第7話 「志麻、朝子はどんな様子?」

 〇ひがし 志麻しま


「志麻、朝子はどんな様子?」


 本部のロビーで声をかけられ、振り向くと空お嬢さん。


「お気遣いありがとうございます。元気にしています。」


「そう…ならいいけど…」


 お嬢さんは、ホッとした顔で小さく溜息をつかれた。


 …二階堂のみんなが、朝子を心配する。

 まあ…当然か。

 ずっと二階堂で暮らして来て。

 外の世界を知らなかった。

 短大は桜花に行ったが…朝子は自分でも浮いていると気付いていたからか、友達さえも作らなかった。


 …作り方が分からなかったのかもしれない。


 桜花の短大に進むこと自体も…両親は反対した。

 とにかく、朝子を外に出させたくなかったようだ。

 だから…今回の一人暮らしは、両親には相当堪えている。


 …一人暮らしをしたからと言って…

 何も、あの事がバレたりはしないのに。



「ボスとの事ではご迷惑をおかけしましたが…」


 俺がお嬢さんに頭を下げながら言うと。


「やめてよ。煮え切らない兄貴にずっと心傷めてたのは、朝子なんだから…。」


 お嬢さんは、沈んだ声。


「ほんと…やな男だよね。今じゃすっかり…冷血漢みたいな顔しちゃってさ…」


「…あんな事件があった後ですし…」


 現在ボスはアメリカ本部で働いている。

 …朝子との婚約を破棄する少し前に…

 一般人を死なせてしまった。


 …直接ボスがそうしたわけじゃない。

 誰のせいでもない。

 むしろ…犠牲者が一人だけだったのが奇跡的でもある。


 …しかし、俺達の仕事は、犠牲者を出さない事。

 その件でボスは精神的にまいっていたと思う。

 そこに不安定な朝子まで背負って…どんなにお辛かった事か。


 それゆえ、俺も…婚約破棄に関しては、朝子のためもだが…ボスの精神的ストレスを少しでも減らして差し上げたいと思った。


 どう考えても、ボスは、朝子を…

 大事にしてくれる気はあったと思うが、愛してはいなかった。



「…ごめんね、志麻。何度もあっちに行かせて。」


 お嬢さんが溜息交じりに笑顔で言った。


「いえ、私も勉強になりますから。」


 この夏からの俺の渡米回数は、かなり多い。


「でも、いつまで経っても結婚の話も進んでないんじゃない?」


「…あ、その件でしたら…先方の都合もありますので。」


「本当?志麻が待たせてるんだったら…早めに迎えに行ってあげなさいよ?」


「…ありがとうございます。」



 咲華さくかとは…婚約して一年が経とうとしている。

 本来、今年中に…と思っていたが…仕事が多忙極まりない。

 咲華もそれを分かってくれている…はず。


 ただ…

 咲華の親父さんから…


「おまえの仕事は危険すぎる。正直、今のままだと娘を嫁にやりたくない。」


 と…正直に言われた。


 …当然だ。

 大先輩である浩也さんは、若い頃に俺と同じポストで。

 家族が身を狙われる事が多発し…二度、顔を変えられた。



 早く…と、思ってしまう。

 早く、二階堂が秘密組織ではなくなって。

 俺達の立場も…



『影』でなくなる日が来れば…と。



 〇あずま えい


「……」


「……」


 朝子が働いているという『あずき』


 仕事帰りに寄ってみると…ハリーと出くわした。

 しかも…


「ごめんなさいね~。混んでるから。」


 …相席。


 事務所では特に俺が話す事はなくて。

 だいたい…詩生しお希世きよが話してる。

 しょうは相変わらずの人見知りぶりを発揮していて。

 まあ…プロデューサーと言っても、年に数回しか会う事もなかったから、仕方ねーけど…

 しょうはいまだに、ハリーの事を『あの外人』と言ったりする。


 …だけど、評価はしてるんだよな…。



「なんや。アサコと上手くいっとんかいな。」


「…おかげさまで。」


 朝子がハリーに俺との事を相談したのは聞いた。

 今後は、ハリーに相談するような事がないようにするから、と約束もしたし…

 もし、何か俺との事で誰かに相談したくなったら…華月に。と言った。


 できれば、異性に相談して欲しくない。と、正直に言うと。


「うん。分かった。そうする。」


 朝子は…本当に素直にそう言った。



「おまえは、プライベートが充実してなくても音は変わらへんけど、充実すると格段良うなるよな。」


「……」


 親子丼を食べながら、ハリーが言った。


 …今、さらりと褒められたのか?


「それは、どうも。」


 小さく礼を言って。


「ロースカツ定食。」


 オーダーをする。

 朝子のおススメだ。



「Live aliveの時に思うたんやけど…」


「何。」


「おまえ、DEEBEEに物足りなさ感じてへんか?」


「……」


 水を飲もうとグラスを持ち上げた手が…止まった。


「図星やろ。」


 ハリーはそう言ってニヤリと笑った。


「…何でそう思う?」


 水を飲まないまま、俺は指を組んでハリーを見た。


「ずっとおまえらの音聴いて来たやん。せやから、あのイベントでおまえの音聴いた時、一発で…」


「……」


「おまえが、あいつらの上を行ってる事に気付いたで。」



 俺は…あのイベントで…

 高原さんに、Deep Redで数曲弾かないか。と言われて。

 ゼブラさんのヘルプとして…一緒にステージに立たせてもらった。


 その話をもらった時。

 胸が高鳴った。


 もっと練習しなくては。

 そう思わされた。



 DEEBEEに不満はなかったし、詩生の声の調子で弾き方を変える事や、彰と希世とで競うように音数を派手にしてみたり…

 そういう事も楽しかったし、ずっと続くと思っていた。


 …が…


 Live alive当日…

 思わぬ事が…俺に起きた。


 俺と同様、高原さんに誘われてDeep Redのステージに立った…ノンくんこと、桐生院きりゅういん 華音かのん

 DANGERのギタリスト。


 かみ 千里ちさと桐生院きりゅういん 知花ちはなを親にもつサラブレッド。

 …俺も、一応サラブレッドだと思っているが…格が違うのも分かっている。


 そのノンくんは…

 ヘルプにも関わらず、Deep Redメンバーの度胆を抜くようなギターを弾いた。

 あの瞬間、俺に…

 今まで、湧いた事がないような感情が生まれた。


 俺に生まれた感情。


 それは…才能への嫉妬。

 今まで、誰にも抱いた事のない…嫉妬だった。


 ノンくんは…俺とはイトコに当たる。

 俺達には、あの世界のDeep Redのフロントマン、高原夏希の血が流れてる。

 何が…違うんだ?


 誰もを唸らせたのは、ノンくんのギターだけじゃなかった。

 コーラスの力量も、だ。


 彼の才能は…俺に嫉妬させ、昔から僅かながら持ち合わせてしまってた劣等感を大きくさせた。


 負けたくない。

 そう思った途端…俺のベースも…普段からは考えられない音を出した。

 それを見たノンくんは、楽しそうにギターを弾いた。

 触発された。


 あれから…

 俺の中に変化はあった。

 だが、DEEBEEに対する不満じゃない。


 ただ…前以上にを欲している感じは…ある。



「ま、今はまだええねん。」


「はい、お待ちどうさま。」


 ハリーの言葉と共に、定食が運ばれてきた。

 …おススメだけあって、美味そうだ。


「…今はいいとは、どういう意味だ?」


 割りばしを手に問いかけると。


「そのまんまの意味や。これからもDEEBEEでやってく気があるんなら、メンバーとしっかり話した方がええで。」


 ハリーはそう言って。


「おかみさん、ビール。」


 ビールを追加した。


「…ふっ。やってく気があるかって。俺にはDEEBEEしかないし、メンバーともちゃんと話してるつもりだけどな。」


「そっか?俺はもっと上に行ける思うで。」


「上?」


「例えば…」


「……」


「F'sとかな。」


「…………バカな。」


 あまりにも突拍子のないセリフに、笑いすら出なかった。

 呆れた顔でそう言って、俺は飯に手を着ける。

 …うん。美味い。

 しかも、話に聞いていた通り…初めて来た俺は大盛りらしい。



「F'sはもうすぐベースが空くで。」


 美味い飯を食い進めるはずだった。

 だが…それ以上に…

 ハリーが口にした話に…俺は食いついてしまった。


 …F'sのベースが…空く?


「…臼井うすいさんは?」


「もう歳やしな。そろそろ引退考えてるんとちゃうか。」


「具体的に話が出てるわけじゃないんだな?」


「出てたらどうする?移籍するか?」


「…………バカな。」


 ショックだった。



 ハリーの『移籍するか?』の言葉に即答できなかった俺は…


 DEEBEEを…本当はどう思ってる…?



 * * *


 明日二人とも休みって事で…俺は預かった鍵で一足先に朝子の部屋へ。

 朝子が帰って来たのは、日付が変わってからだった。


「おかえり。遅くまで大変だな。お疲れさん。」


 玄関まで迎えに出てそう言うと。


「あ…た…ただいま…」


 朝子は赤くなった。


 …可愛い。



「悪い。先に風呂済ませた。」


「あ、うん。湯冷めしないでね。」


「ああ。」



 朝子が風呂に入ってる間。

 テレビをつけて眺める事にした。


 くだらない番組でも何でもいい。

 何か気を紛らわせないと…

 俺は…F'sの事を考えてしまいそうになる。


 …別に、加入したい気持ちがあるわけじゃない。

 ただ…

 ボーカルは神千里。

 ドラムは浅香京介。

 ギターは…うちの親父。


 その三人を静かに支えていたのが…ベースの臼井さんだった。


 確かに…もう高齢だ。

 臼井さんが抜けたら…



「……」


 何かの録画が始まった。

 何の気なしにHDDに切り替えると…音楽チャンネルの録画で…俺達のPVが流れていた。

 俺達には、五ヶ月連続新曲リリースに加え、全曲でミリオンを取れという課題がある。

 ノンくん達DANGERは、アメリカデビューを課せられて、先週渡米した。


 …よそのバンドを気にかけてる場合じゃない。

 DEEBEEの目の前の課題をクリアする事を考えなくては…



「あっ…」


 風呂から上がった朝子が、テレビを見て声を上げた。


「…録画してくれてんだ?」


 俺が画面を指差して言うと。


「…うん。」


 朝子は濡れた髪の毛をタオルで拭きながら、俺の隣に座った。


「録画できるって…いいね。」


「そっか?」


「うん。だって、会えない日もこれで見れるもん。」


「……」


「テレビ用の顔だけどね。」


 タオルを手にして、朝子の髪の毛を拭く。


「ドライヤーは?」


「調子が悪くて、直してもらってるの。」


「そっか…風邪ひくなよ?」


 肩を抱き寄せて、髪の毛を拭きながら…朝子の耳を軽く噛んだ。


「はっ…あ…び…ビックリした…」


「朝子…」


「…ん?」


「……おすすめ、美味かった。」


「ふふっ…でしょ……」


「……」


「…あ……」



 余計な事は考えるな。

 今はただ…DEEBEEの事と…



「…映…」


 朝子の事を…考えていれば、いいだけだ。




 ピンポーン


 朝子も俺も休み。

 朝までセックスをして…そのまま、朝子を抱きしめて心地良く眠ってる所に…チャイムが鳴った。


「…あ…もうこんな時間…」


 時計を見て朝子が言った。


 …九時。

 確か…五時に時計を見た。


「…出るのか…?」


 俺が朝子の腕を掴むと。


「…お兄ちゃんかもしれないから…」


 朝子は小さな声で言って、俺の腕を外して…服を着た。



 …妹の休みの日に、連絡もせず朝から来るか?

 全く…

 シスコン野郎だな。



『ごめんね。』


 玄関から声が聞こえる。


『起こしたか?』


『でも、もうこんな時間だから。』


『これ。』


『あ、ありがとう。もう直ったの?』


『新しいの買えばいいのに。』


『愛着があるの。』


『…少し音が小さくなるようにしておいた。』


『わ…ありがとう。』


 …もしかして…

 ドライヤーか?


 兄貴、確か…警察の特別機関って言ってたよな。

 修理工かよ。


 しばらく…沈黙が続いて。


『…あいつが来てんのか。』


 兄貴が言った。


『…うん。』


『泣かされてないか。』


『幸せ。』


『……』


 ……


『あ、お兄ちゃん、おかみさんにお土産ありがとう。』


『いや…大したもんじゃないから。』


『でも、すごく喜んでた。』


『そっか…。俺、もう行くわ。風邪ひくなよ。』


『うん…ありがとう。今月はこっちにいるの?』


『どうかな…急に呼ばれる事もあるから。』


『…仕事だから仕方ないけど…』



『ん?』


『クリスマス…一緒に居れたらいいね…』


『………そう言えば、そういうイベントがあるか…忘れてた。』


『もうっ。』


『ははっ。ま、おまえも無理するなよ。それと、たまには帰って来い。』


『…うん…』


『みんな、待ってる。』


『……ありがと。』


 ドアの閉まる音。

 それから、ドライヤーを仕舞う音。

 それから…


「もう少し寝る?それとも朝ごはん食べる?」


 朝子は寝室に顔をのぞかせて、俺に問いかけた。


「…飯食おうかな。」


「分かった。」


 朝子を抱きしめて、もう少し眠っていたい気持ちもあるが…


「朝子。」


「ん?」


 キッチンに立ってる朝子に、問いかける。


「朝子の兄貴、女いんの。」


「え?あ…うん…」


 上半身裸の俺を見て、朝子が照れた。


「…何回も見たクセに。」


 Tシャツを着ながら言うと。


「そ…そんなに、見てないもん…」


 …可愛い。



「えっと…お兄ちゃんの彼女は…」


 ああ、そうだった。

 俺が聞いたクセに。


「華月ちゃんの、お姉さんなの。」


「…は?」


「え?」


 華月の姉って…


「サクちゃん?」


「知り合い?」


「イトコだ。」


「…え?じゃ…華月ちゃんともイトコなの?」


「ああ。」


「華月ちゃん、そんな事、一言も言わなかった…」


 そう言って、朝子は少しだけ唇を尖らせた。


「あー…クセみたいなもんだろうな。華月とは母方のイトコだけど、あいつんち、おふくろさん身バレせずに業界人やってるから。」


「そっか…でも…ちょっと安心…」


「何が。」


「…あたしだって、ヤキモチ焼く事あるよ?華月ちゃん可愛いし…お互い最初から呼び捨てしてたから…ちょっと気になってた…」


 …大半の女…特に業界人の身内は、呼び捨てる事が多いが…

 ま、俺はそんなに関わる事もないか…。



「朝子、ヤキモチ焼きだったんだな。」


 キッチンに入って、朝子の後から腰を抱き寄せる。


「そ…りゃあ…」


「…何も心配要らねーよ。俺、モテねーから。」


「嘘ばっかり…」


 抱きしめてキスをして…

 あー…もう、このままここで暮らしてー…なんて思った。


 朝子と一緒なら…

 何でも出来る気がしてきた…。

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