第5話 極星の姫ミア

 ミア=リコ。

 極星が選んだ姫は、文字通り生まれながらの姫君だった。

 母はニアンナ。第七十五代極星の姫にして、王妃だった。極星の姫を国王がめとるのは珍しいことではない。

極星に選ばれた時点で姫は家族との絆を断たれる。天星宮と沈黙の誓約を結び、差し出した娘は事故死か病死として周囲に発表。以後一切娘のことを口にしてはならない。その見返りとして、家族には莫大な報酬、そして極星の姫本人はどんな者であろうとも王族に次ぐ身分を与えられる。極星が新たな姫を選ぶその時までーーもしかすると一生マレに狙われ、天星宮の奥深くで過ごさなくてはならない姫に対する王国側の敬意だ。

 ニアンナも例に漏れず、十七の時に極星に選ばれて天星宮に入った。凛々しい面持ちの美しい女性だった。儀礼式の折に現国王カイン=リコに見染められ結婚。そもそも、極星の姫が会うことができる男性は限られていた。王妃になったとしても結界内で生活することは変わらない。前例も多くあったために特に反対する者もなく、二人は夫婦となった。

 悲劇が起きたのは結婚から約一年後、ニアンナが待望の第一子を産んで間もない頃だった。マレの大公の一人ハストラングがニアンナを攫った。天星宮は即座に星騎士を起動。奪還させまいとするマレの軍勢に星騎士は対抗した。しかし、ほどなくしてニアンナは死んだ。極星がマレの手に落ちることはなかったが、彼女は死んだ。

 伝説の始まりはその直後、ニアンナの忘れ形見である第一王女降誕を祝う儀式でのこと──王国屈指の星導師達がこぞって生まれたばかりの王女の星を占い、その未来を祝福する中、一人の星読師が〈予言〉した。

 極星は新たな姫を選ばれた、と。

 歴代の極星の姫の継承平均年齢は十代後半。記録に残る最年少は十四。それより若い人間では極星に耐えきれないとされていた中で、生まれたばかりの赤子が次代の姫とは前代未聞だった。

 さらにニアンナの次に選ばれた姫は十五とまだ若く、極星を継承して数日しか経っていなかったのもあり、誰もが予言を疑った。国王も、星導師も、誰一人として予知しえなかった。

 しかし間もなくして、周囲の動揺を余所に極星は生まれたばかりの赤子へとその身を寄せ始めたのだ。月が満ちるかのごとく日に日に輝きを増していく王女の星。ひと月が経過する頃には眩いばかりの光を放ち、もはや疑いようがなかった。

 これまでがそうであったように、予言に意味はない。あるのはやがて訪れる結果のみ。理由は皆目見当がつかないが、極星は次の姫にニアンナの娘ミアを選んだ。それが全てだった。



 市民街の、それも大通りから離れた裏路地にある安酒場に、客は一人もいなかった。時間帯を考えれば当然のことだが、店主もいないのはどうだろう。マレの男は我が物顔で店内に入り、掌に光球を生み出し天井に飛ばした。

 イオは目を見張った。理屈上は可能ではあるが、ホロスコープ〈星図〉を起動させずに占星術を行うのは星導師でも難しい。自身が持つ星の位置を感覚的に捉えて、かつ的確な場所に移動させなくてはならないからだ。かなりの使い手とみて間違いはない。

 男は長い脚を持て余し気味にして、テーブルに腰を下ろした。

「入らねえのか?」

「それを今考えているところだ」イオは腕を組んだ「知らない人についていってはいけないと耳にタコができるくらい言われている。天星宮は厳しいんだ」

「命の恩人に酷いことはしないよー」

 イスの上でカボチャが無実を訴える。愉快な外見にうっかり信じたくもなるが、警戒を解くわけにはいかなかった。

「初対面じゃねえだろ。危害を加えようとすれば、いつだってできた。ハストラングと戦った直後なんかは絶好のチャンスだったな。それでも信用できねえってなら、話をする意味もねえ」

「はるばる海を渡って来たんだよー。ちょっとはお話聞いてよー。聞くのはタダだよー」

 先達は語る。タダより高いものはない、と。しかし、二人(正確には、一人と一玉)の言うことにも一理ある。迷った末に、イオは中に足を踏み入れて扉を閉めた。嘘を見極める占星術が使えればよかったのだが、残念ながらイオにはその適正がなかった。自分の判断に頼る他ない。

「それで、今度こそ大公を倒すというのはどういう意味だ」

「そのまんまの意味だよー」

「奴はまだ滅びてない」

 返答は簡潔だった。簡潔過ぎて状況を把握できない。

 ハストラングは倒したはず。念入りに破壊したわけではないので確証はないが、袈裟掛けに大きく斬った時の嫌な手応えは忘れようもない。抱いていた星の輝きも消えていた。間違いなく、あの時のハストラングは死んでいた。

 それでもまだ生きているとすれば、星騎士のように他の身体に乗り移っていたとか──しかし、乗り移っていたのならその間他の占星術は使えないはずだ。あるいはイオが倒したのは身代わりだったとか。

 イオはかの大公との死闘を思い出した。あの時は無我夢中で考えもしなかったが、今になって思えばなんで勝てたのか不思議なくらいハストラングは強かった。星騎士を殺せばせっかく捕らえた極星の姫も死ぬから多少の躊躇いもあったろうが、自分が殺されてしまえば元も子もない。

 さらに──今際の際、ハストラングは薄く笑んでいたような気もした。どこか満足げで寂しげなその微笑を、イオは以前にも見た覚えがあった。

(いつだろう……?)

 考えればハストラングの死には不可解な点が多かった。

「あんまり驚かねえな」

「驚いているさ。てっきり倒したとばかり思ってた」

「俺もだ」男はホロスコープを具現化させた「〈予言〉をしていなければハストラングは死んだと思い込んでいただろうな」

多彩な占星術の中でも〈予言〉は複雑かつ難解な部類に入る。

 まず、予言宮と呼ばれる特殊なサインをホロスコープに持っていなければならないので、扱える者が少ない。占星術における代表的な術にもかかわらず、できる者が限られているとは奇妙な話だった。それ故に、天星宮は占星術を行う者を占星術師ではなく、星読師と定義しているという。

「俺は〈予言〉した。ハストラングは極星を抱いた者に滅ぼされる。逃れるすべはただ一つ、極星を抱いた者を殺すことだ」

「ええーっ!」

 わざとらしいまでの驚愕の声と一緒に跳ね上がったのは傍らのジャックだった。

「そ、そうだったの? 知らなかった……っ!」

「当然だ。本人にしか言ってねえ」

 真顔で告げられた事実にカボチャは硬直。

「じゃあ、ハストラングがミアを攫ったのは、こ、殺すため……だったのか?」

 イオは中途半端に開いた口がふさがらなかった。最初から極星の姫を殺そうとするマレとは前代未聞だ。

「……でも、死んでない」

「ハストラングが殺さなかった、と言うべきだ」

「よかったねー」

 ハストラングの慈悲に感謝しろとでも。イオは素直に頷けなかった。

「どうして殺さなかったんだ」

「知らねえ」

 億劫そうに言った後、ふと思いついたように付け足した。

「本人に訊いたらどうだ。身の破滅と知っていながら五日間も生かしておくくらい親切な野郎だから、答えてくれるかもしれないぜ?」

 感情表現があまり豊かではない男だが、面白がっているのは明白だった。

「本当にハストラングは生きているのか? にわかには信じられないが」

「間違いない」

〈予言〉をする際は他の占星術同様自らの星を一つ予言宮に入れなければならないのだが、どんなものであれ一度〈予言〉をしたら、その〈予言〉が成就するか完全に外れるまで予言宮から星を動かせなくなるのだ。

一人の人間が持つ星は平均で五つ。その内一つが動かせなくなると、複数のサイン〈宮〉に星を置くことで発動する高度な占星術が使えなくなる。不便なだけでなく、常に旋回するべき星が一ヶ所に留まることによりホロスコープのバランスが崩れて体調にも支障をきたす。こうしたリスクの大きさが〈予言〉の希少性を高めていた。

「お前が去った後も玉座の間には誰も立ち入れないよう、奴の配下が警護している。肝心の本人の姿が見えないが、滅びてもおかしくないダメージを負ったことをかんがみれば、意識が戻っていないのも頷ける。何よりも大公か極星を抱いた者が死んだのなら動かせるはずの俺の星が動かねえ。つまり〈予言〉が成就してないということだ」

 掲げたホロスコープ〈星図〉で旋回する星は一つしかない。他は全てサイン〈宮〉に納められている。つまり、この男は常に自身が抱く星のほぼ全てを使って占星術を発動している状態だということだ。普通の星読師なら一日で倒れている。

「言いたいことはわかる。けど、ハストラングが生きているなら、むしろお前にとってはいいことなんじゃないのか?」

「大問題だ。こいつが動かせないと、俺はまともに占星術が使えねえ」

 そこまで言うと口を閉ざした。占星術が使えない。使えないのなら使わなければいい。それだけのことだ。イオは当然のごとくあるべき続きを促した。

「……で?」

「不便だ」

 端的に男は結論を言った。つまるところ、人の生死に関わる予言の前では霞んでしまうような問題だった。

 そもそも彼はマレである。使えない方が世の中のためのような気がした。

「他のを成就させたら?」

「あいにく一番近いのがこの〈予言〉なんでな」

 一番実現しそうだからという理由でせっつかれたら当の本人達はたまったものではないだろう。さっさと滅べと言っているようなものだ。

 おまけによくよく彼のホロスコープを見れば予言宮と思しきサインの他にも、星を収めているサインがいくつかあった。

(他の術を解除すればいいじゃないか!)

 イオはなんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。この男は人の命を何だと思っているのか。睨みつけるイオにも「ふふ、そう怒るな」と薄く笑う。小馬鹿にした態度だ。

「予言の成就と極星の姫の命、お互いの利害は一致してると思うんだが」

「断る」

 にべもなくイオは首を横に振った。

「どうせハストラングにも同じように話を持ちかけたんだろ。で、勝ち目がなくなったら今度は俺だ」

 都合によって鳥族と獣族を行き来するコウモリみたいな姑息さは好きになれない。それ以前に信用できない。

「俺に自らの〈予言〉を訊いたのはハストラング。訊かれたから答えたまでだ」

「だから〈予言〉を聞いたハストラングがミアを攫おうと殺そうと、お前には全く関係がない、と?」思わずイオは恨みがましげに呟いた「無責任だな」

 男は目を眇めた。醒めた表情だった。

「〈予言〉に従うのも逆らうのも決めるのは本人だ。まわりがとやかく言うことじゃねえ。俺にできるのはせいぜい見届けることだ」

 ミアが捕らえられていた慰霊塔にいたのはそのためか。イオとハストラングの死闘を高みの見物。いいご身分だ。

「決めるのは本人ーーなら選ぶのはミアだ。ミアはハストラングと戦おうとは思わないだろう。だから俺も戦わない。信用できない奴と組んで大公と戦うなんて無謀過ぎる」

「無謀か」

 男は独り言のように復唱した。

「たった一人の姫のためにマレの領域に乗り込んで大公に挑むのは無謀じゃねえのか?」

「でも勝った」

「大きなリスクと腕一本と引き替えに、だ。改めて訊くぞ星騎士、お前が守ろうとした、姫の命とか歴代の使命といったものは、本当に守るに価するものなのか?」

 イオは自分の右肩に触れた。その先にあるべき腕はなかった。マレの大公に打ち勝った星騎士が史上初ならば、片腕を失った星騎士というのも前代未聞だ。

 ともすればミアを担いで帰還した時のことが思い出される。英雄と称えられた。褒美も労いの言葉も十分以上にもらった。しかし、その後ろには必ず「次は危険な真似はしないように」との釘が小さくも刺されていた。

 星騎士を管理するケイルに至っては顕著だった。開口一番に「右腕はどうした」と詰め寄り、ハストラングにもぎ取られたと正直に言ったらこっぴどく叱ってきた。帰ってこれたからいいものの、貴重な星騎士がマレに奪われたりでもしたらどう責任を取るつもりなのか、とまでなじられた。

 事実、片腕を失う程度で済んだのは幸運だった。伝説とは違い、実際の星騎士はマレに対抗できるほどの力を持たない。核を砕かれない限り動き続けられる上に、仮に半身が吹き飛ばされても再生可能な分、普通の人間よりも戦えるだけ。あくまでも人が乗り移るため、抱いている星も占星術の精度も人間の域を越えない。イオが、マレの大公から極星の姫を取り戻せたのは結果論に過ぎなかった。

 そう、結果的に上手くいったから賞賛されたのであって、星騎士がネメシスに踏み込んでまで極星の姫を救出しようとすることを国も天星宮も認めていないのだ。そこまでする価値はミア=リコ個人にはない。それが天星宮の、ひいてはアルディール王国の見解だった。

「俺にはあったよ」

 他人にとってどうなのかは知らないが。

 イオの中でミアを見捨てるという選択肢は最初からなかった。笑いたければ笑えばいい。見苦しくても最後まで足掻こうと決めた。だからマレに挑んだ。自分自身のために。

「話はそれだけか? あいにく名前も知らない人を信用する程、楽天家では」

「アトラス」

「え?」

「俺の名だ。アトラス=ファーレンハイト」

 あっさりと教え、あまつさえ「お前は?」と逆に問い掛けてくる始末。疲労感を覚えながらイオは律儀に答えた。

「……イオだ」

「その名は知ってると前に言ったはずだが」

「イオ以外に名はないとその時に答えたはずだ」

 なんだろう、この不毛な会話は。イオは早くも王宮に戻りたくなったが、アトラスの腕がそれを許さなかった。阻むように右腕を、イオから見て左側の壁に手を当てている。そのくせ、反対側は開けているのだ。まるで、いつでも抜け出せると言わんばかりに。

「用がそれだけなら、帰らせてもらうぞ」

「好きにしろ」

 アトラスは酷薄な笑みを浮かべた。

「戻りたきゃ戻れ。安全で平穏な天星宮へ」

 嫌な奴だ、とイオは思った。興味を引きつけ、退路を絶っておきながら最終的な判断を委ねる。イオはこの男の罠にまんまとかかったような気がしてならなかった。

「片腕ってのは不便なもんだ」

 案の定、店から出ようとするイオに、アトラスは聞こえよがしに言う。わかっていながらも立ち止まる自分が情けなかった。相手の思うツボだ。

「何につけても差し障る。慣れてねえのならなおさらだ」

「今度は何が言いたいんだ」

「おまけに肉体の再成形には時間がかかる。断たれた腕を繋げるだけならまだしも、一から作り出すとなれば……大体ひと月ってところか?」

「俺は帰る」

 相手のペースに乗せられそうになる自分を引き止めるのもあり、イオは強く断言した。

「まだ喋り足りないのなら気が済むまで話せばいい。でも俺は聞かないよ」

「つれねえな」

 言葉とは裏腹にアトラスは楽しげだった。その様は、無駄な抵抗をするネズミをいたぶる猫を彷彿とさせる。

 アトラスはおもむろに左手をかざした。一声の短い詠唱で、その手中に箱が現れる。長方形の、黒い箱だった。傘が一本丸々収まるくらいの長さと幅がある。

「やる」

「なんだ、いきなり」

 イオは差し出された箱と、アトラスを交互に見た。

「ジャックを助けた礼、とでも言えば納得するか?」

「しないな」

「なら、訊くだけ無駄だ。俺には必要なくなったものだ。どう扱おうがお前の自由。気に入らねえのなら、捨てればいい。惜しいと思うなら、後生大事に保管しろ」

 アトラスは意味ありげに付け足した。

「いずれにしても、中身を見て損はないとは思うがな」

 イオに箱を渡し、アトラスは扉を開けた。外の喧騒は相変わらず。隔絶されていたかと思われた空間は、存外簡単に繋がった。

「返事は急がない。悩める内はせいぜい悩め」

 どの道結論は決まっていると、暗に告げる。予言よりも断定的な台詞を否定するすべを、イオは持たなかった。認識は変わらない。マレは強い。歴然たる事実だ。

(無茶だ。大公と戦うなんて)

 しかし必要に迫られたら、きっと自分はネメシスにまた乗り込むのだろう。大公と再びあいまみえることも辞さない。あの男はそれを見越して話を持ちかけたのだ。

 頭の中で警鐘が鳴り響くが、今更だった。遭遇してから危険だと知っても意味がない。

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