第20話 極星の姫

 とぼけるかと思いきや、意外にあっさりとベルは認めた。

「どうしてお気づきになったのです?」

 疑わしき点はいくつもあった。

 旅立って間もなくーーあまりにも早くミアに追いついた王宮の討手。その直後に現れたハリス派のマレ。ベイドケイドでタラセドの襲撃にあった時も、やはりハリス派のセギヌスが阻んだ。あまりにも襲撃と救出のタイミングが良すぎるのだ。誰かがミアの動向を都度見張り、報告しなければできないことだ。

 それができたのはアトラスとベル。しかしアトラスはハストラング派とハリス派の双方から攻撃されている。彼である可能性は低かった。

 一番の決め手は、イオの行方だ。偽物のイオが現れた時点ではイオがどこにいるのか、誰に奪われたのかはわかっていなかった。しかしベルは旅立とうとするミアにハストラングに立ち向かう無謀さを説いた。

 一見すると発想の飛躍で済むかもしれない。現にハストラングは偽物を使ってミアの誘拐に成功しているし、ミアもベルと同じことを思った。今度は星騎士をーーと考えても不自然ではない。ハストラングが生きていることを知っていればの話だが。

「ハストラングの存命を知っているのは、配下のマレと〈予言〉をしたアトラスだけのはずよ。ベネは今でもハストラングが滅びたと思い込んでいる。どうして滅びたはずのハストラングがイオを攫ったと考えられるのかしら?」

 ベルはマレーー誰かも想像はついた。彼女はハリスと手を組んでいる。ハリスはミアに取引を持ちかける際、星騎士イオを返すことを条件に持ち出してきた。ミアにとって星騎士イオが取引材料となりえるだけの価値があると知っていなければできないことだ。

 そして、ミアがネメシスに向かう本当の目的を知っているのは、アトラスとベルだけだ。

「アトラスも同じくらい疑わしいけど、彼は最初から敵対する側として近づいてきたから、間者にはなりえない。残るはベル、あなただけよ」

「まあ姫様、わたくしよりもマレを信用なさるとは、ベルは悲しゅうございます」

 芝居がかった台詞には緊迫感がなく、不利な状況下においても余裕を感じさせられた。いつもと変わらない。だからよけいに異様だった。

「私もよ」

 呑まれないよう、ミアは努めて落ち着いた声音で言った。

「信じたかったわ。あなたの親切を。私を見張る名目があったとはいえ、ここまで付き合ってくれたのだから」

「でも、信じてはいなかったのでしょう?」

 ミアは目を伏せた。どちらかと問われれば、答えは否だった。決してベルが人間として劣っているからではない。根本的な問題はミア自身にあった。

 生まれてからずっと、ミア=リコは誰にとっても二番以下だった。ベルも、父もオルフィも、エヴァでさえも、だ。何しろ不動の一番はいつも自分の胸にいた。常に突き付けられる絶対的な優先順位。物わかりよく受け入れていながらも心が歪んでいくのはどうしようもなかった。

 どんなに恵まれた生活を与えられていようと、それは全て義務の範囲を抜け出ない。万が一の時には自分を切り捨てるとわかっている相手をどう信じろというのか。

「賢明なご判断です」ベルは朗らかに笑んだ「伝説には犠牲が伴い、親切には裏がある。それがこの世の習わしです」

「マレに味方した見返りはなに?」

「報酬なんてありませんよ。裏切り者は敵味方双方から軽蔑されるものです」

 肩をすくめる仕草には気安さを感じさせた。

「じゃあ、どうして……」

「畏れながら、高潔な姫様にはご理解いただけないかと。非常に利己的な理由です」

「知りたいわ。私は理由を話すにも価しないの?」

 後悔なさいますよ。前置きしながらもベルはあっさりと語り出した。

「姫様はお母君ニアンナ様より極星を継承なさったのですよね?」

 この状況で何を。訝しがりながらも肯定したミアにベルは「やっぱりそうお思いでしたか」と失笑した。

「まあ仕方がないことですよね。十四年もの間極星を守り続けた姫様に比べれば、たった数日なんて刹那です」

 七十六代目極星の姫はミアだ。しかし、七十五代目であるニアンナとミアの間には空白の数日間がある。極僅かな期間故に記録にも残らなかった極星の姫ーーそれがベルだとしたら。

「……証拠を、見せてもらっても?」

 ミアは先んじて自身の胸元の釦に手をかけた。僅かな逡巡の後に上二つを外す。指の先に硬質な感触。その冷たさに悪寒が走った。

歴代の姫にとってこれは使命に繋ぎとめる軛であり、呪いだった。ミアとて例外ではない。

「あなたにもあるはずよ」

ミアは胸元を大きく開いて見せた。左の鎖骨から胸上にかけて装着されている銀の細工。鎖の先端は皮膚に食い込みーー否、破って心臓に絡まっている。五つの時からずっと。

「姫様、はしたないですよ」

 茶化しながらもベルの手は自身の首襟に伸びる。無造作に、いささか乱暴にベルは素肌を曝け出した。銀の細工こそないものの、明らかに食い込んだとわかる傷痕。嗚呼、とミアは悲嘆の声を漏らした。

 目を逸らすことは意地でもするまい。痛々しい古傷であろうとも、それは極星の姫の誇りであり、使命を全うした証だ。

「これでもまだマシな方らしいですよ。着ける期間が長ければ長い程痕もくっきり残るようですから」

「そんなの、関係ない」

 たとえ数週間、いや数日だとしても極星に捧げた。その決死の覚悟は姫だけのものだ。

「ええ、そうですね」

 ベルの人差し指が鎖骨あたりの傷痕をなぞる。

「僭越ながら、私も姫様と同じように生涯をかけて極星を護ろうと心に決めました。親も、兄弟も、友人も、何もかも捨てて天星宮に参りましたわ」

 しかし、程なくして行われた祝福式で事態は急変した。ベルは姫としての価値を失ったのだ。一方的に、抗う余地もなく。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」

 唄うように軽やかにベルはおとぎ話の一節を口にした。

「自分を指し示していたものがある日突然逸らされることを想像できますか? 当然、周りの関心も移ります。担ぎ上げておきながら、いざ資格がなくなったら用済みとばかりに捨てる。まるで物のように」

「でも、それは」

「使命から解放されて喜ぶべきなのでしょうね。普通の極星の姫ならばそうでしょう。でも私が極星を宿していたのは五日間。たった五日間のためだけに私はそれまでの生活全てを捨てたわ!」

 憤りを露わにベルは叫んだ。

「捨てたものは同じなのに私は消されてそのまま。かたや姫と讃えられる……こんな理不尽な話がございますか?」

 突きつけるように曝け出された『誠心の刃』の痕。極星の姫にとって解放の証であるそれはしかし永遠に消えない傷痕でもある。捨て去った過去もまたそうだ。一度踏み込んでしまえば元には戻れない。

「『ベル=ライラ』という名は導師から?」

「死んだ人間の名を使うわけには参りませんからね。ライラ導師に引き取っていただきました。兄弟子にあたるドミニオンは極星が姫を選ぶ法則を見出す手掛かりが欲しかったようですが、残念ながら解明には至りませんでした。まあ、私も行く当てがなかったので助かりましたけど」

 あくまでも利害が一致しただけだと、ベルは淡白だった。恩義を感じていないから裏切ることに躊躇いもない。いや、恩義どころかむしろ、ベルは憎んでいる。

「私を攫ったのは、あなただったのね」

 星騎士イオの時もしかり。ミアは二度も不覚をとったのだ。同じベネの人間だという油断。アトラスが指摘していた通りだった。

「まさかドミニオンが救出に来るとは思いもしませんでした。ハストラングに殺されたとばかりに思っていたのに」

 やはりベルもあの星騎士イオがミアだとは気づいていない。

「上手くいかないものですね」

 しかし何故こうもトレミー=ドミニオンと勘違いされるのか。思案にふけてーーミアは今になってようやくベルがトレミー失踪に詳し過ぎることに疑問を抱いた。

「まさか、ベル、あなた……」

 最初の裏切りはもっとずっと前だったのか。考えてみれば、極星の姫がわざわざ大きくなるまで待つ必要はベルにもない。

「手引き、したの? ハストラングに星騎士イオを奪わせるために」

 ベルは肩を竦めてみせた。その沈黙は肯定ととれた。

 天星宮と王室の身勝手さを恨むのはわかる。彼らが踏み躙ったのはベルという一人の女性の一生だけではない。代々の姫が極星と共に胸に抱いてきた決死の覚悟を軽んじたのだ。その報いは受けるべきだった。

 しかしトレミー=ドミニオンは違う。彼は自らの才能全てを振り絞って占星術を開発し、守ろうとした。自らに課せられた使命を、極星を、そして極星を抱く姫を。

「どうして、そんなことができるの……っ」

「だから言ったではありませんか、ご理解いただけないと」

 開き直ったかのようにベルは鼻で笑った。

「私利私欲のために王国を危険にさらす。そんな腐った性根だからきっと、極星に見限られたのでしょう。姫様が使命に悩み、重圧に押し潰れそうになるお姿を拝見する度に羨ましくて、妬ましくて堪りませんでした。だって私は悩むことすらできませんでしたから」

 ミアはホロスコープを起動させた。掲げた右の手に球体が浮かぶ。ベルは目を眇めた。

「そのご様子では快くは協力してくださらないようですね」

「何のための手助けなの? 復讐のために国を滅ぼすこと? 予言の成就のためにハストラングを殺すこと? どれもお断りよ」

 そんなことのためにはるばるネメシスまで訪れたのではない。動機はもっと幼稚で単純で、切実だった。

「『イオ』を返して」

「これはあなたを殺す凶器ですよ。もういい加減、おとぎ話から離れたらどうです。この世界にはキスで目を覚まさせてくれる王子様もいなければ、姫の窮地に駆け付けてくれる騎士もいません。あるのは逃れえぬ死の呪いだけ。自分の身は自分で守るしかないのです」

「返して」

 ミアは空いた左手を差し出した。

「あなたと交わす言葉はそれだけよ」

 失望を露わにベルは肩を落とした。

「……前から思ってはいましたが、やはり愚かです、ね!」

 炎の塊が飛び出し、ミアを取り囲む不可視の壁を直撃した。〈万華鏡〉でも防ぎ切れない衝撃がミアを襲う。

「あっ」

 よろめいたその隙にベルが間合いを詰めた。その手に閃く刃。右へ跳ぼうとするも、ミアに星騎士程の敏捷さはない。足がもつれて倒れ込む。そのおかげで初撃はかわしたものの、大きく体勢を崩した。

 倒れたミアに一太刀を浴びせようとするベルに向かって〈突風〉を放った。風と剣。鍔迫り合いの末にベルは身体ごと弾かれ、数歩たたらを踏む。

「ほら、やっぱり甘い」ベルは攻撃を防がれたのを気にする素振りもなかった「どうして〈炎弾〉を放たなかったのです? 私を倒せばそれで終わったのに」

 平然とそんなことを口にするベルがミアには信じ難かった。

「私は……誰も殺したくない」

 掛け値のない本音だった。傷つくのも傷つけるのも嫌だった。オルフィもベルも、アトラスも、ハリスもハストラングも、脅威に感じても消えてほしいとまでは思えなかった。

「それはお優しいことで」

 ベルは嘲笑った。禍々しい笑みの中に見え隠れするのは妬みと苛立ちーーいや、憎悪だ。

「でも姫様、現実はそんなに甘くはありませんよ」

 ミアは戦慄した。ベルが自分を憎んでいた。おそらく、ずっと前から。

 望んで得た〈星〉ではなかった。しかしミアは極星に選ばれた。そんな自分に一体何ができたというのだろう。

「やめて、ベル」

 ベルは首を横に振って、ホロスコープを展開。胸に抱く〈星〉全てを使って占星術を発動させた。

「べ……っ」

 息が詰まった。喉を締め付けるような衝撃は一瞬で消え。同時に全身の感覚が消えた。見えない糸で絡め取られたかのように身体が意に反して動き出す。

「その様子だと、意思はまだ残っているようですね」

 満足げにベルは手を横に滑らせる。その動作に合わせてミアの足がハストラングへと向けられた。

「これでもライラ導師の弟子ですからね。〈傀儡〉は体得しております。本来なら意識もなくなるはずなのですが、さすがは極星の姫。マレの領域内でも桁違いの力をお持ちのようで」

 ミアが多用する普通の防御結界は元より、トレミー=ドミニオン開発の最高結界〈万華鏡〉で防げるのは物理的攻撃のみだ。対抗しようにも、ミアの精神はベルの裏切りで少なからず疲弊している。おそらく、ベルはそれも見越して正体を明かすのと同時に切り札を使ってきたのだ。

「お優しい姫様はお手を汚すことに躊躇いがおありのようで。〈予言〉の成就、僭越ながら私めがお手伝いして差し上げましょう」

 ミアは背筋が凍りつくのを感じた。ハストラングを斬った感触は今なお腕に残っている。骨を砕く音。肉に刃を喰い込ませた時の嫌な弾力感と粘質感も。

「やめて……やだっ」

「あら、操れるのは手足だけですか」

 ベルは顎に手を当てた。その様は実験動物を観察する学者の姿だ。

「まあ、ハストラングを殺すのにはそれで十分でしょう」

 ハストラングの前に立たされたミアは手に剣を握らされた。柄の部分の護符石が埋め込まれた剣は星騎士イオのものだった。もう一度、同じ剣でハストラングを刺し貫けと。

 ミアは恐怖に声も出なくなった。呼吸さえままならなくなる。腕が剣を振り上げた。もう駄目だ。誰もーーイオも助けには来てくれない。

 いっそ気を失ってしまいたかった。現実から目を逸らすことすら、今のミアには許されない。ハストラングを、殺してしまう、また。嫌だと心が悲鳴をあげた。

 動けないハストラング目がけて正確に、無慈悲に剣が振り下ろされる。刃がハストラングの胸に迫った時、不可視の壁が瞬時に生成され、剣ごとミアを弾いた。

「あうっ」

 床に打ちつけられたミアの手から剣が離れた。ハストラングを防護した壁は炎へと変じ、反撃にでた。すなわち、危害を加えようとしたミアに。

 身を起こした時既に遅く、目の前に業火がーーミアは瞳を閉じた。

「お姫様ぁーっ!」

 間延びした声が割って入った。カボチャのジャックが躍り出て、炎の奔流をまともに受ける。激突の瞬間、大きく開いた口が炎を呑み込むのをミアは見た。同時にジャックの目から放たれた光は一歩離れた場所で事態を静観していたベルを貫いた。

「が……そん、な、どう、して……」

 ベルは自らの胸に開いた穴を信じられないとばかりに目を剥いて、そのまま倒れた。

「べ、ル……?」

 ジャックとの再会も、自分が助かったという事実も、今のミアは認識できなかった。

言葉もなくベルを茫然と眺める。嫌われていた。妬まれていた。憎まれていた。そして殺そうとした。どれも悲しく、辛いことだった。でも彼女が死んでいい理由にはならなかった。

 思い出したかのようにミアの目から涙があふれた。恐怖なのか悲しみなのかはわからない。ただ胸が痛かった。穿たれたわけでもないのに、痛くてたまらなかった。

「殺したのは、お姫様じゃないよー」カボチャのマレが傍に寄ってきた「僕だよー」

 それで限界だった。ミアはその場で声の限りに泣き出した。

 ミアが生まれた時から仕えていたベル。あんなに一緒にいたのに、彼女のことを何一つわかっていなかった。知ろうとさえしなかった。

 そして結局、助けられなかった。

 自分が生まれなければ。

 姫なんかじゃなければ。

 極星に選ばれさえしなければーーミアは自身の胸に抱く極星を呪った。

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