第五章 村を去る者たち1

 「何それ?」

 よもぎが持つ袋を見てりんは言った。

 井戸の近くで二人は洗濯をしていた。その最中よもぎが鷹助からもらった例の干し飯の袋を見せたのだ。

 「鷹助が『お礼だ』って。これから隣村の本軍の所まで用事で行くから今までのお礼にとかさ。」

 「お礼?いいじゃん。もらっとけば。」

 「ただ『必要な時に開けてくれ』とか言っててさあ。意味が分からないんだよね。」

 「お腹が空いた時に決まってるでしょ。」

 「だと思うんだけど…」

 よもぎが言いかけた時、通りかかった足軽の一人が声をかけた。


 「寛平どこにいるか知らねえか?」

 「どっか行ったの?」

 りんが聞く。

 「それが小便してくるって行ったきり帰ってこねえんだよ。」

 「腹でも壊してんでしょ」

 りんが言い放つと足軽は大きく首を振り否定した。

 「いいや。それはねえ。俺も最初はそうだと思ったんだが長すぎなんだよ。」

 「ええ。でも私知らない。」

 「私も。」

 りんはどうでもいいように返事をした。よもぎも寛平の居所を知らないので同意した。

 「そうか…」

足軽はそう言うと立ち去って行った。


二人が再び洗濯にかかると今度は勇太郎がやって来た。

 「姉ちゃんたち。聞きたいことあるんだけど。」

 「どうしたの?」

 よもぎが尋ねた。

 「ねえ与五郎おじさんとつるおばさん知らねえか?」

 「与五郎さんとつるさん?」

 「二人とも朝からいないんだよ。畑にも出てないし家の中にもいないみたいだし。」

 「村のどこにもいないの?」

 「そうだよ!」

 勇太郎は力強く言った。

 「なんか今日は尋ね人が多いね。」

 りんが口を挟む。さっき寛平の居所を聞かれたばかりだった。

 「あと、銀蔵爺さんとこの家と辰次郎おじさんの家、たき婆さんの家も誰もいないんだ。」

 「そんなに…!」

 二人は驚いた。


 その時、万兵衛と徳左衛門がよもぎ達の後ろを通った。

 「そう決めつけるのは早いかと…」

 「だがな…現に何人も…」

 万兵衛は歯ぎしりしたような顔をして一目で怒っていることが分かる。徳左衛門は相変わらず胡麻をするような口ぶりをする。二人はそのままお堂の中へ入って行った。

 よもぎとりん、勇太郎は話を辞め何事かとお堂を覗いた。



 「あいつらは逃げ出したんだ。」

 万兵衛が怒りに満ちた声で叫んだ。

 「万兵衛様。どうか怒りを…」

 徳左衛門は赤面する万兵衛をなだめようとした。

 「中川の兵を目の前にして恐れて逃げ出したのだ。それも一晩で何人も。」

 万兵衛の咆哮に徳左衛門は全身をビクッとさせた。

 「どいつもこいつも情けない。徳左衛門殿。まさか、そなたが逃げ出すのを手引きしたのではあるまいな」

 「いえ、そのような事は決してしてはおりませぬ。それに皆逃げ出したとは決まっては…」

 「では、何故たった一晩でこんなにもの人が消えたというのだ。まさか、また大蛇の仕業とでもいうのか。」

 万兵衛は思いっきり睨みつけた。

 「理由は分かりません。ただ中川の兵はまだ山の向こうにいらっしゃるのでしょう。まだ逃げ出すのに早いのでは。」

 「中川はもう来てる。」

 万兵衛はピシャリと言った。


 「見張りから山の中で怪しい人影を見たと言う知らせが入った。中川はもう山を登り潜んでいる。」

 その台詞に一同はどよめいた。

 「それは本当でございますか?」

 「ああ」

 万兵衛が頷く。

 「大変だ」

 「早く逃げねえと」

 「私、亭主たちに伝えてくる」

 叫び声があちこちで上がる。お堂の外へ飛び出す者が何人か出た。叫び声につられ徳左衛門の顔が恐怖で歪む。

 「それでは私たちは早く逃げなくては…」

 「そうだな…」

 万兵衛は頷くように言った。その間にもお堂から逃げ出す村人がいる。その中にわずかに足軽が混じっていると見えた。そして叫んだ。

 「だが逃げてよいのは村の者だけだ。足軽は中川を迎え撃つために残れ。」

 その途端逃げ出そうとしていた足軽の動きが止まった。

 「そして庄屋の徳左衛門殿。」

 万兵衛は静かに徳左衛門を見る。

 「庄屋の身であるならば村を守り切るのが当然であろう。ここに残ってもらう。」

 徳左衛門の顔がみるみる青ざめていく。慌てて村人たちの顔を見た。村人たちは目が合いそうになると顔をそむけるか万兵衛に同意するよう顔で抗議した。

 「伝吉…」

 最後の頼みの綱と伝吉を探した。しかし伝吉はどこにもいなかった。

 「庄屋様。伝吉なら今飛び出ていきました。」

 「何?」

 「どうやらお主と逃げたい者はいないようだ。」

 万兵衛が嘲る。


 「村の者は全員荷支度をせよ」

 村人は駆け出しお堂から飛び出そうとした。

 「私は残ります。」

 松之介の声が響く。その途端、村人たちは動きを止めて彼の方を見た。

 「怪我人が残ったままなので。」

 お堂には怪我を負った足軽たちがずらりと並んでいる。逃げることも中川を待ち構えることも出来ないであろう。一瞬村人たちは罪悪感に襲われた。だが、そんな状況を打ち消す一言が飛び出た。

 「こいつらはもういいだろ。どうせ死ぬんだし。」

 誰かが言った。他の人もつられて叫んだ。

  「これ以上うちらを巻き込まないでちょうだい。」

 「俺たちはただの百姓なんだ。大将さん、今出て行っていいって言ったよな。」

 「ああ」

 「じゃあ遠慮はいらねえじゃねえか。散々こきつかいやがって。」

 「全く何が八木様がよ。最初から中川につけば良かったじゃないの。」

 「庄屋様、松之介、もう付き合ってられねえ。」

 怒りに満ちた叫びが松之介、徳左衛門、万兵衛に飛んだ。徳左衛門はどうすることも出来ずおろおろするばかりで松之介と万兵衛は無言で非難を聞いていた。

 「行くぞ。」

 村人たちはぞろぞろと出て行った。足軽はその姿を恨めしく見ていた。

 その入れ替わりによもぎが入ってきた。後ろにはりんと勇太郎が続いた。


 「父さん…」

 よもぎが声をかける。松之介がはっとしたように顔を向けた。

 「よもぎ…いたのか…」

 「父さんは残るの…」

 「ああ…」

 「じゃあ私も…」

 よもぎが言いかけると万兵衛が制した。

 「それはならん。ここからは戦場となる。関係の無い民は退いてもらう。松之介殿も十分働いてもらった。もう用はない。立ち去ってもらう。まして若い娘まで残すなど考えられない。」

 「そこをお願いします。」

 よもぎは深く頭を下げた。真剣に万兵衛にお辞儀をしたのは今までの中で今が始めてであっただろう。

 「ならん。頭を下げる暇があるなら荷造りを始めよ。」

 「万兵衛様。」

 松之介が懇願する。

 「娘は本気のようです。どうか願いを聞き入れてください。」

 「松之介殿。そなたも残る必要は無いと思っていたのだが。娘共々ここに残るというのか。」

 「はい…」

 万兵衛は少し考え込むように目を細めた。


 「私も!吾作を残しては行けません。私も残ります。」

 りんが叫んだ。まだ残る怪我で横たわる吾作の側に駆け寄り訴えた。

 「お願いです…」

 「りん姉ちゃん。父ちゃんが来てるよ。」

 勇太郎が呟いた。

 一同が見るとお堂の入り口にりんの父親が立っていた。

 「りん。中川の兵が来てるんだってな。行くぞ。」

 お堂の中をのそのそと歩き出し、りんの元まで行くと彼女の手首を掴んで引っ張った。

 「待って私はここに残るから…」

 りんは太い腕を振りほどこうとし抵抗する。その時、また新しい声が加わった。

 「勇太郎」

 「母ちゃん!」

 「あんた。こんな所にいたの。ほら、行くよ。これから村を出るんだよ。」

 勇太郎の母は勇太郎の細い腕を強く握り無理やり連れて行った。勇太郎は出口の直前まで引きずられると振り返った

 「よもぎ姉ちゃん」 

 小さな声で言う。

 「守り切ってね。」

 それだけ言い残すとお堂の外へ消えていった。


 それを見るとりんの父親が彼女に言った。

 「勇太郎は聞き訳がいいじゃねえか。お前も見習え。お前も逃げるぞ。」

 「待ってよ。まだ吾作は動ける状態じゃないの。」

 「そんなこと言ってる場合か。構わないだろ。行くぞ。」

 「吾作!」

 握られていない方の手を吾作に伸ばした。吾作はその手をはねのけた。

 「逃げてくれ。りん。」

 横たわり息も切れ切れになりながら吾作は言う。その途端りんの力が一気に抜け父親に引きずられるままとなった。

 りんは引きずられながら精一杯叫んだ。

 「よもぎ!よもぎ!吾作をお願い!」

 彼女の姿も声もお堂の外へ消えていった。


 万兵衛は視線をお堂の出入り口から中へ戻した。松之助よもぎ親子を見つめる。

 「お前たち本当に残ってもいいのだな。」

 「はい。」 

 二人は同時に答える。

 「あの私は…」 

 徳左衛門が気弱に尋ねる。

 「庄屋だというなら。最後まで村に残れ。」 

 万兵衛が吠えた。

 徳左衛門はがっくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

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