第4話 華月ちゃんと別れた後。

 〇東 朝子


 華月ちゃんと別れた後。

 あたしは、遅ればせながら…DEEBEEのCDを買いに音楽屋に寄った。

 そして、映くんが表紙になってた雑誌も買った。

 さらに、DEEBEEの記事が載ってる雑誌を探して、五冊買った。


 もっと知りたい。

 映くんの事、もっと知りたい。

 …知らなくちゃ。



 本当…何もかもが遅い。

 息巻いて二階堂から出て。

 一人暮らしを始めて、仕事もして、恋も…始まって。

 順調過ぎた。


 あたし…自分自身が育ってないのに…

 映くんに好きって言われて。

 のぼせあがった結果がこれだ。


 傷付けた。

 きっと…すごく傷付けた。



 買い物をして部屋に帰ると、あたしは携帯を手にして深呼吸した。


『映くん、会いたいです』


 一言…そう送ると。


『急にどした?』


 すぐに返信があった。


『会いたいの』


『悪いけど、しばらく時間取れないかも』


 ……眉間に力が入った。

 この間まで、どうにでもなるって言ってたのに…



 …海くんの名前を言ってしまった、あたしが悪い。

 分かってる。

 分かってるけど…



 携帯を手に、泣いてしまった。

 あたしが悪いけど…

 こんなにあからさまに避けられるなんて…



 首元のネックレスを触る。

 映くんがプレゼントしてくれた、ピンクトルマリン。

 あたし…

 どう返信したらいいの?


『だったら仕方ないね』


『どうして?どうにでもなるって言ってたじゃない』


『分かった』


 メールを打っては消し…

 結局、どう返していいか分からなくて…あたしは携帯の電源を落とした。



 …苦しい。


 膝を抱えて、しばらく泣いてると…



 ピンポーン


 …誰か来た。

 泣き顔のまま出たくなくて、そのまま身動きしないままでいると…


『いるのか?いないのか?』


 ドアの外から…映くんの声…

 あたしは、ゆっくり立ち上がって…玄関のドアを開けた。


「…え?」


 映くんはあたしの泣き顔を見て、丸い目をしてる。


「どした?何があった?」


「…別に何も…」


 うつむいてそう言うと。


「電話したら携帯繋がんねーし…心配で来てみたけど…何があったんだよ。」


「…何でもない。」


「なんでもない顔じゃねーだろ。」


 映くんはあたしの顎を持ち上げて、顔を上に向かせて。


「まだ打ち合わせがあるから、そんなに時間ないんだ。さっさと言え。」


 早口に言った。

 その言葉に…あたしはカチンと来てしまって。


「…時間取れないって言ってたじゃない。来なくて良かったのに。」


 映くんの目を見ずに言った。


「あ?だから電話したのに、電源落としてるからだろ?」


「もう…もう、いい。」


 あたしは映くんの手を振り払って。


「違う男の人の名前呼ぶような女、嫌いになったんでしょ。」


 低い声で言った。


「…は?まだそんな事言ってんのかよ。」


「だって…あれからずっと…映くん冷たい。」


「……」


 あたしの言葉に映くんは無言になった。

 そして…大きく溜息をつくと。


「そーだな…ま、気分は良くなかったからな。でも、こっちは意識しないようにしてたつもりだけど、朝子ちゃんはそんな事ばっか考えてたんだ?」


 映くんは…呆れたような口調で言った。


「分かったよ。急ぎ過ぎた俺が悪かった。」


「……」


「しばらく…会うのやめよう。」


「え…」


「お互い、本当に必要なら…そういうのが分かり合える時が来るだろうから。」


 あたしは…

 映くんが何を言ってドアを閉めたのか、分からなかった。


 ただ…

『しばらく会うのやめよう』って言葉だけが。

 あたしの中に残った。



「……」


 映くんに、しばらく会うのをやめようって言われて。

 あたしは放心状態のまま…部屋の中に座り込んだ。

 テーブルの上には…買ったばかりのCDと雑誌。


 …バカだな…

 あたし。

 本当に…バカだな…



 映くんが表紙になっているベースの雑誌を袋から取り出して。

 パラパラとページをめくった。

 どのページにも…余所行きの顔みたいな映くんがいて。

 ここで…あたしの膝枕で寝てた彼とか…

 あたしの作った料理を食べて、ニヤけるって笑ってた彼とは違う。


 …どっちが…映くん?



 涙が止まらなくて。

 泣きながらページをめくり続けてると…


「………え。」


 見覚えのある顔が…そこにあった。


「…え?え?」


 あたしは食い入るように、そのページを見つめた。



『若き敏腕プロデューサー ハリー・エリオット』


 ハリー・エリオット…


『DEEBEEのプロデューサーとしても知られるハリー・エリオット。しかし彼の名前を知る人の多くが、『彼は最高のPAエンジニアだ』と評価する。そのハリー・エリオットが、現在はアメリカ事務所で若手ミュージシャンのデビューアルバムを手掛けていた彼が、この夏ビートランドで開催されたイベントで指揮を取った。彼の作りだした音の空間は、今後の活動の拠点を日本に置かざるを得ないほどビートランドの上層部に認められたようだ』


「き…拠点を日本に…って…DEEBEEの…プロデューサー…って…」


 あたしは雑誌を手に、わなわなと震えた。


 って事は…よ?

 この人…映くんと…知り合い…って事?


 か…神様。

 なんて…

 なんて意地悪なの…!?



 雑誌に載ってた『ハリー・エリオット』…

 金髪の、爽やか系の男性は…


 あたしの…初めての相手で…

 あんなことやこんな事を…

 教えてくれた男だ…。



 ハリー・エリオットって名前さえ知らなかった。

 あたしは『アサコ』って名乗ったけど…彼は…名乗った?

 名乗ってたとしても、違う名前だったような気がする。


 …もしかしたら…

 別人かもよ?

 そう…そうよ。

 他人の空似ってあるし。



 あの雑誌を見てしまって以降。

 あたしはハリー・エリオットの事ばかり考えてしまって。

 映くんの事…考えなくて済んだ。


 …済んだって言うか…

 考えないようにしてるのよね…


 だって…

 もうダメだって言われたようなものよ…


 用意された恋も成就できなかったあたしに…

 いきなりハードルが高過ぎたんだよ。



 仕事の時は、仕事だけ。

 あたしは仕事に没頭した。

 新しいメニューを考えてみないかとおかみさんに言われて、毎日帰って一人で色んな料理にチャレンジした。

 もちろん、あずきのメニューに合いそうな物。

 だけど、あずきに来るお客さん達は、今のあずきに満足しているように思う。


 だから…


「今あるメニューについてるサラダを少し変えるとか…そういうので良くないですかね?」


「そうねえ…最近外人のお客さんも増えて来たから、ちょっと洋風な物も取り入れた方がいいかと思ったんだけど、ガラじゃないかしらねえ。」


「それこそ日本の味の方がいいんじゃないですか?お味噌汁の具を日替わりにするとか、プラス料金で豚汁なんてどうでしょう?」


「ああ、豚汁いいねえ。今まで味噌汁には手間かけないって言い張ってたけど、朝子ちゃんが来てくれるようになってお父さんも余裕が出来たから、それもいいね。」


 とにかく…必死だった。

 恋なんて、二の次と言わんばかりに。

 ネックレスも…箱に入れて、クローゼットの奥にしまい込んだ。

 雑誌も…CDも。



 今は、映くんの事を考えるだけで涙が出るから…

 あたしは、仕事と…

 ハリー・エリオットと絶対会わないで済む生活をすればいいんだ。って。


 そればかりを考えていた。


 * * *


 ハリー・エリオットに会わないで済むように生活してた。

 はずなのに。


 いつものように、少し早めに店に向かって。

 まだ開店前。

 誰もいるはずのない店の前に…


 …金髪…


 …ちょっと…まさか……


「あ。」


「……」


 あたしは目を見開いて…そして、さりげなく向きを変えて。

 ダッシュ!!


「アサコ!?なんで!?」


 それはこっちのセリフ!!

 なんでー!?

 なんでハリーが…『あずき』の前にいたの!?


 そ…そう言えば…

 おかみさんが…


『最近は外人のお客さんも増えたし』


 なんて言ってたような…


 それって…

 ハリーが通ってた…とか!?



「アサコ!!」


「きゃっ!!」


 腕を掴まれて、振り向かされた。


「……」


「やっぱり…アサコ…どうして逃げたの?」


「…それは…」


 会いたくなかったから…よ。


 ハリーはあたしの腕を掴んだまま。


「俺…あれからアサコの事ばかり考えてた。」


「…え?」


「会えないかなって…毎晩あの店に行ってたのに…」


「……」


「そっか…日本に帰ってたんだ…」


 ハリーは髪の毛をかきあげて…あたしを見つめて。


「アメリカには?」


 首を傾げた。


「…もう、用はないわ。」


「そうか…じゃ、アサコがいるなら…俺も日本で働こうかな。」


「えっ。」


 あの雑誌の記事が頭をかすめた。

 拠点を日本にせざるを得ない…とか何とか…


「連絡先聞いていい?」


「いっ…いえ、あの…あたし、あの…」


 あたしが困ってしどろもどろになってると…


 ぐい。

 突然、ハリーの手があたしの腕から引き離された。


「何やってんだ。」


「……映く…」


「……」


 突然の映くんの登場に。

 あたしもだけど…ハリーも驚いてる。

 二週間ぶりの…映くん。

 ああ…やだ…泣きそう…



「何外人気取って英語で女口説いてんだよ。」


 映くんはそう言いながら、あたしを自分の後ろに追いやった。


「…え?外人気取って…って…」


 泣きそうになってたのに、映くんのその言葉にあたしがキョトンとして二人を見ると。


「こいつ、日本語ペラペラ。」


「えっ…?」


 映くんにそう言われたハリーは…


「いや、俺半分は外人やけどな…なんや、映とアサコちゃん、知り合いやったんか…」


「え…?え?え?」


 その見た目とは…随分似合わない…関西弁…


「…知り合いなのか?」


 映くんが、あたしを振り返った。


 …はっ…!!


「俺とアサコは…」


 い…言わないで!!

 と思ったけど。

 どうせ…あたしと映くんはもうダメだ。

 それなら、変に隠してビクビクするより…


「あたしの、初めての相手なの。」


 あたしは…映くんの後ろで。

 低い声でそう言った。



「……」


 映くんが、無表情であたしを見てる。

 今度は…あたしも目を逸らさなかった。


「…今、なんて?」


「…アメリカにいた時に知り合ったの。グレたあたしが行ったバーに、彼がいて…」


「熱い夜やったよな。」


 ハリーが言葉とは裏腹な、爽やかな笑顔で言うと。


「…それはそれは…」


 映くんはハリーに冷ややかな目をした。


「で?映はアサコの何やの。」


 ハリーが首を傾げて問いかける。


 い…

 今その質問?


「……」


 ハリーの問いかけに、映くんは無言だった。


 そっか。

 言えないんだ。

 彼女…って…言ってほしかったけど…

 しばらく会うのやめようって言われて…

 連絡もなかった。

 あたしからも、しなかった。

 これが俗に言う自然消滅なのかー。なんて、他人事に思ってた。


 だけど…

 あたし、映くんの事…好き。

 こうして、そばにいるだけで…

 もう、このままずっと一緒にいたいって…



「俺達がどういう関係でも、おまえには関係ねーよ。」


 あたしの腕を離しながら…映くんが言った。


 …手…離されちゃった…

 食いしばって、うつむいてしまった。

 もう…これって、無理だよね…

 いい雰囲気の時に、他の男の人の名前を言ったり…

 映くんの知り合いが、初めての相手だ、って…告白してしまったり。


 こんな女…

 願い下げだよね…



「ほー。ま、そう言うんなら、俺にもチャンスあるって勝手に思うで?」


 ハリーがそんな事言ってるけど。

 あたしは…もう恋なんてしたくないって気持ちになっていた。


 海くんとは、あんな形で終わって。

 映くんとは…あたしの大失態で傷付けて終わるとか…

 恋なんかするなって事よ…きっと。



「……」


「あれ?チャンスある思うてええんや?それなら、俺早速こっちの事務所と契約しよ。」


 映くんが何も言わない。

 それがあたしの気持ちを小さく小さくして行った。

 何か…言ってよ…


「アサコ、俺、彼氏候補にしといてな。」


 ハリーがそう言って、映くんの肩を押しよけてあたしに近寄ると。



「二人ともダメだな。」


 聞き慣れた声がした。


 顔を上げると…


「お…」


 そこに、お兄ちゃんがいて。

 あたしを見て、唇の前に人差し指を立てた。


 な…何?

 黙ってろ…って事?



「…なんやおまえ。」


 ハリーがお兄ちゃんをジロジロと見る。

 映くんは…相変わらず無表情。


「誰よりも朝子を知ってる男さ。」


 お…お兄ちゃん!!

 そ…そんなの誤解されちゃう!!

 案の定、映くんとハリーは目が細くなってる…


「まず、おまえは軽すぎる。ダメだ。」


 お兄ちゃんはそう言ってハリーの体を軽く押して。


「そして、おまえはずっと朝子を泣きそうな顔にしてる。ダメだ。」


 映くんには…そう言って冷ややかな目を向けた。


 それでも…映くんは何も言わなかった。

 …もう…本当に…ダメだ。

 何も言ってくれない映くんに、あたしの心はポキッと折れる寸前…



「朝子、仕事が始まるぞ?行こう。」


 お兄ちゃんはそう言ってあたしの肩を抱き寄せた。


「待て。」


 歩き始めたあたし達に声をかけたのは…


 映くんじゃなかった…。




「待て。」


 ハリーが声をかけたけど。


「朝子は仕事だから。」


 お兄ちゃんはそう言って、ハリーを軽くあしらった。

 …映くんは、何も言わず…あたし達を見送ってた。



「…お兄ちゃん…」


 並んで『あずき』に向かって歩きながら。

 あたしは…低い声で問いかけた。


「…どこから…聞いてたの?」


「……」


 あたしの問いかけに、お兄ちゃんは少し間を開けて。


「目つきの悪い男が、俺達がどんな関係だろうと…って言ったぐらいかな。」


 って言った。


 …映くん、目つき悪いかなあ…なんて。

 ちょっと、現実逃避した。

 だって…お兄ちゃん。

 …今…選んだね?

 聞いた言葉の中から、どこにしようって…選んだよね?



 …聞いてたのかな。

 聞いてたかもしれないよね。

 ハリーが…

 あたしの初めての相手だ…ってとこ。


 ああ…

 あたし、何だってあんな事…自分から暴露しちゃったんだろ…

 情けなくて泣きそうになってると。



「朝子は…目つきの悪い男の事が好きなのか?」


 お兄ちゃんは前を向いたままで言った。


「…お兄ちゃんは、咲華さんの事…好きよね?」


「ああ。」


「そばにいたいって、思うよね。」


「ああ。」


「あたしも…彼の事、そう思ってたんだけど…」


 ガックリと肩を落とす。


 ああ…あんなに毎日が楽しかったのに。

 恋って…楽しかったり苦しかったり…

 落ち着かない。



「…俺と咲華も、ずっと上手くいってたわけじゃない。」


 あたしが落ち込んでると、お兄ちゃんが話し始めた。


「…え?」


「苦しくて辛い時期もあった。だけど、そういうのを越えてでもそばにいたいって思えれば…本物なんじゃないかな。」


「…お兄ちゃんは、思ったのね…?」


「ああ。仕事柄…諦めなきゃいけないって思った事もあったけどな…」


「……」


 そっか…

 確かに、二階堂の仕事をしてて…外の人と恋愛するのって…難しいと思う。

 それでも…お兄ちゃんは見付けたんだ。

 そばにいたいって思える人を。

 咲華さんを。



「…彼の事、好きだけど…やっぱり、今は…もっと自分に自信をつけなきゃダメだなって思う…」


 華月ちゃんの言う通り…映くんの本心が分からない。

 だけどそれは…

 あたしにも心を閉ざしてしまってるからだと思う。


 …まずは、あたし…

 自分自身にもっと…磨きをかけなきゃ。

 好きなはずの映くんを、傷付けてばかり。

 ほんと…何やってんの…



「…金髪の方はしつこそうだぞ?」


 お兄ちゃんが小さく笑った。


「そうかな…」


 ハリーには…なんの感情もない。

 本当に…グレちゃってた時だから…

 ただ、寝た相手って言うだけだ。


 …でも、後悔。

 すごく、後悔。



「じゃ、頑張れよ。」


 あずきの前で、お兄ちゃんに手を振った。

 そして、あたしは厨房に入る前に…

 映くんにメールを打った。



『さよなら』



 って…一言。



 やっぱりあたしには…



 荷が重い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る