ポロメテア見聞録①

 東京の下町にあるその店は、薄暗く古い油が壁紙に染み付いたような嫌な臭いがする店だった。中は狭く、七人掛けのカウンターテーブルに、粗末な木のテーブル4つ。時代遅れのノイズを散らすブラウン管テレビから夜のワイドショーが流れていた。


 店の中を見回すと、客が入ってきても挨拶もせず頭一つ下げない店主、赤い顔で独り言をつぶやいている小太りで頭髪の薄い男。テーブルにつっぷして寝ている老人。カウンターで一人酒を飲む四十前後の小汚い浮浪者風の男。

 若者の姿はなく、温かさや明るさを感じさせる物は何一つとしてない、そんな店だった。


 私の目当てはカウンターの奥の浮浪者風の男だった。


 男はカウンター席の奥で不機嫌につまみの枝前をかみ砕きながら焼酎を飲んでいた。退屈と虚無感を飲み干すように。

 私はその男の隣に座り、帽子を脱いで頭を下げた。


 男はギロリと、油断のなさそうな目を私が隣に座ってからも向けているようだった。私が曖昧な愛想笑いを浮かべると、男はだらしない笑みを浮かべた。


 目を冷たく光らせたまま。


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 なんだよ兄さん、へへへ、随分と細い顔してやがるね。まるで女みたいな顔してるじゃねえか。

 あそこのよ、角に座ってる小太りのハゲ。あのジジイはホモなんだ。あんたみてえな顔の良いのは気をつけねえとさらわれちまうかもな、ヒヒヒヒヒ。


 ま、面白半分でこんなとこに来たんだったらとっとと帰っちまったほうがいいぜ。ここらじゃ、あんたみてえな女みてえな男が小奇麗な恰好して歩いてたらどうぞ強盗してケツも掘ってくれって言ってるようなもんだから。



 なに?



 なんだ?



 お前。なんで俺の名前を知っている。



 菜桐?




 あの野郎、還ってきてやがったのか。




 異世界だって?




 あの野郎、話したのか。




 そうか、話しちまったのか。






 そんで、次は俺ってわけか。






 ふん、まあいいさ。

 別に話したからってどうにかされるような話でもねえ。

 兄さんがなんでもってあそこの話を聞きたがってるのかは、まあ今は聞かないでおく。








 聞ねえって言ってんだ!!黙ってろこの野郎!!










 ………すまん、ちいと酔いがまわったのかねえ…。

 へへへ、年甲斐もなく怒鳴っちまった。



 まぁ、にいちゃんも一杯飲めや。一杯目だけ俺が出してやっからよ。

 カクテル?そんな洒落たもんはないね。あるのは焼酎か、苦いビールとどこのものかも知れねえ日本酒だけだ。

 おでんでも頼むか。

 この店はよ、揚げもんと生もんはいけねえ。煮物ならなんとか食えなくもない。


 まあ、飲もうぜ。


 この世ならざる世界の話をしようってんだ。酔わなきゃむしろまともになんか聞けねえぜ。




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 異世界か…、懐かしいと言えば懐かしいが、懐かしむような綺麗な思いでなんていくつもなかったな。俺の居た所はポロメテアとか言ったな。今思えば、世界そのものに名前があるなんざなんだか不気味だぜ。今俺たちがいる世界に、世界以外の呼び名なんてあるか?

 さて、ポロメテアの話だがよ、どこから始めたもんか。そうだな、まずは俺がどうやってポロメテアに転生したか、そいつから話さにゃならんだろうね。


 俺は22で大学を卒業した後に、就職もできず鬱屈した日々を過ごしてたわけだ。リーマンショックって、あんた知ってるか?それの影響でよ、世界中がおかしくなっちまいやがって、日本も例外なくそのあおりを受けて、大卒の人間でもせいぜい5人いたら1人くらいのもじゃなかったかな、正社員になれた奴なんて。もっと少なかったか?


 まあ、結局あの時ダメになっちまった奴なんて結局はテメエが能天気に毎日を過ごしてたせいだと俺は思ってるよ。

 

 なぜって?俺もそうだったからさ。


 まあいい、とにかく俺は絶望してたんだよ。職も見つからず、金もなく、女なんてのはどう捕まえていいのかわかんねえし、何人かいた友達は全員実家に帰っちまった。俺もそうしたかったが、その年両親が離婚しちまってよ。熟年離婚ってやつか。俺に相談もなく勝手に離婚しちまいやがって、親父は勝手なもんで俺にもお袋にも一切行き先を告げないでどこかに消えっちまった。

 お袋は大した金もねえのに五十も過ぎて独り暮らしよ。おまけに今まで外に出て働いた事なんざねえからよ、もう結末なんて見えたようなもんだよ。多分、俺が向こうに行ってる間に死んだんだろうよ。


 まあ、それで良かったと思ってるよ。むしろ今生きてたって会いたくなんかねえぜ。そんなのは絶対にゴメンだね。


 あんたは知らねえだろうが、京都であった息子が介護に疲れて母親を殺したって事件、ああいうふうにはなりたくなかったからねえ。


 とにかく、その時の俺は頼れる人間もいねえで、しかも唯一の生命線だったバイトもな、同僚と問題起こしてクビにされちまった。もう、死ぬしかねえと思ったね。


 いや、実際は働き口なんざいくらでもあったのよ。居酒屋、工場、清掃員、介護職。まあ、要するに負け組底辺職だな。

 そん時の時代ってのはな、就職難と同時にブラック企業の問題が一番騒がれててな。今はほら、だいぶマシになったって話もきくじゃねえか?電通の社員が死んじまったってあれがやっぱ効いたのかね。

 とにかく、俺の中でそん時の選択肢ってのは死ぬか、死んだような目をして死んだように底辺職で生きるか、そんくらいしかなかった。

 バカだねえ。コツコツと日々を耐えて勉強でもしてりゃ、少しは未来も明るくなったってのに。まったく。変にプライドのある役立たずが一番救えないね。


 おっといけねえ。身の上話が長くなっちまったな。あんたが聞きたいのはよ、ポロメテアの話だったっけね。へへ、こんなによ、自分の事話すのは久しぶりでさ、嬉しいのかね、恥ずかしいもんだよまったく。


 どうやって、異世界に召喚されたか? どうなんだろうな。条件みたいなもんがあったかどうかはわからんよ。ただ、ポロメテアに飛ばされる前の最後の記憶は、トラックだったな。半分自殺みてえなもんだよ。

 すっかり精神がまいっちまってる時に、馬鹿みたいに酒飲んで、そのくせ気分はちっとも明るくなんかならねえ。足はフラフラして、視界はグラグラして、死にてえ死にてえって気持ちのまま夜中に外をふらついててな、そん時は千葉の浦安に住んでてな、あすこらへんは下道でも車道が長くてまっすぐなせいか、普通の道でもトラックなんざ結構飛ばしてるのよ。

 で、気が付いた時には目の前がピカっと明るく光ってさ、すんげえでけえクラクションの音がして、アっっと思う前に跳ねられちまった。跳ねられる、っていうより潰されるかな? なにしろでっかいトラックだったからねえ…。痛いと感じる前にお陀仏だったんじゃねえかな?

 なにしろ、轢かれたと思った次の瞬間にはポロメテアだったからねえ。どうやって死んだかなんて自分じゃわからねえのさ。


 なんだ兄さん、酒、なくなってるじゃねえか。おい大将、この兄さんにもう一杯ついでやってくれよ。ああ、あと俺にも頼むぜ。へへへ、何しろ財布が二つに増えたんだ。飲めるだけ飲まなきゃ勿体なかろうよ。


 まあ、まあ、そんな顔をするもんじゃねえぜ若いの。

 兄さんが聞きたい話はこっからさ。

 前置きが長くなったけどよ、何しろ作り話を聞かせるんじゃないんだ。

 大切なのさ、その時俺がどう思ったか、どう感じたか。どういう時代だったかってのはよ。


 まあ、飲もうや。飲めば飲むほど、蘇ってくるわけさ。あのポロメテアの草の臭いが、むせかえるような戦場の、何べんも嗅いだ血の臭いが…


【その②に続く】

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