第5話 彼らの現場検証

 明依には書き置きを残した。収納したばかりの服を引っかける。

 家から車で五分。時刻は午後八時を少し過ぎた。

 車を参道前の路肩に停める。中古で手に入れたこのオンボロは、扉の開閉音にすら時代を感じさせる。

 すでに数台、山穏神社周辺に集まっていた。目の前には巨大な倉庫群が広がる。


 マテリアル絡みのインフラとして、かつて話題を呼んだ空中神社。だが情緒よりも実利を取るのが人のさがだ。十年経った今では、地上に広がる巨大な物流拠点の方がメインとなってしまっている。

 この時間でも倉庫に出入りするトラックを横目で見て、「今回のことで操業がストップすれば騒ぎになるだろうな」と永慈は思った。


 『KEEP OUT』の標識テープで規制線を張る警察官が、巨漢の永慈を見てぎょっとする。彼らに白い歯を見せて会釈しながら昴成の姿を探していると、「こっちだ」と声をかけられた。


 永久ながひさ昴成。長身痩躯で、眼鏡とスーツの似合う知的な男だ。永慈とは家族ぐるみで、もう十年の付き合いである。永慈と同じく今年で三十九歳になるが、出逢った当初から外見も雰囲気もまったく変わっていない。

 彼は福城市災害対策課特殊対策班のリーダーとして、主に腐界の調査監督を行う。永慈にとって直属の上司であった。


「さっき話を付けた。一緒に現場に上がってくれ」

 腕章を手渡しながら昴成が言う。いつになく目つきが険しい。

 境内までの階段を駆け上がる。神社が山ごと空中に浮かんだせいでやたらと長くて急だが、苦にしない。二人ともまだまだ体力には自信があった。


「昴成――じゃない、班長。他の連中は?」

「私が声をかけたのは君だけだ。他への連絡は任せてある」

「なるほど」

 このフットワークの軽さと柔軟性は、世間一般のお役人のイメージとは異なるところだ。

「第一発見者は警察が事情聴取しているが、直接の被害者ではないそうだ。永慈、君にはその見識を使って現場検証をしてもらいたい。特に、犠牲者が出ているかどうか。腐界から逃れた痕跡を探すのは、プロであっても難しいからね」

 永慈は現在の職にく前は、マテリアル関係の民間企業に勤めていた。マテリアルと腐界を見る目には自信がある。

 永慈は天を仰いだ。

「こりゃあ、警察の人に怒られるなあ。越権行為とかで」

「話は付けたと言っただろう。人脈は使えるときに使う。それに、できる人間ができることをするのに、躊躇ためらう理由などない。君を引っ張り出して怒られるのは私だけだ」

「良い上司を持てて幸せ者だよ俺は」

「そういう軽口は酒の席まで取っておくんだね」

「飲むのはお前だけだろ」

「その分、おごってあげよう」

「タッパーでお持ち帰りができる店がいいな。子どもらが喜ぶ」

「子煩悩だね」

「お前もな」

 

 境内に到着した。

 神域の入口である鳥居の下に大きな穴が開いている。半径およそ二メートル、深さは一メートルほど。周囲には転落防止のコーンが置かれていたが、警察官などの姿はない。昴成はタブレットを取り出し、記録を始めた。


 穴のかたわらにしゃがみ、永慈は目を凝らした。腐界は写真や映像で残せない。現場で、人の目で、注意深く観察することが大事だ。残存腐界に気付かずうっかり踏み込もうものなら、即病院か墓場行きだ。

 この厄介な性質のせいで、あらゆるものが便利になったこのご時世、腐界対策はマンパワーに頼らざるを得ない。部署はいつも人手不足だ。

 腐界が完全に消滅していることを確認した後は、手袋をはめて直接穴を調べる。昴成が上から懐中電灯で手元を照らそうとするが、永慈はそれを遮った。経験上、腐界絡みの遺物は人工の光に頼らない方がよく

 やがて、永慈の手が止まった。

「どうした永慈」

「班長。こりゃあ、やられてますな。人の爪です」

「くそ」

 普段冷静な昴成が悔しげに舌打ちする。


 その後、二人分の爪の欠片を見つけ出した永慈は、それらを白布で丁寧に包み、祈るように瞑目した。

 遺品を受け取り、昴成はきびすを返す。

「私は下で話をしてくる。すぐに身元がわかればいいのだが……腐界をまともに受けては鑑識も難しいだろうね。しばらくここを頼む」

 永慈はうなずいた。

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