第29話 当然のこと


 呆気にとられていたのも束の間、明依が声を荒げた。

「慧! ちょっと、あんたねえ!」

 駆け寄る。

「いきなり出てきたと思ったらあんな無茶して、びっくりするじゃないの! あんた曲芸師でも何でもないんだから。外でするようなアクティブな奴じゃないでしょうに」

 姉の童顔に迫られ、慧は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた。

 まさか怒られるとは思っていなかったのだろう。

「姉貴。あのな」

「なに!?」

「相変わらず、ウザい。助けてもらってその態度はねえだろ」

「黙れこの不良弟め。感謝してるから怒って心配してんじゃないか。ほら、足見せて。絶対怪我してるでしょあんた」

「問題ない」

「嘘」

「嘘じゃない」

 言い張る弟に眉をひそめる明依。永慈は慧の装備を見た。


 全身を艶やかな藍色の鎧で覆っている。見た目は細かな鱗が集まっているように見えるが、動きを阻害している様子はない。薄紫に輝く飾り羽など意匠も凝っており、機能と外観の両方にこだわっているのがわかる。

 あわせて、攻撃に使用したあの短剣。

 とても市販のレンタル品とは思えない。

 慧はちらりと永慈を見ただけで、それ以上何も答えない。


 草むらをかき分ける物音がした。五人の集団が現れる。一人ひとり異なる、立派な鎧兜を身につけている。

「なるほど。君たちか」

 先頭に立つ者がくぐもった声を出す。永慈と明依は揃って怪訝に思った。聞き覚えのある声だったのだ。

「どうりで慧が焦って駆け出すわけだ」

 兜に手をやる。厳つい顔と細い目が露わになった。


「重政……!」

「やあ明依さん。ご機嫌いかがかな」

 慇懃いんぎんな挨拶。

 だが、口調ほど利羌の目は笑っていない。


「こういうときでなければ、お茶にでも付き合ってもらうところだがね。あいにく我々は今、少しばかり気が立っているんだ。獲物をおあずけされた気分でね」

 やはりあの銃撃は彼らの仕業か――永慈は思った。

 利羌の口調が次第に硬くなっていく。

「大物だった。事前に情報を察知できたのは幸運だったんだ。またとない機会だったんだよ。こちらの準備は完璧だった。なのに取り逃がした。その理由が今、はっきりした」

 永慈を指差す。

「君たちが、僕の予定を狂わせた。それは大きな罪だ」

「ちょっと待って」

 明依が苛立ちを露わにした。

「私たちはただ、ここで景色を眺めていただけよ」

「ならなぜ、あの希少種が僕の想定と違う動きをした? 君たちが考えもなしに注意を引いてしまったからだろう」

「無茶言わないで。あんな化け物、万が一でも集落を襲うようだったら大変じゃない。せめてオリゴーとは反対方向に誘導しようと――」

「それが浅はかだと言ってるのだ! モブごときが僕の邪魔をするな!」

 青筋を浮かべた顔で、怒鳴られた。

 あまりの剣幕に明依は口をつぐみ、後退あとずさる。

 興奮冷めやらぬ様子で荒い息を繰り返す利羌。永慈は、彼の苛立ちが収まるまで数秒、待った。防具の上から、残り日数を書いた手をさする。


「慧は」

 永慈が口を開くと、慧がこちらを見た。永慈はできるだけゆっくりと話しかけた。

「慧は今、あんたのところで世話になっているんだな」

「……そうだよ。我がチームのエースだ。君と違ってね」

「そうか。ちゃんと皆の力になれているみたいで、安心した。さっきも、慧たちの攻撃がなければ俺たちはどうなっていたかわからない」

 永慈は頭を下げた。

「ありがとう。助かった」

 利羌はまだ渋面を浮かべていたが、眉間の皺はだいぶ緩んだ。


 代わりに怒りを強めたのは慧の方だった。

「なんだよそれ。あんた、あそこまで言われて頭下げんのかよ」

「何より明依が無事だったことに感謝してるんだ。本心さ」

「最悪だぜ。だから俺はあんたが嫌いなんだ。大っ嫌いだ」

「ちょっと慧! あんたいい加減に――」

 いきり立つ明依を手で制する。慧は、姉の怒り顔から目を背ける。


 利羌が肩をすくめた。

「僕を無視して、身内で喧嘩とは……まあいい。とにかく、僕は討伐の大チャンスをふいにしてしまった。この責任は君たちにある。ゆえに賠償を要求する」

 彼は懐からレポート用紙を取り出した。元の世界から持ってきたものだ。


「ヘイトを上げるために余分に使用した弾薬費、イレギュラーな事例による討伐失敗で発生する補償費。すべて合わせて、日本円で五十万、頂こうか」

「ごじゅっ……!?」

 明依が目を剥く。


 慧が声を上げた。

「おい。いくら何でも全額ってのは」

「それだけ大きなプロジェクトだったのだよ。本当ならもっと請求したいくらいだが、実費だけに留めようと言っている。なにか問題があるかい? それとも、君が肩代わりしてくれるのかな、慧?」

 声に余裕が戻りつつあった。


「君の金銭状況は承知しているよ。それでも、チームで最上級の装備を優遇しているのは、相応の功績を挙げているからだ。何より僕が君を気に入っている」

「俺があのデカブツを討伐すりゃいいだけだろ」

「やれやれ。あまり僕を失望させないでくれ。これはね、『格』の問題なのだよ。上位の者が汚された格は、下位の者の犠牲によって必ずすすがれなければならない。これはとても、とても大事なことだ」

 まるで――小さな子に『悪いことをしてはいけません』と教え諭すように、自信と確信をもった真剣な表情で、利羌は言った。


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