第7話 曇りなき姿見

 タイサンボクの大きくて光沢のある葉。

 起伏に富んだ大地。

 青い空。

 ――暗転。

 無機質な四角い部屋。

 白衣の人間たち。

 ――また暗転。

 薄暗いどこか。耳をつんざくばかりの咆哮。

 規則正しい心音。

 巨大な牙。

 ――暗転。――暗転。また――。

 数秒ごとに移り変わっていく光景。シャッフルするトランプのように目まぐるしく、光景同士が混ざり合っていく。視界が、訳のわからないモノに染まっていく。

 それは悪夢から覚める直前の、不快な微睡まどろみであった。



 永慈は目覚めた。

 しばらく彼は非現実感にとらわれ、自分が生きていることを理解できなかった。

 白く清潔な天井をあおいでいる。思考が徐々に回転し出す。

「ここは……病室か?」

「永慈!」

 聞き覚えがある声とともに、誰かが駆け寄ってきた。昴成だった。普段はクールな彼の表情が緊張で強ばっている。山穏神社で会ったとき以上に。

 思い出してきた。


「永慈。私がわかるか」

「……よう昴成。地獄で再会とは悪くないね」

 ようやく昴成の表情が少し緩んだ。

「少し待ってろ」と彼は言い、ナースコールで永慈が目覚めたことを報告した。昴成の声を聞きながら、永慈は病室の窓を見る。外は薄紫色で、これから日没を迎えようとしていた。

 窓の外から見える街は、いつもと雰囲気が違っていた。空が近い。住宅が小さく見える。かなり高層の部屋だとわかった。

 息を吐く。

「まさか、生きてるとはなあ。自分でもびっくりだぜ」

 なあ、と昴成に同意を求める。昴成はそれに応えず、ベッドの傍らに置かれたクッション付きの椅子に腰掛けた。仕事帰りなのかスーツ姿である。


「昴成。俺はどのくらい寝てた? 丸一日か」

「四日だ」

「マジか。回覧が溜まって山になってるな」

「それは同僚に任せておけばいい」

「子どもたちは、どうしてる」

「二人には私から伝えた。明依ちゃんは少し前までここにいたが、私と入れ替わりに着替えを取りに行った。相変わらず出来た娘さんだ。それから、慧君も何度か君の様子を見に来ていたそうだ」

「そうか。なあ昴成――」


 言いかけて口をつぐむ。境内で出逢ったあの男のことは、敢えて聞かないことにした。もし無事だったとしても、ここで話題に出せば事情聴取の対象となるだろう。せっかく立ち直りかけた彼にまたプレッシャーを与える真似はしたくなかった。


「俺はあとどのくらいで退院できる? お前のことだ。そのへん確認はしてるだろ」

「それは」

「どうした? 俺は元気だぜ。ほれこの通り」

 笑みを浮かべてガッツポーズを見せる。

 違和感を覚えた。


「あれ……」


 身体に力が入らない。目の前で拳を作ったり開いたりする。

 何かが違う、と思った。違和感の正体を探るため、身体のあちこちを触って確かめる。

「……は? ははは……、え?」

 ひとり笑い。


 昴成が静かに席を立つ。カーテンで仕切られた向こう側から何かを押して持ってきた。曇りひとつない姿見だった。

 上半身を起こした半笑いの永慈が映っている。首を横に振ると、鏡の中の永慈もきっちりと同じように動いた。

 シーツを剥ぎ、床に立つ。足にも力が入らず、ふらついた。昴成が支える。肩を並べると、昴成の顔は永慈の目線よりも高い位置にあった。

「嘘だろ」

 姿見に、永慈の全身が映る。

 三十九歳の巨躯きょくはそこになかった。

 手足は細り、背は縮み、顔付きも、精悍せいかんではありながらどこか幼く。


「これじゃ俺……まるで高校生に戻っちまったみたいじゃないか……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る