第7話 夢見るお姫様

 夢を見ていた。

 いつか、王子様が現れて、自分をここから連れ出してくれることを。


 願っていた。今でもずっと、願い続けている。


 まどろみの中で、頭を撫でられたような気がした。時に髪を梳いたりとぎこちなくも優しい手つき。期待に胸を膨らませて、ミアはゆっくりと目を開けた。

 最初に視界に入ったのは、白い軍服と剣の柄にある玉石だった。

「おはよう、小さなお姫様」

 ミアは跳ね起きた。天蓋つきの広いベッド。大きすぎる衣装棚。部屋に一つしかない窓。いつもと同じ自分の部屋で、白い軍服の男の存在だけが違っていた。

「……だれ?」

 ベッドに腰掛ける男は驚く素振りもなく、興味津々といった様子でこちらを見ていた。

「王子さま?」

「残念ながら違う」

 ミアはベッドに座った状態で、男を改めて眺めた。白い儀礼衣、蒼穹のような瞳、そして鮮やかな赤髪。導かれる結論はただ一つだった。

「……せいきし」

 男は首肯した。

 古来より極星を守護する者。有事の際にしか目覚めない、眠れる騎士。悪しきマレフィック〈凶星〉の民を討ち滅ぼしたその騎士を、伝説は星騎士と語る。

「俺の名はイオ。王子様じゃなくてすまない」

 ミアは首を横に振った。閉ざされた部屋で生きるミアにとって、突如現れた伝説の星騎士は驚嘆すべきものであり、好奇心を大いに刺激した。

「しかし、なんで王子様だと思って……」

 台詞と視線がベッド脇の小さなテーブルで止まる。その上には茶色い皮表紙の分厚い書物。ミアが寝る前に読んでいた童話だった。

「なるほど」

 イオは書物に手を伸ばし、数ページめくる。

「つまり姫様はぐーすか寝ている間に王子様とやらがなんでもかんでも解決してくれると思っているわけか」

 しきりに頷いてから、イオは「甘いな」と人差し指を立てた。

「そんな都合のいい王子様はいない。ついでに言うと、この世界には百年間の安眠を約束してくれる妖精も、カボチャとハツカネズミを集めたら舞踏会に行かせてくれる魔法使いもいない」

 イオの興味が失われた書物はテーブルに。

「お姫様だからって白馬の王子様を待っているだけでは駄目だ。時には自分が白馬に乗って王子様を探しに行くぐらいの気概を持て」

「わたし、馬に乗れないわ」

「奇遇だな。俺も馬は持ってない。実家が筋金入りの貧乏でな」

 イオは真顔で情けないことを認めた。

「しかし白い馬がいなければ黒い馬でもいいわけだし、そもそも馬がないなら自分の足で歩けばいい」

「持ってないわけじゃないわ」

 ミアはむきになって言った。馬なんぞは絵本や閲兵式で見た程度で触ったことすらなかったのだが、素直に認めるには彼女の育ちが贅沢過ぎた。事実、父親である国王に馬をねだれば、白馬だろうが天馬だろうが与えてくれただろう。

 ただし、その馬に『王子様』はいない。

「乗れないの」

 幼いながら、ミアは理解していた。自分は馬や綺麗な洋服や美味しい食べ物は好きなだけ与えられるが、母や友人、外で思いっきり駆け回る自由というものは、決して与えられない。仮に、馬を手に入れたところで、その背にまたがることは許されないだろう。

「できないと軽々しく口にしてはいけない。せめて『できなかった』と言うべきだ。求めも祈りもしないで叶う願いなんてこの世界にはない。本当にほしいものがあるなら、ちゃんと手を伸ばさなきゃ」

 イオの手が頭に乗せられる。黒髪を梳るように撫でる。

「小さなお姫様、自分から動こうともしないのはできないんじゃなくて、やらないと言うんだよ」

 ミアはスカートの裾を握った。頭を撫でられたのは生まれて初めてだった。侍女でさえもミアに必要以上に触れようとしない。入浴や召し替えという理由がなければ、近づきもしない。ただ言いつけた用に従うだけだ。ミアは寂しかった。

 寂しいと、思っていただけで何も言わなかった。それは侍女に限ったことではなかった。ミアは自分の意思や願いを言ったことがなかった。ワガママであり、いけないことだと思っていた。

 しかし今、ミアは生まれて初めて『ワガママ』を口にした。おずおずと、震えながらも。

「……外に出たいわ」

 消え入りそうな声を皮切りに、願いは熱を帯びて力を増す。

「お庭のばらを見るの。町にも行きたいわ。お買い物するの。川で水浴びしたり、お友達と遊んだりしたいわ」

 やりたいことはたくさんあった。夢も、望みも。声に出せば溢れてくる。

「あとね、あと」

 勢い込んでミアはイオの袖を掴んだ。

「王子さまを見つけるの。むかえに行くの」

 憧れと期待でいっぱいにして見上げた。こちらを見つめるイオの眼差しは優しくて、どこか悲しげだった。幼い手を包み込むように握る大きな手は温かい。

「見つかるとも」イオは力強く頷いた「探せばきっと見つかる」

 ミアの手を握ったまま、イオは床に膝をついた。

「小さな姫様、俺には白馬もカボチャの馬車もないが、持っているものを差し上げましょう」

 恭しくかしづく様は騎士そのもの。悪戯をするかのように密やかに、誓いを交わすかのように厳かに、星騎士イオはゆっくりとミアを見上げた。

「心を静かに。気を楽にして、俺の言うことを繰り返すんだ」

 一言一言を噛み締めるように呪文を唱える。

「我は汝」

「われはなんじ」

「汝は、」

「なんじはわれなり」

 イオは目を見開いた。やがて嬉しそうに顔を綻ばせる。

「さすがだ」

 ミアの頬に片手を添え、目を合わせる。

「我は汝」

「なんじは、われなり」

 言葉を紡いだ唇に柔らかい感触。額も合わさる程近くで、イオの口が穏やかな笑みを形作った。

 不意に、ミアは睡魔に襲われた。心地よい感覚に抗うすべはない。薄れゆく意識の中で、イオが何かを呟いたの聞き、寂しく微笑むのを見た。繋いだ手のぬくもりを失いたくなくて、ミアは強く握った。が、それも力が入らない。指先から感覚が消えていく。

「おやすみ、小さなお姫様」

 よい夢を。そしてどうか、どうか幸せに。

 切なる願いは声にもならずに消えた。

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