Epilogue



「ん……んぅ……っ」


 夢と現の境界線、ころんと寝返りを一つ。

 薄く開いた視界の先には『7:05』とデジタル表記が点滅する時計。


 まだ寝ていたいなぁ、なんて怠惰な感情が湧き出て重い瞼が落ちて。


 エアコンが吐き出した冷気がすらりと伸びた白い脚を撫でると、秋口に差し掛かった今では寒く感じたのか逃げるように反対側へ寝返りをうつ。


 二度寝で夢の世界へ旅立とうとしていたのだが、それは許すまいと部屋の扉が開かれた。


「梓姉起きて! お仕事あるんでしょ!」


 まだ朝早いと言うのに元気ハツラツと声を上げたのは、甘い香りを漂わせたエプロン姿の少女――四宮伊織。

 万が一にも寝坊しないようにと起こしに来たのだが、それは正しかったようだ。


「んぇぇ……あと五分……」


 眠気たっぷりにふにゃふにゃと姉の威厳なんて微塵も感じられないような言葉。

 この光景だけ見ればどっちが姉で、どっちが妹かなんて判別出来そうにもない。


 そんな怠惰極まる姉の姿を見た伊織が取った行動は放置……ではなく、徹底抗戦の構え。

 白いパジャマに身を包んで赤子のような体勢で眠る梓へ呆れたような視線を送りながらも、僅かに口元を緩ませながら近づく。


「起きて、梓姉ーっ!」


 声をかけながら締め切られたカーテンを勢いよく開いた。

 パッ、と部屋へ眩いばかりの朝日が差し込み、光が直撃した梓が「んんぅ……」と苦しげに呻く。

 新手の吸血鬼かな、なんて伊織は思うが、病的なまでに白い肌と日本人離れした白髪を見ると、つい納得してしまいそうになる。


 とはいえ、梓が白髪の少女になったのは数ヶ月前のこと。

 四宮梓はダンジョンの魔物に姿を変えられた、元男なのだから。




 ■




「ふぁぁ……ねむ……」


 ほわわと漏れた欠伸。

 半ば無理矢理起こされたからか身体の方がついてきていないようで、油断すれば居眠りしてしまいそうで猫のように目を擦る。


 それから眠気覚ましも兼ねて顔を洗う。

 水の温度は刷り込まれるように教えられた32度前後……まあ大体の感覚で調節。

 両手を器に水をためて、パシャリと何度か繰り返す。

 僅かにひんやりとした感覚を顔全体で感じて、用意していたタオルで水気を拭う。

 スキンケア的にはここから色々やらなければならないが、それはまた後で。


 一先ず目覚ましの目的を果たして薄く目を開いた先、鏡に映るのは眠たげな少女の顔――否、俺自身。

 もう何度と見たけれど違和感は感じるもので。

 本当は夢なんじゃないか、なんて初めの頃は淡い希望を抱いていたけれど。

 残念ながらこれが現実……南無三。


 まあでも、今となってはこの身体での生活にも慣れてきた。

 色々と違いに戸惑っていた頃とは違うのだよ……!


 何よりこうなって得たものもある訳で。

 それらを天秤に乗せると、今の自分を否定する気にはなれないのだ。


「梓姉! 早く来ないとフレンチトーストが冷めちゃう!」


 そんな声が遠くから響いてきた。

 ふむ、あの甘い匂いの正体はフレンチトーストだったか。

 伊織が作る料理はなんであれ美味しいからな。

 それを俺が遅れて台無しにはしたくない。


「今行く!」


 返事をして、朝食へとありつくのだった。



 伊織が作った朝食のフレンチトースト、ハムエッグ、フルーツヨーグルトをペロリと食べた後は外出の用意だ。

 シャワーを浴びて汗を流すと同時に寝癖と気分をリセット。

 そこでたっぷりと時間をかけてスキンケア等の女の子活動に勤しむ。


(なんていうか、自然に出来てるあたり人間の適応力を感じざるを得ないな)


 ぼんやりと取り留めのない思考を垂れ流す。

 初めの頃はそれこそ現実を受け入れられなくてパニックになったり、自分の裸を直視出来なかったり、エトセトラ、エトセトラ。

 まあ、今も多少の恥ずかしさはあるものの、そういうものだと割り切れているだけマシか。

 それにこういう穏やかな時間が落ち着くのも確かなのだ。


 お風呂から上がってみれば約一時間も経っていたらしく、もう九時前になっていた。


「……急がないと」


 仕事は九時半頃からなのを考えると残された時間は多くない。


 ドライヤーで長い白髪を少しずつ、丁寧にもどかしい気持ちを抑えながら乾かしていく。

 この辺を疎かにすると直ぐに髪が痛んだり枝毛の原因になったりするので、急いでいても手抜きはダメだ。

 個人的には短く切ってしまえば楽なのにと思うが、各所からの猛反対があってそれは叶わぬ願いとなっている。


 それから髪を梳かして、肌の乾燥防止で化粧水を馴染ませる。

 時間も押してることだし最低限はやったので他は後回しで着替えてしまおう。


 着替えるのは普通の服……ではなくダンジョン探索用の白いセーラー服を模したバトルドレス。

 先の一件で破損が酷かったため、これは新しく購入したものだ。

 新品特有の匂いを感じながらも着替えを済ませて、服装に乱れがないか確認して直す。


「髪よし、服よし、スコートは……よし。もう絶対に忘れないからな……」


 一つ一つ指折り確認した所で再度時計を見ると、もう九時を過ぎている。


「これは化粧なんてしてる時間はないか。すっぴんでも別にいいか、ダンジョンだし」


 汗をかいたら化粧は落ちてしまうのだから、あってもなくても大差ないと判断。

 それにこんな歳なら化粧してなくても違和感はないだろうし。


 それより問題は遅刻しないかどうかだ。

 今から家を出てタクシー拾ってギリギリだろう。


 だとすれば一刻の猶予も残されていないと、予め用意していた荷物を回収するべく部屋へ向かった時。

 ピンポーン、と来客のベルが鳴る。


「こんな時に……伊織は片付け中なら俺が出るしかないか」


 家事をしてくれている伊織の手を煩わせる訳にはいかず、時間はないが誰が来たのか近くにある来客確認用の機械で確かめる。

 そこに映っていたのはプラチナブロンドの長髪を揺らして全てを見透かすような笑みを浮かべる三葉重工のご令嬢――三葉カレン。


 思わぬ人物の来訪に作為的なものを感じざるを得なかったが、迎え入れないという選択肢はない。

 玄関の扉を開けると、秋口になって暑さが和らいだ涼しさを感じる空気が吹き抜け、金髪と白髪の二色が靡いた。


「おはよう、梓ちゃん」

「おはよう……って、なんで家に来てんだよ」

「梓ちゃんが家を出る気配がなかったから迎えに来たのよ」


 挨拶を交わして用件を聞くと、どうやら俺が遅刻しないようにわざわざ来てくれたらしい。

 それ自体はとても助かるのだが、聞き捨てならない言葉も混じっている。


「気配ってなんだよ」

「気配は気配よ。考えるんじゃなくて感じるものよ」

「ますますわからん……」


 多分はぐらかしているだけなのだろうが、詳細を知ろうとは思えない。

 知らなくていいこともあるのだ。


「それより早く準備してきて。送っていくから」

「ん、了解」


 いきなり現実の話に戻るがいつもの事。

 一度部屋へ戻って昨晩のうちに荷物を積めておいたキャリーバッグを携えて再び玄関へ戻ると伊織とカレンが井戸端会議中だった。


「あっ、来た! 待たせちゃダメだよー」

「それに関しては悪いと思ってる」

「それじゃ行きましょうか」

「ああ。伊織、行ってくる」

「……うん。でも絶対安全だからね!」


 心配そうな表情で伊織に言われて、少しばかり心が痛む。

 某一件でかなりの心労を伊織にかけてしまった自覚があって、少なからず罪悪感を覚えたのだ。

 だが探索者を辞めることはなかったし、伊織もそれはわかっているのだろう。

 だからこうしてダンジョンに行く日は伊織から絶対安全を誓わされる。


 そうして家を後にして、カレンが乗ってきた黒塗りの高級車で向かった先は比叡ダンジョン。

 山の傾斜に沿って点々と広がる紅や黄色の絨毯が秋の到来をいち早く告げていた。


 午前の早い時間なだけあって人の姿はあまりないが、その数少ない人の目はこちらへ集中していた。

 中にはヒソヒソと仲間内で話す姿も見えて、その対象が自分であると考えると微妙な気分になる。


「ふふっ、随分と有名になったわね。『白の天使』さん?」

「……知らない、何も知らないぞ」

「惚けても無駄よ。新進気鋭の美少女Bランク・・・・探索者だもの。有名になって当然だし、そうなるように仕向けたわけだし」


 ――そう。

 今の俺はBランク探索者であり、相も変わらず三葉重工の広告塔の一人。


 だけど勿論、もう一人。


「――遅いわよ、梓」


 不意に背後から不機嫌そうな声がかけられた。

 振り返れば、腕を胸の前で組んでややむっとした表情を浮かべた和装にとてもマッチした黒髪の少女――一ノ瀬凛華。

 同じくBランク探索者となった唯一無二の相棒。


「ごめんごめん」

「ほんとにわかってるのか怪しい」

「二人ともその辺にしなさい。何も遊びに来たんじゃないのよ」


 そうだった、と思い出して俺と凛華の意識が切り替わる。

 今日ダンジョンへ来たのはあくまで仕事のためなのだ。


「二人にやってもらうのはウチの製品のテストよ。適当に戦って使用感とかのデータを取らせてもらうわ。何か質問は?」

「大丈夫だ」

「私もないわ」

「結構。あっちのトラックに武器はあるから、それを持ってダンジョンに行ってちょうだい。くれぐれも命の危険があると判断したらすぐ戻ること。いいわね?」


 カレンからの注意に二人揃って頷き返して、指定されたトラックに積まれた獲物を持つ。

 俺は変わらず刀だが、凛華は槍ではなくやや長めの西洋風な長剣。

 一番人気な武器種が長剣だから開発もそっちに寄るらしい。


 人がいない所で軽く素振りをして感覚をチューニングし、準備が整った所で深呼吸。

 探索者に冷静さは欠かせない要素だ。

 何が起こるかわからないのがダンジョンの怖いところでもあり、面白いところでもある。


「準備はいいか?」

「万端よ」

「じゃあ、行くか!」


 そうして、今日もダンジョンへ挑む。


 俺達の冒険はまだまだ続く。



 END




――――――――――――――――――――――


後書き……


長らくお付き合い頂きありがとうございました。途中で更新が一度止まってしまいましたが、それでも完結まで漕ぎ着けられたのは嬉しく思います。

色々書きたいことはありますが、そちらは恐らく活動報告の方に書くと思いますので興味があれば覗いて頂ければと思います。

また次回作でお会い出来たらと思います。それでは〜

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『白の天使』と呼ばれた探索者は、ダンジョンの魔物に姿を変えられた元男らしいです 海月くらげ@12月GA文庫『花嫁授業』 @Aoringo-_o

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