第35話 想起

「なあ。ガウガウ病ってどうなるんだ?」

ヘビクイワシが訊く。

「どうって…あんまり覚えてはいないけど」

自分が自分でなくなるような。自分が、より自分になるような。そんな感覚を伝えたら、ヘビクイワシは心配するだろう。

「お見舞いには行かなくていいのか?」

「お見舞い?」

蝋燭の頼りないオレンジの灯りに、味気ないコンクリートの宿舎の壁が揺らぐ。毛布をまとったヘビクイワシが、グラスを二つ、チンと鳴らし、アムールトラの横に座る。

「前は暇を見つけては、病院に行ってたじゃないか」

グラスにジャパリワインを注ぐ。

「そうだっけ」

「そうさ。ちょっと嫉妬したよ」

「なんで」

「なんでって…いつもまーちゃん、まーちゃんってさ」

「まーちゃんはそんなんじゃ…」

言いかけて、アムールトラは愕然とした。今の今まで、まーちゃんのことを一度も思い出さなかった。

「あれから何日経った?一週間?二週間?」

カレンダーは、既に一枚破られていた。


ヘビクイワシに電話がかかってきたのは、早朝だった。

『アムールトラはいるか』

「アムールトラは、ちょっと前に出かけて」

『どこに行ったかわかるか?』

「ええと、巻上先生ですよね。どうしました?」

『電話してみたんだが、つながらなくてね。どこに行った?』

巻上らしからぬ、慌てた様子に、ヘビクイワシも電話を握り直す。

「お見舞です、まーちゃんって子の」

『それはまずい。止めなくては』

「どういうことです」

『アムールトラをまーちゃんに会わせてはいけない。彼女の命に関わることだ』

「すぐに追いかけます。後でちゃんと説明してください」

ヘビクイワシは電話を切ると、駐車場に停めてある愛車に走った。

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