第13話 ミアの秘め事

 我は汝、汝は我。

 ミアが最初に教わった占星術は星騎士にのみ伝授されるはずのものだった。

時は七年前にさかのぼる。極星の宮でまどろんでいたミアの前に突如として現れた星騎士は、ミアに星騎士に乗り移る方法を伝えて消えた。その他には何もーー目的も、名前すら教えてはくれなかった。

 ほどなくして、ミアの星騎士を担っていたトレミー=ドミニオンが失踪。天星宮は極星を守るため、ミアに〈眠りの茨〉に掛けた。その後星読師オルフィ=ヴィレが星騎士として選ばれるまでの約半年、極星の姫ミア=リコはただひたすら茨の中で眠り続けていたーーと、天星宮では認識している。

 実際は、ミアは眠ってなどいなかった。

 強制的な眠りにつかされた瞬間、教わったばかりの占星術が発動。ミアの意識は保管されていた星騎士イオに宿った。皮肉なことに、極星の姫の自由を奪うはずの〈眠りの茨〉が、ミアの占星術の才を開花させ仮初の自由を与えてしまったのだ。

 星騎士イオの身体を得たミアはケイルの目を盗んでは毎日研究室を抜け出して、数日後には天星宮からも出た。見知らぬ外界への恐怖と好奇心に揺れながらも、少しずつ王都を出歩くようになり、やがては窮屈な宮にいる極星の姫よりも自由な星騎士でいることを望むようになった。

「極星の姫自身が星騎士だったのなら、いち早くハストラングに攫われたことに気づくのも、ネメシスに単身乗り込む無謀さも頷ける。そりゃあ必死にもなるよな? 捕らえられたのが自分なら」

 アトラスの腕に阻まれてミアは逃げることもできなかった。身体を拘束しなくても退路を断つだけで十分なのだ。目の前のマレは非常に狡猾だった。

(イオ、助けて)

 ミアは胸中で星騎士を呼んだ。

七年前にミアに星騎士を与えた星読師は、最後まで名乗らなかった。考えられるのはトレミー=ドミニオン以外にないのだが、訊いても曖昧に笑うだけで答えてくれなかったと思う。困ったように、そして寂しそうに。だからミアも追及はしなかった。

 ただ閉じこもることしか知らなかったミアの世界を広げてくれた人ーー自分だけの星騎士イオ。探すあても、今はどこで何をしているのかはわからないが、ミアにとって大切な人であることに変わりない。だから、その人からもらった『星騎士』も、大切だった。

「何を、言っているの?」

「とぼけるのはお互い時間の無駄だ。なんだったら、天星宮の導師にこの仮説を教えてやってもいい。真に受けはしないだろうが、調査くらいはするだろうな」

 容赦がない。是が非でも認めさせなければ気が済まないのか、アトラスは念押しした。

「星騎士イオはお前だったんだな?」

 ミアは目を瞑った。小さく頷くだけで泣きそうになった。自分の切り札であり、大切な思い出でもある『星騎士イオ』を暴かれ、穢されているような気がした。よりにもよってマレに知れてしまうなんて。

 数日前、ハストラングに攫われたミアを救出した星騎士イオ。その身体に乗り移っていたのはミアだった。

 悪夢の始まりは、ミアが『白雪の庭』から極星宮へ帰ろうとした時。不意に、薔薇とは違う花の香りが鼻孔をくすぐった。その匂いが薄れるのと同時に意識もまた薄れていきーー次に目が覚めた時、ミアはレイリス内の保管庫の中に、星騎士の中にいた。

 あとは王宮の誰もが知っている通りだ。極星の姫が攫われたことを一方的に告げて、単身ネメシスへ乗り込んだ。幾多のマレを退け、〈不死の大公〉ハストラングを打ち倒し、片腕を犠牲にしながらも極星の姫ミアを無事に連れ戻したのだ。

「それを知ってどうするつもり?」

「安心しろ。誰にも言ってはいない」

 意外だ。意外過ぎて涙さえ引っ込んだ。目を白黒させるミアにアトラスは片頬を歪めた。

「わからねえか? 俺なりの誠意だ」

 アトラスは囁いた。ゆっくりと、侵食するかのように。

「俺を消せば、星騎士の正体を知る者はいなくなる」

 後ずさったミアの背には壁。その様を見つめるアトラスの目は意地悪く、どことなく楽しげだった。

「どうした?」

「ハストラングは、倒せない」

「何故そう思う?」

「だって、イオでさえ無理だったのに、私が、倒せるはずがない」

「曲がりなりにも一度は追い詰めた。今度は倒せるさ。お前がその星騎士なんだから」

 ミアは反論の言葉を失った。アトラスの言っていることは正しい。あの時、星騎士イオに乗り移ってハストラングと対峙したのはミアだ。

同じ者同士が再び相対し、しかも一方は先の深手が癒えておらず弱っているのなら、結果は火を見るより明らかだった。

「お前しかハストラングを倒せる者はいない、と言った方が正確だろうな。ハストラングが何故〈不死の大公〉と呼ばれているのか、知っているか?」

 答えられずにいるミアに構わずアトラスは続けた。

「ハストラングの胸に抱いている〈星〉は極星にこそ劣るが、特殊かつ強大な力を秘めている。奴は自分の肉体を滅ぼした者の身体を乗っ取る特性を持つ稀有なマレ。それ故に他の大公とは違って一度も代替わりをしたことがない。ハストラングを倒した者が新たなハストラングとなる。そんな奴を滅ぼせるのは、ハストラングの〈星〉以上の力を持つ〈星〉を抱いている者だけだ」

どんなに臆病で引きこもりでもミアは極星の姫だ。アルディール、いやファイノメナ〈天上国〉で最も偉大な星を身に宿す星読師なのだ。しかしーー

「私……勝てる、気が、しない」

 アトラスの双眸が剣呑さを帯びる。

「今更何を言ってる。お前に戦意がなかろうが向こうはやる気満々だ。もっともハストラングは今、眠ったままだと聞くが」

「殺したくない。もう、誰も。私、イオに会いたいだけなのに。どうして邪魔するの? よってたかって私に殺させようとするの?」

 自分が一体何をしたというのだろう。ミアにはわからなかった。生まれて間もなく母を失い、その母と同じ使命を担わされた。逆らったこともなければ、歴代の姫に劣るような無分別な行いをした覚えもない。なのにどうして、自分ばかりに押しつけられるのか。

「予言なんて知らない。ハストラングを倒したければ、あなたがやればいいじゃない」

 肩を強く掴まれる。ミアは小さく悲鳴をあげた。

「逃げるのか」

 真正面からアトラスが見据える。一切の甘えを許さない厳しい口調だった。

「極星に選ばれ、今までずっと守られていたにもかかわらず、逃げるのか」

「逃げてなんか、」

「そうだな。向き合ってもいないから逃げようもないか」

 肩から手が離れた。それでもミアは動けなかった。掴まれた右肩に痺れるような痛みが残る。

「さすがは一国の王女サマだな。敵でさえも慈悲をお与えになる。大した博愛思想だ。ご立派」

 アトラスは肩を竦めた。失望とも呆れともつかない曖昧な笑みを浮かべる。

「その矜持、自分が殺されても貫けるのなら、な」

 ミアが反論しようと口を開きかけた時、異音が鼓膜を振るわせた。風音に似て非なる音。不規則で小刻みな物音はだんだん近づている。

アトラスは空を仰いで舌打ちした。

「もう来やがったか」

つられて見上げた先には、ベイドケイドの空を覆い尽くすほどの黒い影。大小構わず群れをなした鳥達は大通り沿いの宿屋へ一斉に滑空した。先刻までミアがいた宿ーー自分を狙っていたのだ。嫌な汗が背中をつたった。当のミアは間一髪逃れたが居合わせた人々はひとたまりもないだろう。

ミアの脳裏に気風のよい女将の顔が浮かんだ。

「街中で襲うなんて、非常識だわ。無関係な人を巻き込んだらどうするつもりなのかしら」

非難の声をあげるミアにアトラスは「連中もハストラングの城を半壊させた奴に言われたかないだろうさ」と指摘した。

「私は、そんなに壊していないわ。だいたい白昼堂々とは襲ってこないと言ったのは誰よ」

「とにかくこれじゃあ話になんねえ。さっさと追い払うなり逃げるなりしろ」

横柄な態度よりも命令口調が気になった。

「……私が?」

「他に誰がいる極星の騎士様? 眠るにはまだ早い」

「で、でも私じゃ無理よ。あんなに大勢いるのに」

「たーいしょー」

図ったかのような絶妙なタイミングでカボチャのジャックが路地から飛び出た。

「セギヌスが来てるよー」

その台詞が終わるな否や、轟音が空を揺るがせた。雲一つない空を裂くように稲妻が走り、鳥の群れを一撃。文字通り晴天の霹靂になす術もなく鳥達は墜落していく。

「今度は何!?」

「無意味に派手で見境のない雷撃……間違いなくあれはセギヌスだな」

アトラスはミアの腕を掴んだ。

「連中の狙いはお前だ。あの宿にいないとわかったらすぐに追ってくる」

「ま、待って、ベルと、合流しないと」

聞いていないのかあえて無視しているのか。アトラスはミアを引きずって先に進む。

「ベルを置いてはいけないわ」

「そんな暇はない。危険を犯してまで行動を共にする価値がある星読師なのか」

「ないのだー」

 勝手に答えるカボチャもついてくる。

「お前が極星を宿した者か」

足が止まる。声は頭上からした。民家の屋根に乗っていたのは男だった。背中から広がる一対の黒翼。異質な有翼人種もマレではそう珍しくもない。宿を襲撃している鳥は彼の仕業か。

「タラセド」

アトラスに名を呼ばれたマレは嫌悪感露わに顔を歪めた。まるで汚らわしいものを見てしまったかのような反応だった。

「裏切り者め、ハリスの次はベネに寝返ったか」

「元よりハストラングについた覚えはないがな。俺に構う暇があるならアレを下がらせたらどうだ」

アトラスが後ろ指で示した先には撃ち落とされていく鳥達。タラセドは忌々しげに舌打ちしながらも、配下と思しき鳥たちを退かせた。

「アトラス……貴様、何を考えている」

「教えてやる義理はねえ」

「まさかハリスの夢想に乗る気か」

アトラスは鼻で笑った。

「そこまで血迷ってもいねえよ。とにかくこの場は退け、タラセド。お前とセギヌスでは相性が最悪だ。勝ち目がないことぐらいわかっているだろう」

タラセドは忌々しげに空を睨めつけ、歯ぎしりした。それでも話は一応通じているようだし、この場は去るかと思いきや。

「……だが、貴様を始末することは容易い」

予想外の台詞を吐いて屋根を蹴る。落下と同時に翼を広げて滑空。アトラスはミアを突き飛ばしてタラセドを回避した。

「想定外だ。思っていたほど奴は利口じゃなかったらしい」

「馬鹿だったのだー」

 突っ込んだ勢いのまま上空へ飛び上がったタラセドには、アトラスとジャックの会話は幸いにも聞こえなかったようだ。次の攻撃に向けて体勢を整えている。

「ジャック、そいつを連れてここを離れろ。セギヌスまで現れたら収拾がつかなくなる」

「りょーかいしましたー」

 冗談ではない。トリ男もカボチャお化けもアトラスも未だ姿見えぬセギヌスも『マレ』のひとくくりにしてしまえばただの脅威。ミアはアトラスがタラセドに気を取られている隙に全速力で逃げ出した。

「まってよー」

 軽快な動きで追いかけてくるジャック。可愛らしいのではあるが、相手はマレである。いくらのどかで人畜無害そうに見えてもマレなのである。

「追ってこないで!」

 角を曲がったその時、出会いがしらにぶつかりそうになり、ミアは急停止した。驚いた瞳とかち合う。

「あ……」

「姫様、こんな所にいらっしゃったのですね!」

 同じく息を切らせていたのはベルだった。

「ごめんなさい、あの、アトラスが……宿が襲われて」

 自分でも何を言っているのかがわからない。なんとか説明しようとするミアをベルは制止した。

「とにかくここを離れましょう。これだけの騒ぎになれば星読師もじきにやってきます」

 大通りは人でひしめき合い、大混乱に陥っていた。なにやら叫んでいる人や暴れ出す人、かん高い悲鳴を上げている子供やらで埋め尽くされ、もはや収拾がつかない状態だ。

 混乱を引き起こしたのはマレだ。しかし連中が狙っているのはミアただ一人。原因は自分にないとはとても言えなかった。

「姫様、早く」

 ミアは後ろ髪を引かれる思いで、その場を去った。



 喧騒が遠のいていく。もはや乗合馬車だの手段を選んでいる場合ではなかった。一刻も早くベイドケイドから離れること。はやる気持ちを抑えて、レチクルへ続く街道に。

 人気を避けながら訪れた交易場。先導するベルが「あちらです」と関所と思しき大きな門扉を示す。荷馬車はとても無理だが、人の一人や二人が抜ける道はいくらかある。見張りもこの騒ぎでは本来の役目を果たせるはずもなく、無防備な状態だ。絶好の機会。

 不意にミアは襟首を掴まれ、思い切り引かれた。後ろに倒れそうになった身体をがっしりとしたものが支える。振り向き、ミアは悲鳴を上げそうになった。

 が、喉から声が出るよりも先に閃光が弾けた。

「きゃあっ!」

 直撃を受けたベルの悲鳴。光の中で彼女が崩れ落ちるようにして倒れるのが映った。ともすれば身じろぎするミアを押さえ込み、荷物よろしく抱えて離れる。

「気絶しただけだ。あの程度で死にはしない」

 低い声が冷静に告げた。どことなく不機嫌そうに聞こえるのはきっと、気のせいではない。恐る恐る見上げたアトラスは真剣な面持ちで前方を見据えていた。

 倒れたベルの先に立っていたのはーー小柄な少年だった。しかしミアの想定できる中で最も厄介な追手だった。

「お迎えに上がりました、極星の姫」

 憮然とした表情でオルフィ=ヴィレは言った。星読師の礼服姿で観察でもするかのようにこちらを見据えている。天星宮もいきなり強力な札を出してきたものだ。正統なる星騎士ご登場。しかしそれも天星宮の体制を考えれば当然のことではあった。他に戦える星読師がいないのだ。

 星読師の本分はあくまでも『星読み』である。天と星から未来と真理を読み解くための占星術を攻撃に用いることを疑問視する声は後を絶たないという。ましてや戦闘に特化した星読師の育成とくれば反対する者は多数。それでもオルフィのような星騎士を輩出できているのは、ひとえに『打倒マレ』を掲げてはばからないライラ導師とその弟子ドミニオン導師のおかげだ。

 ーーと、そこでミアは自分が抱えられているままだということに気付いた。

「あ……ありが」

 とう、とミアが言い切る前にアトラスは放り落とした。自分の腕に抱えていたものを、極星の姫を、つまりミアを。

「いたっ」

 尻餅をついたミアに一瞥。アトラスは無言でオルフィに向き直る。

「『破滅の使者』アトラス」

 さすがはライラ導師の弟子というべきか。一目見ただけでオルフィは仰々しい二つ名までも口にした。

 身構える相手に対してアトラスの反応は薄い。足元をせわしなく跳ね回るジャックを、無造作に蹴飛ばした。

「うぎょっ」

 カボチャが大きく転がる。そのすぐ脇を地面から突出した推が掠めた。

「ひいーっ!」

 間一髪串刺しを逃れたジャックは悲鳴をあげた。アトラスに蹴飛ばされていなかったら、おそらく貫かれていただろう。地面を隆起させ、短槍程の長さと鋭さを持つ推を生成。占星術でなければなし得ない技だ。

 ミアは眉を顰めた。オルフィにホロスコープを起動させる素振りがなかったからだ。さっきと同じだった。明かりをつけるだけならまだしも、地に干渉し形成するといった複雑な占星術を発動させる場合、ホロスコープを起動させての制御は必要不可欠のはず。

「……なるほど」

 アトラスがひとりごちた。

「何がー?」

「ホロスコープを開かずに占星術してんのかと思っていたが、違う」

 お返しとばかりにアトラスは突き出たままの錐を不可視の刃で切り刻んだ。かまいたちの風は土砂を巻き込んでオルフィに迫る。軌道から逸れようと動くも範囲が広すぎた。砂嵐はオルフィを呑みこんで吹き荒れるーーとはいえ、有効範囲が広い分威力もまた分散されている。腕で顔を覆っていれば耐え抜ける程度の風だった。

砂埃舞う中、オルフィの胸元付近に弾いているかのように全く風も土も寄せ付けない空間があった。ちょうどホロスコープと同様の形状・大きさの。

「光を屈折させてホロスコープを隠していやがる。星置変換が見えないからどんな術を仕掛けてくるのか予測が難しい。予備動作がなければ発動させたことすらわからねえかもな」

「自分には通用しない、と言いたいのですか?」

 僅かな応酬で見破られたにもかかわらず、オルフィが動揺する素振はない。ただ心外だと言わんばかりに眉根を寄せた。

「星読師オルフィ=ヴィレ」

 ミアは精一杯の威厳を込めて呼んだ。

「退いてはいただけませんか? あなたと争うつもりはありません」

 反応は顕著だった。オルフィは目を見開き、アトラスは振り向いてミアの顔をまじまじと見た。共通するのはどちらも多分に呆れの色を含んでいたことだ。

「喧嘩を売るような真似をしておいて、何を今更言っている」

「あなたにその気がなくとも僕にはあります。極星がマレの手に落ちるのを見過ごすわけにはいきません」

 交渉は始める前から決裂した。にべもなく説得を却下されたミアは「な、なにも二人して言わなくても」と小さく抗議の声をあげたが、臨戦態勢の男二人の耳に届くはずもない。

「マレが何故、極星の姫と行動を共にしているのですか?」

「当ててみろよ」アトラスはせせら笑った「占いは十八番だろ」

「残念ながら僕は予言宮を所持してはいないもので」

 オルフィに限らずオギ=ライラの弟子は予言宮を持っていない。戦闘に特化した宮を持つ者しか集めなかった、と言うのが正しい。唯一の例外はトレミー=ドミニオンだが、彼を引き合いに出しては誰しも平凡になってしまう。

「……そうだったな」

 アトラスは笑みを打ち消して、星の位置を変えた。一条の光がオルフィ目がけて放たれる。星一つでも発動可能な下位の占星術。威力も大してない。不意をつくならばまだしも真正面から仕掛けたところで避けるか防ぐかで終わりだ。

 オルフィは後者を選んだ。動くことで隙が生まれるのを警戒したのだろう。ミアからは全く見えないがホロスコープを操作して光球を生成。迎撃した。

 放った光の激突を待たずしてアトラスは駆けた。最初の一手は目くらまし。間合いを詰めるのが目的か。しかし、オルフィはそれも読んでいる。

「単調ですね」

 オルフィはわずかに上体を逸らーーそうとして足を取られた。

「なっ……!」

「かかったのだー」

 ジャックが勝ち誇る。オルフィの足には植物のものと思しき触手がからみついていた。砂埃に気を取られている間に仕掛けていたのだろう。バランスを崩してオルフィは転倒。拘束する触手を断ち切ろうとするも遅い。

「詰みだ。諦めろ」

 オルフィの前にアトラスが立つ。無論、ホロスコープは起動中。オルフィが反撃するよりも先にアトラスの占星術が発動するのは明白だった。

 生殺与奪の権を手中に収めたアトラスは「さて」と腕を組む。

「有力な情報を持っているわけでも脅威になるほどの力を持っているわけでもねえお前を、どうしてやろうか」

 あからさまな侮辱に、オルフィは歯がみした。

さっきとは違った意味でピンチだ。命を狙われたとはいえ、オルフィ個人に恨みはない。あくまでも命じたのは天星宮であり王国だ。それに、オルフィはーーミアはベルを抱き起こした。くたりとして彼女は動かない。

ベルが意識を取り戻す気配はなかった。仮にも姉弟子が、弟弟子の危機の最中に。

「役に立たねえ臣下だな」

 アトラスの言葉をミアは否定することができなかった。むしろ内心では力強く頷いていた。

 大らかで前向き。決して悪い人ではないがベルには抜けていることが多々ある。占星術の精度も平均的だ。ライラ導師は一体どこを買って弟子にしたのか甚だ疑問だった。

 性格実力うんぬんよりも、極星の姫を差し置いてマレの人質になったり、危機的状況において真っ先に気絶するのは天星宮の星読師としていかがなものか。それを言えばオルフィも同様だ。あっさりとやられ過ぎではないだろうか。

 後輩のあり様をトレミー=ドミニオンが知ったら嘆くだろう。天星宮もこれまでか、と自分のことを棚に上げてミアは思った。

 窮地のただ中にあるオルフィはアトラスを穴があくほどに見つめる。

「中立であるはずのあなたがここにいるということは、滅びの〈予言〉がされたということですか。今度は一体ーー」

「考察の続きは天上でやれ」アトラスの右手に光が収束する「死んでも考えごとができたらの話だがな」

「やめてっ」

 アトラスが突き出そうとした右腕にミアは縋った。細身の外見に反して、突如娘一人の全体重を腕にかけられながらもアトラスはよろけない。が、光は四散する。

「見逃してどうする。〈転移〉で大陸の果てに飛ばすか?」

 振り払う素振りはないが、ミアはアトラスの腕に強くしがみついた。

「でも、殺さなくても」

「殺す理由はない。だが殺さない理由もない」

 アトラスは淡々と言った。オルフィを見下ろす目には何の感慨も浮かんでいない。殺意も、怒りすらもなかった。

 冷酷だとか非情だとかそういう問題ではなかった。アトラスにとってオルフィは障害物にもなりえない。視界に入った煩わしい虫を叩き潰すだけ。その程度の存在なのだ。

「やめて、お願い」

「王家に仕えてるわけでもない俺が、お前の願いを叶える理由がどこにある」

 アトラスは鬱陶しげにかぶりを振った。

「勘違いするな。極星さえあればいいんだ。お前の心情なんて、俺の知ったことじゃねえ」

 ミアは顔が熱くなるのを感じた。不要物扱いされた自分はオルフィとなんら変わりない。ミアでなければならない理由はどこにもなかった。

「一つ利口になったところで離せ。縋る相手を違えるな」

 追い討ちをかけるようにジャックは「知らないのだー」とやたら楽しそうに跳ね回るわで、ミアはますます泣きたくなった。情けなかった。極星の姫だからという自分の思い上がりを言外に指摘されたのが、恥ずかしかった。

 ミアはアトラスの腕を離した。二、三歩と後退って距離を取る。怖じ気づいたから──ではなく、必要な間合いを確保するためだ。

「……殺さないで」

「だから」

「お願いじゃないわ。これは取引よ」

 アトラスの片眉が上がる。微かな反応ではあるが、ミアは手応えを感じた。

「私の言うことをきいてくれるなら、あなたのこと、信用できるかもしれない」

「それは、ハストラングと戦うということか?」

「ハストラングには会うわ。それは約束する。でも戦うかどうかはその時にならないと決められない」

 ミアにしてみれば、かなりの譲歩だった。自分を攫った誘拐犯のもとへのこのこと顔を出して、あまつさえ真意を問いただすのだから。戦闘になる可能性はこの上なく高い。

「さっきの『お願い』よりはずっとマシだがな」

 アトラスは肩をすくめた。

「ハストラングを倒してもらわなければ意味がねえ。戦うと約束しろ。それならこいつは生かしておく」

「それは……」

「俺を信用するのなら、できるはずだ。納得するがしまいが大公ハストラングを倒すのは極星を抱いた者。ハストラング自身もそれを知っている。お前を殺さなかった理由は不明だが、いずれにしても今回の件は俺の〈予言〉が関わっているのは間違いない」

 金色の瞳に真剣な光が宿る。確固たる意志のひらめきだった。

「なら、俺には見届ける義務がある。それが〈予言〉を告げた者の責任だ」

 何故そこまで、という疑問が湧き上がる。自分はただ、イオを取り戻したいだけだ。なのに、生まれただけでマレに狙われ、城を出たら父親から追っ手を放たれる。挙げ句の果てにはマレの大公を倒せとがなり立てられる。積もり積もった鬱屈は怒りとなってミアの身を焦がした。

「私に人殺しを強要することが!?」

「必要ならば、そうだな」

 平然と言ってのけたアトラスの足元で、オルフィが身じろいだ。

「マレの取引の材料にされるくらいなら……っ!」

「ーーだ、そうだが?」

 他人事のように判断を委ねるアトラスの底意地の悪さに、ミアは呆れてものが言えなかった。

「卑怯者っ」

「最初にこいつの命を取引しようとしたのはお前。そもそも、こいつが俺に殺される羽目になった発端に言われたかねえ」

 アトラスは煩わしげにため息をついた。

「忘れたのか? お前が城に残って大人しく寝ていれば、こいつは追いかけずに済んだ。無論、お前にだって連中の願いを素直に叶えてやる義理なんざねえ。星騎士奪回にマレに乗り込もうが全部投げ出して逃げようがお前の自由だ。だが、勝手に城を出た時点でこうなることぐらい十分予測できたはずだ」

「私の、せい……?」

「発端はな」

 同じことだった。ミアの行動が今の状況を引き起こした。

「じゃあ、攫われても殺されそうになっても黙っていろって言うの」

「徹するべきだと、言っている。従うなら恨むな。逆らうなら恨まれる覚悟をしろ」

 アトラスはオルフィに向き直った。もはやミアなど眼中にない。

 オルフィが死ぬ。

 イオに星騎士を奪われて食ってかかってきた小生意気な少年が。国王の命令に従って自分を殺そうとした星読師が。ミア一人のワガママのせいで。

 今まで考えまいと逸らしていたものが、圧倒的な現実味を帯びてミアの胸に迫った。

 背中を向けたアトラスが「ああ」と気のない声をあげた。

「不意を狙うのは勝手だが反撃は覚悟しろ。俺は背後から攻撃されて捨て置けるほど優しくない」

 ミアは息を呑んだ。動揺は顕著に現れ、起動していたホロスコープが音もなく消える。

「それともう一つ、お前が死んだら今までの全てが水泡に帰す。さっきも言ったが俺は短気だ。これだけ手こずらせた挙げ句に死なれたとなったら、腹いせにベネの二、三人程度は殺しかねない」

 外道だ。ミアはあ然とした。外道がここにいる。

 アトラスの言う「ベネの二、三人」にオルフィとベルが入っているのは明白だった。ミアが自分の命と極星を盾にする道をあらかじめ塞いでおくとは抜け目ない。

「二人は、関係ないわ」

「関係ないくせに自分から首を突っ込んだのはこいつら。その発端はお前、だ」

「なのだー」

 挑発するかのようにミアの周囲を跳ね回るジャック。アトラスは自身のホロスコープをこれ見よがしに掲げた。唯一、自由に動かせる星をサインに納めーーる直前、ミアはちょうど足元に寄っていたジャックを抱えた。

「え!?」

 走り出しざまにホロスコープを展開。アトラスから全力で離れる。

 そこでようやく腕の中のジャックは自分が弱虫な極星の姫にまんまと攫われていることに気がついた。

「大将、助けてえぇぇっ!」

 ミアの暴挙に、あまり表情が豊かではないアトラスもオルフィにトドメをさすことを忘れて目を見開く。ミアは啖呵を切った。

「二人に手を出してご覧なさい。この子を同じ目に合わせてあげるわ!」

「こらー! ぼくは子どもじゃなーい!」

 抗議の声は無視して、アトラスを見据える。一挙一足も見逃せなかった。アトラスは微かに眉を寄せた。不快とも怪訝とも取れる微妙な反応だった。

「俺がカボチャ一つのために引き下がるとでも?」

 ジャックはあくまでも配下だ。主たるアトラスが身を挺して助ける理由はない。弱気になりそうになる自分を引き締める意味を込めて、ミアはジャックを抱く腕に力を入れた。アトラスにとってジャックが本当にただの捨て駒ならば、オルフィが攻撃した時、わざわざ守ったりはしないはずだ。

「取引に応じる気になったら連絡しなさい。好きにしたらいいわ。でも二人の安全が約束されるまで、この子は返さないからそのつもりで」

 言いたいことだけを一方的に言ってミアは〈転移〉を発動させた。

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