第五章 村を去る者たち2

 一本松の下を村人たちが通り過ぎていく。

 各々大きな荷物を背負いふらつくような足取りだ。赤子は母親に抱かれ、幼子は手を引かれていく。大人たちの緊張した顔を見るとやんちゃな子供も黙りこんだ。

 勇太郎は両手でたらいを持たされた。その中に小さな日用品が入っている。両親の後をてくてく歩いていく。後ろにはりんとその家族が並ぶ。りんは浮かない顔をしている。


 不意に前を歩く母親に尋ねてみた。

 「母ちゃん。村を出たらどこ行くの?これからはどこに住むの?」

 母親は少し無言を通した。答えは用意していないのだろう。勇太郎は悟った。その場の勢いで村を出ると決めたが、その先は考えていない所だろう。

 そう思っていると母親はようやく振り返り怒鳴った。

 「何でもいいから行くんだよ。あんたは黙って付いてきなさい。」

 「はい。」

 勇太郎は小さく返事をする。

 考えてないなら正直にそうだと言えばいいのにと心の中で思った。



「急げ中川はもう山の中に潜んでいるぞ。」

 万兵衛は叫んだ。

 村の中で足軽たちは木材や板を運んでいる。深見山に続く道に柵を作り中川に備えるためだ。これらの材料は元々村で家屋の修復が必要となった時のため用意されていたものだ。万兵衛はこれらを使ってもいいと村人たちが出ていく直前に許可を取っていたのだ。

 「万兵衛様…」

 徳左衛門が恐る恐る尋ねる。

 「私は武芸の心得はありません。松之介のように医術の腕があるわけではありません。私がいても足手まといとなるでしょう。ですから…」

 「何を言うか。そなたはここの村の庄屋であるではないか。ならば誰よりも村に詳しいのであろう。中川を討つためにも様々なことを聞かせてもらいたいものだ。」

 そう言って万兵衛は徳左衛門を意地悪そうに見た。徳左衛門は蛇に睨まれた蛙と縮こまった。


 「庄屋様。」

 松之助がポンと肩を叩き声をかけた。

 「心配事があるならこれを。」

 松之助が差し出したのはお守りだった。赤い生地に白い刺繍で細長いくねくねした模様が描かれていた。

 「ほう。お守りとは良い物をもらったではないか。これさえあれば何も心配ないであろう。それにしてもお守りを渡すとは。松之介殿なかなかの厚意を。」

 万兵衛が関心したように言う。

 「私は元々余所の土地の者だした。この村の庄屋様にうちの村に医師がいないからと呼ばれまして。余所者である私をきちんと村の一員として扱ってくれまして。」

 「松之介…」

 「万兵衛様。庄屋様。私はこれで失礼します。中川の兵に備えて一眠りしようと思いますので何かありましたら起こしてください。」

 松之助は二人の元を去っていた。

 

 「よもぎ少し一眠りさせてくれ。」

 松之助はお堂の中に入った途端、壁を背にして座り込んだ。

 「こんな時に寝るの。」

 よもぎは呆れて言う。

 「こんな時だからこそ疲れを溜める訳ににはいかないんだ。いい夢が見れるかもしれないしな…ふぁああ…」

 「じゃあ夢の中で誰かに出会ったら後で教えてね。」

 よもぎは静かに寝入る父親の姿を見下ろした。


 静かにその場を離れるとお堂の奥角に置いておいた干し飯の袋を開け中を覗き込んだ。

 「…」

 十分に見終わるとゆっくりと袋の口を閉じた。


 「水くれないか…」

 吾作の声がした。

 「待って」

 よもぎは袋を置き、お堂の外へ飛び出た。出入口の前で二人の足軽が槍の手入れをしながら雑談していた。お堂の外に水甕みずがめが置いてある。その中に飲み水が入れてあった。

 よもぎが柄杓を掴み水をすくおうとすると怒声が聞こえた。

 「こら待て!逃げるな!」

 万兵衛の声だ。

 「何だ」

 手入れをしていた足軽のうち一人が様子を見に行こうと歩いていく。よもぎも付いていこうと手に持っていた柄杓を残るもう一人の足軽に無理やり手渡した。

 「悪いけど吾作に水を飲ませといてくれる。」

 「えっ飲ませてって。それお前の仕事だろ…。おい!待て!聞いてんのか!」

 足軽は困惑していたが、よもぎはそれを無視して去って行った。

 

 「追え!追え!目を離すなと言っただろ!」

 「申し訳ありません」

 よもぎと足軽が騒ぎのあった場所に到着してみると万兵衛が怒鳴り散らしていた。彼の目の前に一人の足軽が頭を下げている。その周りを他の足軽たちが右往左往しと走り回っている。

 「もういい!お前も探しに行け!」

 「はっ!」

 足軽は素早く駆けて行った。

 「万兵衛様。何があったのですか?」

 よもぎの前を行っていた足軽が尋ねた。ただならぬ様子に神妙な顔つきとなっている。

 「徳左衛門殿が逃げ出したのだ。」

 「庄屋さんが。一体何が?」

 よもぎが尋ねた。

 「それはだな…そこのお前も探しに行け。まだ遠くへは行っていないはずだ。」

 「はい。」

 側にいた足軽も彼らの仲間に加わり駆けて行った。よもぎと万兵衛が残された。

 「徳左衛門殿が厠に行かせてくれと言ってな。足軽を付けて行かせたのだが。奴め足軽が気を許した隙に駆け出しおって。」

 万兵衛は唇を噛みしめ悔しさを露にする。

 「逃げ出すとは…。やはり奴が中川と通じていたのか。」

 「いいえ。違います。」

 よもぎはゆっくりと言う。

 「中川からの間者はは庄屋さんではありません。」



 細長い道をぞろぞろと歩いていく。

 「とりあえず隣村まで行ってみようか」

 勇太郎の母親が言った。ようやく答えらしい返事を出してくれた。

 「隣村には八木の本軍がいることだし。中川の兵がうろついていることを伝えるためにも。」

 「そういえば鷹助が先に本軍に用事があって行っているって」

 後ろで聞いていたりんが口を挟んだ。

 「鷹助兄ちゃん。先に行っているんだ。」

 勇太郎がくるりと振り返った。

 「先に行っているといえば伝吉のおじさんも先に行っているのかな?」

 「じゃないの。早いこと逃げたって言うし。あいつの家一本松の近くなんだから。もう早く村を出てるはずでしょ。」

 母親が言う。

 「けどよ…」

 今度は父親が口を開けた。

 「伝吉の野郎のことだから。『邪魔だ。道開けろ』とか騒いでいると思うんだが…。やけに静かだな。皆黙ったまま歩いてやんの。」

 「そういえば…そうね…。」

 


 

 

 

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