第五章 村を去る者たち3

 伝吉は辺りを伺った。

 前方には誰もいない。村の者は皆先に行ってしまったのだろう。

 一本松を最後に通り過ぎたのは伝吉だった。


 背中に大きな風呂敷包みを背負い歩んでいく。荷物の重みで早くは進めない。おまけに道には石が散らばっていて注意しないと危ない。

 万兵衛の知らせにより深見山の中には既に中川に侵入を許してしまったと分かった。村人たちは我先にと逃げ出し、今まで介抱してきた足軽どもを見捨てて行った。  

 最初は伝吉もさっさと逃げるつもりであった。

 しかし、荷物をまとめている時に心変わりした。

 (すぐに逃げるのは惜しいことだ。)

 村人たちは小銭やら米やら持ち出そうとしているが全部持ち出せるわけではない。まして急に逃げろと言われたばかりだ。急ぐあまり持ち忘れた金目の物が残っている。伝吉はそう考えた。


 村人たちが逃げ出すのを待ち、家の中で身を潜める。

 村人たちが出ていくのを見図ると住人に置き去りにされた民家に忍び込んだ。足軽たちは万兵衛の元に集められ指示を仰いでいるため好都合だった。

 小銭、米、反物、櫛、鏡と家主の忘れ物を風呂敷包みに入るだけ詰め込んだ。

 中川の兵に捕まったらと不安はあったが、村には八木の足軽が残っている。まず、そいつらに目が行くはずだ。その考えが伝吉の脳裏から不安を追い払った。


 懐の中から盗んだ銭の束を取り出す。それを眺めニヤリとした。

 「これでしばらく遊んで暮らせるな…大きな町に行ってみるか…」

 戦火に包まれるであろう村に戻る気はなかった。

 「そうはさせんぞ…」

 後ろから声がした。伝吉はギクッとした。

 振り返ると徳左衛門が立っていた。

 「よくも私を置いて逃げてくれたな…」

 「しょ…庄屋…さん…」

 徳左衛門の眼光は伝吉を睨みつける。


 「普段お前の言うことは何でも聞いてやったというのに…。何だこの恩知らずは…」

 「庄屋様…一体なぜここに…」

 伝吉は一歩後ずさりをし立ちすくんだ。

 「あの足軽どもの目を盗んできたのだ。お守りの加護のおかげなのかここまで無事に逃げてこれた…」

 「お守り…?」

 「松之介がくれての…。今まで良くしてやったおかげでお礼にお守りをくれて…。それに引き換え…お前という奴は今まで何度も金ならいくらでも出してやったのに…」

 「何が言いたいんだ!大体良くしてやったって、松之介が村に来たばかりの時『よそ者でよく分からん』とか言って俺にあいつを探らせたりしていたじゃないか…。」

 「その話はいいじゃないか…」

 徳左衛門は怒鳴った。

 「本当の事じゃないか…大体あんたのしてきた事、何かと庄屋だからって偉そうに楽してた事しかないじゃないか!」

 「何を!」

 徳左衛門の顔が醜く歪んだ。


 「この際、本当の事を言わせてもらう。村の奴ら皆あんたのこと煙たがっているんだよ。」

 「言わせておけば」

 「何すんだ!」

 徳左衛門が伝吉に掴みかかる。

 伝吉は抵抗しようと体をうねらせる。しかし荷物が重く体の平衡感覚を崩してしまった。後ろに頭から倒れこんでしまった。

 「うっ…」

 伝吉の体に衝撃が走る。背に負った荷物の中身の凹凸が布地を通して彼の背中に頭に刺激を与える。

 「くそっ…」

 すぐに起き上がろうとするが荷物が邪魔で体が思うように動かなかった。何とか首だけでも動かした。

 視界に徳左衛門の姿が入る。いつの間にか彼は石礫を握って立っていた。

 「この野郎」

 徳左衛門は叫んだ。仰向けの伝吉に馬乗りになる。石礫で思いきり伝吉の頭に振りかぶった。


 「ぐはっ」

 伝吉の体が大きく揺れる。手を伸ばし抵抗しようとした。だが手の動かせる範囲は限られていた。

 「やっやめろ…」

 徳左衛門は容赦なく何度も殴りつけた。額に目や鼻、口であろうと躊躇はしなかった。ただひたすら休むことなく大きく振りかぶった。石礫も徳左衛門の腕も血に染まっていく。

 「はあはあ…」

 徳左衛門の息は荒れる。伝吉は動かなくなっていた。


 「早く逃げねば…」

 ふらつきながら立ち上がる。一歩踏み出そうとした時、伝吉の荷物が目に入った。少し離れた所に銭の束がある。さっき二人がもみ合った時に落っことしてしまったのだろう。

 徳左衛門は銭を拾い上げ風呂敷包みを開いた。中身の反物やら鏡やらを見つめる。思わずほくそ笑んだ。

 「本当に運がいい。このお守りのおかげだ。」

 松之介からもらったお守りを取り出してじっと見つめる。

 これさえあれば逃げきれる。徳左衛門はそう信じた。

 

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