第4話 初仕事にて候

「な、なんだ、なんだ。どうした!?」


 自分の顔を見て絶叫した私に又左衛門とまつさんが近寄ってくる。


「あ、いや、何でもない。何でも……」


 私は直ぐに何事もないように顔を洗い始める。


「何でもなくないだろうが、どうした?」


「そうです。びっくりして心の臓がバクバクしてます」


 まつさんが自分の胸の辺りを両手で押さえている。


「ぷ、ぷふ、心の臓とか。ぷぷ、何をオナゴらしいことを。ぶははは」


 又左はまつさんを見て笑い出した。


「何ですか兄上!まつは女です」


 それを聞いて又左は更に大きな声で笑っている。


「ぶは、ぶひゃひゃひゃ、女ときたか。日頃はオナゴ扱いするなと言うお前が、女とな。だ、ダメじゃ、もうお腹が、ぶふ、ぶははは」


「あ、に、う、えー」


 耳元を真っ赤にしたまつさんが又左に詰め寄る。


「い、いかん。稽古の続きじゃ、続きをせんと」


 そう言うと又左は脱兎の如く庭に逃げ出した。


 おーい、私を置いていくなー。


 一連の流れに着いていけなかった私にまつさんがそそと近寄る。


「まったく兄上は。それはそうと藤吉殿。大丈夫ですか? あのような大きな声を出して?」


 近くで小首を傾げ顔に右手を添えたその佇まいはたいへん可愛いらしい。


「いや、その、そう!蜘蛛を見ましてびっくりしたのです。実は私は蜘蛛が苦手なのです。又左には内緒ですよ」


 人差し指を口元に持ってきてナイショのポーズを取る。


 するとまつさんも私と同じようなポーズを取り小声で返す。


「まぁ、分かりました。兄上には内緒にします」


 笑顔を向けるまつさん。


 その顔はいたずらっ子のように見えた。


「おーい、飯まだかー。腹減ったぞ~」


 庭で様子を伺っていたのか又左は?


 妹の機嫌が直ったのを見越して声をかける又左。


 中々の策士だな。


「もうすぐ出来ます。兄上。椀を出してください」


「よしきた」


 まつさんの返事に即座に反応する又左。


 そして私の近くに来て小声で囁く。


「後で訳を聞かせろよ」


 さっと隣を通る又左に私が振り返ると彼はニヤニヤとした顔で私を見ていた。


 なんとも捕らえ所のない御仁だ。


 そして、三人仲良く朝食を摂ったのだった。




 朝食を摂り終え、私は後片付けをまつさんとしていた。


 頭の中はなぜ自分の顔が若返っているのかということでいっぱいであった。


 顔だけか? 体も若くなっているんじゃないのか?


 それに、一体いつからだ?


 この数日の間か?


 それならこの数日長い時間私と一緒にいたまつさんが気づくだろう。


 私はまつさんをじーっと見つめる。


「な、何ですか。何か付いてますか?」


 顔を赤らめるまつさんは、……可愛い。


「いや、可愛いなと思って」


「へ、は、あ、あの、あの」


 狼狽えるまつさんはますます可愛い。


 はっ、思ったことを口走っていた。


 まつさんは顔を赤らめてそそくさと出ていく途中、玄関先で止まるとこちらを見る。


 ぺこりと頭を下げて去っていくまつさん、……可愛い。



 さて、一人になった所で一旦整理しようか。


 何せ昨日は又左がうるさくて考え事が出来なかったからな。


 昨日、又左が気がついた後はそのまま私の部屋に泊まったのだ。


 『何処から来た。どこの生まれだ。親は。兄弟は。俺と兄弟にならんか?』等、最後らへんは何を言っているんだと思った。


 酒も飲んでないのに酔っているんじゃないかと思った。


 とりあえず曖昧に答えていた。


 城でも聴かれたのだが……


 まず、生まれは尾張の何処かということにした。

 物心つく前に尾張を離れたとして、親が行商をしていたことにする。

 最近、両親を流行り病で亡くし生まれ故郷の尾張に帰ってきたと苦しい言い訳をした。

 持っていた荷物や衣服に靴は親が南蛮と取引して手に入れたことにして、詳しいことは自分も知らないと言ってある。


 これも苦しい嘘だ。


 ひとまずこんな感じで説明してみた。


 うるさく聞かれるとボロが出るかもと思っていたが、あまり詮索されることはなかった。


 ただ一つを除いて……


 それは歳を聞かれて答えたときだ。


 三十路過ぎだと答えると羨ましそうな顔と、何を言っているんだと言う顔をされた。

 市姫からは若いなと言われまつさんからはそうは見えないと、又左には嘘をつくなと怒鳴られた。


 ちなみに又左と私はため口だ。


 よそよそしい口調や殿だの様だの付けられると背中が痒くなるそうだ。

 それならばと私も硬い口調は苦手だ。

 芝居は好きだが四六時中はきつい。


 私と又左は友人に成ったのだ。


 この時代この世界での初めての友人だ。


 大事にしようと思う。


 しかし、イビキがうるさい。


 明日からは口に何か詰め込もうと思う。



 それはさておき。


 確か勝三郎も私と同じ歳ぐらいと言っていた。


 若返りは城に入る前か?


 ならこちらに来た時からなのか?



 うーん、う~ん、わからん!


 考えてもわからんもんはわからん。


 しょうがない。


 歳は見た目に合わせよう。


 その方が良いだろう。


 変に拘るよりは良いだろう。


 それに物は考えようだ。


 思いがけず若くなったのだ。


 儲けもんと考えよう。


 それと気になるのが会話が成立する事だ。


 同時と言うか、今もそうなのだが、日本には方言がある。

 地方によっては会話が成立しないほど、方言が強い。


 だから、言葉が普通に通じるのはおかしい。


 しかし、私の言葉は通じるし、相手の言葉も私には理解出来る。


 不思議だ? 何故だろうか?


「おう、行くぞ藤吉」


「さ、城に向かいましょう。藤吉殿」


 私が思考していると又左とまつさんが戸を開けて声をかけてくる。


「おわ、突然開けるな。びっくりする」


「何言ってやがる。何度も呼んだぞ。なぁ?」


「何度も呼んでません。一度だけです」


 まつさんに確認を取る又左。


 それに対して本当の事を言うまつさんと狼狽える又左。


「ば、ばか。そこは合わせろ、まつ」


「ばかは兄上です。さ、ばかな兄上は置いて行きましょう、藤吉殿」


 私の手を取り歩き出すまつさん。


「おま、待て待てまつ!置いて行くな。藤吉。俺も連れてけ」


 慌て追いかけてくる又左に思わず笑みが……


 この二人のおかげで悩みが薄れる。


 本当にありがたい。


 さぁ、いざ清洲城に。


 初仕事が待っている!




 清洲城内の一室にて私は、一心不乱に墨を磨り続けている。


 私に、いや俺に与えられた仕事だ。


 見た目若返ったのだから私から俺に呼び方を変えた。

 ついでに『ふじよし』から『とうきち』に名乗りを変える。

 こっちに来てからは『とうきち』と呼ばれ続け一度も『ふじよし』と呼ばれないのは悔しいが仕方ない。


 一人称は俺!


 名前は木下 藤吉『きのした とうきち』。


 これで行こう。


 腹をくくった。


 そして覚悟を決めた俺の初仕事が墨を磨ることだ。


 なぜ、墨を磨るのかというと只今城内は先の戦の後処理に追われているからだ。


 意気揚々と城内に来た俺はまつさんの案内で小者頭と面会。

 その小者頭に命令されて墨を磨っている。

 大して広くない部屋で墨を磨る音が空しく聞こえる。

 そんな俺の隣で畳の上に寝そべり暇を弄ばしている男が一人。


 又左だ。


 又左は馬廻り衆の一人であり市姫の近習の一人でもある。


 云わば若きエリートだ。


 そして、そのエリートの妹まつさんは市姫の側で忙しく働いているようだ。


 部屋の外から声が聞こえてくる。


 ここ数日は俺の監視をしていたので今は本来の仕事に戻って張り切っているのだろう。


 声に張りがある。


 元気一杯という感じだ。


 少し申し訳ない気持ちになる。



 そしてこのダメ兄貴は部屋で尻をポリポリと掻いている。


 又左を見てため息を吐くと戸が開く。


「墨は出来ているか?」


「こちらに」


「うむ、まだ足りん。もっと頼む」


「かしこまりました」


「ではまた」


 多分、近習の一人と思われる者がやって来て墨の入った硯を持っていく。

 代わりに墨の入っていない硯を置いていく。

 ここ数時間の間何度も繰り返すやり取りだ。


 最初は小者頭からの新人いびりなのかと思ったがそうではないようだ。


 隣の部屋でも同じようなやり取りが聞こえるので総出でやっていると思う。


 皆が忙しいそんな中で、又左だけが暇そうだ。


 というか、何で俺の部屋に居る?


「おい又左」


「なんだ藤吉?」


「何で俺の部屋に居る。皆が仕事しているのにお前は働かないのか? どうなんだ?」


「う~ん。これも俺の仕事だ」


 そう言うと又左は体ごとそっぽを向く。


 又左の仕事?


 俺と居ること、側に居ること、俺を見ること。


 つまり監視か!


「つまり監視か!」


 あ、声に出ていた。


「ま~、そうだ」


 後ろを向いたまま頭を掻く又左。


 なんともいやな気分になる。


 こっちの世界で出来た初めての友人、親友とも思ったのに残念だ。


「残念だ」


 また声に出た。


「俺も好きでやっている訳じゃねぇ。平手のじじいがうるさくてな」


「あー分かるわ。なんか嫌われてるしな俺」


 平手のじい様か。


 苦労性だもんなあ~。


 得体の知れない奴が大事な姫様の近くに加わったらそら心配するわな。


 俺でもするだろう。


 だって心配だろう。


 市姫綺麗だし、カッコいいし、男女問わず人気なんだろうな~。


「別に俺はお前が怪しいとは思っとらん。本当だ。それに監視の名目でサボれるしな」


 声色は面白がっているように聞こえる。

 嘘を言っているようには思えない。

 僅か一晩の間柄だが何故か又左の言葉は信用できる。


「サボりが本命で監視がついでか?」


「まぁ、そういうことだ」


 起き上がり胡座をかいて笑いだす又左。


 本当に気持ちの良い男だ。


「なぁ、暇ついでに何でこんなに墨が要るんだ。教えてくれ又左」


「う~ん、それはな。………」



 暇潰しに話してくれた内容は、関係各位に連絡と報告を書き送っているそうだ。


 先の赤塚の戦の顛末を各地の家臣団に送り。

 また褒賞や罰則の報告及び布告。

 市姫を筆頭に清洲城に居る近習総出で当たっている。


 とにかく書くことが多い。


 めちゃくちゃ多い。


 昨日は簡単な論功行賞が行われ、ついでに俺の取り扱いが話し合われた。


 もともと平手のじい様は金を渡して終わりにするところを、市姫が反対して昨日の出来事になった、と言う話だ。


 話はいつの間にか昨日の事になっていた。


「俺はまつが認めたならと思ってな? まつはお前が入れば市姫様の助けになると言って聞かなかったのだ」


「何でそこまで?」


「何で、だろうな? 俺にも分からん。だが市姫にしか興味ないまつがお前を選んだ。だからまつを信じる俺もお前を信じる」


 真摯な眼差しで俺を見ている又左の態度に感動していた。


 感極まった。


「お、おい、泣くな! 大の男がみっともない」


「すまん。でも、ありがとう。……ありがとう」


 俺は素直に頭を下げた。


 右も左もわからない世界で自分を信じてくれる人がいるのは、とても心強い。


 ………嬉しかった。


「礼ならまつに言え。ただし、俺を持ち上げるようにな」


 いたずらな笑みを浮かべる又左に俺も返す。


「ああ。役に立たない兄上を持って苦労しているなと」


 又左と俺は目を合わせ……


 そして、二人で笑った。



 我、盟友を得たり!そんな気持ちだ。



 その後又左に気になっていたことを聞いてみる。


 今なら又左も素直に教えてくれるだろう。


 気になること、信長の事だ。


 そして、又左は答える。



 ………信長は、死んでいた。

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