の状況を把握しようと必死なんだけど…

 えーと…どうもあたしは…人に囲まれてる…っぽい…


 見えるのは、空と…お兄ちゃんと…人だかり…

 そんな所で倒れてる自分に気付いて、恥ずかしくなった。

 慌てて起きようとすると。


「動くな。頭を打ってるかもしれない。」


 お兄ちゃんに、止められた。


「…あたし…どうしたの?」


「…覚えてないのか?」


「何…?」


「横断歩道渡ってて、車にはねられた。」


「………え?」


「どこか痛みは?」


 お兄ちゃんは、あたしの脈を取ったり…ゆっくりとあちこちを見たり…


「う…ううん…どこも痛くない…」


 車にはねられた?

 嘘みたい…

 だって、どこも…


「…自転車は?」


「……」


 あたしの問いかけに、お兄ちゃんはチラリとどこかに視線を向けたけど。


「新しいの買ってやるから、気にするな。」


 …て事は…

 自転車…ダメになっちゃったんだ…



 間もなくして、救急車のサイレンの音。

 あたし、それに乗るの?

 痛みもないのに?

 …何だか大袈裟な気がして、ちょっと気が咎めたけど…


「もう大丈夫だからな。」


 あたしの手を握ってるお兄ちゃんの手が…震えてる事に気付いて。

 お兄ちゃんの指示に従う事にした。


 到着した救急車に乗せられて、お兄ちゃんもそれに乗り込んで。

 病院についたら、あれこれと検査をされた。



 あたしは、横断歩道を自転車を押して歩いてて。

 左折してきた車に、はねられたらしい。

 …全く気付かないって、どうなんだろう。


 検査の結果…


「無傷ですね。」


「……」


 あたしの隣で、お兄ちゃんは無言になった後…


「はあああああああ……」


 大きく溜息をついた。


「良かった…」


「しかし、数日経って症状が出る方もいらっしゃるので、油断はしないで下さい。痛みや違和感があったら、すぐに受診して下さい。」


「分かったか?」


「はい…」


 とんだ日になってしまった…


 入籍記念日…

 映の誕生日…

 そんなおめでたい日に…はねられるとか…



「お兄ちゃん、あそこには偶然いたの?」


 帰りのタクシーの中で問いかけると。


「………ああ。」


「何、今の間。気になるなあ。まさか店からつけてたんじゃないでしょうね。」


「まさか。」


 あたしがこの時…お兄ちゃんの『間』を…もっと問いつめてたら。




 一応…映にメールを打った。


『無傷だったんだけど、事故に遭った。病院行って、今はもう家です』


 すると、すぐに電話がかかった。


『だだ大丈夫なのか!?』


 慌てた口調の、映。


「あ…うん。ごめんね、心配かけるようなメール…」


『いや…帰ってから知るのは嫌だったから、連絡してくれて良かった。』


「横断歩道歩いてて、コツンって感じだったのかな。」


『だったのかなって…』


「気が付いたら、お兄ちゃんの声がして…」


『兄貴、その場に?』


「偶然いたみたい。」


『ほんとかよ。おまえ、兄貴にストーカーされてないか?』


「やめてよ。」


 あたしの声がいつもと変わりないから、映も安心できたみたいで。


『じゃ、帰る前に連絡する。』


「うん。頑張ってね。」


 それで…電話を切った。



 幸せな一日だった。

 のに。

 事故なんて…やだな。


 ううん…

 もしかしたら、事故に遭って無傷なんて…反対に、いい事だよね。

 うん。


 それから、いつもより少し早く帰れそうだって映からメールをもらって。

 買い物に行けなかったあたしは、結局冷蔵庫にある物で…頑張ってご馳走に見える料理をした。

 映には正直に、今日は無理をしないために、買い物には行かなかったって言って。

 映はテーブルの上の料理を見て、十分ご馳走だって喜んでくれた。

 本当は、花を飾りたかった。って言うと…映は玄関に戻って、花束を持って来た。


「買ってくれたの?」


「入籍したんだぜ?祝わなきゃな。」


「…ありがとう…」


 事故には遭ったけど…

 やっぱり、いい日だなあ…って思った。



 お医者さんに言われた事を映に言うと。


「そりゃ当然だ。明日の朝が一番心配だな…洗い物は俺がするから、朝子は楽にしてろ。」


 そう言ってくれて…甘える事にした。



 こんな、特別な日の夜は…くっつきたい気分だったけど。

 とにかく…心配かけたくない。

 そう思って、早く休むことにした。



「あ…お兄ちゃんには連絡しとかなくちゃ…」


 すごい剣幕だったもんね…


 メールでいいかな。


『朝子です。今の所何ともないです。心配かけてごめんね。色々ありがとう』


 送信。



 だけど、その後お兄ちゃんとは…しばらく連絡がつかなくなった。

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