第3話 「え…」

 〇東 朝子


「え…」


 あたしは、雑誌を手に、呆然としていた。


 仕事に行く前に、ちょっと寄ってみようかな。ぐらいの軽い気持ちで寄った音楽屋。

 CDコーナーより先に目についた雑誌コーナー。

 なぜ目についたかと言うと…

 表紙に、映くんの姿があったから。



 それは、ベースの雑誌だった。

 表紙に大きく、『東 映特集』って書いてある。


「……」


 特集組まれるぐらいの有名人って事…だよね。

 表紙だよ?


 ベースの事は全く分からないけど…ページを開いてみた。

 そこには、映くんのライヴ写真や、バンドメンバーさん達と笑ってる写真。

 そして、インタビュー記事が載っていた。


 …そう言えば…

 あたしと会ってる時は…音楽の話なんてしないよね。

 完全にお休みモードって事なのかな…

 …それはそれで嬉しい。気がする。



 インタビューは音楽の事からプライベートな事まで。

 特集というだけあって…たくさんの事が書かれていた。


 …映くん、英語もイタリア語もドイツ語も…ペラペラ?

 翻訳の仕事もしてるんだ…


 音楽の話はサッパリだったけど、映くん自身のプライベートな部分をしっかり読んでしまった。

 な…何だか、ファンみたいな気持ち…



『女性の好みは?』


『別にこうでなきゃいけないってこだわりはないけど、ちょっとした事で『癒される』と俺が感じられる子がいいかな。だから、相手がどんなタイプっていうより、俺の感じ方次第』


 …癒される…


 映くん、何度か…言ってくれた…よね?

 あたしに…癒されるって。

 つい、口元が緩んでしまう。

 ああ…周りから見ると、怪しいよね。



 ライヴ写真の映くんは、あたしと会ってる時とは全然違って。

 そのギャップが…カッコ良かったりする…

 …あたし…この人にハンバーグ食べてもらった…

 それどころか…膝枕して…

 それどころか…抱きしめられて…キスも…


 バサバサッ


 つい興奮して、本を落としてしまった。

 赤くなりながら、それらを拾う。


 ああ…ダメダメ。

 もう仕事に行こう。



 あたしがこの時…もっと、ページを読み進めていたら。


 後で…あんな展開にはならなかったのに。



 って…

 後悔なんてしたって、仕方ないのに。



 なんであたし…映くんの特集がしてある雑誌…買わなかったんだろう。

 普通買うよね。

 だけど…普通じゃない場所で生まれ育ったあたしには…雑誌を買わないっていうのが普通だった。


 …うん。

 ほんと…残念な習慣。


 とほほ…って感じ…。



 * * *


「ほ…本当に…いいの?」


 あたしは、テレビとDVDプレーヤーを接続してる映くんに問いかける。


「いいよ。」


 映くんは、テキパキと配線をチェックしてる。


 …そばにある箱を見ると…


『ブルーレイDVDレコーダー』


 …レコーダー…って事は…


「え?これって、見るだけじゃないやつ?」


「ああ…どうせならと思って。録画もできるのにした。」


「録画…する事なんてあるかなあ。」


 あたしが苦笑いすると。


「…俺が出るやつとか?」


 映くんが、顔だけ振り返って言った。


 ……はっ。

 映くん、テレビにも出てるの!?

 あたし、今更な事に気付いた。

 そ…そうか…そうよね。

 本家の陸さんのバンドが顔を出さないって聞いてたから…自然と、みんなそうなんだって気がしてたけど…

 だいたいは、テレビ出るよね。

 雑誌の表紙になってたぐらいだし…



「う…うん。録画する…」


「ははっ。無理矢理言わせた感じだな。俺。」


「ちっ違うよ。テレビに出てるって…思ってなくて…」


 あたしが申し訳なさそうな顔で言うと。


「…朝子ちゃん、おもしろい。」


 映くんはそう言って…笑った。

 う…本当、ごめんなさい…。



「あっ…でも、レコーダーって高いんじゃ…」


 あたしが青くなりながら問いかけると。


「大丈夫。俺、結構稼いでるから。」


 映くんはさらっと言って。


「あ、でも別にいつもこんな感じで買ってるわけじゃないから。」


 後で、慌てて付け足した。


「え?」


「いや、稼いでるから買い物しまくってるって言ったように思われたかと思って。」


 …ふふっ。

 慌てた映くん、初めて見た。



 本当は外食する?って聞かれたけど、レコーダーを買って来てくれるって聞いてたし…

 あたしが作るって言っておいた。

 主役なのに?って映くんは言ってくれたけど、料理は苦じゃない。


 それに…

 美味しいって言ってくれるのが、プレゼントみたいな所もあるし…



 誕生日おめでとう。って、シャンパンで乾杯して。


「これ、プレゼント。」


 映くんが、箱をくれた。


「え…?でも、あれ…」


 あたしがレコーダーを指差すと。


「付き合って初めての誕生日プレゼントだぜ?あれは一人暮らしのお祝いって事で。こっちが誕生日プレゼント。」


 …優しいな…


「開けていい?」


「もちろん。」


 箱を開けると、中には…


「…可愛い…」


 花の形の真ん中に、薄いピンク色の石のついたネックレス。


「ピンクトルマリン。10月の誕生石だってさ。」


「そうなんだ…あたし、そういうの全然知らない…駄目ね。」


 あたしが首をすくめると。


「知らなくても害はない。」


 映くんは小さく笑って、ネックレスを手にして。

 さりげなく…つけてくれた。


「…うん。可愛い。」


「…ほんと…?」


「ネックレスが。」


「!!!!」


「あはは。冗談だって。今、すげー顔したな。」


「も…もー!!ひどい!!」


 恥ずかしい!!

 あたしが勢いに任せて映くんをポカポカと叩くと。


「嘘だって。朝子ちゃん、可愛い。」


 映くんは、あたしの腕をとって…


「……」


 あー…ダメ…

 とけちゃいそう…


 本当に…

 とけちゃいそうな、キスをした…。




「うん。美味い。ダメだ…ニヤける。」


 あたしの作ったシチューを食べながら、映くんは口を押えた。


「嬉しい。」


 あたしも…笑顔になる。

 ああ…いいのかな…

 こんなに幸せで。



 今夜は、もう…泊まる事前提で来てもらったし…

 あたしも…毎日ドキドキしながら…心の準備もした。


 シャワーして…お布団敷いて…


「いい?」


 って聞かれて…

 あたしは…頷くしかなかった。



 大丈夫…だよね…?

 海くんは…あたしとはできなかったけど…

 映くんは…

 大丈夫だよね…?



 体が緊張してしまったんだと思う。

 あたしが、映くんの背中に回した手に、ギュッと力を入れ過ぎたせいか…


「…力抜いて。」


 耳元で言われた。


「朝子ちゃん…初めて?」


「……」


 はっ…と。

 そこで…気付いた。

 手を繋ぐのも初めてで…

 こんなに…男の人に免疫なさそうな女…

 そりゃあ、初めてだって思うよね…?


 だけどあたし…

 …見ず知らずの男に…初めてを捧げてしまった。

 しかも…二日連続で…


 あああああああ。


 今になって、後悔…



「う…」


 ううん。

 って…

 言おうとしたけど…


「嫌だったり、痛かったりしたら言って。」


 映くんは…どう受け取ったのか。

 そう…優しく言った。



 嫌でも…痛くも…なかった。

 映くんは、ずっと優しくて。

 あたしは、お互いが好きっていう気持ちがあるからなのか…


「あっ…あ…」


 すごく気持ち良くて…


「…朝子ちゃん…好きだ…」


 耳元で繰り返されるその言葉に。

 あたしは、すごく…幸せを感じて。

 映くんの事、本当に…大好きって思えて。


「あたしも…好き……っ…大好き…」


 そう…言えたのに…



「あ……んっ…」


 お互いが果てて…

 ギュッと抱きしめられて…


「朝子…」


 映くんが、あたしの名前を…呼び捨てにして。

 なぜかあたしはその時…


「…海く…」


「……」


「……」


 一瞬…映くんが…息を飲んだ気がした。


「…誰かと間違えた?」


 映くんは、笑ってるような感じで言ったけど…

 少しだけ…いつもより…冷ややかな声だった。


 …あたし…最低…。



「…シャワーしてくる。」


 映くんがそう言って立ち上がった。


「あっ…あの…」


「…一緒に行く?」


 あたしが声をかけると、映くんは…普通にそう言ったけど…

 …普通じゃない…よね。

 口元は笑ってるけど…

 …目が。

 違う…気がする…



「…うん…行く…」


 意を決して言うと。


「…無理すんなって。さっきの事で気を使ってるんだったら…別にいーから。」


「でも…」


「いーから。」


「……」


 気が抜けたように…バスルームのドアが閉まる音を聞いた。


 …あたし…バカだよ…

 もし、映くんが他の女の子の名前言ったら…あたし…ショックで立ち直れないかもしれない…


 唇を噛みしめてると、涙が出て来た。


 …どうして?

 どうして…海くんの名前なんて…

 もう、終わった事なのに…


 ううん…

 始まってもなかったようなもんだよ…

 海くんは、あたしを好きなんかじゃなかったし…



 一度に色んな感情が湧いて。

 あたしは脱ぎ捨ててた物を着て、ベランダに出る。



 こんなに…あたしに幸せな気持ちをくれてる映くんに…

 あたし…最悪…

 なんて酷い事しちゃったんだろう…


 涙が次から次へと溢れて、止めようと思っても止まらなくて…



「…風邪ひくぞ。」


 気が付いたら、映くんがシャワーから出て…後ろからあたしを抱きしめた。


「……」


「…気にすんなって言っても、無理か。」


「……ごめんなさ…」


「…悪い。俺も…気になったのに気にしてないフリした。言い訳してくれ。」


「……」


「そしたら、お互い少しは楽んなるだろ?」


 映くん…どこまで優しいの…?



「…あたし…」


「うん。」


「…許嫁がいて…」


「え?」


「…婚約して…一緒に暮らしたけど…上手くいかなくて…別れたの…」


「……」


 映くんは、あたしの頭に頬を寄せて…体を揺らした。


「彼は…色んなストレスを抱えてて…その…それで…あたしと…できなくて…」


「…一度も?」


「…うん…」


「…それで?」


「それで…あたし…女として…魅力がないんだ…って…惨めになった…だから…映くんが、もし…」


「…出来なかったら、どうしようって?」


「…うん…」


「で、出来たけど…その男なら良かったなー…って名前が出たのか?」


「違う!!」


 あたしは映くんの顔を見上げる。


 …怒った顔…?


「…ごめん。意地悪を言うのは、今ので最後。」


「…朝子って…呼ばれたから…」


「……」


「つい…」


「……分かったよ。朝子。」



 その…

 とってつけたような『ちゃん』が…

 あたしの胸を締め付けた。

 映くんは…きっともう…あたしを呼び捨てにはしない…



 あたし…

 バカ正直に…全部話して…




 …本当に、バカじゃないの?



 * * *


「久しぶりね、朝子ちゃん。」


 目の前の華月ちゃんは…それはもう…

 女のあたしが見ても、目がくらむほどの輝きを放ってた。



「ご…ご無沙汰してます…」


「もうっ、そんなに余所余所しくしないでよ。一緒にお風呂に入った仲じゃない。」


 …そうだ。

 一緒に温泉に行った。

 あの時は、華月ちゃんと紅美ちゃんのスタイルの良さに、コンプレックス感じまくったんだっけ…


 …どこまでもマイナスなあたし…



 あたしは、どうしても…誰かに恋の相談がしたくて。

 兄に頼んで、華月ちゃんの連絡先をゲットした。

 …兄の彼女、咲華さんでも良かったんだけど…

 どうも咲華さんは…なんて言うか…

 ちょっと、あたしと同じ匂いがする。

 あまり恋愛経験がなさそう。


 かと言って、華月ちゃんが恋愛豊富かと聞かれると…

 これもまた…微妙だけど…



 でも。

 華月ちゃんの彼氏は。

 映くんのバンドのボーカリスト。

 何か色々ヒントになるような何かが…ないかな…



「それで、何?相談って。」


 華月ちゃんが待ち合わせに指定したのは、『カナール』っていうお店だった。

 ダリアだと知った顔が絶対居るから。って、このお店に。

 紅茶が美味しいんだよ。って言われて、あたしは華月ちゃんと同じ『バニラ』をオーダーした。



「あの…」


「うん。」


「あたし…婚約破棄…」


「あ…そうだってね。何があったか知らないけど…大丈夫なの?」


「う…うん。あたしは…もう、その…」


「ん?」


「彼氏が…いて…」


「えっ。」


 華月ちゃんの驚きは、あたしをも驚かせた。

 目を丸くして華月ちゃんを見てると。


「あ…ごめん。だって朝子ちゃん…すごく…一筋っぽかったから…」


 華月ちゃんも、目を丸くして言った。


「うん…すごく一筋だった…」


「だから…正直、海さんの方から…?って思ってたんだけど…」


「そう思うよね…それは…まあ、もう…いいんだけど…」


 つい、しどろもどろになってしまった。

 海くんとの事、あたしはもう…いいかなって思えるぐらいになってるけど…



「あのね、華月ちゃん。」


「うん…」


「あたし…バカだから…」


「……」


「彼氏と…その…あの最中に…その…あの時に…」


「……」


「…海くんの名前…言っちゃって…」


 華月ちゃんの目が細くなった。

 口も開いてる。

 …やっぱ、最悪…よね…?



「う…うーん…それで…彼は?」


「…怒ってない…って言うけど、たぶん怒ってる…」


「…だよね…うーん…これは…あたしに相談しても…」


「…そうだよね…ごめん…でも、誰かに聞いて欲しかったのかも…」


 そうだよ…

 残念なあたしには、恋愛相談をする友達もいない。

 こうやって行き詰まった時、どうしたらいいの?



「…ちなみに、彼氏は何歳?」


「…あたしより、一つ上…」


「じゃ、あたしと一緒ね。」


「…映くん…なの…」


「…………え。」


「……」


 華月ちゃんの口が『え』のまま止まってる。

 そんな顔してても可愛いなんて、ずるい。

 そんな事を考えながら…

 あたしは…華月ちゃんが何かいいアドバイスをくれないかなあ…

 なんて、華月ちゃんを見つめた。



「え…映って…DEEBEEでベース弾いてる…映?」


 コクコク。


「あの、東 映?」


 コクコク。


「…い…いつから…?」


 華月ちゃんは『信じられない』って顔で、そう問いかけた。


「…彼は…去年の春から…あたしの事知ってたみたいで…」


「朝子ちゃん…婚約破棄したのって…」


「…先々月。」


「…で、映とは…それから始まったの?」


「うん…」


「そっか…」


 あたしは、あの時の映くんの様子を、華月ちゃんに話した。

 意地悪言うのはこれが最後って言われたけど…あれから映くんは、ずっと…

 あたしの事…『朝子ちゃん』って…メールして来る。

 それがあたしには…一線引かれた気がしてたまらない。



「うーん…」


 華月ちゃんは可愛い顔にしわを寄せてまで、考え込んでくれてる。


「映はサバサバしてるけど、あまり人に自分を見せないって言うか…」


「自分を見せない…」


「うん。今の絶対傷付いたよねって思うような事があっても、全然平気って顔してたりさ。」


「……」


「バンドメンバーも、映の本心が分からないって言うぐらいだし…」


 本心を見せない…

 そんな映くんを傷付けてしまった。

 もしかしたら、あたしには…少しでも心を許してくれてたかもしれないのに…



「…あたし…映くんのおかげで、海くんとの事…思い出って言うか…もういいって思えるようになったのに…」


 映くん…もう、あたしの事なんて…好きじゃなくなったかな…

 言い訳してくれって言われて…海くんの話をしたけど…

 映くん、どう思ったんだろ…



「その時以降、会ったの?」


「ううん…メールだけ。」


「会いたいって言ってみたら?」


「え?」


「会いたいんでしょ?」


「……うん。」


 そうか。

 そうだよ。

 あたし…本当ダメだな…

 映くんの反応が怖いってばかり思って。

 自分の気持ち…出せてない。


 会いたい。

 会って、映くんの顔が見たい。

 顔を見て、話したい。



「ありがとう、華月ちゃん。」


 あたしが華月ちゃんの目を見て言うと。


「…こんな事言ったら、海くんには悪いけど…」


 華月ちゃんは髪の毛をかきあげて。


「朝子ちゃん、今…いい顔してる。映の事、本当に好きなんだね。」


 そう言って笑ってくれた。

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