第5話 「……」

 〇あずまえい


「……」


 俺はそのメールを見て…体中の力が抜けた。


『さよなら』


 久しぶりに来た、朝子ちゃんからのメールは…別れを告げるものだった。



 去年の春、学生証を拾った。

 千世子もコノちゃんも引きずってた俺に…その学生証の主『ひがし 朝子あさこ』は…何とも言えない癒しを与えてくれた。

 …出会った時は泣いてたが。


 泣いてた彼女に、一目惚れしたんだと思う。

 泣きたい気分の俺の代わりに、泣いてくれてる気がしたんだろうか…。



 学生証の写真も、普通の表情で。

 別に…笑顔でも何でもないのに。

 俺は、彼女のそれに癒され惹かれた。


 もし、次…彼女に会えたら…と。

 会えたら…すぐに伝えたいと思った。

 好意を持っている事。


 そしてまさかの再会があって…

 俺は、自分のステージを見て欲しくて。

 Live aliveに誘った。

 朝子ちゃんが見ていてくれたら…俺は何でもできる。

 そんな気分になっていた。



 それから、俺達は連絡を取り合うようになった。

 些細な出来事も、彼女には伝えたかった。

 本当にくだらないメール。

 それでも…彼女の反応が新鮮で。

 …本当に、俺が思っていたような女の子だった。


 そう思っていたのに。



 初めての夜…

 朝子ちゃんは、俺の腕の中で…別の男の名前を呼んだ。


『うみくん』


 今もハッキリ耳に残って離れない。


 だけど、その男とは…寝れないまま終わったと聞かされた。

 …だったらいいじゃないか。と思う俺と…

 俺が『朝子』と呼んだ事で、彼女が俺をそいつと間違えたなら。

 もう…一生『朝子』と呼び捨てる事はしない。と…

 ガキのような事を思った。


 必要以上に『朝子ちゃん』と、メールにも書いた。

 …本当に…小さい男だ。



 許嫁…婚約者…

 イラついた。

 俺と出会う前の事に妬いたって…仕方ないのに…



 さらには…ついさっきの出来事だ。

 俺達のプロデューサーであり、PAエンジニアでもあるハリー…

 そのハリーと朝子ちゃんが…

 まさか、だ。

 まさか、あの二人に…体の関係があったなんて。



 …俺と再会する前の出来事だ。

 妬いたって仕方ない。


 朝子ちゃんが前もって告白してしまったのは、『うみくん』の時に俺が言い訳をしろって言ったからだろう。

 ハリーからバレるより先に、自分で言ってしまった方がいい。

 そう思ったんだろうが…


 堪えた。


 そんな所に…追い打ちをかけるように…

『朝子ちゃんを一番よく知る男』の存在。


 …人前に立っている俺でさえもが、並びたくない。

 そう思ってしまうような…いい男だった。


 …なんなんだ?

 朝子ちゃんは…俺が思っていたような女の子じゃなかったのか?


 そう思い始めると…気にすまいとしてたあの事が…俺をイラ立たせる。

 いいよ。と言ったのは俺なのに。

 全然良くなかった。



『映くん』


 朝子ちゃんは…俺をそう呼ぶ。

 今まで…俺をそう呼んでいたのは…千世子だけだ。


『映くん』と呼ばれるたびに、千世子を思い出し始めた。

 朝子ちゃんが『うみくん』と俺を呼んだあの夜から…

 人のものになってしまった千世子が。


 俺の頭から、離れない。



 * * *


「映、具合でも悪いのか?」


 プライベートルーム。

 至近距離で詩生しおに言われた。


 …男のクセにきれいな顔をしてる詩生しお

 見慣れてるはずなのに、少し照れた。



「…そんなに近寄られると、うっかりキスしそうになるからやめろよ。」


「わ…笑えねーな…」


「確かメンバーの中では俺がダントツだな。」


「…頼む…もう忘れてくれ…」


 詩生しおは酔っ払うと男も女も関係ない。

 とにかく…目の前にいる奴全てが愛する華月かづきに見えてしまって…


『華月…好きだ…』


 熱いまなざしでそう言って、キスをする。

 いや…して『いた』んだ。



 大失敗をしてからと言う物…詩生しおは一滴も酒を飲まない。

 まあ…それまでに散々唇を奪われてた俺は、詩生しおの断酒には大賛成だった。



「…えい。」


「ん?」


「何か…悩んでないか?」


「…あ?」


「何か一人で抱え込んでるなら…言えよ?」


「……」


 それは…

 恋愛に関して…か?

 それとも、バンドの事か?



 まあ…どっちにしても、俺は誰にも何も言わないけどな…

 自分の悩みなんて、誰かに解決してもらうような物じゃない。

 それに、目下の悩みである朝子ちゃんの件は…


 …一方的に終わらせられたしな…


 それでなくても…落ち込むのに。

 …ハリーが、事務所と契約した。

 もう、ガッツリDEEBEEにかかりきりになる。

 …気が滅入る。


 あいつの顔見るたびに…朝子ちゃんと…って思ってしまって。


 はあ…


 心配する詩生を置いて、プライベートルームを出る。

 今日は雑誌の取材やテレビ収録が控えてるが、俺と詩生はいつも、つい早く来てしまって時間を持て余す。


 あー…

 空いてるスタジオでも見付けて、少し寝てようか…

 ただ暇なだけの時間は…今の俺にはない方がいい。



「あ、映。」


 呼ばれて振り向くと…詩生の彼女、華月がいた。


「ああ…久しぶり。」


 …ほんとこいつ…よく詩生と復活したよな…

 他の女、妊娠させたのに。


「あの…さ。」


 走り寄って来た華月は、小声で。


「…朝子ちゃんと、上手くいってる?」


 思いがけない事を聞いて来た。


「え?」


「付き合ってるんでしょ?」


「…惜しいな。フラれた。」


「えっ…」


 華月は目を丸くして驚いてる。

 …て言うか…


「朝子ちゃんと知り合いなのか?」


「うん…まあ。」


「…俺達が付き合ってたって、彼女から?」


「うん…でも…朝子ちゃんが映をふるなんて…信じられないな…すごく好きみたいだったけど…」


 華月は周りを見渡して、誰もいない事を確かめてから。


「朝子ちゃん…ちょっと特殊な家に生まれたから、分からない事だらけなんだと思うの。」


 そう言った。


「特殊な家?」


「うん…まあ、いわゆる箱入り娘ね。」


 …その辺は…許嫁がいたり、テレビをほぼ見た事がないって言うあたりで、何となくは…


「だから、恋愛経験なんてほとんどないようなあたしにでも、相談しなきゃどうしていいかわからなかったんだと思う。」


「…相談?」


「あ…」


 華月は『しまった』って顔をしたけど…まあ…だいたい想像はつく。


「…他の男の名前を呼んだ…ってやつか。」


 俺がそう言うと。


「…泣きそうになってたよ…」


 華月は目を細めた。


「…おまえさ…」


「え?」


「詩生が…他の女とあんな事になったのに、何で許せた?」


「……」


 その瞬間。

 華月は少し長めの瞬きをした。


「何で、って聞かれたら…」


「うん。」


「好きだから。としか言えないよね。」


「……」


「許せたって言うより、許すしかなかった。だってあたし…詩生の事好きだもん。その一度の事を許せなくて別れるなんて…あたしには無理だった。」


 華月は一度食いしばって。


「それだけ。」


 笑顔になった。


 自分の悩みは誰かに解決してもらう物じゃない。

 そう思ってたクセに…

 俺は…



「華月。」


「ん?」


「サンキュ。」


「え…どうしたの?」


「おまえが詩生を許してくれたから…今の俺達があるし…」


「……」


「俺も、動ける気がする。」


「…動ける…?」


「いや…朝子ちゃんに連絡してみる。」


 俺のその言葉に華月は。


「…あたし、映と朝子ちゃんって、お互いが成長出来る関係なんじゃないかなって思うよ。」


 さすがモデル…

 っていうような、笑顔を見せた。



 〇ひがし 朝子あさこ


「アホやな、アサコ。」


 ハリーが呆れた顔で言った。



 今日はなぜか…あずきの裏でハリーが待ってて。


「もう仕事上がりなんやろ?茶せえへん?」


 真顔で…言った。


 それから一緒にダリア…は、やめて。

 華月ちゃんに教えてもらった『カナール』に。



「俺、別にアサコと寝たとか言うつもりなかったのに。」


 ハリーはそう言って首をすくめた。


「…だって、言いそうな顔したから…」


 あたしは正直に言う。


 うん。

 言いそうだった。



「で、あれから映とは?」


「……」


 あたしが無言になると。


「…で、あの男は?」


 お兄ちゃんの話を出した。

 …もしかして、そっちが聞きたかったの?



「…あたしを一番知ってる人。」


 お兄ちゃんが言ったように言うと。


「…なるほど。身内やな?」


 ハリーは…ニッと笑った。



 …目の前にいるのは…

 金髪で爽やかで。

 こういうの比べちゃいけないだろうけど…

 映くんとハリーが並んでたら…間違いなく、ハリーの方に目が行くと思う。


 金髪だし。

 人懐っこい笑顔だし。



 かたや…

 映くんは、あまり人前で笑わない。

 ような気がする。


 長い前髪の隙間から、人を見るような…少し暗いイメージ。

 喋ると全然…イメージは変わるけど。



 そんな対照的な二人だけど…

 あたしは…

 やっぱり映くんが好き。


 そりゃあ、ハリーは、あたしの初めての相手で…

 すごく、あれこれと…教えてくれた。

 だけど…



「…ねえ、なんで日本語が喋れるって言わなかったの?」


 あたしが問いかけると、ハリーは拗ねたような唇をして。


「そんなん、こんなナリして関西弁やなんて…面白がられるだけやん?」


 そう言った。


「……」


 確かに…そうかも…


「せやから、俺は狙った日本人女性には、極力英語やなー。」


 …狙った日本人女性…

 そうか…あたし、狙われてたんだ…

 …狙いやすかったよね。

 誰か慰めて!!って首から下げて歩いてる勢いだったと思うし…


 はああああ…


 もう…

 あの時まで、時間を巻き戻したいよ…


 ハリーの事は嫌いじゃないけど…

 やっぱりあたし、映くんが好きだもん。


 さよなら。

 って…メールしたクセに…。



 うつむいてると、ポケットで携帯のバイブ。


「…ちょっとごめん…」


 ハリーにそう言って携帯を取り出すと…


 …映くんからメール…!?


 一気に心臓が…

『さよなら』って送っても…何の返信もなかった。

 …怒ってるんだ…って。

 そう思った。

 だから…


 このメール…

 怖い…


 だけど…勇気を出してそれを開くと…


『会いたい』


「…………」


 あたしは…目を丸くして…そして、何度も瞬きをした。


 これ…

 夢?



 ゴシゴシと目を擦って、もう一度見る。


『会いたい』


 み…見間違いでは…なさそう…

 え…映くんだよね?

 名前を確認。

 う…ん…映くんだ…


 あたしに…会いたい…の?

 あたし、さよならって書いたのに…

 本当に…?



「…映からのメールやな?」


 ふいにハリーが不機嫌そうに言った。


「あ…ごめん…」


「…ま、ええわ。」


 ハリーは伝票を手にすると。


「映もアサコも、恋愛ビギナーやな。楽しませてもらお。」


 笑顔でそう言った。


「えっ…?」


 あ…あたしはそうだけど…

 映くん…ビギナーって…


「あっ、ま…待って、お金…」


「ええよ。次奢ってくれたら。」


「次なんて、ないから。」


「なんで。俺、ええアドバイスできるで?」


「……」


 な…なんて事。

 あたし、ハリーとはあまり会いたくないはずなのに…

 アドバイスできるって言われた途端…


「…じゃあ…次の時に…」


 つい、そう言ってしまった。


 ハリーとカナールを出て。

 あたしは…少し悩んだ。


 だって…映くん…

 この『会いたい』は…どういう意味?


 会って、別れる話をちゃんとしたいから…会いたい?

 そうだとしたら…

 あたし…

 浮かれちゃいけないし…


 だけど、もし…もし映くんが…

 素直に、あたしに会いたいだけだったら…

 あたしだって、『あたしも』って返したい。


 …どうしたらいいの?



「あ…あの…」


 ハリーの背中に声をかける。


「あ?」


「…会いたいって、色んな意味に取れる…よね…?」


 あたしの言葉にハリーはすごく…その…

 変な…顔をして。


「げっ…マジ?アサコ…」


「…え?」


「何、その深読み。めんどくさっ。」


「……」


「映から会いたい言われたんなら、そのまんま今のアサコの気持ち返したらええやん。何で裏読むん?」


「…それは…」


「アサコ、自分が傷付くのがイヤやからって、先に先に予防線張り過ぎやない?」


「……」


「そんなん、男から見たらおもんないで?」


 …傷付くのが怖いから…

 ああ…当てはまり過ぎる…


 自分から『さよなら』ってメールしたのも…映くんに嫌われる前にって思ったのも確かだし。

 映くんの口から別れるって言葉を言われる事に耐えられないって思ったから…


 …予防線…


 ほんと、あたし…

 自分を守る事ばかり…



「恋愛なんて、傷付いたり傷付けたりしてぶつかる事で、お互いを理解して絆が出来てくんちゃうん?」


「……」


 …傷付く勇気もないクセに、恋愛なんて…

 あたし…あたしの事、褒めて気持ち良くしてくれた映くんの事を好きになったの?

 違うよね…?



「会いたいってメール来て、嬉しかったんやろ?そういう顔したで?」


「……」


「…アホ。」


 ハリーはあたしの額を手の平でグイッと押した。


「…ごめん…でも…ありがと…」


 あたしがそう言うと、ハリーは手をヒラヒラとさせて歩いて行った。


 そしてあたしは…

 映くんのメールに、返信した。


『あたしも…会いたい』



 …うん。

 会いたい。

 傷付けてしまった分…あたしも、傷付く勇気を持たなきゃ…

 そして、今度は…

 映くんを傷付けないよう…

 強くならなきゃ…。

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