第6話 おやすみ騎士様

「六時二十七分」

 ケイルは壁に掛けられた時計を読み上げた。

「悪かったよ」

「勘違いするな。俺は別に怒っているわけじゃない。ただの興味だ。定刻を過ぎているにもかかわらず、どうやって天星宮内に入ったのか」

 天星宮には王宮とは別の専用門がある。通常の門限は六時。星守と呼ばれる衛兵が常に見張っていて、時間を過ぎると門は無情にも閉ざされる。抜け道を通らなければ侵入は不可能だ。

「さらに、聞くところによれば星騎士ともあろうものが、街中で大立ち回りを演じた挙げ句、王室専用の橋の手すりに、足を乗せた、とか?」

 そこまでチクるか。オルフィの意地の悪さにイオは心底呆れた。

「そんなことより」

「かなり重要だと思うがな」

「これを見てくれ」

「おい、」

 イオは作業机の上に箱を置いた。

「なんだこれは」

「土産だ」

「夜食にしては物々しいな」

 黒塗りに金縁。ケイルは蓋に描かれた紋様に目を留めた。土星と木星のシンボルが重なっている。それが意味することをイオは知っていた。星読の基本だ。

「グレートコンジャクション〈大会合〉だな」

 星読において、最大のベネフィック〈吉星〉である木星とマレフィック〈凶星〉である土星が重なり合う時は、大きな変革を示す。それが吉と出るか凶となるかは占った当人でさえわからないが、いずれにしても何かが起きようとしていることに変わりない。

 アトラスの示唆なのかもしれない。既に事態は動き始めている、と。

「どうかしたか?」

「いや……」

 と否定するものの、ケイルの視線は紋様に釘付けだった。何か思い当たる節があるのか。考え込んでいたケイルが、不意に顔を上げた。

「そういえばお前宛てに贈り物が来ているぞ」

 指差す先は乱雑に積み重ねられた本の山。その頂上に白い箱が置かれていた。

「夜会用の礼装だろう。気の利いた心配りじゃないか。国王陛下に感謝しとけ」

 それにしては無造作に置かれているような気もするが。白い箱は後で確認するとして、関心は黒い箱に戻る。

 ひとしきり外面を調べてケイルは断じた。開けたら発動するような術は掛けられていない。心置きなく蓋を外し、二人して「それ」を凝視した。

 結論から言えば、

「腕だ」

「右腕だな」

 イオのものと思しき腕だった。失われた右腕ではない。あれは原型すら留めていなかった。

 それに比べ、箱に納められた腕は戦いなどしたことのないように綺麗だ。接合部となる肩口は人口皮膚で丁寧に覆われている。絹と思しき真紅の布に納められた白い腕には傷は一つもなかった。

「どこで手に入れた? こいつはそんじょそこらの星読師じゃ到底扱えない代物だ。仮に、お前が右腕をなくしてから作ったとしたら……」

 ケイルの喉がごくりと鳴る。

「そいつは天星宮をも凌ぐ技術を持っているということだ」

 ますますアトラスの意図がわからなくなった。何かしら罠を仕掛けているのか。それともマレの技術を誇示したいのか。あるいは──非常に考えにくいが、単なる親切心によるものか。

 どれも考えにくかった。アトラスとてこちらが警戒もせずにおいそれとマレからもらったものに触れるとは思わないだろうし、マレの技術は先の戦いで目の当たりにした。マレが送り込んだミアの偽物は、本物と全く変わりなかった。イオが糾弾したければ──あるいは、胸に抱く星を読まなければ、誰も気づかなかったかもしれない。瓜二つの人間を生み出すのは、天星宮の技術を持ってしても不可能だ。

「マレが寄越してきた」

「だろうな。こいつが人間の、他の機関で作られたとしたら天星宮の技術者は皆、首を吊らねばならん。ハストラングの配下か?」

「いや、たぶん違うと思う。マレであること以外ほとんど知らないけど。アトラスと名乗っていたな」

「アトラス……聞いたことがないな」

「かなりの実力者だぞ?」

 対マレ用兵器、星騎士を管理する星導師の発言とは思えなかった。

「俺は技術系専門だからな。おまけに大公以下の勢力図は目まぐるしく変わる。オギならばマレの内情にも詳しいかも知れないが」

 星導師オギ=ライラは鳥や犬といった他の生物に乗り移る占星術の第一人者だ。偵察に長けていて、人では踏み入れないネメシスの様子も動物を用いて『視』ている。歴代の星騎士は、大半がライラ導師のような〈憑依〉や〈傀儡〉の術に秀でている者が担っていた。

「こいつに何か罠が仕掛けられているかはじっくり調査するとして……マレの技術がここまで高いといよいよ疑問に思えてくるんだが」

 ケイルは蓋を閉じた。グレートコンジャクション。数百年に一度の変革が予言されたのは、今から十四年前、ミア姫の生誕占星式の時だ。

「極星の危機にいち早く気付いて、大公ハストラングを打ち倒し、極星の姫を取り戻した史上最強の星騎士イオ殿」

 冗談めかしているが、ケイルは真っ直ぐイオを見据えていた。

「お前は、誰なんだ」

 イオは口を噤んだ。帰国してから──いや、目覚めた時から幾度となく問われたことだった。質問されたのと同じ数だけ返事もしてきた。

「まさか……ドミニオン、なのか?」

 イオの心臓が跳ねた。何故、その名を。取り繕うと試みるも動揺は覆い隠せるものではなかった。

「お前がドミニオンなら、極星の危機を察知したのも、星騎士になれたのも頷ける。最初にミア姫様の運命を予言したのは、お前だ」

 生誕占星式にて新たな極星の姫の誕生を予言した唯一の星読師は、当時齢十九の青年だった。最年少の星導師、トレミー=ドミニオン。天星宮最初で最後の天才と呼ばれた星読師にして星騎士はしかし、七年前に突如天星宮から姿を消した。人間にしてはあまりにも優秀であったが故に、脅威に感じたマレに殺された、という説が有力だった。

「しかし……どうして、」

「それ以上は訊かないでくれ」

 イオは力無く微笑んだ。どんなに問われても返答は変わらなかった。

「答えられない」



 国王から贈られた星騎士の礼服は、急いで作らせたとは思えないくらいの高級品だった。白を基調とした軍服に、同色のコートの袖は見苦しく垂れないよう、右肩から先がない仕立となっている。動きやすさを重視し、機能性にも優れている。しかし、だ。一ヶ月後に右腕も戻ることを考えると、今回限りの服だ。非常にもったいない。

「お前が気にいる気に入らないは問題じゃない。畏れ多くも陛下からの贈り物だ。礼を言って来い」

 ケイルに背中を押されて足を運んだ王宮は、大陸でも有数の名城と知られるだけあって間近で見る迫力も段違いだった。堅牢な城壁は輝くばかりの白。ベネを示す色ーー青と白を基調とした宮殿そのものも、建築から二十数年が経過している今なお鮮やかな色合いを保っている。

 正面口で控えていた近衛兵に案内されて足を踏み入れた宮殿内もまた、芸術的ともいうべき美しさだった。磨き抜かれた回廊は至る所に装飾が施されていて、イオは二度目だというのに圧倒された。

(宮殿って、広いんだ)

 もちろん天星宮も広いが、それとは比べものにならないくらい王宮は広かった。イオがきょろきょろ見渡している間に、会場に辿り着く。

 既に、夜会は始まっていた。きらびやかな衣装を身に纏った紳士淑女が、それぞれ談笑していたーーが、その視線が一斉にイオへと集る。

「王国史上最も偉大な星騎士だ。歓迎せよ」

 一段高い場所より国王はにこやかに笑った。乳白色の大理石に敷かれた絨毯が描く青い路をイオは真っ直ぐに進んだ。

「名は訊かぬ約束だったな。マレへの勝利を祝して乾杯する前に訊こう。褒美は決まったか」

「恐れながら一つ、質問をお許しください」

 玉座の前、数段下にイオは平伏した。

「私は及ばずながら陛下のご期待に添えるよう尽力して参りました。結果、マレの大公ハストラングの討伐、極星の守護、ミア姫様の奪還、三つの偉業を成し遂げたと他人は言います。全てが私一人の力によるものと奢るつもりはございません。ですが、中核を担った者としてお訊ね致します」

 早鐘のように脈打つ心臓。もしかしたらハストラングと対峙した時よりも。

「その三つの内、陛下が最もお喜びになったのはどちらでしょう?」

 沈黙が痛い。一挙一動を注目されている緊張感にイオは身を固くした。

「当世の星騎士は難しいことを訊く」

 国王は苦笑した。穏和で気さくな性格という噂に違わず、突然の質問にも丁寧に答える。

「どれも称賛に値する偉業だ。しかし強いて一つを挙げるとすれば」

 しばしの黙考の後、ミアの父、王国国王カイン=リコは答えた。

「極星の守護だな」

 イオは目を閉じた。やはり、という思いが胸を占める。ネメシスに赴いたのは正解だった。自分の判断は間違っていなかった。

「歴代の騎士と姫が命を賭して守り続けてきた極星を、私の代でマレにやるわけにはいくまい。そなたもまた、立派に使命を果たした。歴代の国王の中でも私はおそらく一番の幸せ者だろう。そなたのような星読師を星騎士に迎えられるとは」

 立派な国王に治められて、国民は幸せだろう。口にすればそれこそ不敬罪に問われるのでイオは言わなかったが、確信した。この国は大丈夫だ。星騎士イオは使命を果たしたのだ。

「身に余るお言葉でございます」

「それよりも星騎士よ、褒美に何を望む? 願いは決めてきたのだろう」

 イオは言葉に詰まった。今の質問が「褒美」とは思われなかったようだ。となれば、別に頼もうと思っていたことを褒美として求めた。

「この度の件で、ミア様にお仕えするーー侍従長を始めとする方々を誰一人お咎めにならないよう、お願い申しあげます」

「それは……」

「罰するには正当な理由が必要です。幸いなことに、公になる前に姫様はお戻りになりました。私の右腕も一ヶ月後には修復されるでしょう。全て元通りになるのです。しかし罰してしまったら、元通りではありません。何かあったのかと勘繰る者も現れましょう」

「だから不問にせよ、と?」

 国王の顔を逡巡の色が浮かんだ。

「正当な報酬であるゆえ、そなたの願いを拒むつもりはない。だが、そなたはそれでよいのか?」

 事が公にならない。すなわちイオが先に挙げた三つの偉業もまた、無かったことにされるのだ。最初から、ミア姫は攫われなかった。星騎士イオは目覚めなかった。王国史上最も偉大な星騎士はどこにもいない。

「私は歴代の星騎士達と同じように使命を果たしただけでございます。他人から特別称賛されるようなことはしておりません」

 国王はイオに立つよう促した。眩しいものを見るかのように目を細めて、呟いた。

「……名を訊けぬのが実に口惜しいな。そなたの願いを叶えよう。今回の件に関しては誰一人咎め立てはせぬ」

「感謝致します」

イオは拳を右肩に当てて、礼をした。もはや自分が成すべきことは何もない。眠りにつく時間が訪れようとしているのを、イオは悟った。

「堅苦しい話はここまでだ。遅くなったが、乾杯しよう」

 給仕の者が改めて酒を配る。国王は上機嫌で乾杯の音頭を取った。

「星導師や大臣、貴族の皆に王国史上最も偉大な星騎士を引き合わせよ。一昨日から楽しみにしていたようだからな」

 二日間でかなりの人と話したつもりだったが、王宮はイオが思っているよりもずっと広かったようだ。次々と新手のお偉いさん、もとい将軍や大臣を始めとする貴族の面々が現れては挨拶をし、興味津々といった面持ちで質問を浴びせる。なおもしつこく正体を訊ねてくる者はやんわりと、しかし頑として断り、特にマレの大公ハストラングを倒した武勇を聞きたがっていたので、気の済むまでイオは話をした。

 そのせいで一通りの挨拶が終わる頃には、イオは疲れ切っていた。もしかするとネメシスに赴いた時よりも。

もともとイオは人前に出た経験が全くと言っていいほどなかった。これほど大勢の人と言葉を交わすのも初めてで、何もかも不慣れなことばかりだ。これが気疲れというものなのだろうか。新たな発見だった。

 宴の余興に行われている歌や踊りをしりめに、イオは裏口の階段を下りた。中庭には警備の者以外誰もいない。一息ついて、テラスから空を見上げる。

「こんな時にも星読を?」

 イオは慌てて振り返った。若い淑女だった。歳は二十代後半くらいか。貴族の令嬢にしてはドレスが簡素だった。鳶色の瞳は知性を感じさせると同時に親しみやすさがある。栗色の髪を結い上げて頭で一つにまとめていた。

「初めまして。ベル=ライラと申します」

 ライラ。星導師の一人に同じ姓の者がいた。

「オギ=ライラ導師の、ご令嬢ですか?」

「ええ。弟子です」意味ありげにベルは付け足した「ミア王女付きの星読師を務めております」

 イオは目を瞬いた。極星の姫であるミアには現在、専属の星読師が導師含めて五人いる。全て把握しているわけではないのでベルの顔に見覚えはないが、彼女は今回の件で本来なら罰せられるはずの立場だということだ。

「わたくしのような者が畏れ多くも御慈悲を賜りましたこと、心より感謝申し上げます」

 右の手を左胸ーー心臓の辺りに当てて一礼。ベルが行う星読師の儀礼は、非常に洗練された動作だった。

「いえ、わ、私はただ与えられた使命を果たしただけなので……そこまで畏まられてはかえって恐縮です」

「聞いていた通りの方ですね」

 ベルは軽やかに笑った。

「では僭越ながら一つご忠告を。お気をつけください。ライラ導師はあなたの正体を探っております」

「私の、正体を?」

「人は隠されると暴きたくなるもの。わたくしの師は是が非でもあなたを弟子にしたいようで、ここ数日は天星宮の星読師の名簿にかじりついております。師は大変粘り強い方です。正体を暴いた上で勧誘するつもりですので、ご覚悟をなさった方がよろしいかと」

 イオは元よりあるはずもない血の気が引いたような心地がした。

 星騎士の管理を務めているケイルは星読師というよりは技術人だ。それゆえにイオの正体にはさほど興味を示さなかった。無理に正体を暴こうともしない。彼の関心はあくまでのマレの技術、ひいてはファイノメナ王国時代の失われた技術にある。

 しかし、オギ=ライラ導師は違う。彼はマレに打ち勝つことに腐心し、これと見込んだ者は誰彼構わず見習いにして徹底的に鍛える。あまりの厳しさにほとんどが星読師になる前に天星宮を去ることになるが、その成果はたしかにあった。オルフィは無論、先代の星騎士トレミー=ドミニオンもまたライラ導師の弟子だ。

 それほどの情熱を注ぐオギが、躍起になって自分の素性を探っている。背筋にうすら寒いものを覚えた。

「オルフィもあなたを意識しています。ここ数日はずっとあなたの動向を見張っているようですが、もしやご迷惑をお掛けしていないでしょうか?」

 はい。街中で決闘まがいなことをさせられそうになりました。

 馬鹿正直に答えるわけもいかず、イオはベルから目を逸らした。間の悪いことに外した視界にオルフィの姿が飛び込んだ。昼間に損傷させた壁の修繕もしないで、何事もなかったかのようにそつなく円舞を踊っている。相手はなんと第二王女のスピカ=リコだ。ミアの異母姉妹。

 スピカは今年で十二となる。社交界デビューを果たしたばかりだからだろう、傍目でも楽しそうに踊っている。いくつものひらを持つ純白のドレスは生地も下手も最高級。施されている銀糸の刺繍も精緻を極めていた。豪華な衣装に負けることなく、身に纏う本人もまた華やかだった。ゆるやかに波打つ髪はハチミツ色。青い瞳は宝石のように輝いている。軽やかなステップを踏む様は可憐だった。

 絵に描いたようなお姫様と仕える騎士(正確には星読師だが)の姿は、別世界のもののようだった。自分が酷く場違いなような気がした。

「……帰らなくちゃ」

 イオは一人呟いた。国王に暇乞いをして会場を後にしよう。天星宮に帰って、ケイルにこの身体を返さなくては。

「もう? せめてワルツ一曲でもご一緒に」

 冗談ではなかった。ワルツなんぞ踊ったこともない。

「そろそろ時間が迫っておりますゆえ」

「まるでシンデレラみたい」

「でしたら長靴ではなく、ガラスの靴を履いて来るべきでしたね」

 冗談めかして言うとベルは鈴のように上品に笑った。

「また、お会いできるでしょうか?」

 半ば諦めてはいるのだろう。しかし、残りの半分は期待している。イオは「残念ながら」と遠慮がちに断りの言葉を口にした。

「ガラスの靴を落とすようなことがあれば、またお目にかかることもあるかと」

 おとぎ話ではあるまいし、現実的にそんなことはありえなかった。この世界には美声と引き換えに人間の足を与える魔女も、カボチャとハツカネズミでお姫様にしてくれる妖精もいない。お互いによくわかっている。

「残念ですわ」

 ベルは侘しさを滲ませながらも、大人らしい物わかりの良さを発揮した。

「おやすみなさい、眠れる騎士様」

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