第8話 会社の前に車を横付けすると、ちょうど咲華が出てくる所だった。

 〇ひがし 志麻しま


 会社の前に車を横付けすると、ちょうど咲華さくかが出てくる所だった。


咲華さくか。」


「えっ…どうしたの?」


「ちょっと時間が空いたから。」


「えー…嬉しい。」


 ただ迎えに来ただけなのに、満面の笑み。

 そんな咲華を見ると、嬉しい反面…罪悪感も湧く。


「ごめん…全然ゆっくり会えなくて。」


 シートベルトを締めてる咲華にそう言うと。


「あたしは大丈夫。気にしないで?」


 咲華は…本当に、ずっと笑顔。


「…今日、うち来ないか?」


「え?」


「今、みんなアメリカ行ってていないから。」


「…しーくんも、また近い内に?」


 そう聞かれて、咲華の手を握った。

 俺はいつも…こうやって、咲華に寂しい想いを…



「…あ…ごめん。必要とされてるから呼ばれるんだもんね。また行く時には教えて?」


「…ああ。」



 最近は、丸一日一緒にいた事もなく。

 会えるとしても…僅かな時間。

 待たせてばかりの俺じゃなくて…もっと咲華のそばにいてくれる男の方がいいんじゃないだろうか。

 そう…思わない事もない。



 ガレージに車を停めると。


「本家、久しぶり。」


 明かりのついた本家を見て、咲華が言った。


 咲華にとって、二階堂本家は『叔母の主人の実家』だ。

 二階堂はあまり外部と関わりを持たないが、陸さんが外の世界にいる事で、咲華は少なからずとも本家と付き合いがあった。



「でも咲華はこっち。」


 咲華の手を取って、別館の裏にある自宅に歩く。


「…こっちは…初めてかも。」


「ああ。滅多に一般人は入れないから。」


「あたし…いいの?」


「俺の婚約者では?」


「……」


 俺の言葉に、咲華は照れ笑いをしながら…腕にしがみついた。


「しーくんの部屋、楽しみ。」


「残念ながら楽しめる物は何もない。」


「何も?」


「ああ。」


 カギを開けて玄関に入る。

 本当に…いつまで経っても『我が家』と愛を持って呼べるような感覚にはならない。

 時々食事をしたり睡眠をとりに帰る場所。

 そんな感じだろうか。



「朝子ちゃんは?」


「…ああ、一人暮らしを始めたんだ。」


「一人暮らし?」


「婚約破棄してすぐね。」


「…そうなんだ…」


 咲華はシンプルと言えば聞こえはいいが、単なる殺風景なリビングを見渡した後。


「しーくんの部屋は?」


 笑顔で振り返った。


「…こっち。」


 二階の角部屋に咲華を招く。

 自分でも久しぶりな気がした。

 見られて困るような物は、何もない…はず。


「ねえ、しーくん。」


「ん?」


「アルバムないの?」


「…アルバム?」


「だって、しーくんはあたしの見たじゃない。」


 咲華はそう言って、少しだけ唇を尖らせた。


 咲華のアルバムは…桐生院家で何度も見せられた。

 愛の溢れた…泣きたくなるほど、愛の溢れたアルバムだった。

 それを見ながら、親父さんが何度も。


「あー…嫁に出したくねーなー…」


 と、つぶやかれて。


「まだ言ってる。」


 周りからからかわれていた。



「…見たいものか?」


「当然。」


「……」


 あったかな…


「咲華みたいにたくさんはないけど。」


「いいの。」


 そう言われて…俺は、納戸でアルバムを探した。

 余計な物は見せたくないと思って…一冊…

 でも一冊だとブーイングが起きるか?と思って、二冊。



「お待たせ。」


 アルバムを咲華に渡して。


「何か食う物買って来る。」


 そう言うと。


「え?何か作るよ。」


「残念ながら、冷蔵庫に何もない。」


「…じゃあ、ついてく。」


「すぐだから。見てて。」


「…分かった。」


 そうして俺は一人で買い出しに行って。

 咲華は一人で…俺の部屋でアルバムを見ていた。


 部屋に戻ると。


「しーくん…」


 咲華が、抱きついて来た。


「…咲華?」


「…しよ?」


「え?」


「だって…次いつ会えるか…」


「…アルバムがつまらなかったのか?」


 腰を抱き寄せて言うと。


「ううん。子供の頃のしーくん、可愛すぎて…早く子供が欲しくなっちゃった。」


「……」


「あ…ごめん。急かしてるわけじゃないの。」


「…咲華…愛してる。」


「あたしもよ…」


 こうして…抱き合ったのも、いつぶりだろう。


 早く子供が欲しい。


 その言葉が…

 少しだけ、俺を焦らせた。




 〇ひがし 朝子あさこ


 あずきでの仕事も順調。

 えいとの関係も…今の所は何の文句もない。


 今日は、付き合い始めて…初めてのクリスマス。

 さすがに年末はテレビ出演も増えて来て、DEEBEEは多忙そう。

 そんなわけで、今夜も…何時に帰れるか分からない。って言われた。


 だけど…


『帰る前に連絡するから』


 …あたしの所に『帰る』って言ってくれるのが…

 すごく、嬉しい。



 あたしは、今…すごく幸せだなって思っていて。

 そうすると…

 海くんは、どうしてるだろう。って…気になった。


 だって…

 あたし、海くんを追い詰めた。

 できれば…幸せになってて欲しいけど…

 海くんは責任感が強い。

 きっと…あたしとあんな事になって、すぐに誰かと…なんて無理だよね…


 …あたしなんて、本当…

 すぐ、映に連絡しちゃったのに…



 ♪♪♪


「もしもし。」


『ああ、朝子?』


 電話は、お兄ちゃんからだった。


「今どこ?日本?」


 あたしに問いかけに、お兄ちゃんは小さく笑って。


『日本。家に居る。』


 そう言った。


「家に?珍しいね。あっ、もしかして咲華さんと?」


 あたしが弾んだ声で聞くと。


『いや…残念ながら一人。』


 ほんとに…残念な返事。


「えー…今夜は?会えないの?」


『桐生院家はクリスマスイヴは大イベントでね。呼ばれてるけど、行けるかどうか微妙な所。』


「そっか…行けるといいね。」


『ああ…ところで、大晦日は帰って来るだろ?』


「え?」


 意外な事を聞かれた気がした。

 二階堂は、イベントごとが全く関係ない。

 それは、盆正月も。


 子供の頃は、余所の家のクリスマスが羨ましかったけど、やらなければやらないで慣れる物で…

 恋人という存在が出来るまで、きっと重要に思えない物だと痛感した。

 だから…大晦日に帰って来るか?なんて…



「父さんと母さんは?アメリカからドイツに行くって聞いた気がするけど…」


『30日には帰るよ。』


「…帰って来いって言ってた?」


『帰りにくいのは分かるけど、一度帰ってみたらどうだ?本家のみんなも心配してくれてる。』


「………そうだよね。」


 だけど。

 本当は…映と過ごしたかったな。

 初日の出なんて…観に行けたりしたら…って。


 今の所、映のスケジュールは…大晦日、空いてるんだよね…

 …でも、映だって家族と過ごす時間が要るか…


 うん。

 そうだよね。



「ちょっと…色々考えて、また連絡するね。」


 あたしがそう言うと、意外だったのか…

 お兄ちゃんはすぐには何も言わなかった。


『…分かった。あいつと相談して決めろ。』


 たぶん…

 お兄ちゃんは優しさのつもりで言ったんだろうけど…

 何となく。

 トゲのある言い方に思えてしまった。


 …そんなに、映の事嫌いなのかな…?




 〇東 志麻


『今日…来れそう?』


 咲華から電話がかかった。

 俺は眉間にしわを寄せて、少し悩んだ後…


「…申し訳ない。」


 小さく答えた。



 今の俺は…自分の幸せうんぬんどころではない。

 朝子がボスとの婚約を破棄したから…というわけではないが、以前にも増して二階堂に尽くしたい気持ちが大きい。

 今回はいい。と言われても、自分が行く事で仕事がスムーズに動くなら、いつでも…アメリカにもドイツにも行く。


 ただ…

 そうすると、俺は…咲華をないがしろにしてしまう。


 婚約して一年。

 両親も気にしてくれてはいるが…俺達は何があっても二階堂優先だ。

 今の状況で、結婚など…あり得ない。



 この間、久しぶりに咲華を抱いた。

 子供が欲しいと言われて…正直焦っている。

 …俺より一つ年上の咲華。

 きっと、結婚や出産に対する想いは…俺よりも真剣だろう。



「咲華…」


『ん?』


「…俺…」


『……』


「……いや、何でもない。」


『何?』


「いいんだ。」


『何言いかけたの?』


「……」


 電話の向こうの咲華が、いつもと様子が違う気がした。


『ちゃんと言って…あまり会えないのに、言葉まで飲みこまれたら…あたし、どうしたらいいか分からなくなるよ…』


「……」


 胸が痛んだ。

 痛んだが…正直に話す事にした。


「…もう、一年待たせた。」


『…うん。』


「なのに、まだ…落ち着けない。」


『…うん。』


「…本当に、俺でいいのか?」


『…ねえ。』


「…ん?」


『入籍だけでもしない?』


「……」


『夫婦っていう形ができれば…お互いこんなに不安にならないんじゃないかな…』


 お互いこんなに不安にならない…

 その言葉に違和感を覚えた。

 俺には不安はないつもりだった。

 俺にあるのは…罪悪感だ。


 だが…

 咲華には常に…不安があるって事か?



「…咲華は…何が不安なんだ?」


『え?』


「会えない事?結婚の話が進まない事?」


『…それは…』


「正直に言って欲しい。」


『……』


 俺の言葉に咲華は少し黙った後。

 小さな声で言った。


『…会わない間に…あなたが誰かを好きになるんじゃないかって…』


「………バカな。」


 思いがけない返事に、すぐには言葉が出なかった。

 俺は、こんなにも…咲華を愛してるのに。

 だが、それが…伝わっていないという事か?



「でも、そう思わせているのも確かなんだろうな…本当に…悪い。」


『……』


「…咲華?」


 電話の向こう…

 咲華が黙ったまま何も言わない。

 いつもなら…

 そんなことないよ。と…無理しながらでも言うのに…



『…体、無理しないでね。』


「…ああ…」


『じゃ…』


「咲華。」


『……』


「…愛してる。」


『……うん。分かった…』


 電話はそこで切れた。

 あきらかに…いつもと違った。


 愛してる。


 あたしもよ。



 いつもの咲華の言葉は…そこにはなかった。




 〇東 朝子


 クリスマスプレゼントって何がいいのかなあ…って、生まれて初めての事に、毎日頭を悩ませて。

 あたしは、それを華月かづきちゃんに相談した。


 すると…


「うーん…何かなあ…」


 華月ちゃんも、悩んでくれた。


「ちなみに…華月ちゃんは今まで彼に何を?」


「あたし?あたしは…ピアスとか…」


 映、ピアスしてないよね…


「それから、ブレスレットとか…」


 映、つけてないよね…


詩生しおは身に着ける物を欲しがったからそうしたけど、映は…」


「映は?」


「…ごめん。分かんないや。」


 カクッ。


「でも、朝子ちゃんがくれる物なら、何でも喜ぶと思うよ?」


「そうかなあ…」


「うん。だって、この前も料理がむちゃくちゃ上手なんだって自慢されたもん。」


「えっ…」


「いいなあ。あたし、料理得意じゃないから羨ましい。」


「そ…そんな…あたしは、華月ちゃんみたいに可愛くないし、スタイルも良くないから…そんな所だけでも頑張ってないと…」


 あたしがしどろもどろに言うと。


「何言ってんの?朝子ちゃん。」


 華月ちゃんは、すごく真顔で。


「朝子ちゃん、十分可愛いよ。特に…映と恋して変わったと思う。」


 あたしの髪の毛を耳にかけて。


「映のために何かしたいって思う気持ち…たくさん持ってるんでしょ?」


 …眩しい笑顔。


「う…うん…」


「それが顔にも出てる。以前よりずっと、色んな表情するようになったし…笑顔も増えた。」


「……」


「それは映にも言えることだと思う。映、前は結構ズボラな所もあったけど、何だか最近ちゃんとしてるなーって思うし。」


「ず…ずぼら…」


「ふふっ。ま、もしかしたら今からそういう面も見せちゃうかもよね。朝子ちゃんの部屋に転がり込んでるんでしょ?」


 華月ちゃんの言葉に、あたしは口が開いた。

 こ…転がり込んでる!?


「映のお母さんが言ってたわよ?あまり帰って来ないーって。」


「あ…何だか…お母さんに悪いな…」


「大丈夫よ。映のお母さん、最近アクティブに出回ってるから、反対に気が楽かも。」


 映から専業主婦と聞いていたお母さんは…

 今は趣味と言うか…

 色んな楽しみを見つけて、働いてらっしゃるらしい。



「楽しいクリスマスになるといいね。」


 そう言って笑った華月ちゃんは、まるで化粧品のポスターの中から抜け出たみたいに…綺麗だった。


 そんな華月ちゃんの家では…毎年、クリスマスは家族でお祝いらしい。

 と言うのも…

 華月ちゃんと、華月ちゃんのお母さんと…

 以前一度一緒に温泉に行った、いつの間にか泉ちゃんの彼氏になってたきよしくん。

 この三人が誕生日らしくて。

 それで、毎年盛大にお祝いするみたいなんだけど。

 特に今年は特別。って。



 …その席に…

 お兄ちゃん、行けるといいんだけどな…



 * * *


『今から帰る。』


 映からそう電話をもらって、あたしは料理を温め直した。


 帰る。って…嬉しいな。



 華月ちゃんが言ってくれた通り…あたしは、笑顔が増えたと思う。

 映からのメールや電話…それだけでも笑顔になれるし…

 録画した映の映像見ても…自然と笑顔になってる。

 あたしの事、こんなに変えてくれた映に…感謝だな。


 ワクワクしながら映を待ってると…


 ♪♪♪


 映から電話。


 …もしかして、来れなくなった…とか?


『朝子?悪い…』


「…仕事が入ったりした…?」


『いや…そうじゃないけど…』


「何?」


『邪魔者がしつこくてさ。』


「え?」


『ハリーがずっとついて来てんだよ。』


「……」


 ハリー。


 え…えっと…

 映とハリーって…


「…仲良かったっけ…?」


『時々一緒に飯食うぐらいで、別に仲がいいわけじゃない。』


 …時々一緒に飯食う…って…

 仲悪かったら食べないよ。

 あたしから見たら、映がハリーとご飯食べてるって方が意外だなあ…



『アサコー!!クリスマスパーティー、俺も混ぜてんかー!!』


 電話の向こう、突然ハリーの大声。


「えっ…」


『っさいなお前。邪魔すんなよ。帰れ!!』


『ええやないかー。こんな夜に一人は嫌やー。』


『俺は朝子と二人きりでいてーんだよ。何が悲しくておまえと三人で…』


『んじゃ、俺とおまえ二人でどや?』


『一番選択肢にないやつだ。』


 な…何だか…

 電話の向こうの二人が、楽しそうに思えた。

 バンドメンバーと仲良しなのは知ってるけど…

 あたし同様、映には『友達』と呼べる存在がいないらしくて…


 でも…

 何だか、ハリーとは…

 そりゃあ、仕事でも関係あるから、迂闊に友達なんて呼べないかもしれないけど…


「映。」


 あたしは電話に向かって言う。


『あ?』


「いいよ。三人でパーティーしよ?」


『あー?』


 あきらかに…映は嫌そう…




 ではなかった。

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