第35話 空に誓って



 横開きの扉を開けると、コーヒーを片手に何やら書類と格闘中の女性……神楽さんの姿があった。

 カーテンで仕切られた区画、様々な薬品が収納された棚、加湿器の静かな駆動音だけが響く。

 しかし扉の音で誰か来たのに気づいたのか振り返って、


「あら、梓くん。事情聴取はもう終わり?」

「ひとまずは」

「大変だったみたいね。さ、こっちおいで」


 微笑みを湛えて手招かれ、何個か並べられたパイプ椅子の一つへ腰を落とした。


「何か飲む? と言っても水かインスタントのカフェオレくらいしかないけど」

「えっと、じゃあカフェオレで」


 仕事の邪魔をするのは悪いと思って自分で淹れようと諸々の物を探したが見つからない。


「私が淹れるからいいわよ。丁度飲んじゃったところだから」


 おもむろに立ち上がり近くの棚からインスタントカフェオレのスティックを取り出して、二つのカップへサラサラと粉末を入れる。

 そこへポットのお湯を注けば白い湯気と微かにコーヒーの香りがふわりと広がって鼻腔を擽った。


「砂糖はどうする?」

「一つ……いや、二つで」

「わかったわ」


 なんとなく微笑ましい生き物を見るような目をされたが……うん、気にしない気にしない。

 苦いと飲めないんだからしょうがない。

 そんなふうに一人で言い訳していると、神楽さんがカップを差し出していた。


「はい。ぬるめだけど火傷には気をつけてね」

「ありがとうございます」


 カップを両手で受け取って、手のひらでほんのりと温かさを感じる。

 ゆっくりとカップを傾けて甘さと若干の苦味が混在するカフェオレを舌の上で転がす。

 個人的にはもう少し甘めの方が好みかなーなんて考えながら、チビチビと飲み進める。


 少しばかり落ち着いた時間を過ごして一息ついたところで、神楽さんが本題に入る。


「ここに来て貰ったのは一応怪我とか無いかの確認です。専門の機器とかはないからあくまで問診とかがメインになるけどね」

「なるほど」

「で、どこか痛むとことかある?」

「うーん……両脚全体と右手首がなんか痛むなぁ、って程度ですかね」


 正直に答える。

 俺の答えに訝しげな目に変わった神楽さんが、隅から隅までじーっと見た。

 そしてはぁ、とため息をひとつ。


「本当に痛みを我慢してるような素振りがないわね。でも、魔力の消耗が激しすぎる。よく意識を保ててるわね」


 呆れたように言われて気づく。

 以前ならば天剣を使った後はクタクタになって一歩も歩けないような状態だったのに、今回はそうじゃない。

 少なくともかなりの疲労は感じているが動いていられない程ではない、というくらい。

 戦闘状態だったからアドレナリンが過剰分泌されて興奮でそれらを感じなくなってるだけかもしれないけど。


「……でも念の為色々調べようか。そっちのベッドに仰向けになって」


 言われるがままに靴を脱いで、白く清潔なシーツが張られたベッドへ背を預ける。

 クリーム色の天井に埋め込まれた暖色系の明かりが目に優しい。


「じゃあ始めるよ。力を抜いてリラックスね」


 優しく言葉がかけられ、服の上から肩に手が当てられた。

 押したり摩ったりを何度か行ってから別の場所へ手が移る。

 時折鈍い痛みを感じるも耐えられないほどでは無い。


 ……けど。


「……あの」

「痛いとこでもある?」

「そうじゃなくて……なんでさっきから太ももばかり触ってるんですか」


 さわさわとフェザータッチとでも言うような繊細な手つきで両方の太ももを撫で回されているのだ。

 強気に抗議したくとも怪我の確認という面目で行われている以上は気が引ける。

 ただ、これだけやられていれば嫌でも気づくというもので。


「いやぁ、リラックスしてって言ってるのに表情が硬かったから解そうと」

「はぁぁ……もっと別の方法なかったんですか」

「少しくらい役得があってもいいじゃない」

「隠そうともしないねこの人!?」


 なんでこう……関わる人達は軒並み欲望に忠実なのか。

 もう諦めて受け入れよう。

 今の俺はまな板の上の鯉。


 こんな時は何か別のことを考えて――


「って、そういえば凛華はどこに」

「そっちのベッドで眠ってるわ」


 仕切りの方へ目を向けて言う。

 ……起きてない、よな。

 恐る恐る首だけを動かして様子を伺うが、物音一つさえ聞こえない。


「暫く泣いて疲れちゃったのかもね」

「凛華が泣いてた?」

「あ、これ内緒ね」

「口緩すぎません!?」

「しーっ、起きちゃうでしょ」


 声を荒らげた俺の口に滑らかな人差し指が当てられて、反射的に口を噤む。

 いや、悪戯っ子みたいに笑ってもダメでしょ……。

 あの凛華が泣いてたのを俺が知ったとなればどうなるかわかったものじゃない。

 目に見える地雷は彼方へ忘却するに限る。


 そうして手が止まっている間に、なにやら外が騒がしくなっていた。

 窓の外には武装した探索者と思しき集団が疲れ果てた表情で耐えず口を動かしている。


「救援隊が帰ってきたみたいね。見たところ重症者はいなさそうだけど……」


 安堵混じりに呟き胸を撫で下ろす。


「士道さんは……」


 食い入るように目を凝らして命懸けで逃がしてくれた士道さんを探す。

 しかしどこにも見えずまさか、と思った矢先。

 人混みが割れて男の人に肩を支えられながらゆっくりと歩く士道さんの姿を見つけた。


「無事みたいね」

「そう……ですね」


 酷く消耗したのが目に見える程に装備はボロボロで、いつもの爽やかさなんて欠片もない姿。

 ……もし、俺が残っていればどうなっていたか。

 死んでいてもおかしくなかったと思えて、薄ら寒いものが背筋に走った。


 同時に自分自身の力不足が恨めしい。

 ああすれば、なんて仮定の話は意味が無い。


「自分を責めないことよ、梓くん」

「……これが最善だったってことはわかってるんです。でも、俺が強ければ別の結末もあったんじゃないかって考えると」

「まあ、確かにそうかもしれないわ。でも、自分が持っている手札で戦うしかない以上、どうしようもないことだってある」


 慰めにも似た言葉に思わず聞き入ってしまう。

 ぎゅっと無意識に握っていた右手に、温もりが触れる。


「だけど凛華ちゃんも、士道くんも、梓くんだって生きてる」

「…………はい」

「だからそんなに自分を責めることはないの」


 硬く握った拳の指が一本ずつ解かれて。


 甘やかに凍りついていた何かが溶けて、溶けて、溶けて。


「強く、なりたいです」


 改めて生まれた決意。

 小さな火種を消えないように、言葉として紡いで。


「誰も傷つかなくていいくらいに。二度とこんな思いは、したくない」


 大切な人を守るために。

 これからも隣を歩んでいくために。


 今日のことはきっと忘れない、忘れられない。


 晴れ渡った空に誓って。

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