ぼくは万有の内に旅する夢を見る

Scene.11

 ぼくは万有の内に旅する夢を見る


 今日も銃声と悲鳴が聞こえるトロイカ西区画。改装中のイタリアンレストラン『オニオンジャック』の向かい側。こんな昼間から飛ばしちゃって、と呆れながら、その喧騒を遠くに銀色のスプーンで生温いスープをひと掬い。

 ニンジンなんて絶滅しろ、そんなスローガンを掲げた店主の営むカフェ・トムキャロット。そのカウンターでブランチをしている少女の後ろを、黒いスーツの物騒な男たちが駆け抜けていった。活きの良いのが四、五人。手に手に銃を抜いて。

 この西区角の中心部はキッチンストリートと呼ばれ、市場を中心に飲食店や精肉店、ベーカリーなどが軒を連ねている。まさに民衆の、この街の台所なのだ。 そのキッチンストリートのど真ん中。人々の行き交う大通りで、右肩から大きな鞄を下げた銀髪の美女が黒服の男たちに追われていた。

 銃声と硝煙に彩られたいつもの風景。この街の日常。至って極々普通。逃げる女と追うマフィア。獲物を捕まえたきゃ獲物を振り回せ。そんな教訓染みたジョークも存在する。

 たまたま流れて来た銃弾が、スープの皿を砕いた。

 雪色のコートにポタージュの染みが飛ぶ。

 流れ弾で弾けた料理は取り替えない。そんなルールがいつの間にかこの界隈の店には定着していた。カウンターの向こうの店主を見る。知らん顔だ。

 少女は銀色のスプーンを静かに置く。


「待てコラァ!」

 一発の弾丸が『ハイドアウト』と書かれた小さな看板を撃ち抜いた。鉛弾が飛び交う中を走りながら、銀髪の女は黒いコートの内側に手を伸ばす。撃ち合いだなんてダサいことは、本来の自分の美学とは異なるけれど、こういう状況では仕方がないわ。後ろの連中は煩すぎる。やはり、仕事は選ぶべきだった。お陰で大迷惑。

 彼女が取り出したのはスターム・ルガー。アメリカ生まれのセクシーなオートマチックのセーフティーを外して。立ち止まって、振り向いて。

 狙いを定めて。

 引き金に指を掛ける。

 その時、スターム・ルガーの銃口の前にウサ耳フードが踊り出た。その手にショッキングピンクのイングラムとシュマイザーを構えて。真っ赤な瞳を輝かせて。

「こちとらお食事中だコラァ! 鍋ん中放り込むぞテメーら!」

「マッド・バニー!? な、テメーじゃねェーよ。後ろだ! 後ろ!」

「ああん?」

 少女が振り向く。

 そんな勘違い兎の目の前。

 銀髪の女が銀色の拳銃を構えて、彼女を睨んでいた。しばし、二人は見つめ合う。何か妙に納得したように少女は頷いて、さっと横に一歩退いた。そして、黒いスーツの、柄の悪い男たちを指差す。男たちは唖然としていた。

 少女は、にこやかに。

 とびっきりのスマイルで。

「どうぞ。お姉さん」

 殺っちゃって。

 消音構造の施されたスターム・ルガーの口から音もなく吐き出された弾丸は、追っ手たちを貫いていく。銀色の銃身が眩しい。トリガーを引く度に、次々と彼らは倒れていった。

 死体が一、二、三、四……。すべて、見事に額を撃ち抜いている

 思わず、少女は見とれていた。お見事。ここまで腕が良くて、冷淡で、正確な撃ち手はそうは居ない。これなら、暫くは退屈しなくて済みそうだ。不気味に、彼女の口角が吊り上がった。

 追っ手を撒いて、背を向け歩き出す黒いコートの女の背中に、彼女は声をかけた。

「お姉さん何したの?」

 銀髪の女は何も言わない。その代わりに、ふわり、と振り向いて、スターム・ルガーの銃爪を握った。至近距離から発射された二十二口径の鉛弾が、少女の腹部を貫通する。女は弾倉が空になるまで、引き金を絞った。コートに赤い染みが飛ぶ。

 あ……、と少女は短い悲鳴を上げて、真っ白な雪の上に崩れ落ちた。

 少女の紅い瞳が空を仰ぐ。その中を灰色めいた雲が流れていく。空になったマガジンを取り替えて、冷酷に踵を返した女。銀色の髪が風に靡いた。その背後で突然、ケラケラと笑い声が響く。振り返ると狂ったように、たった今殺したはずのイカレうさぎが笑い転げていた。

 ぴょん、と跳ね起きる。

「ざァんねェーん! 私、他のより頑丈なのなの。だからね。死なないんだよ。ほらほら」

 少女は白いコートのボタンを外し、開いた。星の様に青い瞳が震えた。コートの中を見た女は目を見開き、すぐに視線を少女の顔に移した。真っ赤な両眸が白い肌の上に浮かんでいる。

 狂った白兎は、少し頭を傾けて。

 とびっきりのスマイルで。

「驚いた? ねえ、お姉さん、仲良くしない?」

 呆れた様に、或いは、諦めた様に、溜め息をついて。

 銀髪の女はメモ帳を破き、一枚の走り書きを手渡した。

 少女がそれに目を落とす。オリガ・ロックハートという彼女の名前と、彼女のメールアドレスがそこに記されていた。少女はそれをコートのポケットに突っ込む。

 少女に、女は一度だけ微笑んだ。

 刹那、スターム・ルガーのトリガーを絞る。

 弾丸に心臓を撃ち抜かれてもなお、狂ったように、少女は笑っていた。

「私はイルゼ・クレセント。よろしくね、オリガさん」


 氷の都トロイカ。

 マフィアやギャングが支配するこの街では、虐殺と暴力が横行している。時にその衝突は惹かれ合い、運命的な出逢いを生むのだった。

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