エピローグ 姉の家にて、再び

   

 俺の顔を見るなり、姉――響谷ひびきだにあい――は言った。

「呼んでもないのに、また来たのかい」

「はい、また来ましたよ。心配ですからね」

 数日前に姉がひいた風邪は、思いのほか長引いていた。そのため、俺は毎日のように姉の家に顔を出すようにしていた。

 姉は口では「また来たのかい」などと言うものの、俺が来ると嬉しそうな顔をする。今日は、ただ表情が変わったというだけでなく、昨日より顔色自体が良いように思えた。

「姉さん、だいぶ良くなったんじゃないですか?」

「これもつばさが、栄養あるものを作ってくれたおかげだよ」

「皮肉ですか? そんなたいしたもの、作ってないのに」

 姉の家に来る度に俺が作り置きをしているのだが、しょせん男の簡単料理だ。

「いやいや、本気だよ。最近になって料理覚えたようだけど、今回みたいに私が病気だと、本当に助かる」

「姉さん。あの程度で『料理覚えた』なんて言っちゃいけません。姉さんこそ女なんですから、たまには弟の俺に、美味しい手料理の一つでも食べさせてください」

「ふん。少しくらい出来るようになったからって、そんなこと言って」

 姉は、わざとらしく拗ねてみせる。しかし一瞬で、そんな態度も消えて、

「まあ、冗談はさておき。本当に良くなってきたから、久しぶりに風呂でも入ろうかと思ってたところだよ」

 額に手を触れてみたが、完全に平熱だ。先ほど述べたように顔色も良く、こうして姉の態度を見る限り、普通に元気そうだ。

 もう、風邪は治ったと判断して構わないだろう。

「ああ、そろそろ大丈夫そうですね」

 昨日までは、俺がタオルで体を拭いてやっていた。昨日や一昨日だって、もうかなり熱は下がっていたから、そこまでする必要もなかっただろうに。

 結局、この姉は、俺に甘えているだけなのだ。

「翼。病人の私を世話するつもりで来たんだろう? せっかくだから、一緒に風呂に入って、背中を流してくれないかねえ」

「ええ、いいですよ。それくらいなら。タオルで体を拭くのと変わらないから……」

 と、言ってしまってから。

 元々の『響谷翼』の記憶を探って、ギリギリで気が付いた。

 いくらこの姉弟でも、さすがに、一緒に風呂に入ったりはしていない!

 慌てて――しかし動揺は顔に出さぬように努めて――、俺は言葉を足した。

「……なんて言うとでも思いましたか? そこまで甘えないでください!」

「いいじゃないか、減るもんでもないし」

 そう言い捨てて。

 姉は、俺の前で平然と服を脱ぎ、浴室へ向かった。


 浴槽にお湯をためる音と、シャワーの音が聞こえ始める。

 同時に使うと、お湯を張るのに時間かかるのでは……。

 そんな心配も頭をよぎったが、それは風呂のシステム次第だから、俺が口を出すべきではないだろう。

 軽く台所仕事をしたり、部屋を片付けたりした後、姉が風呂から出るのも待たずに、俺は帰ることにした。

 浴室からは、まだシャワーの音が聞こえてくる。

 帰り際、浴室のドアを少し開けて「帰りますからね」と一言伝えると……。

 姉は一時的にシャワーを止めてから、軽く振り向いて、

「なんだい、翼。レディの入浴中に、勝手に開けるもんじゃないよ」

「一緒に入ろうとまで言った姉さんが、それ言いますか?」

 明らかに冗談口調だったので、俺も軽口を返しておいた。

 間違っても響谷愛は、『レディ』という言葉が相応しい人物ではないと思う。


 姉の家を出て、ふと空を見上げれば。

 目の前に広がるのは、清々しい青空だった。

 ちょうど「一つの事件が解決した!」という気分には相応しい天気だ。

 そう。

 姉の風邪が全快すると共に、今回の事件は幕を閉じたのだった。




 ……以上が、俺にとって初めてとなる事件の顛末だ。

 こんな感じで、姉は探偵役ではなかったわけだが、順番ということで、まずこの話から語ってみた。これでは『ころしや探偵の事件簿』としては、いきなり番外編から始まる形になってしまうか。それはそれで心配だけれど、まあ、そんな探偵譚があってもいいじゃないか、とも思う。

 いやいや、それでは皆さんが納得できないというなら……。

 そうだなあ、次は、あの話でも語ってみようか。俺が心の中で『大弓博士殺人事件』と呼んでいる事件がある。本当は『大弓』ではなく尾弓おゆみ博士なのだがね。いわゆる密室殺人というやつで……。




(ころしや探偵の事件簿「記録に残されたアリバイ」完)

   

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ころしや探偵の事件簿「記録に残されたアリバイ」――転生先は探偵助手―― 烏川 ハル @haru_karasugawa

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